魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
死んだことは覚えている。
そのはずなのだが、次に意識が浮かんだ時の状況は、死後の世界と呼ぶにはどうにもおかしかった。
まず身体がまともに動かない。腕を上げようとしても途中で力が抜け、首すら自分では支えられず、視界もぼやけている。何か考えようにも腹が減れば泣き、眠気が来ればこちらの都合などお構いなしに意識が落ちてしまう。
何日かそんな状態が続いた頃には、嫌でも察しがついていた。
どうやら、赤ん坊になっているらしい。
どういう理屈なのかは分からない。
死んだと思ったら知らない赤ん坊の身体に入っていた、という感覚とも少し違っていて、この身体そのものには妙な違和感がなかった。誰かの身体を借りているというより、物心がつくより先に意識だけが目を覚ました、とでも言った方が近い。
いわゆる転生というやつだろうか。
そんな考えも浮かぶには浮かんだものの、それ以上はどうしようもなかった。神様らしき何かが枕元に現れて事情を説明してくれるわけでもなければ、頭の中に便利な説明書が浮かんでくるわけでもない。
今ある情報だけで考え続けたところで、答えが出る気もしなかった。
ひとまず、成長するしかない。
状況が少しずつ見えてきたのは、周囲の言葉を理解できるようになってからだった。
まず耳に引っ掛かったのが、ウルクという名前。
前世でも聞いた覚えがある。
とはいえ、地名が一つ重なった程度で騒ぐほどでもない。同じ名前の土地などいくらでもあり得るし、そもそも今いる場所が前世と同じ世界なのかすら分かっていなかった。
そう思っていたところへ、今度は自分自身がギルガメッシュと呼ばれていることまで分かってくる。
ウルク。
ギルガメッシュ。
「…………」
さすがに、しばらく考え込んでしまう。
前世の知識にあるものと同じなら、いずれこの国の王になる男だ。
ただ、それでもまだ確信まではできない。
古代メソポタミアらしき土地で、たまたま神話と同じ名前を与えられた可能性も、無理をすれば残っている。
そんな逃げ道も、成長するにつれて一つずつ塞がれていった。
神はいる。
信仰の中にいるという話ではない。本当に、そこにいる。
前世なら神話や伝承の中にしか存在しなかったものが当たり前のように現実へ混ざり込み、人間の常識から外れたものも珍しくない。
そして何より、自分自身の身体からして普通ではなかった。
成長するほど、人間として考えるには明らかにおかしい力が出せるようになり、やがて意識を向けるだけで黄金の波紋が開き、その向こうから財を取り出せることまで分かってしまう。
王の財宝。
そこまで来ると、もう無理に否定する気もなくなった。
神話上のギルガメッシュと同じ名前を持っているだけではない。少なくとも、前世で知っていた「あのギルガメッシュ」とほとんど同じものを、この身は持っている。
「……そういうことか」
口にしてみると、不思議なくらいあっさりしていた。
もっと困惑するものかと思っていたが、分かったところで状況が変わるわけでもない。
今さら別の人生を選べるわけでもなく、死ねば今度こそ元へ戻れるという保証もない。なら、この場所で生きていくしかないのだろう。
子供ながらにそう結論づけてからは、あまり深く考えなくなった。
◆
それから長い年月が流れ、王となった。
前世の記憶が消えたわけではない。ただ、こちらで過ごす時間が積み重なるにつれて、それだけを基準に物事を考えることは自然と減っていた。
ウルクで生まれ、ウルクで育つ。
人の顔を覚え、土地を知り、国の事情も嫌というほど覚えていく。王となるために必要なものを学び、実際に人を動かせば、その判断の結果が良くも悪くも目の前へ返ってくる。
何年もそんな生活を続けていると、前世は前世、今は今と切り分ける方がよほど自然になっていた。
「今日より、この国は我が治める。土地も、富も、そこに住む民も全て我が財だ。故に勝手に損なうことは許さん」
王座から臣下たちを見渡す。
緊張している者もいれば、こちらを窺っている者もいる。期待を隠そうともしていない者までいて、並んでいる顔を一通り眺めてから、そのまま言葉を続けた。
「励め。働いた者には相応の褒美をくれてやる。役に立つ者を粗末にするほど、我は愚かではない」
口にしてみても、何の違和感もなかった。
ギルガメッシュを演じている、などという感覚はとうに消えている。
ここで生まれ、そう名付けられ、その名で育ち、今こうして王座に座っている。
ならば、ギルガメッシュとは俺のことだ。
前世で知っていたものと違う行動を取ったところで、それで偽物になるわけでもない。ただ、知っている歴史とは違う道を歩くというだけの話だった。
むしろ未来について多少なりとも知っているのであれば、使わない理由の方がない。
災いが来るなら備えればいいし、避けられるものなら避ける。失うと分かっているものがあるなら、失わないように先に手を打てばいい。
未来を知っているというのは、その程度のものだと思っていた。
少なくとも、この頃までは。
◆
エルキドゥと初めて顔を合わせた時、名前を聞くより先に大体の見当はついていた。
緑の髪。
男とも女とも取りづらい姿。
前世で見たものと、よく似ている。
ただ、実際に目の前へ立たれると、印象は思っていたよりずっと違った。
こちらを真っ直ぐ見ている。
僅かに動く表情も、呼吸に合わせて上下する身体も、画面越しに見ていた時には意識もしなかったものばかりだ。
知っている姿のはずなのに、しばらく眺めていると、むしろ知らない相手だという感覚の方が強くなってくる。
「君がギルガメッシュ?」
「そうだ。……貴様がエルキドゥか」
僅かに目を見開いた。
「僕を知っているんだね」
「多少はな。それで、何の用だ?」
問い掛けても、すぐには答えが返ってこない。
こちらをじっと見ている。
値踏みされているようにも感じたが、不快というより、その態度の方に興味が湧いた。
「僕は、君を繋ぐために作られた」
「知っておる」
「でも、それだけで君を縛るつもりはないよ。まずは、君がどんな人なのか自分で見てみたい」
「ほう?」
思わず眉が上がる。
神々に与えられた役目だけを果たしに来るものだと思っていたが、どうやら実物はそこまで単純でもないらしい。
「見てどうする」
「必要だと思えば止める。そうでなければ……その時に考えるよ」
「はっ」
笑いが漏れた。
「神造の兵器が、随分と己の意思で物を言うではないか」
「駄目かな?」
「いや」
改めて目の前の存在を眺める。
思っていた以上に面白い。
「気に入った」
そう口にすると、今度は向こうが少し目を丸くした。
「ならば見せてやろう。我がどのような王か、貴様自身で確かめるがいい」
結局、最後には戦うことになった。
どちらから先に仕掛けたのかなど、始まってしまえばどうでもよかった。
最初に武器を出し、エルキドゥがそれを迎え撃つ。
地から生まれた武器が一撃を受け止め、ならばと別のものへ持ち替えてみても、やはり同じように応じてきた。
一本では足りない。
なら二本。
それでも足りなければ三本。
増やすほど向こうも追いついてきて、しばらくやり合っているうちに、わざわざ一つずつ手に取って振るうこと自体が面倒になってくる。
黄金の波紋から引き出しかけた武器を、そのまま撃ち込んだ。
避けられる。
続けてもう一つ。
今度は地から生み出した武器で叩き落とされた。
「……ほう」
思わず口元が緩む。
なら、もっと増やしてみたくなる。
一つ、二つ、その向こうへさらに波紋を開き、次々と財を撃ち込んでいく。
それでも崩れない。
こちらが手数を増やせば増やすほど、向こうも同じだけ返してくる。
気が付けば、随分と笑っていた。
「ははっ! よいぞ、エルキドゥ!」
「君、本当に楽しそうだね」
「当然であろう! 我が財をここまで引き出させる者など、そうはおらん!」
「それは光栄だと思っておくよ」
どれほど続けたのか。
途中から時間など気にもならなくなり、互いに出せるものを出し切るまで戦っていた。
勝ったとも負けたとも言い難い。
それでも終わった後に残る妙な満足感だけは確かなもので、隣にいる相手をしばらく眺めてから、ふと口が開いた。
「エルキドゥ」
「なに?」
「貴様、我の友となれ」
一瞬、目を丸くされる。
「随分いきなりだね」
「気に入ったのだ。それ以外に理由が要るか?」
しばらくこちらを見ていたエルキドゥが、やがて小さく笑った。
「……うん。君らしいね」
前世で、いずれ親友になると知っていたからではない。
実際に会い、話し、全力でぶつかって、それで気に入った。
だから友になる。
そこから先は、思っていた以上に長い時間を共に過ごすことになった。
共に戦い、共に歩き、何もない日は本当にどうでもいい話をする。言い争うこともあれば、政務を抜け出そうとして見つかり、呆れた顔をされることもある。
そんな時間を重ねるほど、前世で知っていた「エルキドゥ」という存在は遠ざかっていった。
当然だ。
知識の中にいた誰かと、今隣にいる友は違う。
そう思えるようになっていたからこそ、一つだけどうしても頭から追い出せないものがあった。
エルキドゥは死ぬ。
その結末だけは、どうしても変えるつもりでいた。
原因になるものが分かるなら避ければいいし、避けられないなら対策する。使える財があるなら惜しむ理由もない。
知っている歴史から細かい部分が変わっているのなら、むしろ好都合だと思っていた。
未来は変わる。
なら、エルキドゥが死ぬ未来も変えられる。
そう信じていた。
◆
「ギル。少し身体が重い」
そう言われた瞬間、嫌なものが胸の奥へ落ちた。
普段のエルキドゥなら、その程度のことでわざわざ口に出したりはしない。
様子を見る、という考えは最初から浮かばなかった。
使えそうなものを試す。
一時的に状態が戻れば、まだ効いているのだと少しだけ息がつける。
なら次も試す。
だが、完全には止まらない。
良くなったと思えば、また弱る。
別の手を使えば今度は少し長く保つものの、時間が経つと結局は同じところへ戻ってしまう。
「ギル」
「なんだ」
「少し休んだら?」
「貴様が治ればな」
「僕じゃなくて、君が」
「戯け。我が休んでいる間に貴様が死んだらどうする」
軽く睨むと、エルキドゥは困ったように笑った。
「そういうところ、変わらないね」
「変える必要がないからな」
まだ手はある。
そう思っていた。
一つ駄目なら次を試せばいい。効果が薄ければ別のものと組み合わせ、それでも足りないなら、さらに考えればいい。
そのはずだった。
だが、一つ試すごとに出来ることが少しずつ減っていく。
効かなかったものが増える。
一時的に効いたものも、次第に持たなくなっていった。
手札が減っている。
それを認めたくなくて、次を探し続ける。
止められるはずがない。
知っている未来では死ぬからといって、今回も同じになる理由などない。
何度もそう考える。
考え続けていなければ、別のものを認めてしまいそうだった。
「ギルガメッシュ」
呼ばれて顔を上げる。
エルキドゥはもう、自分で身体を起こすことさえ難しくなっている。
「なんだ」
「ごめんね」
「何がだ」
すぐには続きが返ってこない。
しばらく何かを迷うように視線を落とし、やがて小さく息を吐いた。
「僕は君を繋ぐために作られた道具だった。それなのに友になって、最後には君をこんな顔にさせてる」
「…………」
「道具としても、中途半端だったのかもしれないね」
「戯け」
考えるより先に言葉が出た。
「誰が貴様を道具だと言った」
「でも、僕は――」
「貴様が何から作られようと知ったことか。神が作った泥人形であろうが、天の鎖であろうが、それがどうした」
気付けば、声が荒くなっている。
「我が友と定めた。ならば貴様は我が友だ。それ以上でも以下でもない」
エルキドゥは少し驚いたようにこちらを見る。
そのまま、ゆっくりと笑った。
「……うん」
その顔を見ていると、余計に腹が立ってきた。
「だから勝手に終わったような顔をするな。まだ我は諦めておらん」
「ギル」
「なんだ」
「もう少しだけ、話していてもいい?」
返事がすぐには出なかった。
まだ何か出来ることを探すべきだ。
手を止めている時間などない。
そう思うのに、その言葉だけはどうしても断れない。
「……好きにしろ」
それから、しばらく話をする。
昔のこと。
本当にどうでもいいこと。
何を話していたのか、途中からよく分からなくなっていた。
ただ、返ってくる声が少しずつ小さくなっていくことだけが嫌でも分かる。
最後に名前を呼ばれた。
返事をする。
それから、何も続かなかった。
「エルキドゥ?」
呼び掛ける。
返事はない。
もう一度、名前を呼んでしまう。
それでも何も返ってこず、分かっているはずなのに、しばらく手を離せなかった。
知っていた結末だった。
だから変えようとしてきた。
何もせずに眺めていたわけではない。知っていることも、持っているものも、使えるものは全部使った。
それでも、目の前からいなくなった。
その事実だけが、どうしても頭に入ってこなかった。
◆
すぐにウルクを出たわけではない。
エルキドゥを弔い、王として片付けるべきものを片付ける。
国を放り出して飛び出せるほど何も分からなくなっていたわけではないし、そんなことをすれば、あいつなら呆れた顔をするだろうとも思った。
それでも、以前と同じように王座へ座っていることが出来なくなっていた。
死が頭から離れない。
エルキドゥが死んだ。
なら、いつか自分も死ぬ。
当然のことだ。
前世で一度経験しているはずなのに、今さらその事実が妙に恐ろしく感じられる。
一度目の死は、もう過去の記憶でしかない。
だが、エルキドゥの死は違った。
少し前まで話していた相手が、何を言っても返してこなくなる。
その感覚が、どうしても頭から離れなかった。
だから旅に出る。
不死を探すため。
そう言ってしまえば、間違いではない。
ただ、不死になる方法が何一つないわけでもなかった。
王の財宝には、それに類するものもある。
死ぬのが怖いだけなら、それを使えばいい。
なのに、どうしても使う気になれない。
自分でも、その矛盾が引っ掛かっていた。
本当に欲しいのは、ただ死ななくなることなのか。
そう考え始めてしまう。
なら、何が欲しい。
一度死んだ人間が、ギルガメッシュとして生まれた。
未来についての記憶まで残っていた。
それで何かを変えられると思ったのに、一番変えたかったものだけは変えられなかった。
なら、あの記憶は何だったのか。
どうしてここへ来た。
何のためにギルガメッシュとして生まれた。
そもそも、そこに理由があると思っていること自体が間違っているのかもしれない。
考えても、答えは出ない。
だから歩く。
色々なものを見て、人と話し、それでも分からないまま先へ進んでいく。
そうして長い旅の果てに、不死へ至る霊草を手に入れた。
掌の上に、確かにそれがある。
奪われてはいない。
届かなかったわけでもない。
欲しいと思って探したものを、最後まで自分の手で掴んでいる。
「…………」
しばらく眺めてしまう。
これを使えば、死から遠ざかる。
答えが見つかるまで百年でも千年でも生きればいい。
少し前までなら、そう考えていたはずだった。
なのに、いざ手にしてみると食う気が起きない。
指先で弄びながら眺めているうちに、ようやく何かが腑に落ちてきた。
「……違うな」
欲しかったのは、これではない。
不死になったところでエルキドゥは戻らないし、なぜここへ生まれたのかも分からない。未来を知っていた意味が、突然理解できるわけでもない。
ただ死ななくなる。
それだけだった。
そう理解すると、不思議なくらい興味が薄れていった。
帰路の途中、水辺で身体を休めていると、一匹の蛇が近付いてくる。
最初は気にも留めなかった。
だが、その蛇は妙に真っ直ぐこちらへ向かってくる。
試しに霊草を持ち上げてみると、その動きに合わせるように頭まで動いた。
「欲しいか?」
当然、返事などない。
ただ、目当てだけは分かりやすかった。
しばらく蛇を眺め、それから手元の霊草へ視線を戻す。
これを食えば不死へ近付く。
ここまで来るのに随分と時間も掛かった。
本来なら惜しく感じてもいいはずなのに、そういう気持ちがほとんど湧いてこない。
そのことが、少し可笑しかった。
「ならば、くれてやる」
蛇の前へ放る。
すぐに食らいついた。
「我には不要だ」
口にした瞬間、肩から何かが抜けていくような感覚があった。
不死を得られなかったわけではない。
奪われたわけでもない。
一度きちんと手に入れて、その上で要らないと決めた。
それでよかった。
どうしてこの生を得たのか、その答えは結局まだ分からない。
もしかすると、この先も分からないままなのかもしれない。
だが、それでも構わないと思えるようになっていた。
誰かに理由を教えてもらわなければ生きられないほど、何もしてこなかったわけではない。
王になった。
友を得た。
失った。
それでも、まだ生きている。
なら、この先どうするかはこちらで決めればいい。
「……帰るか」
口にすると、ようやく帰る場所を思い出したような気がした。
ウルクには国がある。
民がいる。
そして、その王は自分だ。
いつまでも旅を続けている場合ではなかった。
◆
久方ぶりにウルクへ戻る。
見慣れた街へ足を踏み入れたところで、妙に懐かしく感じてしまい、少しだけ足が止まった。自分で思っていた以上に、随分と長く離れていたらしい。
「――王」
聞き覚えのある声に振り返る。
そこにいるシドゥリは、こちらの姿を確かめるようにしばらく見つめてから、ようやく深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ。ご無事で何よりでございます」
「うむ」
それだけ返して歩き出そうとすると、すぐ後ろからもう一度声が掛かった。
「それと、王。一言、申し上げなければ気が済みません」
思わず足が止まる。
声はいつも通り丁寧なのに、どうにも嫌な予感しかしない。振り返ってみれば、案の定、先ほどまで浮かんでいた安堵とは別のものが顔に出ていた。
「……申してみよ」
「では遠慮なく」
そこからは長かった。
王が国を空けていたこと、その間にどれだけ周囲へ負担を掛けたのか、無事に戻ってきたからといってそれで済むと思わないでほしいこと。どれも反論しようと思えばできなくはないが、一つ一つはもっともな話なので、聞いているうちに言い返す気もなくなってくる。
「そもそも王は――」
「シドゥリ」
「なんでしょう」
「我は今、長旅から戻ったばかりなのだが?」
「存じております」
「少しくらい労る気はないのか」
「先ほど、ご無事で何よりと申し上げました」
「それで終わりか」
「はい」
「…………」
強い。
エルキドゥとはまた別の意味で、こちらへ遠慮というものがない。しばらく顔を見ていると、どうにも笑えてきた。
「何がおかしいのです」
「いや。変わらんなと思ってな」
「王が変わりすぎなのです」
「そうか?」
「そうです」
即答される。
旅の果てに何を得たのか尋ねられるかとも思ったが、シドゥリはそこへ踏み込んでこなかったし、こちらからわざわざ話す気にもならなかった。不死を求めて散々歩き回った挙句、ようやく手に入れた霊草を蛇にくれてやったなどと説明したところで、また別の説教が始まりそうでもある。
それより先に、現実へ戻る必要があった。
「シドゥリ」
「はい」
「溜まっている仕事はどれほどだ」
一瞬だけ、目が泳いだ。
嫌なものを見た気がして、眉を寄せる。
「……答えよ」
「王がご覧になった方が早いかと」
「おい」
旅に出ていた時とはまるで別の意味で、帰ってきたことを少しだけ後悔した。
◆
そうして、また王としての日々が始まった。
以前とやることが大きく変わったわけではなく、怠ける者は叱り、国を害する者は罰し、必要なら戦い、財を使い、王として決めるべきことを決めていく。やがて祭祀長として傍に立つようになったシドゥリから小言を食らうことも増えたが、それも含めて、いつしか当たり前の日常になっていた。
ただ、旅に出る前とは少しだけものの見え方が違う。
人は死ぬ。
そんな当たり前のことを、頭ではなく嫌というほど理解してしまったからだろう。何を喜び、何を失えば泣き、何を残して死んでいくのか。以前なら国全体の中に埋もれて見えていたものが、妙に目につくようになり、時にはしばらく眺めてしまうことも増えていた。
だからといって、何もかもに甘くなるわけではない。駄目なものは駄目だし、王として切り捨てなければならないものもある。それでも、以前なら結果だけを見て終えていたものの向こう側まで、自然と目が向くようにはなっていた。
そんな日々を重ねているうちに、時間は随分と流れていた。
在位126年。
数字にしてみると、自分でも少し呆れるくらい長い。若い頃にはいくらでも動いた身体もすっかり衰え、今では寝台から身体を起こすことすら億劫になっている。
延命する手段ならある。その気になれば、まだ生を伸ばすこともできるが、そんな考えはほとんど浮かばなかった。それについては昔に一度、十分すぎるほど悩み、最後には自分で答えを出している。
「……なんだ、その顔は」
寝台の周りに集まった者たちを見回すと、揃いも揃って酷い顔をしていた。
「王よ……」
「まだ死んでおらん。勝手に葬るな」
軽口のつもりで言ってみたが、誰も笑わない。
まったく、困ったものだ。
昔はあれほど恐れた死も、いざ目前まで来てみれば思っていたほど恐ろしくはない。身体が衰えていくのも、息をすることが少しずつ億劫になっていくのも、今ではただ「ああ、終わりが近いのだな」と思う程度だった。
むしろ困るのは、周りの方だ。
こちらが平気だからといって、こいつらまで同じとは限らないらしい。目を逸らす者もいれば、もう隠すこともせず泣いている者までいて、しばらくその顔を眺めているうちに小さく息を吐いた。
「……我はウルクの王」
声はもう、昔のようには出ない。
それでも、出来るだけ普段と変わらない顔を作る。
「民の前で弱みなぞ見せぬ」
最後くらい、その程度は貫いてやりたかった。
長い生だったと思う。
王になり、エルキドゥと出会い、失った。死を恐れて旅に出て、不死を手に入れ、それすら自分から捨てた。戻ってくればシドゥリに散々叱られ、それからまた王として働き続けて、気付けばこんなところまで来ている。
結局、どうしてこの世界に生まれたのかは最後まで分からなかった。
それでも、もういいと思えた。
理由を知るために生きてきたわけではない。分からないままでも、ここまで生きた時間が消えるわけではなく、今さら誰かに答えを貰ったところで、この生そのものが変わるわけでもない。
なら、それで十分だった。
「ではな」
目を閉じる。
誰かが何かを言っているのが聞こえた。聞き取ろうとはしたものの、もう上手く言葉として拾えず、遠くで響いているようにしか感じられない。
それでも妙に穏やかだった。
今度こそ終わりなのだろう。
そう思いながら、そのまま意識を手放した。
◆
――意識がある。
最初にそれへ気付いた時、すぐには目を開けられなかった。
おかしい。
今回は間違いなく死んだはずだ。身体が限界を迎え、周囲の声さえ聞き取れなくなり、そのまま意識が沈んでいったところまで覚えている。
なのに、呼吸をしている。
心臓も動いている。
何より、身体が妙に軽い。
しばらくその感覚を確かめてから、恐る恐る手を持ち上げてみると、何の抵抗もなく動いてしまった。
「…………」
嫌な予感がして、ようやく目を開く。
まず見えたのは、知らない天井。
次に自分の掌へ視線を落とすと、そこには皺一つなく、死ぬ直前までとは比べものにならないほど若い手があった。
身体を起こしてみても、やはり同じだった。
重さもない。
痛みもない。
どう見ても、全盛期に近い身体へ戻っている。
その事実を確認したまま、しばらく何も言えなかった。
一度死んだ。
生まれ直した。
ギルガメッシュとして126年生きて、今度こそ終わったと思った。
なのに、また目を覚ましている。
そこまで頭の中で並べたところで、ようやく深く息を吐いた。
「……またか?」
どうやら今度も、素直には終わらせてもらえないらしい。