PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
廊下の突き当たりから、奥へ続く道があった。
境目が消えた後、廊下は元に戻ったはずだった。コンクリートの床。蛍光灯の白い光。掲示物の並ぶ壁。いつもの校舎だ。
けれど——いや。いつもの校舎じゃない。
「真瀬結人さん。壁を見てください」
アイギスが壁を指差していた。指の先にあるのは——掲示物だ。ポスターが三枚並んでいる。さっきまでと同じ位置に。同じ並びで。
「掲示物だ。何か——」
「いいえ。掲示物の下です」
アイギスの指が掲示物の下の壁を指した。壁の表面。コンクリートのざらついた表面に——線が走っている。
白い線だ。
壁の表面に、白い線が走っている。薄い。けれど確かに描かれている。線が壁の表面を這っている。直角に曲がる。曲がって、また走る。
「この線——」
俺は壁に手を触れた。指先で線をなぞる。壁の表面に凹みがあるわけではない。壁そのものは平らだ。けれど線が見える。壁の表面に白い線が浮き出ている。
「校舎図と同じだ」
俺はポケットから——いやマイスドライバーの横から、さっき優菜がくれた校舎図のコピーを取り出した。マウスフレームの指で紙を広げる。一号館二階。廊下の配置図。
白い線が——壁の上の線と、同じ形を描いている。
「壁に図面が浮いてる」
「浮いている、のではありません」
アイギスが静かに言った。声が低い。
「書かれているのです。この壁自体に。校舎の構造が」
俺は壁の線を目で追った。廊下の線。教室の四角い枠。階段の階段状の記号。全てが壁の表面に白い線で描かれている。薄い。けれど確かに。
「まるで——設計図だ」
「ええ。この校舎そのものが、書き換えられようとしている」
アイギスの声が変わった。報告するような声だ。
「廊下の配置。教室の位置。扉のあるなし。全てがこの線によって定義されている。先ほど現れた扉も、この線の一部だ」
俺は壁を見た。線が走っている。廊下の突き当たり——さっきまで壁があった場所。そこに——線が途切れている。
途切れているのではない。
書きかけだ。
線が途中で止まっている。扉の輪郭を描き始めている。けれど完成していない。途中で止まっている。
「ここが——扉の出た場所か」
「はい。この線が完成すれば、扉が現れる。設計図が書き換えられることで、現実の校舎も変わる」
俺は壁の線を見た。書きかけの扉の輪郭。さっき動画の中で見た扉と同じ位置に、同じ形で。
「じゃあ、友達は——この線が完成した場所に入っていったのか」
「可能性は高いです。扉が完成し、その先にある空間が形成される。人がその中に入る。そして扉が閉じる」
アイギスの声が少し硬くなった。
「閉じた空間の中に人が取り残される。それがこの事案の構造だとすれば——」
「友達はまだ中にいる」
俺は拳を壁に当てた。銀色の装甲が白い線に触れる。線が——一瞬だけ、明るくなった気がした。
(線が反応した?)
俺は壁から手を離した。
「アイギス。この線を描いているのがいるか」
「必ずいます。この規模の構造改変を行うには、それを維持する核となる存在が必要です」
「どこに」
「線の始まりを辿れば——」
アイギスが廊下の奥を見た。突き当たりの壁の向こう。線が走っている方向。廊下に沿って白い線が走っている。壁を這い、床を渡り、天井へ——全てが一つの方向から広がっている。
「奥です」
アイギスが歩き出した。廊下の突き当たりの壁——いや、壁ではない。線が途切れている場所。扉が書きかけの場所。その手前から、線が逆に辿れる。廊下を戻るのではなく、壁の中へ。
壁の中に線が走っている。
壁の表面だけではない。壁の中に白い線が見える。透けているわけではない。壁そのものが——薄くなっている。
「壁が——薄い」
俺がそう言った瞬間、足元の床が変わった。
コンクリートの床ではなかった。木の床だ。廊下の床が木質になっている。廊下の床板が剥き出しになったような——いや、教室の床だ。教室の床と同じ木質の床が廊下に続いている。
「床が変わった」
「領域が侵食しています。校舎の構造が書き換えられつつある」
アイギスの足音が変わった。金属の足音が木質の床を叩く音に変わる。俺の足音も——マウスフレームの装甲が木の床を叩く音に変わる。
廊下の壁が変わっていく。
コンクリートの壁に、窓枠のような枠が浮き出てきた。窓枠の中は暗い。ガラスがない。ただの枠だ。けれど枠の中が——暗いだけではない。
動いている。
枠の中に何かが動いている。
(何だ)
俺は枠の中を覗き込んだ。
映っていた。
枠の中に——映像が映っている。廊下だ。別の廊下が映っている。窓があって、光が差していて、誰かが歩いている——いや、あれは。
俺だ。
さっきまでここにいた俺が映っている。マウスフレームの銀色の背中が枠の中に映っている。
「鏡か」
「いいえ」
アイギスが枠を覗き込んだ。青い瞳が枠の中の映像を追う。
「鏡ではありません。過去の記録です。この廊下で起きたことが、枠の中に記録されている」
「記録」
「この校舎で起きた出来事を、観測している何かがいる」
アイギスの声が低くなった。偵察モードに入ったような声だ。
「観測——」
俺は枠の中を見た。さっきの俺が映っている。そして、その前に歩いていた生徒も映っている。落ちていった生徒も——映っている。
全てが記録されている。
この校舎で起きたことを、何かが見ている。記録している。
(観測している)
背筋に冷たいものが走った。
(見られている。さっきからずっと——)
枠の中の映像が動いた。さっきの俺が動いている。けれど——それだけではない。枠の中の廊下の奥に、何かが見えた。
さっきは見えなかったものが、今見える。
枠の中の廊下の奥に——人が立っている。
いや人ではない。
人型だ。けれど——細長い。人間より細い。黒灰色の体。肩に——目がある。
俺は枠に顔を近づけた。
枠の中の廊下の奥に立っている人型の肩に、大小の目が並んでいる。目が——動いている。全てが、別々の方角を見ている。
「あれは」
俺は枠の中の人型を見た。人型の顔に——白い仮面がある。仮面の中央に赤い大きな目がある。その目が——枠の中から、こっちを見ている。
(見ている)
俺を見ている。
(さっきから見ていたのか)
枠の中の人型が、ゆっくりと顔を上げた。
赤い目が、俺を捉えた。
枠の中だけではない——枠の外の廊下にも、同じ気配がある。
俺は枠から目を離して、廊下を見た。
廊下の突き当たり。書きかけの扉の場所。その向こう——壁の線が集まっている場所。線が一箇所に集まって、そこから四方へ広がっている。
線の始まりの場所。
そこに——立っていた。
人型。
黒灰色の体。細長い肢体。肩に並ぶ大小の目。白い仮面に赤い大きな目。
窓枠の中に映っていたものと同じ。
枠の中だけでなく——廊下にいる。
「アイギス」
俺は声を低くした。マイスエッジに手をかけた。
「あれは——シャドウか」
アイギスが人型を見た。青い瞳が人型を捉える。
アイギスの表情が変わった。
今までの剣幕——戦闘中の冷静な顔でもない。調査中の丁寧な顔でもない。
「……これは」
アイギスの手が——震えた。
金の髪が揺れる。青い瞳が人型を見据えたまま動かない。けれどその瞳の奥で、何かが揺れている。
「シャドウです」
アイギスの声が出た。低い。硬い。
「けれど——これまで私が遭遇したどのシャドウとも、異なります」
「異なる?」
「構造が違います。通常のシャドウは自我の混沌から生まれる存在です。けれどこの個体は——」
アイギスの声が途切れた。
人型の肩の目が動いた。大小の目が、一斉に俺とアイギスの方を向いた。
全ての目が、こっちを見ている。
人型の仮面の赤い目が——ゆっくりと瞬いた。
瞳シャドウがその姿を現した。
赤い目が俺を捉えたまま、黒灰色の手がゆっくりと上がった。長い指先が——壁をなぞっている。白い線が指の先から溢れて、壁に新たな線を描いていく。
描いている。
この校舎を。
「来ます」
アイギスの声が鋭くなった。
瞳シャドウがその姿を現した。
黒灰色の人型が、廊下の突き当たりに立っている。肩に並ぶ大小の目が、一斉にこっちを見ていた。
人型の仮面の赤い目がゆっくりと瞬いた。
黒灰色の手が上がった。長い指先が壁をなぞる。指の先から白い線が溢れて、壁に新たな線を描いていく。
描いている。
この校舎を。
書き換えている。
俺はマイスエッジを握り直した。
指が震えている。
けれど、あいつを見ている。
赤い目が俺を捉えている。
(来る)