勇者がいろいろ嫌になって田舎に引っ込むおはなし 作:試行錯誤
紫色の装束を纏った娘……《忍》という東方の戦士である少女が、声をあげた。
『バシオン様、病毒の広まり方は恐るべき勢いです、これ以上の時間をかけては』
叫ばれた側である少年、バシオンは呻くように歯を噛み鳴らす。
「分かっている……」
『時間をかけては、この街全てが腐敗の毒に墜ちます……』
分かっていることを、避けられぬ事を嫌でも突きつけられ、バシオンはたまらず声をわずかに荒らげた。
「分かっている……!」
バシオンと忍の少女が、上空とそして地面である都市圏を見比べた。
大規模な都市の中で、致死の病と毒煙と毒塵が降り注ぐ惨状。地獄が顕現していた。
人間の住みかである。
人間の住みかである街が、逃げ惑う生き残りと、動く死者と怪物、毒の煙と毒の塵が入り乱れるあまりにも凄惨な状況へと変わっている。
さらに絶対的に違っているのは上空の光景だろう―――日頃、青空や夕暮れ、あるいは静かな夜の闇が広がるはずのその空間には今、巨大な異物が存在している―――高度500メートル付近のところに浮遊する、要塞のような存在。
悪魔族・伯爵級デビル種・イェルンオーダー。
推定レベルはおよそ六千万を超す、劇毒と死病の肉塊。
全長一キロに届こうかという病毒魔導生物である。
街を一つを人質に、人類の決死の足掻きを見物するために送り込まれた、とある魔王クラスからの贈り物である。
カダルナ攻防戦。
カダナン地方の10万都市、都市カダルナの上空に出現した病毒と眷属を撒き散らす空中要塞のような魔神、イェルンオーダーと人類との戦いである。
人類がようやく超存在達へ反旗を翻したとされる頃の、有名な戦……その内実は過酷な消耗戦であり、多くの戦士や魔術師達が命を散らした絶望の宴でもある。
その攻防戦において、人類は2万人以上の犠牲を出した。
人類軍の≪暫定≫指揮官だった勇者バシオンにとっては、苦すぎる思い出である。
都市カダルナの美しい聖堂の屋根に立ちながら、バシオンは焦燥を覚えていた。
何もかもがうまくいっていない。
バシオンは既に10時間以上もの間奮闘していたが、住民の避難は進まず、被害は増大し続けていた。
順番を間違ったのだ。
被害を抑えつつ避難を進める努力をするのではなく、全てを無視してでもまず敵を排除するべきだったのだ。
どんな被害を出そうともそうしなくてはいけなかったのだ。
それに気がついたのは事態が加速度的に悪化してしまってから。想定の数十倍もの死者が見込まれる状況となってからだ。
逃がすべき住民と、共に戦う将兵達が、見境なしに次々と発狂し病に倒れ、遺体が虫にたかられ腐り落ちる戦場。
親を亡くした子供達の悲鳴がいくつも聞こえ、それすら次の死に飲み込まれていく状況に、バシオンは悟った。
失敗した。自分の責任だと。
敵に対しての恐怖ではなく、あまりの重圧と悔恨がバシオンの身体を震えさせる。
もはやまともにこの都市を救うのは不可能になりつつある段階に入ってしまった。
その現実が、バシオンの声に焦りを発露させる。
「住民の避難状況どうなってる? ガドラムはどこだ、動けないのか?」
平静を保とうと感情の揺れを押さえつけるバシオンだが、悲しいかな、その声には悲痛なものが混じった。
焦りを超しての諦めが混じり始めている。
応える忍の少女もそれをよく分かっているが、彼女は下手な慰めで誤魔化す答えを寄越さない。
彼女の主な役目は戦場における偵察や先陣……バシオンに全力で事実を伝える事である。
勇者バシオンの率いる軍団≪アダルギデオン≫の幹部……側近として役目を果たさねばならない。
バシオンの望まぬ内容であっても。伝えぬ訳にはいかない。
彼女の口調は冷徹だった。ハッキリとバシオンの耳に届く。
『ガドラム様は現在北西11㎞の地点で子爵級デビルと交戦中、押されています。フィデリアーニが援護に。エルバーン様は……やられました』
最も頼れる戦士は遠くで苦境にあるらしい、彼が討ち取られるのは不味すぎる。
それを回避、援護するべくもう一人の側近が向かったようだが事態は苦しい。仕方なし。
しかも既に一人、幹部が殺られている。そっちの話は聞きたくはなかった
バシオンは悲しむ暇もなく、他の候補の名前を尋ねる。
「アトレイユは?」
対する少女の答えは同じく期待を裏切る。
『アトレイユ様は南東8㎞の渓谷です。子爵級、男爵級と魔法戦の最中にあります。今呼べば、ここが焦土になってしまうかと……呼ぶな忙しい、と返ってきました……それと、グレナム様とバオツー様、レイリンライ様が、戦死とのことです』
バシオンに匹敵するレベルの恐るべき魔法使いも、強敵達との激闘にあるらしい。
忍の少女に対して魔法による連絡を伝えてきたのだろうが、しかしその内容には余裕が全くない。
側に着けた精鋭のはずの魔術師達も、全滅しているとの追加報告までくる始末だ。
つまり手元には誰も来ない。
必要なのは強者である、超存在達と戦える人間だ。
しかし足りない。むしろ、減っていく。
バシオンは目眩に似た諦めを感じつつ、近くの少女に確認をいれる。
『紫。お前は? 今どこに居る、俺の手元に《来れない》のか?」
妙な質問である。
側に控えている少女にするには不自然な質問だ。
だが、バシオンに応える少女は、よく見れば身体の全体が陽炎のように細かく揺らいでいる。
生身ではない。本体ではないのだ。《忍》の絶技・分体の術である。
むらさき、と名前を呼ばれた少女は顔を伏せて言葉を漏らした。
『申し訳ありません、バシオン様……。この身は既に三度目の分体であり、本体は既に死に体寸前。私はここの戦場では既にお役にたてる段階ではありません。復活に今しばらくの時間が』
己の生命力を削り肉体を霊的に作り出す絶技。
しかしその代償は大きく、分体という名の半霊体の能力を著しく制限する。
短時間に繰り返すような代物では絶対にない。
三度目の分体とは、能力を生身の8分の一以下となるも同義だった。
如何に側近の一人とはいえ、それではバシオンの隣には立てない。
無茶をさせれば、この紫すら死者の仲間入りをすることになる。
バシオンは紫からの報告を聞き、覚悟を決めつつあった。
「具体的に言え。どのくらいだ? お前が動けるようになるまで何時間かかる」
『約80時間は、動く事叶いません。面目もなく申し訳も』
バシオンは最後に、あと一人の確認をいれる。
「ギョウテンの爺さまは? 脱出路を確保しているのか? 出来てるのか?」
『剣聖・行天様は南側の門、よび、街道筋を死守して、す、しかし敵軍、数が膨大過、て、民の脱出路の辛う、ての確保に留ま、被害は増大』
陽炎のように揺らいでいる紫の、声と姿が大きくぶれはじめた。
「紫、限界か? もういい意識を落として眠れ、それ以上無理すると本当に死ぬぞ。早く隠れて眠れ、こっちは何とかする……意識を戻せ」
『面目ござ、ん、ごぶうんを、ど。うか』
悔しそうに途切れ途切れの言葉を残し、紫の分体は景色の中に消え去った。
彼女の本体が、眠りと回復に入ったのだろう。
つまりは各所を把握して、絶対に正確な状況を報告してくれる人間が働きを失ったという事だ。
今後は悪化する事はあっても好転する事はほぼない。
強力な味方の合流を待っていれば、このカダルナは死滅してしまう。
それだけは許されない。
これ以上の状況の変化はもうむりだ。時間はかけられなくなってしまった。
「こっちはこっちで何とか、するしか……なくなったか」
バシオンの眼下ではまさに地獄が進行中だ。
多くの者達が助けをもとめながら阿鼻叫喚の中を逃げ回っているのだ。
イェルンオーダーが吐き出し続ける怪物と毒虫どもに襲われている。
バシオンにも無数の声が聞こえてくる。絶叫と絶望と悲鳴である。
連中はわざと時間をかけて住民や将兵達をなぶっている……人々の絶望や苦鳴を楽しんでいるのである。
バシオンは天を見上げた。
「化けものどもが……」
当てにしたい強力な幹部達は分断され、足止めされており、それどころか、連れてきた内の数名は行動不能に追い込まれるか、殺られてしまっている。
上空に陣取る『伯爵級』を撃破するのはバシオンしか居ない。
しかし、あのタイプはタフだ。おまけに、討ち取られた瞬間に置き土産をぶちまけるタイプだと感じる。
だから……だから、住人を、避難をさせてからと思っていたのだ。
そう思っていたのに。
「……くそっ」
腹をきめた。
住民を巻き添えにするのを覚悟でバシオンはオーラの出力をあげる。
援護は来れないのが確定したのだ、ならばせめて一刻も早く病毒を撒き散らす魔神を潰すしかない。
例え街が一つ壊滅しようとも。
ばかでかい籠手―――隕鉄製の多層装甲にありったけの対魔・対霊術式をぶちこんで造られた狂気の殴殺暴走兵器―――ディアブロードと呼称される結界突破武装を構えて、バシオンは上空に陣取る巨体に突っ込んだ。
カダルナ攻防戦。
勇者バシオンとその直属の幹部達が共に戦った、初期から中期にかけての大規模戦闘の一つである。
この戦い、結果としてバシオンと仲間は勝った。
被害は甚大だが、辛うじての勝利である。
人類はバシオンとその仲間達を称賛した。
伯爵級悪魔族との激闘すら制する勇者の誕生に酔いしれた。
人類は虐げられるだけの存在から脱出できたのだと。
その影で、バシオンが自身の判断ミスを激しく悔い、嘆いて涙を流していたのを知っているのは側近中の側近だけである。
戦いの後、不治の病魔におかされた民間人と将兵、合わせて6551人。
彼ら彼女らを熱処理したのはバシオンとアトレイユと呼ばれる魔法使いである。
焼却するしかなかったのだ。
夕刻。
都市・ガーベラスタッフのとある酒場。
「つまりよ、俺たち人間にとってのレベルっていうのはよ? 修羅場を潜り抜けた数、密度みたいなもんなんだよ」
都市ガーベラスタッフの日暮れ。
一日の仕事を終えた者達が街に繰り出す、飯屋や酒場にとって稼ぎ時の時間帯である。
綺麗に着飾った女達も一斉に道ばたに立ち始める。
ちょっとお高めのレストランに入る者や、とにかく量の多さを自慢とする飯屋に向かう肉体労働者達の姿。
既に酔っぱらって夢見心地でごみ捨て場に寝てる者。
それを横目にゴミを漁る浮浪児、あるいはうまくスリをできないかと試案する少年の姿。
喧嘩の音、それを取り締まる官憲。
今日という日の終わり。
良くも悪くも活気のある日常の風景。
飯時である。
バシオンもふらふらと町を歩き、気になった店構えを見つけて、えいやと入ってしまう。
勢いである。知らない店だが、初見で美味しい店を探すのも一興なのだ。
繁華街の他の店と同じく、適度にこみ合っていた。どうやら外れではないらしい。
自炊が苦手な独身労働者の姿が目立つ。声がデカイ者が多めだ。女連れの者もいた。
バシオンは気にせず空いてる席に腰を下ろした。
今日の依頼だった木材集めと荷物運びを終えた後のバシオンである。
食事二~三回分程度の報酬を手に入れて繁華街へ、座っている席はどこにでもある酒場を兼ねる店のもの。
目端と気配りがききそうな若い娘が注文を聞きに来てくれた。笑顔のかわいらしい女の子だった。
適当に肉料理とパンとサラダ、漬物と薄っすい果汁酒をお願いする。
周りの男どもの反応やデレデレ具合を見ると、この店の看板娘なのだろう。
常連の男どもを軽口と笑顔であしらっていく姿は機転の良さも感じさせる。
バシオンはフードを外さない。クロークフードを被ったままだ。
兜や帽子を脱がない人間は意外といるため、誰もバシオンに気を向けない。
バシオンは喧騒の中で、しばし待ち時間を楽しんだ。ゆっくりできる時間、最高である。
そして今日の仕上げとばかりに、注文した品が運ばれてきた。
その直後に聞こえてきた話題がそれだったのだ―――レベルの話である。
すぐ隣の大きなテーブル席に座る傭兵と思わしき連中、彼らの話がそれだったのだ。
バシオンはソーセージをムシャムシャとしながらその話を聞き流していた。旨い。
それなりに経験のありそうな傭兵チームのようだった、地声が大きいのか、よく声が通ってくる。
そもそも、テーブルの間隔が狭いのだから隣の席の会話など丸聞こえだ、これが普通の飯屋の日常である。
「レベルって……際限なく成長するって噂は本当なんですかね? 経験を積み重ね続ければそれこそ一千万超え……テン・ミリオン・オーバーの仲間入りもできるって話、可能、なんでしょうか?」
どうやらまだ経験の浅い若手が発したその言葉に、他の連中は待ってましたと言わんばかりに大笑い。
そのまま首を横に振る。
そりゃ無理だ、できるわけがない、と。
「おいおい正気か若造!? レベル一千万ごえはアダルギデオン……勇者の軍勢の幹部入りだぞ? あそこは才能だよ才能!」
「だいたいあいつら、生身で音速超えしてからが本番とかいう連中だぞ?! 俺らが届くレベルじゃねえんだよ」
「こっちが動物種や植物種の変異怪物を相手に仕事してる時に、向こうさんはガチの悪魔貴族やマジのドラゴンとやりあってんだぜ? 生き残るのも不可能だよ! 即死だよ即死!」
若い奴にお説教するのを楽しみにする酔っぱらい、そんなウザッたらしい存在に変身したベテラン達の、常識的な意見とやら。
そんな声に反応して、更に周りの傭兵連中や労働者達も一斉に「違いねえ!」「勇者に乾杯!」「おめえにゃ無理だ!」「てめえこそ!」などと囃し立てる。
己の力や実力一本。
それを頼みに荒事で生きる彼らにとっては、個々の強さの指標……レベルの話は大好物の一つである。
そんな騒ぎの最中で、バシオンはレタスをちぎって口に放り込みつつ内心で、正確には違う、と彼らの意見を訂正する。
入ろうと思えば、レベル1からでもアダルギデオン……人類の反乱軍には入れるのだ。
ただ。
「……生き残れないだけ」
そこだけは、思わずぽつりと呟いていた。
レベル。
レベルとはつまり限界のことである。正しく表せば能力の獲得と発揮できる限界、のこと。
いつ、どこから、誰がそう呼称し始めたのかは定かではない。
なんなら人類の敵である超存在達が、人類の生け贄を査定するための指標だった、という説すらある。
レベル1が赤ん坊。
レベル100~400が一般的な成人。
幅があれどもおよそそんなものだ。
そこから経験やセンス、鍛練、そして才能。
最後には執念、狂気、常識の破壊……その冷徹な選別を潜り抜けた果ての生き残り、それがテン・ミリオンオーバー。
レベル一千万超えと呼ばれる連中に到達する。
言うまでもなく、頂点の精鋭達である。
そして、そんな人類の希少種といえる者がボロボロと死んでいくのが超存在達との戦争……否、生け贄としての役目だったのである。
超存在達の遊び相手……遊ばれ相手に『個体』として認識され差し出される生け贄。
世間一般では、英雄だの、勇者だの、聖女だの言われるが、その実死ぬのが仕事の最低の役回り。
周囲が、やれレベルがあれば俺だってだの、ドラゴンキラーを為し遂げてえだの、大盛り上がりで酒盛りが始まる中。
バシオンは最後に果汁酒を飲み干して席を立った。
何人見捨てたっけか。
「……ああー、うわ」
嫌な記憶を思い出した、早く帰って眠りたい。早くこの記憶をもう一回、昨日にしたかった。
未だに死なせた人、殺した人達の声が耳にこびりついている。
早く眠って、今日を、昨日にしたかった。
バシオンは晩御飯を終えると、足早にねぐらに戻った。