PERSONA × MY-TH UNFATHOMABLE VOYAGE ―沖縄怪異航路― 作:ボルメテウスさん
タラップを降りた足がふらついた。
(やばい。ガクガクすぎる。普通に歩いてるつもりなのに酔っ払いみたいな歩幅になってる)
環凪島の港は小さかった。船着き場から岸壁へ続く道が一本。街灯が等間隔に並んでいて、その向こうに住宅と店舗が混ざった低い建物が並んでいる。本土の港とは空気が違う。湿っている。べたつく。潮の匂いが濃い。
(沖縄か。本当に来たんだな俺)
足が港口の自販機へ向いた。無意識だ。身体が勝手に動いている。喉が渇いた。いや空腹だ。胃が空っぽだ。さっき吐きそうになったのは胃の中身が何もなかったからでもある。
自販機の前に立つ。品揃えが本土と違う。見慣れない飲み物が並んでいる。だが目に入ったのは飲み物じゃなかった。
ポーク玉子おにぎり。
自販機の横の棚に並んでいた。コンビニの棚みたいに温められている。ポーク玉子おにぎり。沖縄のソウルフードらしい。前に旅行番組で見たことがある。
(これか。沖縄来たって感じがするのは)
百二十円。安い。財布を出す。小銭を入れてボタンを押す。ガコン。おにぎりが落ちてきた。温かい。
(温かいものが手にあるってだけで安心する。情けない)
包装を破いて一口かじった。
美味かった。
ポークの塩気と玉子の甘さがおにぎりの飯に染みている。思ったより濃い味。でも空腹には最高だった。口の中に広がる味が胃に落ちていく。胃が喜んでいるのが分かる。
(生き返る。これ食べながら歩こう。寮まで遠くないはずだ)
案内パンフを取り出す。まだカバンに入っていた。沾水で濡れていないか心配だったが大丈夫だった。南星学園都市学生寮の地図が載っている。港から徒歩十五分。
(十五分か。足が持つかどうか分からないけど)
おにぎりを片手に歩き出した。
夜の環凪島は静かだった。街灯の橙色が道を照らしている。店舗は閉まっている。時折車が通るだけで人影は少ない。観光地というより生活感のある街並みだ。石垣の壁。赤い瓦。ハイビスカスの垣根。本土にはない色彩が目に飛び込んでくる。
(きれいだ。正直きれい。でも今はきれってられない)
おにぎりを半分食べたところで足がくねりそうになった。膝が笑っている。さっきの戦闘の疲労がまだ抜けていない。変身が解けてからしばらく経つのに、身体が重い。鉛が足に巘いているみたいだ。
(あの空間でどれだけ動いたんだ俺。感覚では三十分くらいだけど実際はどうだったんだろう。船内の時間はどれくらい経ってたんだ)
乗客たちは普通に下船していた。何の混乱もなく。ということは俺の感覚の三十分は現実では数秒だったのか。それとも数分だったのか。
(分からない。後で考えよう。今は歩く。寮に着く。それだけ)
十五分歩いた。実際は二十分くらいだった気がする。足が遅くなっていた。途中で二回休んだ。電柱に寄りかかって息を整えた。情けない。高校生男子が夜道で電柱に寄りかかっている。不審者以外の何物でもない。
(通報されなきゃいいけど)
学生寮は島の中央よりやや北側にあった。三階建ての白い建物。入り口に「南星学園都市 学生寮」と書かれたプレートがある。照明が漏れている。受付があるらしい。案内パンフに書いてあった。
(着いた。やっと着いた)
おにぎりはもう食い終わっていた。三個目を自販機で買ってしまった。二個目は道中で食べた。三個目は寮の前のベンチで座り込んで食べた。ベンチの木が背中に当たって気持ちよかった。座りたかった。ただ座りたかった。
(ポーク玉子おにぎり三個食べた。これが俺の転校初日の夕食か。弁当にも劣る。いやポーク玉子は美味いけど。でも夕食としてどうなのこれ)
ベンチから立ち上がった。最後の一口を飲み込んで包装紙をゴミ箱へ投げる。入った。よし。
寮の入り口をくぐった。自動ドアが開いて冷気が漏れ出す。エアコンが効いている。受付カウンターの奥に管理人らしき人が座っている。おじいさんだった。眼鏡をかけて新聞を広げている。
「あの、すみません」
声が掠れた。咳払いをしてもう一度。
「すみません。真瀬結人です。今日入寮の手続きに来たんですが」
おじいさんが眼鏡の上からこちらを見た。じっと見た。三秒くらい。それから新聞を畩んで立ち上がった。
「真瀬くんか。書類はあるかね」
「あ、はい。これです」
カバンから入寮書類を取り出した。折り畳んであるやつ。出す時にシャツの袖がめくれて左腕の傷が見えた。慌てて袖を引っ張る。おじいさんは見ていなかった。見ていたかもしれない。分からない。
(隠せ。傷を隠せ。普通に。普通にやれ俺)
書類を確認して鍵を渡してくれた。二階の二〇三号室。鍵はプラスチックのキーホルダーに番号が書いてある。ごく普通の鍵だ。普通すぎて逆に不安になる。
「荷物は部屋に先に届いているはずだよ」
「ありがとうございます」
おじいさんに頭を下げて階段を登った。階段がきしむ。手すりがぬるっとしている。湿気のせいか。エアコンが効いているのに湿気が残っている。本土とは空気が違う。
二階の廊下。二〇三号室の前に立つ。鍵を差し込む。回す。カチリ。ドアが開く。
(ここが。俺の部屋か)
六畳一間。狭い。ベッドが一台。机が一脚。クローゼットが一つ。冷蔵庫が一台。テレビはない。シンプルすぎて寮というよりホテルみたいだ。
(まあ贅沢は言わない。寝られればそれでいい)
電気をつけた。蛍光灯が白く点いた。目が痛い。明るすぎる。さっきまでの暗闇と異空間の青い光に目が慣れすぎている。
そして。
ダンボールがあった。
部屋の隅に三つ。引っ越し荷物だ。本土から送ったやつだ。事前に配送しておいたやつが届いている。中身は本と服と工具とあれこれ。
(あとで開ける。今は無理)
ベッドにカバンを投げ出した。座り込む。スプリングが軋む。ベッドの感触が背中に伝わる。柔らかい。柔らかすぎる。今すぐ寝そうだ。
(寝ちゃいけない。寝たらまたあの船室に戻るかもしれない。イゴールがいるかもしれない)
だが身体が言うことを聞かない。瞼が重い。足が熱い。頭がぼんやりする。
(あとで。手続きもあとで。荷解きもあとで。今は)
ふと視線が動いた。
ベッドの上に何かがあった。
ダンボールの上でも机の上でもない。ベッドの真ん中に、何かが置かれている。
ぬいぐるみだった。
シーサーのぬいぐるみ。
小さい。手のひらに収まるくらい。沖縄の守り神。獅子の石像を模したぬいぐるみ。白い毛並みに金色の飾り。可愛く作られている。
(……これ誰の?)
拾い上げた。軽い。柔らかい。ふにふにしている。
(俺の荷物にこれ入れたっけ。入れてない。絶対に入れてない。シーサーのぬいぐるりなんて持ってない。そもそもぬいぐるみなんて小学三年生以来持ってない)
荷物リストを思い出す。服。本。工具。修理キット。予備のゴーグル。予備のキャップ。これらは全部自分で段ボールに詰めた。ぬいぐるみなんて一つも入れていない。
(じゃあ誰が置いた。配送業者が間違えて入れた? それとも誰かが先に部屋に入れた?)
首を傾げる。シーサーのぬいぐるみの顔と目が合った。可愛い目で見つめ返される。何も言わない。当たり前だ。ぬいぐるみだから。
(……まあいいか)
疲れすぎていた。考える気力が残っていない。シーサーを枕元に置いた。ベッドに倒れ込む。天井が見える。蛍光灯が白く光っている。
(シーサー。守り神。まあ悪くない。置いておこう。気休めくらいにはなる)
目を閉じた。
(寝ちゃいけない。寝たら。寝たら)
暗闇が広がる。波の音が遠くで聞こえる。潮の匂いが窓から漏れ入る。
目を閉じてから、おそらく五分も経っていなかったと思う。
眠れなかった。
身体は疲れている。瞼は重い。頭はガンガンする。なのに眠りが来ない。あの船室へ戻るのが怖い。イゴールの顔とウォルトンの声が、意識の裏側で待っている気がする。
「…寝れねえ」
起き上がった。ベッドが軋む。蛍光灯がまだ白く点いている。消す気になれない。明るいままでいい。明るい方が安心する。
枕元のシーサーがこっちを見ている。ぬいぐるみの癖にやたら存在感がある。手に取って机の上に置いた。壁向きに。顔を見ていると落ち着かない。守り神の癖に可愛すぎるのがいけない。
「やるか。荷物整理」
何か作業していた方が眠気が紛れる。それに部屋にダンボールが三つも積み上がっている状態は精神衛生上よくない。どうせ明日から学校だ。今日のうちに必要なものを出しておかないと。
ダンボールを開けた。養生テープがガサガサ鳴る。中身は本。工具。予備のゴーグル。予備のキャップ。服。タンブラー。小物類。本土から送ったやつだ。船旅の間にちょっと潰れている。ダンボールの角が湿気を吸ってふにゃふにゃしている。
「うわ、やっぱ湿気ってる。本が心配だ」
本の束を取り出す。何冊かカバーが波打っている。読めるけど見た目が悪い。まあ仕方ない。四六時中エアコンを入れとけばマシになるだろう。
服は何とか無事だった。圧縮袋に入れておいたからだ。自分の備えに感謝する。あの時の俺、ナイス判断。
工具は無事。油性ペンも無事。いつものポーチに入れる。ゴーグルの予備も無事。仕事の相棒は全員健在だ。よしよし。
「腹減った」
そういや残ってた。カバンの横にさっき倒れ込んだ時に落ちたポークおにぎりがある。ベッドの上で包み紙が潰れている。出発前に買ったやつだ。手を伸ばして拾い上げる。まだ温かい。てか、ずっと握ってたのに温かい。肉入りおにぎりの保温力なめてた。
「お前は後で食べる。もうちょっと待っててくれ」
机の上におにぎりを置いた。シーサーの隣。壁向きのシーサーが、黙って隣の温かい物体を無視している。ぬいぐるみなので当たり前である。
残りのダンボールを開ける。掃除用具。タオル。文房具。あと個人的に大切なメモ類。前に住んでた場所から持ってきたノート。色々書いてあるやつ。人の頼まれ事の記録とか、修理のコツとか思い出せないことを書き留めた走り書きとか。誰にも見せないやつ。
「そっちのメモはクローゼットの奥にやろう」
仕分けに没頭した。
何分経ったか分からない。目が疲れてきた。肩が凝った。蛍光灯の光で頭がぼーっとしてきた。やっぱ寝た方がいいのかもしれない。でもまだ段ボールが一つ残ってる。
「ちょっと休憩。おにぎり食うか」
振り返った。
机の上を見た。
ポークおにぎりの包み紙が、開いていた。
中身が、無い。
「え」
机の上を見回す。ない。下に落ちたのか。床に這いつくばって探す。ない。ない。ない。おにぎりが存在しない。包み紙だけが机の上のシーサーの隣で、中身を失った状態でぶら下がっている。
「なんで。夢か。夢なのか」
窓を見る。海が見える。目を押さえる。開ける。シーサーはそこにいた。ただし「今まで壁向きだったシーサーの向きがこちらを向いている」ということに気づく。
「……おい」
ぬいぐるみが口を動かした。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
白い獅子の顔が、頬を動かしている。
かわいい手が、小さなポークおにぎりを抱きかかえている。
俺のポークおにぎりを。
「えええ」
心臓が止まりかけた。いや止まってないけどうるさいくらい脈打ってる。喉の奥がヒュッと鳴る。何これ。何が起きてる。あれは食い物か。いや、ぬいぐるみが食ってる。ポーク玉子を。ご飯粒を。シーサーのぬいぐるみが。
「お前、動くの」
しゃがれた声が出た。変な声だった。低いのに裏返ってて、間抜けと恐怖が混ざった声。ぬいぐるみがもぐもぐをやめた。
もぐもぐをやめて、こっちを向いた。
こちらを見ていた。
黒いクリッとした縫い付けの目が、こちらを向いている。
シーサーのぬいぐるみと目が合った。
「あっ」
声が重なった。
俺の声と、ぬいぐるみの声が。
「あっ」
もう一度、重なった。今度はぬいぐるみの声の方が高かった。かわいい声だった。モグモグしていた口がごくんと嚥下する。喉が動いている。おい、喉があるのか。
「なんでお前が驚いてんだよ」
「なんで君が盗み見するんだよ」
「するだろ。自分の部屋で」
「いいや、しない。沖縄のシーサーは警戒心が強い。これは正当防衛だ」
「正当防衛って、お前」
「ポークおにぎりは文化だ」
「文化を防衛すんな。ていうかお前なんで喋るんだ」
「シーサーだからね」
「シーサー全般が喋るのか」
「俺が特に喋るよ」
「自己紹介が速いわ」
頭が痛くなってきた。これは現実か。疲労で幻覚を見てるのか。それとも異世界の影響か。いや、多分逆だ。疲れてるから幻覚に会話を振ってる。振ってる自分がいる。
「とりあえず俺はそのおにぎりを返してほしい。俺の夕飯です。豚肉と玉子がいい感じに沁みてたやつです」
「それは食べた」
「全部か」
「ごちそうさまでした」
「礼儀正しいな」
「本当に美味しかった。ありがとう。君はいい人間だね」
「いや、お前に言われても」
シーサーがこてんと首を傾げた。かわいい。かわいいがポークおにぎりが消えた事実は変わらない。こいつ、よく見ると髭に米粒が一粒付いてる。拭いてやろうかと思った。なんでだ。