魔法少女ほむら☆マギカ 黄昏に生きる/宵に友なし   作:トマスアレポ

6 / 6
Day7

アリナからの連絡が届いたのは、裏路地でのやりとりから数えて三日目のことだった。反応の速さが何を意味するかは、この時点では判断がつかなかった――値踏みが済んだということなのか、あるいは値踏みする価値もないと判断されたということなのか。

 

スマートフォンの画面に、短いメッセージが積み重なっていく。

 

>やるじゃん。あんた、ただのファンじゃないね

 

送り主の文体は、あの薄暗いアトリエで見た絵の印象とは裏腹に、驚くほど軽かった。芸術家という肩書と、テキストメッセージの温度は必ずしも一致しない。人間は場面ごとに異なる文体を使い分ける生き物であり、その落差の大きさが、この人物の危険度をむしろ正確に示していた。

 

「瀬奈みことに会いたい。あの絵で話をつけられる?」

 

数分の沈黙のあと、返信が来た。

 

>みことはそう簡単には会わないヨ。でも、面白いから取引してアゲル。あの絵、自由港にあるあたしの本物の作品と交換して。それでみことに近づけるカモ

 

「自由港?」

 

>空港にある。みことが集めたアリナの作品は全部そこ。もったいないし、描き直したいから救ってきて?

 

添付されたURLは、神浜国際空港に隣接する保税倉庫の、素っ気ないコーポレートサイトへのリンクだった。美術品専用の保管施設を謳うにしては簡素すぎるデザインだった。簡素さは、しばしば正直さの証明ではなく、注目を避けたいという意志の証明になる。

 


 

数日後、神浜市立大附属高校の屋上で、ほむらといろはは向き合った。

 

「自由港って何?」

 

「空港に隣接する保税倉庫のようなもの。入国審査を経ていない貨物は、法律上まだこの国に『存在しない』ことになってる。課税もされない。美術品を長期間置くには都合のいい場所」

 

「そこにみことが?」

 

「まだ確証はない。ただ、アリナの話では月に十回は出入りしているらしいわ」

 

「絵を見るだけにしては、頻度が多すぎるね」

 

「ええ。目的は絵そのものじゃなく、自由港という場所そのものかもしれない」

 

ほむらは鞄から紙の束を取り出し、屋上のコンクリートの上に広げた。自由港の設計図だった。正規のルートで入手したものではない――経路については、いろはも聞かなかった。

 

「内部は複数の通路と倉庫が重層的に配置されてる。魔女の結界と違って、この建物には『無理を通す』余地がない。正面からの強行突入は、能力を使っても長くは保たない」

 

「魔女の結界なら、こんなに苦労しないのに」

 

「セキュリティ体系を調べた。火災検知でハロゲン系のガス消火設備が作動する仕様。ガス放出時は人員の退避が義務づけられていて、退避と同時にセキュリティキーが初期化される――侵入経路として使えるかもしれない」

 

「じゃあ、私の知識で何とかなるかも」

 

「問題は、どうやって火を起こすか」

 

「火属性の魔法少女を呼ぶとか」

 

「関わる人間を増やしたくないわ」

 

その判断に理由を説明する必要は、いろはにはなかったようだった。数が増えるということは、情報が漏れる経路が増えるということだ。取引という行為には、常にこの種の算術が付随する。

 

ほむらはタブレットを取り出し、空港周辺の航空写真を表示した。

 

「建物の構造上、正面の警備は厳重だけど、裏手は貨物機から直接荷を降ろす設計になってる」

 

「つまり?」

 

「裏に大穴を開ければ、侵入は容易になる」

 

「どうやって?」

 

「飛行機をぶつける」

 

いろはが息を呑んだ。呼吸の乱れ方から、この提案が冗談として処理されなかったことが分かった。

 

「飛行機って……乗ってる人は?」

 

「ぶつける前に、私の能力で下ろす」

 

「全員を?」

 

「貨物機だから、乗員は数名程度。自由港の近くに数日に一度駐機される機体がある。それを使う」

 

「目立ちすぎる気がする」

 

「問題ない。その貨物機の積荷は金塊」

 

「金塊? それも狙う気?」

 

いろはが鼻で笑った。

 

「いいえ。滑走中に地面へ落とす。人は金塊に気を取られる。倉庫のことなんて、誰も見なくなる」

 

注意という資源は有限だ。強力な誘引を一つ投下すれば、他のすべてへの関心は自動的に希釈される――人間の認知が持つ、単純だが確実な性質だった。

 

「考えたね。ところで、この部屋は?」

 

いろはが設計図の中心、自由港のちょうど真ん中に位置する一区画を指した。空白だった。壁も通路も描かれておらず、施設全体の設計図の中で唯一、情報が存在しない場所だった。

 

「建設段階の記録もゼロ。もしかしたら、グリーフシードか、魔女がいるのかもしれない」

 

「本当に? それは嫌だなぁ」

 

「時間がない。始めましょう」

 

情報の空白は、それ自体が一つの情報だ。何かを隠す必要のある者だけが、記録をここまで丁寧に消す。

 


 

 

小雨の降る夜、二人はグランドハンドリング要員の制服に身を包み、神浜国際空港の滑走路脇へ紛れ込んだ。作業着という擬態は、顔を見られないための最も安価な手段だった。誰も、雨合羽を着た作業員の顔を記憶しようとはしない。

 

目当ての機体は、ボーイング747フレイター。無骨な機首と、貨物専用機特有の低い姿勢――旅客機から人間の居住性を差し引いた、純粋な輸送のための設計だった。ほむらはドアにかけられたタラップを昇る。いろはは地上に残り、牽引車のオペレーターを昏倒させ、前脚の輪止めを外した。

 

機内に踏み込んだ瞬間、時間を止めた。

 

世界から色と音が失われる。これは周囲の時間が止まっているのではない。止まった世界の中を移動する権利を、一時的に与えられているにすぎない――何百回繰り返しても、その区別だけは薄れなかった。乗務員二人の身体を機外へ運び出す。抵抗の意志すら発生しない静止した肉体を運ぶ作業は、暴力というより荷役に近かった。機体後部に小型の爆薬を仕掛け、コックピットに座る。時間停止を解除すると、世界は運動量を取り戻し、乗務員の身体は地面へ落下する重力を取り戻した。

 

気づかれる前に、スロットルレバーを押し上げる。

 

地上のいろはが、転がる乗務員の様子を一瞥し、前脚のタイヤをよじ登って機内へ戻ってくる。

 

ラダーペダルを踏み込み、機体を自由港の方向へ向けた。コックピットの窓越しに、無人のまま滑走を始めた機体に反応する地上要員の姿が見える。彼らの動きは遅い。想定されていない事態への反応速度は、想定されている事態への反応速度よりも常に遅延する――それが管制という制度の限界だった。

 

スロットルを固定し、コックピットから貨物デッキへ降りる。前脚から這い上がってきたいろはと合流した。

 

「どうするの?」

 

「こうする」

 

リモコンのスイッチを押すと、機体後部の爆薬が起爆した。貨物デッキの床に、外気を吸い込む穴が開く。

 

「手伝って!」

 

パレットに固定された金塊を、二人がかりで穴の縁へ押し出していく。整然と積まれていたそれらが、重力に従って次々と滑走路へ滑り落ちていった。

 

「すごい……一つ持って帰りたいな」

 

「集中して」

 

金塊を全て投棄し終えたところで、ほむらは時計を確認した。

 

「あと八秒。五、四、三、二、一」

 

轟音と衝撃が機体を貫いた。

 


 

機体は自由港の後部に突き刺さった。主翼は根元から折れ曲がったが、機体そのものは辛うじて停止した。エンジンの一つが外壁に接触し、燃料に引火して炎を上げている。

 

魔法少女の姿に変身した二人は、消防車両とパトロールカーが集まり始めた喧噪の中を、自由港の外壁沿いに移動した。いろはが左手のクロスボウから細身のナイフを引き抜き、セキュリティロックの隙間に差し込む。

 

解錠を待つ間、ほむらは周囲を確認した。爆発の衝撃でシャッターの下端が歪み、開いた隙間からジェットエンジンの吸気が空気を震わせている。

 

「うん……これなら……よし、開いた!」

 

扉が開き、二人は通路へ滑り込んだ。扉が閉まると、外の混乱が嘘のように遠くなり、静寂だけが残った。

 

「誰か……いる?」

 

「いや」

 

通路を進むと、施設の中心部にたどり着いた。入口には、なぜか扉が二つ並んでいた。

 

「手伝うわ」

 

「大丈夫。こういうのは得意だから」

 

いろはがそう呟き、二枚の扉を同時に開けた。

 

部屋の一方は長いガラス窓で仕切られ、その向こうに、もう一つの同じ部屋といろはの姿があった。二つの部屋は鏡像のように同一の造りをしていたが、ガラスの表面には弾痕が幾つも刻まれている。各部屋の奥には、回転ドアに似た円筒形の装置が、密閉された出入口として据えられていた。ほむらの足元で、割れたガラスの破片が硬質な音を立てた。

 

いろはがガラス越しの壁に残る弾痕を調べ、指先を伸ばそうとする。

 

「触らないで」

 

反射的に発したその制止に、ほむら自身も理由を言語化できていなかった。

 

「ここで、何が起きたの?」

 

床に落ちていたのは、分解されたグロックだった。スライド、フレーム、マガジン――それぞれの部品が、まるで整備手順の途中であるかのように整然と散らばっている。ほむらはそれを拾い上げ、部品の摩耗と焼け跡の位置から、何が起きたかを再構成しようとした。だが、思考の途中で気づいた。この部品の並び方は、分解された痕跡ではない。

 

「まだ起こってない」

 

いろはが怪訝な顔を向けたその時、床下から低い唸り音が響いた。

 


 

回転ドアが唸りを上げて回転し、同時に開く。

 

ほむら側のドアからは、ガスマスクを被った黒装束の人影が、後ろ向きに――逆方向に――飛び出してきた。同じ瞬間、いろは側のドアからは、同じ意匠の黒装束が順方向に飛び出し、いろはを突き倒して通路を駆け去った。いろはが反射的に追う。

 

ほむらの目の前で、黒装束の手の中にあった部品がひとりでに組み上がっていく。スライドが跳ね、フレームに噛み合い、床から跳ねたマガジンが弾倉口へ吸い込まれる。銃声が轟いた。

 

弾丸はほむらの側頭部をかすめた――はずだった。だが着弾の痕跡はガラスに残らなかった。硝煙の細い筋が空気中で逆再生のように収束し、銃口の中へと吸い戻されていく。

 

これは物理法則からの逸脱ではない、とほむらは瞬時に判断を修正する。逸脱しているのは、この一角における時間の矢の向きそのものだ。弾丸は初めから、銃身から出ていったのではない。空間を飛んで、銃身へ「戻って」いった。撃たれたのではなく、撃たれた結果を先に体験しているにすぎない。理屈は理解できる。理解できることと、身体がその理屈通りに反応できることの間には、埋めがたい距離があった。

 

黒装束と組み合う。体格はほむらとほぼ同じ。魔法少女としての力量も同格――あるいは、それ以上かもしれない。相手はほむらの体を次の弾痕の位置へ引きずり込もうとする。ガスマスクの奥から、奇妙な意味を成さない呻きが漏れる。

 

妙な既視感が背筋を撫でた。踏み込みの角度、拳の軌道、体重移動のタイミング――そのどれもが、鏡に映る自分の動きを見ているときの違和感によく似ていた。理由を言語化する余裕はなかった。目の前の暴力に優先順位を割り当てる以上、余計な思考は後回しにするしかない。

 

懐からカッターナイフを抜き、相手の腕に突き立てた。グロックを叩き落とす。武器は弧を描いてドアの外へ跳ねていった。

 

黒装束はほむらの腕に絡みつき、引きずる――あるいは引きずられているのはほむらの方なのか、判別がつかない。二人は後退しながら、ドアを通過した。

 

通路に出ても、黒装束の動きは押しているのか引いているのか判然としないままだった。ほむらは抵抗を続けながら、相手の挙動を観察した。分析するべき変数は多すぎたが、暴力の応酬に必要なのは常に、次の一手の見積もりだけだった。

 

突然、黒装束が逆再生のように地面に倒れ込み、通路に落ちたグロックへ手を伸ばした。密着が外れたことを確認し、時間停止を発動する。

 

これで片が付く――そう判断した瞬間だった。黒装束が逆再生のように床から立ち上がり、拳を振るう。

 

止まっているはずの世界で、相手だけが動いていた。

 

拳を受け止めながら、黒装束の手が盾――時間停止の根幹をなす武器――に伸びるのが見えた。この相手には既に時間停止が通用していない。ほむらは能力を解除する。静止していた世界が、再び運動量を取り戻す。

 

顔面と腹部に拳を叩き込むが、黒装束はその全てを読み、受け止め、あるいは払った。動きの精度は経験の量に比例する。目の前の相手は、ほむら自身に匹敵する量の経験を積んでいる――その事実だけが、確信として残った。学習曲線を積み上げた者同士がぶつかるとき、勝敗を決めるのは技術の差ではなく、先に諦めるのはどちらかという一点に収束する。ほむらは、まだ諦める側になるつもりはなかった。

 

タックルで保管庫へ押し込み、背負い投げを放つ。だが黒装束は逆再生のように起き上がり、背後へ回り込んでほむらを棚へ押しつけた。足でグロックを引き寄せようとする動きを見て、ほむらは棚や木箱に体をぶつけながら揉み合い、最後に相手を床へ叩きつけた。

 

グロックを拾い、黒装束の頭に突きつける。背後で、破損したシャッターが振動音を立てていた。

 

「だめ! 殺さないで!」

 

いろはが通路を駆け戻ってくる。声には、単なる制止以上の切迫があった。

 

「何か知ってるかもしれないから!」

 

黒装束を床に押さえつけたまま、ほむらは問いを重ねた。

 

「なぜここにいる」

 

「どうやってここを知った」

 

ガスマスクのストラップは固く、剥がそうとする指先を拒み続けた。黒装束の呻きが、意味の分からない音節のまま大きくなる。踏みつけた腕からは、流れ出たはずの血が、傷口へ逆流するように吸われていく――それもまた、この場に満ちる時間の矢の性質だった。

 

シャッターの振動が激しさを増す。ジェットエンジンの吸気音が壁の向こうで唸る。空気の流れが変わり、黒装束の体が床を滑り、破れたシャッターの隙間へと吸い込まれていった。爆発音が続いた。

 

炎上する機体のエンジンに巻き込まれた――結論として、それ以外の解釈をほむらは持てなかった。シャッターが閉じ、施設内に静寂が戻る。

 

ほむらといろはは、互いの顔を見た。どちらも、今起きたことの半分も言語化できていない表情をしていた。

 

「早く行かなきゃ」

 

「そうね……絵も探さないと。もう一人は?」

 

「逃げられちゃった」

 

言葉少なに答えて、いろははそれ以上の説明を加えなかった。追いつけなかった理由を、この時点で語る気がないことは明らかだった。

 

二人は通路を駆け、アリナの絵が保管されている一角へと向かった。取り戻すべきものはまだ、この施設のどこかに残っている。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。