魔法少女ほむら☆マギカ 黄昏に生きる/宵に友なし 作:トマスアレポ
情報の伝達には、正しい向きがある――そう信じて疑わなかった時期が、わたしにもあった。原因が先に立ち、結果があとに続く。声が発せられ、それが耳に届く。命令が下り、それに従う。この街に来るまでは、それだけで世界の説明は事足りていた。
神浜の目抜き通りを、八雲みたまが歩いていた。傘も持たず、雨上がりの舗道に散った水たまりを避ける素振りさえ見せない。歩幅と歩速から、目的地までの距離を逆算しているような足取りだった。後ろから間合いを詰め、声をかけた。
「何してるの? いろはちゃんは?」
みたまが振り返る。その一瞬の硬直に、わたしはある種の満足を覚えた。この女の顔に驚きという表情を作らせたことは、これまでほとんどなかった。
「アリナが死にかけたわ。いろはが治癒してる。あなたの指示よ」
「私はまだ何も言ってないわ」
その返答は、正しかった。正しくありながら、わたしの側から見ればすでに確定した過去でもあった。この会話の同じ一秒が、二人のあいだで異なる意味を持って存在している。みたまにとってこれは、まだ起きていない未来の予告だ。わたしにとっては、すでに起きたことの事後報告に過ぎない。時間が直線であるという前提を捨てた瞬間、会話は伝達の手段であることをやめ、確認の儀式に変わる。
「二日後に、あなたが私に指示する。グリーフシードの取引で瀬奈みことと渡り合えと。数日後、神浜港の貨物ターミナルから貨物列車で移送中の『アルゴリズム』を奪い合うことになって、その過程でアリナが人質になった」
みたまの顔色が変わった。演技には見えなかった。この女が本気で狼狽するところを見るのも、これが初めてだった。
「まさか……グリーフシードを渡したの?」
「あれはグリーフシードじゃないわ」
「そうね……」
みたまはすぐに得心した様子で、歩みを緩めた。得心の速さそのものが、この女がすでにある程度の答えを胸の内に持っていたことを示していた。知らないふりをする人間と、本当に知らない人間のあいだには、沈黙の質にわずかな違いがある。みたまの沈黙は、前者のそれだった。
「そのグリーフシード――いや、『アルゴリズム』は、遠い未来の魔法少女が作ったものよ」
「それで?」
「その魔法少女は、時間逆行の危険性を確信して自殺した。でも、自殺前に核心技術を誰にも知られないよう隠したの」
「グリーフシードの形に?」
「そう。魔法少女は世界の目に触れない存在だから。衆目に晒され、利用されないように、八つに分割して過去に送り、隠したのよ」
八つ、という数字を、わたしは頭の中で転がした。分割には理由がある。ひとつの場所に技術を集約しないのは、単なる隠蔽の作法ではなく、逆行という現象そのものが局所的にしか安定し得ないことの、間接的な証明のはずだ。だとすれば、その魔法少女は、自分が生み出したものの危険性を、誰よりも正確に理解していたことになる。理解した上で、それでも完全に葬り去ることはしなかった。八つに割って、隠して、過去に送った。破棄と保存の、どちらでもない中間の処置だ。迷いながら決めたのだろう、とわたしは思う。迷いのない人間は、こんな中途半端な処理を選ばない。
「なぜ瀬奈みことが『アルゴリズム』を集めてるの」
「ふさわしい時と場所にいたからよ」
「福浜市の事故ね」
「それで、彼女は未来に選ばれた」
選ばれた、という言葉の軽さに、わたしは引っかかりを覚えた。選択という行為には、通常、選ぶ側の意志と選ばれる側の資格が両方必要になる。だが福浜市の事故で運よく――あるいは運悪く――その場に居合わせたという偶然に、資格という語を当てはめていいのかどうか、わたしにはまだ判断がつかない。あるいはこの時代における「選ばれる」とは、その場に立っていた人間が、結果として引き受けさせられる、という以上の意味を持たないのかもしれない。だとすれば、選ばれるということと、押しつけられるということのあいだに、実質的な差はほとんどないことになる。
「この時代にある全ての『アルゴリズム』を集めて、未来に送る。それが彼女の役目よ」
「残りの『アルゴリズム』は」
「あのグリーフシードで、全部揃うはずよ」
「つまり、世界の終わりってことね」
みたまは答えなかった。答えないことが、もう十分に答えだった。
歩道が途切れ、行き止まりに着いた。コンクリートの壁の向こうに、これ以上先へは進めない街の縁が広がっている。街の縁が、そのままこの会話の縁でもあるように、わたしには思えた。
「二日後の指示を変えるべきよ」
「もし、その時、ほむらちゃんが『アルゴリズム』のことを知ったら、絶対に渡さないでしょ? 知らないことが武器になることもあるのよ」
『知らないことが武器になる』――この理屈を口にするのが、これで何度目になるか、もう数えていない。みたまは以前、情報の取り扱いを慎重にしろとだけ言った。少し前には、いろはがそれとほとんど同じ言葉を、確認するように繰り返した。立場の違う二人の口から、同じ抑揚で、同じ思想が差し出されている。ならばこれは誰か特定の人間の処世術ではなく、この時間戦争を生き延びる者に共通する、ほとんど生理的な反射のようなものなのだろう。ただし今回に限って言えば、その武器は明確にわたし自身へ向けられていた。
「つまり、私はみすみす『アルゴリズム』をみことに渡すだけの役目?」
「そうすれば、彼女は他の『アルゴリズム』を動かし、最後のポイントに集めるわ」
「まんまと利用されたわね」
「ほむらちゃんは十分務めを果たしたわ。でも、出番はここまでよ」
「出番? 私は『主役』じゃなかったの」
「『主役』の子は他にもいるわ。一人で世界を救えるわけないじゃない」
みたまが自嘲した。笑いというより、笑いの形をした撤回に近かった。
その言葉を、わたしは自分の中でゆっくり分解した。交換可能な部品――みたまがその語を使ったわけではないが、意味するところはそれと同じだった。
ネゲントロピーの塊を一箇所に集めれば、周囲の系から強制的に秩序を吸い上げるのと同じ理屈で、「主役」という役割もまた、誰か一人に集中させる必要はない。分散させ、複数の駒に担わせたほうが、系全体としてはむしろ安定する。
わたしがこの十一日間で演じてきた役割は、その意味で、いくらでも取り替えのきく部品の一つに過ぎなかった。今この場にわたしが立っていなくても、別の誰かが同じ位置に立っていれば、盤面は大差なく進行しただろう。それを認めることに、思いのほか抵抗はなかった。
認めた上でなお、この役目を今すぐ他の誰かへ譲り渡す気には、どうしてもなれなかった。交換可能であることと、交換したいと望むことのあいだには、論理的な整合性など最初から必要ない。
感情というのは、たいていそういう順序で動く。矛盾を解消せずに抱えたまま歩き続けることに、いつからか慣れてしまっていた。
「いいえ」
わたしは笑った。
「まだ、みことが『アルゴリズム』をどこに動かすか、言ってないわ」
みたまの目に、初めて計算違いの色が浮かんだ。
「なら、これから話してもらうわ。ホテルフェントホープでやちよたちと合流して。逆行の準備を進めてる」
「逆行? 私たちはその技術も回転ドアも持ってないでしょ」
「火には火で戦うものよ」
みたまが足を止め、わたしの顔を見据えた。
「瀬奈みことが『アルゴリズム』を使いたい未来の者たちに選ばれたように、私たちも『アルゴリズム』を封印したい未来の者たちに選ばれたの」
「私たち?」
みたまが両手の指を組み合わせ、あの形を作って見せた。掌と掌を合わせ、指を交差させる、それ自体には意味のなさそうな形。だがこの街に来て以来、意味のなさそうな形には、いつも取引の裏書きがついてくることを、わたしはすでに学んでいた。
「『TENET(信念)』は過去で生まれたんじゃない。未来で生まれ、過去の私たちが実行するのよ」