PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
瞳シャドウが動いた。
黒灰色の体が揺れた——いや、揺れていない。体は動いていない。けれど、肩の目が動いた。大小の目が一斉にこっちを見て、一斉に別の方向を見て、またこっちを見る。
(視線が)
背中が痒くなった。見られている。目が多い。肩に、腕に、胸の甲板の隙間に。全部が別々の方角を見ている。俺とアイギスを見ている目もあれば、廊下の奥を見ている目もある。廊下の天井を見ている目もある。
「右」
アイギスの声が来た。短い。指示だ。
俺は右を見た。
廊下の右側。窓枠のような装甲が浮かんでいる。さっき見た枠だ。枠の中に——映っている。
俺だ。
枠の中に俺が映っている。マウスフレームの背中。それから——もう一人。
枠の中の俺の背後に、黒灰色の手が伸びていた。
「!」
俺は飛んだ。右足で床を蹴る。木質の床板が軋む音。身体が左へ滑る。
ズン。
さっきまで俺が立っていた場所に、黒灰色の手が叩きつけられた。床板が割れる。木屑が飛ぶ。拳だ。瞳シャドウの拳が、床を叩き割った。
(速い)
拳が速い。けれど——速いだけじゃない。拳が来た場所が分かっていた。アイギスが「右」と言った時、すでに枠の中に映っていた。枠の中の俺の背後の手。それが現実に来る前に、俺は動いた。
「鏡の中で、攻撃の軌道が見える」
アイギスが言った。彼女も動いている。金の髪が揺れる。背後からアテナの光が広がり始めている。
「窓枠の中に未来の映像が映る。攻撃の予兆が——」
アテナが現れた。
黄金の鎧。槍と盾。アイギスの背中から現れたペルソナが、槍を構える。
「前方から、二撃」
アイギスの声と同時に、アテナが槍を振るった。槍先が空気を裂く。ヒュッという音。
その直後——瞳シャドウの腕が二回、振り抜かれた。アテナの槍が振られた軌道と、同じ方向に。アテナの槍が空を切った場所に、瞳シャドウの拳が来た。
「!」
アテナの槍が空を切った。拳は——来ない。アテナが先に振ったから、拳はその軌道を予測して回避した。
「避けた?」
「予測している。私の攻撃の軌道も、見ている」
アイギスの声が硬くなった。
俺はマイスエッジを構えた。スライサーモード。銀色の刃に青い光が走る。踏み込む。木質の床を蹴る。瞳シャドウとの距離が縮まる。
(切る)
マイスエッジを振り下ろした。
刃が瞳シャドウの肩に触れた——はずだった。
触れていない。
肩の目が動いた。刃が触れる寸前に、目が強く光った。白い光。眩しい。目を閉じそうになる。けれど閉じない。光の中で、刃の軌道を見る。
刃は空を切っていた。
瞳シャドウの体が、少しだけ右にずれていた。ほんの数センチ。けれどその数センチで、刃が空を切った。
(見ている。俺の攻撃を見て、避けてる)
「囮だ」
アイギスの声が来た。
「肩の目が光る瞬間に、攻撃の軌道が見える。光ったら避ける」
「分かった!」
俺は踏み込みを止めなかった。もう一度斬る。右から。今度は——
肩の目が光った。
(来る)
身体が動いた。左に滑る。刃が空を切る。瞳シャドウが右にずれる。また数センチ。また空を切った。
(くそっ)
三度目。左から。斬り上げる。
肩の目が光った。
(分かってる。光ったら避ける)
光った。俺は右に滑った。瞳シャドウが——左にずれた。
え。
逆だ。
俺が右に動いた瞬間、瞳シャドウは左に動いた。俺が避けようとした方向に、瞳シャドウが移動した。俺の攻撃の軌道を避けるのではなく——俺の避ける方向を読んで、そこに回り込んだ。
(読まれた?)
「結人さん!」
アイギスの声。振り向く暇がない。けれど音が聞こえた。金属音。何かが弾かれる音。
視界の端で、アテナの盾が見えた。黄金の盾が、俺の左側を覆っている。盾の表面に、黒灰色の手が叩きつけられた。拳だ。俺の左側面に来た拳を、アテナの盾が受け止めた。
「左から。気をつけて」
アイギスの声が落ち着いている。戦闘中の声だ。報告するような声。
(左から攻撃が来てた。俺が右に動いたから、あいつは俺の左側に回り込んだ。俺の避ける方向を読んで、そこに攻撃を置いた)
「攻撃の軌道だけじゃない。私たちの動きも見ている」
アイギスの声が低くなった。
俺は距離を取った。三歩、四歩。木質の床を蹴って後退する。瞳シャドウは追ってこない。廊下の突き当たりに立ったまま。肩の目が俺を見ている。腕の枠の中に、俺の姿が映っている。
(枠の中に映ってる。俺の姿が。それを見て——動きを読んでる)
「アイギス。あの枠」
「窓枠。あれが観測の媒体です。枠の中に私たちの姿を映し、動きを読んでいる」
「枠を壊せば——」
「試します」
アテナが動いた。槍を振り上げる。瞳シャドウの右腕の枠に向かって。槍先が枠を狙う。
枠の中にアテナが映った。槍を振り上げるアテナの姿。それを見て——瞳シャドウの右腕が動いた。枠を覆うように、腕を丸める。枠を守る体勢。
アテナの槍が振り下ろされた。
ガキン。
金属音。槍先が瞳シャドウの腕に弾かれた。枠は守られた。腕に傷一つない。黒灰色の体が硬い。
「硬い。普通のシャドウより装甲が厚い」
アイギスの歯噛みする声が聞こえた。
俺はマイスエッジをシューターモードに切り替えた。刃が折り畳まれ、銃身が展開する。照準を瞳シャドウの肩の目に合わせる。
(目を撃つ。あれが見ている。目を潰せば——)
トリガーを引いた。
ババッ。
青い光弾が放たれる。光弾が瞳シャドウの肩に向かって飛ぶ。
肩の目が光った。
光弾が——外れた。
肩の目が光った瞬間、瞳シャドウの体がわずかに傾いた。数センチ。けれどその数センチで、光弾が肩を外れて壁に当たった。壁の白い線が光り、弾痕が消える。
(見えてる。弾の軌道も見えてる)
「完全に読まれてる」
俺は呟いた。
「攻撃も避ける動きも、全部見られてる。鏡の中で、未来の映像を見てる」
「はい。観測している。私たちの動きを全て記録し、予測している」
アイギスの声が硬い。
「これまでのシャドウとは、根本的に構造が違います。自我の混沌から生まれた存在ではない。何かを——」
アイギスの言葉が途切れた。
瞳シャドウが動いた。
廊下の突き当たりに立っていた体が、ゆっくりと前に出た。一歩。木質の床を踏む音。乾いた音。二歩。三歩。ゆっくりと。けれど確実に近づいてくる。
肩の目が動いた。全ての目が、俺とアイギスに向く。
腕の枠が開いた。枠の中に——別の景色が映った。
廊下だ。けれど今いる廊下じゃない。別の廊下。暗い廊下。窓がなくて、光がない廊下。
その廊下に——人が立っていた。
制服を着た女子生徒。リボンが見える。髪が揺れている。
(あれは)
相談者の友人だ。行方不明になった子。動画の中で扉に入っていった子。
「見つけた」
俺は声が出た。
枠の中の廊下に、彼女が立っている。こっちを見ている。助けを求めるように手を伸ばしている。
「結人さん!」
アイギスの声が鋭くなった。
「罠です。枠の中の映像に集中しないで」
「でも——」
枠の中の彼女が口を動かした。
『たすけて』
声が聞こえた。廊下に響く声。スマートフォンのスピーカーからじゃない。廊下そのものから聞こえる声。
(助けて)
俺は足を踏み出した。
一歩。枠の方へ。
(行かなきゃ。あの子が——)
二歩。
その瞬間。
背中が焼けた。
(あ)
マオウの炎がよぎった。バーンゴクエンの爆音。紅い炎。肋骨が砕ける音。地面に背中を打ちつけた痛み。
(いや)
足が止まった。
膝が固い。動かない。前に出ようとして、足が出ない。マオウに打ち倒された時の感覚が、筋肉の奥から這い上がってくる。
(動け)
動かない。身体が命令を拒否している。枠の中の彼女が手を伸ばしている。助けを求めている。けれど俺の足は動かない。
「結人さん!」
アイギスの声。遠い。
瞳シャドウの腕が上がった。黒灰色の手が、俺の方へ伸びてくる。指先が——白い線を引きながら。壁に、床に、天井に。白い線が走る。
「来ます!」
アイギスが叫んだ。アテナの盾が俺の前に出る。黄金の盾が、瞳シャドウの手を防ぐ。
ガキン。
金属音。盾に手が当たる。硬い音。けれど——盾が押されている。アテナの盾が、少しずつ押し返されている。
「重い——」
アイギスの声が震えた。アテナが盾を支えている。けれど瞳シャドウの手が、盾を押し込んでいる。力が強い。アテナの盾ごと、俺を押し潰そうとしている。
(動け。俺の足。動け)
足が動かない。膝が固い。肘が曲がらない。マオウの炎の記憶が、身体を縛っている。
枠の中の彼女が、まだ手を伸ばしている。
『たすけて』
声が聞こえる。
俺は——
「けれど、それでも!!」
それが、俺の役目だ。
足が——動いた。
一歩。右足。木質の床を蹴る。膝が曲がる。固まっていた膝が、少しだけ動いた。
(動いた)
もう一歩。左足。膝が曲がる。動く。遅い。けれど動く。
マイスエッジを握り直す。震えている指。けれど握れる。柄の感触が指に戻る。
(俺がここにいる。俺がここにいる間は、あいつはこっちに来ない)
枠の中の彼女を見た。手を伸ばしている。助けを求めている。俺と同じように怖い顔をしている。
(怖い。俺も怖い。あの子も怖い)
けれど。
胸の奥で何かが——熱を持った。
恐怖と同じ場所から。けれど恐怖とは違う熱。怖いけれど、それでもやる。怖いからこそ、あの人たちを置いていけない。さっき港で感じた、あの熱と同じだ。
胸元が——熱い。
マイスドライバーの中のライドエグズが、熱を帯び始めた。
(あ)
視線を落とす。胸のマイスドライバー。装填されたライドエグズが——光っている。
赤い光だ。
内側から脈動するように、赤い光が明滅している。ドクン、ドクンと。俺の心臓の鼓動と同じリズムで。
ライドエグズの表面に走る赤い光が、揺らぎ始めた。揺らめきが炎の形に変わっていく。
(これ)
熱い。いまここにある熱は、マオウの炎の記憶とは違う。記憶の熱は背中を焼く。これは胸の正面から、俺の中から、外へ向かう熱だ。
俺の意志に応えるように。俺の意志が熱を持ったように。ライドエグズが同じ熱を持ち始めた。
(また——来た)
手が動いた。マイスエッジの柄から離れて、胸元へ向かう。自然と。思考よりも先に。
マイスドライバーの上に、ライドエグズが赤い炎を宿して揺れている。その揺らめきに、俺は手を添えた。
指先がライドエグズの表面に触れた。
熱い。けれど——痛くはない。
マイスドライバーの操作レバーを押し込む。カチリ。指先に触れる金属の感触。
「変身」
掠れた声が出た。
胸元から炎が噴き上がった。
ドォン!
熱が身体を包む。マオウの炎ではない。俺の炎だ。マイスドライバーを中心に、赤い炎が装甲の表面を流れていく。肩へ。背中へ。頭部の輪郭をなぞる。銀色の装甲が赤い光に染まっていく。
背中の炎が広がる。マイステールの先から、燃え盛るマントが形を作り始める。赤い炎の衣。裾が海風に——いや廊下の風に揺れる。木質の床に赤い光が落ちる。
『マイス ファイヤーフレーム!』
ドライバーの音声が鳴った。
ファイヤーフレーム。
身体が熱い。胸から手足へ熱と力が行き渡る。強張っていた膝が熱に緩む。固まっていた肘が解ける。関節が動く。動ける。
俺は足裏で木質の床を確かめた。熱い床。赤い光が床を照らしている。
背中の炎の衣が揺れる。重い。けれどその重みが、重心を作っている。前に向かう重心。
瞳シャドウを見た。アテナの盾を押している黒灰色の手。肩の目が一斉に俺を見た。赤い目が瞬いた。
(見てる。俺を見てる。それでいい)
俺はマイスエッジを構え直した。
炎を宿した刃が、赤い光を放つ。
(助ける。怖いけれど、助ける)
枠の中の彼女が、まだ手を伸ばしている。
(必ず、助ける)
俺はファイヤーフレームの炎を背負い、瞳シャドウへ向き直った。