PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
赤い光が消えた。
廊下に残ったのは、焦げた木の匂いと、白い煙と、床に散らばった黒灰色の欠片だけだった。瞳シャドウの体が——なかった。崩れ落ちた跡が、床板の上に黒い煤として残っているだけだ。
(消えた)
アイギスがアテナを収めた。背中の光が縮んで、黄金の輪郭が消えていく。アイギスの肩が下がった。息が荒い。戦闘の疲れが、戦いが終わった瞬間に一気に出たのだろう。
俺もマイスエッジを下ろした。シューターモードの銃身が折り畳まれ、スライサーモードに戻る。刃を脚部に量子変換で収納する。銀色の刃が光の粒子となって消える。
背中の炎の衣が揺れた。ファイヤーフレームの炎が、少しずつ薄くなっている。戦闘が終われば、炎も収まっていくのだろう。
(終わった。とりあえず)
けれど——まだ終わっていない。友達はまだ扉の中にいる。けれど瞳シャドウは消えた。扉が消えたかどうかは——
廊下の突き当たりを見た。壁がある。さっきまで扉があった場所。いや、扉が現れた場所。今は——壁だ。元の壁に戻っている。
(扉が消えた)
瞳シャドウが消えたと同時に、扉も消えた。壁に白い線が残っている。書きかけの扉の輪郭。けれど完成していない。途中で止まっている。
(友達は——)
分からない。扉の中に入っていった友達が、どこにいるか。扉が消えた今、どこにいるのか。
「結人さん。周囲の安全を確認しましょう」
アイギスの声が来た。少し息が整っている。けれどまだ荒い。
「ああ。そうだな」
俺は頷いた。マイスの仮面越しに廊下を見渡す。煙がまだ漂っている。焦げた木の匂い。炎は收まりかけている。掲示物の燃えカスが床に落ちている。
「校舎の外も確認しなきゃ」
「はい。避難した生徒さんの安否も」
俺たちは廊下を戻った。渡り廊下を渡る。一号館の階段を下りる。玄間から外に出る。
空はもう暗くなりかけていた。西日が消えている。夕闇が校舎を覆い始めている。けれど校庭の方に明かりがあった。懐中電灯の光だ。数人の人影が校庭の隅に集まっている。
近づくにつれて、声が聞こえてきた。
「おい、ゆっくりでいい。歩けるか? 無理すんな」
荒い声だった。男の声だ。低い。けれど——荒い言葉の割に、声のトーンは穏かじゃない穏やかじゃない。落ち着いている。
「足首、痛いか。そこ座れ。いやそこじゃねえ、もっとこっち。壁に寄れ」
声が続く。言葉はぶっきらぼうだ。けれど——相手の歩幅に合わせているのが分かった。声の遠近が一定だ。歩く相手の速さに合わせて、自分もゆっくり歩いている。
校庭の隅に、ベンチがあった。生徒が一人座っている。足首を抱えている。怪我をしているらしい。その隣に——男が立っていた。
俺は立ち止まった。男を見た。
年は——俺たちより上に見える。高校生だ。けれどうちの学校の制服とは少し違う。別の学校か、あるいは——
男が生徒をベンチに座らせた。座らせる時に——手が触れないようにしていた。足首のあたりに手を回さない。肩と背中だけを支えて、ゆっくりと腰を下ろさせる。
(怪我した箇所に触らないようにしてる)
ぶっきらぼうな言葉とは別に、手が細かく動いていた。
「動かすなよ。じっとしてろ。救急車呼ぶから」
男がポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタップする。片手で。もう片方の手は——生徒の肩に置いたままだった。支える手。
(あの手は——離さない)
俺はそこで声をかけた。
「大丈夫ですか」
男が顔を上げた。
俺を見た。マイスの姿を見た。銀色の装甲。青い複眼。鼠の耳を思わせる頭部。胸のマイスドライバー。
男の目が俺を捉えた。それから——アイギスを捉えた。
「…あんたら、あの中で何をしてた」
声が低い。警戒している。
「シャドウを。あいつを倒しました」
アイギスが答えた。声が落ち着いている。
男の目が俺に戻った。
「あいつを倒した」
繰り返した。それから俺の全身を——マイスの装甲を、マイスドライバーを、背中の炎の衣の残りを、見た。
「…お前ら、まだ学生か」
声が少し変わった。荒さの中に——何か別のものが混じった。
「ああ。学生だ」
俺は答えた。マイスの仮面越しに。
男の目が——少しだけ細くなった。何かを読取るような目だった。
「…学生が、あの中に入ってたのか」
「入るしかなかったんです。あの中に人がいたから」
男が——一瞬だけ黙った。
俺は男を見ていた。制服はうちの学校じゃない。けれど学生だ。俺たちと同じくらいの年齢に見える。
「…悪いな。俺も、こいつら避難させてた」
男がベンチの生徒の方を見た。座っている生徒の足首が腫れている。
「校舎の中から逃げてきたやつらを、ここまで引っ張ってきた。何人かは足を挫いてた」
「助かりました。ありがとう」
アイギスが言った。男は——少し顔を背けた。
「…別に。近くにいたからやっただけだ」
ぶっきらぼうな声だった。けれど——ベンチの生徒の肩から手を離していなかった。
その時だ。
校門の方から足音が聞こえた。走ってくる足音だ。速い。
「雹!」
声が来た。女の声だ。
俺は振り返った。校門の方から女子生徒が走ってくる。うちの学校の制服ではない。男と同じ学校の制服だろうか。
「雹! 無事だったの!」
女子生徒が男の前に来た。息を切らしている。走ってきたのだろう。
男——雹が顔を上げた。
「…ああ」
短い返事だった。
女子生徒が雹の前に立っている。雹の顔を見ている。無事を確かめる目だ。
雹は——面倒そうな顔をした。
「なんだよ。連絡したって送ったじゃねえか」
「送ってくれたけど! でも心配だから来た!」
「…そうか」
雹はそう言ったけれど——待たせたことについては何も言わなかった。「待たせてごめん」とも「来てくれてありがとな」とも言わなかった。
けれど——女子生徒の方は気にしていない様子だった。雹の無事を確かめただけで、安心したような顔をしている。
「…店の人から連絡来てたぞ」
雹がポケットからスマートフォンを取り出した。
「店? アルバイト先?」
女子生徒が尋ねた。
「ああ。帰り遅くなるって言っといたんだけど、無事かってよこしてきた」
雹の声が——少し落ち着いた。「店の人」という言葉を出した時、荒さが少しだけ緩んだ気がした。
「店の人も心配してるんだな」
俺は口を出した。雹が俺を見た。
「…まあな。前、店のに不可思議が出た時があるからよ」
雹の声が少し低くなった。
「不可思議」
その言葉が——俺の胸に響いた。
不可思議。シャドウ。同じものだ。
「店のに出た時、俺が片付けた。それから……店の奴らが心配してくれるようになった」
雹は言いかけた言葉を途中で止めた。「それから」何かがあったのだろうけれど、それ以上は言わなかった。
けれ俺は分かった。雹も——守るために戦ったのだ。店の人を守るために。アルバイト先の人々を守るために。
(俺と同じだ)
港で銀二さんたちを守るために戦った。友達を助けるためにここに来た。
雹も——同じように人を守るために戦ったのだ。
「雹」
女子生徒が雹の袖を引いた。
「帰ろう。もう大丈夫でしょ」
「…ああ」
雹は頷いた。
それから——俺たちの方を見た。
「お前らも休めよ。学生が無理すんな」
荒い言葉だった。けれど——その中に心配が混じっていた。
雹は踵を返した。女子生徒と並んで歩き出す。
「雹!」
俺は声を上げた。
雹が立ち止まった。振り返る。
「ありがとう。助かった」
俺は言った。
雹の目が——少しだけ動いた。
「…名前、聞いてもいいか」
俺は尋ねた。
雹は——少し間を置いた。
間の中で、雹の目が俺のマイスの仮面を見ていた。青い複眼を見ていた。
「…虎堂雹だ」
短く言った。
「虎堂雹」
俺は繰り返した。
雹は——今度は俺の方を見た。
「お前は」
「真瀬結人だ」
俺は答えた。
マイスの仮面越しに、けれど本名で。
雹はその名前を聞いて——一瞬だけ何か考えているような顔をした。
「…真瀬」
繰り返した。
それから——
「じゃあな、真瀬」
雹は女子生徒と並んで歩き出した。
夕闇の中に二人の背中が遠ざかっていく。
俺はその背中を見ていた。
虎堂雹。
口は悪いけれど、人の怪我に触れないように手を動かす男。守るために戦う男。
帰る場所がある男。
(虎堂雹)
アイギスが隣で小さく息を吐いた。
「行きましょう、結人さん。友達を探さないと」
「ああ」
俺は頷いた。
友達はまだ——扉の中にいるかもしれない。
扉は消えたけれど、友達はまだ戻ってこない。
(探そう)
俺はマイスの仮面越しに、夕闇の校舎を見上げた。
(必ず——見つける)