魔法先生ギルガメッシュ   作:長LAVA

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第2話

 

 

 書類を一通り確認し終えた頃には、壁の時計が11時を回ろうとしていた。

 

 目を覚ましたのが9時頃だったことを考えれば、随分と長く机へ向かっていたらしい。もっとも、死んだ直後に見知らぬ日本の部屋で目を覚まし、存在しないはずの経歴から明日の勤務先まで用意されていたとなれば、その程度の時間で済んだだけ早い方だろう。

 

 閉じたファイルの横には、麻帆良学園都市の案内図が置かれている。

 

 何気なく広げてみたところ、今いる建物は学園都市の外ではなく、敷地内に用意された教職員向けの宿舎だった。つまり窓から眺めていた街並みも、既に麻帆良の一部ということになる。

 

「初めから中に放り込まれていたか」

 

 明日になれば正式に赴任することになるが、何も知らないまま職員室だけを目指す気にはなれなかった。案内図を見る限り、麻帆良は学校の周辺に幾つか店が並んでいるような規模ではなく、一日で全てを見て回れるかも怪しい。

 

 どうせ暫く暮らす土地なのだ。

 

 部屋に籠もって書類を読み返すより、自分の足で歩いた方が早いだろう。

 

 白い上衣へ袖を通し、胸元を大きく開けたまま首と手首に金の装飾を着ける。蛇の鱗を思わせる茶と金の細身のズボンに白い靴を合わせ、鏡へ映った姿を一度眺めた。

 

 教師として教壇に立つには、多少なりとも服を改める必要があるかもしれない。

 

 それは明日考えればいい。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 宿舎を出ると、まず目に入ったのは学生の多さだった。

 

 休日というわけではないらしく、道を行き交う者の大半が制服姿をしている。ただし年齢も制服も一様ではなく、まだ幼い子供から大学生らしき者までが同じ街の中を歩き、自転車や路面電車までその間を縫うように行き来していた。

 

 前世の記憶にある学校とは、最初から規模が違う。

 

 案内図を片手に歩き始めると、すれ違った女子学生たちの会話が途中で止まった。

 

「外国人……?」

 

「モデルじゃない?」

 

「新しい先生だったりして」

 

 小声で話しているつもりなのだろうが、全て聞こえている。

 

 振り返る必要もないのでそのまま歩いていると、後ろから押し殺したような歓声が聞こえた。姿を見られることには慣れているし、騒ぎたい者をわざわざ止める気もない。

 

 ただ、明日から毎日これが続くとなれば少し面倒かもしれなかった。

 

 宿舎から勤務先までの道を確認するつもりで歩いていたが、幾つかの校舎を過ぎても学園は終わらない。中等部らしき区画の先には高等部があり、さらに進めば大学や研究施設まで現れる。その間には学生寮だけでなく、書店や喫茶店、衣料品店に日用品を扱う店まで並んでいた。

 

 学校の敷地内へ商店がある、という程度ではない。

 

 この中だけで一つの生活圏が成立している。

 

「なるほど。学園都市とはよく言ったものだ」

 

 名前に偽りはない。

 

 通りの広さや建物の配置、人の流れを追ってみれば、学生と教職員を中心に街全体が組み上げられていることも分かる。雑然として見える場所にも一定の意図があり、大勢の人間を抱えながら大きな混乱もなく動いていた。

 

 王として治めていた都市とは成り立ちも目的も違うが、これだけの規模を維持している点には素直に感心する。

 

 歩いているうちに自動販売機が目に留まり、足を止めた。

 

 使い方を忘れているわけではない。

 

 財布から硬貨を取り出して投入し、並んでいる商品の中から缶コーヒーを選ぶ。落ちてきた缶を拾い上げ、蓋を開けて一口飲んだ。

 

「……甘いな」

 

 思っていたよりも随分と甘い。

 

 好みに合うかと聞かれれば微妙なところだが、缶の中に詰められた飲み物が街角の機械からいつでも買えるというのは、改めて考えるとなかなか贅沢な話だった。

 

 もう一口飲みながら歩き出す。

 

 見覚えのあるものばかりなのに、実際に触れてみると記憶の中にあったものとは少し違って感じられる。そのずれが不快というわけではなく、むしろ昔馴染みの顔を久しぶりに見た時のようで、気付けば予定していた道を外れていた。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 昼が近付いた頃、飲食店ばかりが入った建物へ辿り着いた。

 

 階を跨いで幾つもの店が並び、和食から洋食、中華まで一通り揃っている。学生向けだからか価格も抑えられており、どの店にも制服姿の客が列を作っていた。

 

 しばらく眺めた末、香辛料の匂いにつられて一軒の店へ入る。

 

 運ばれてきたカレーは、王の食卓へ並べるような料理ではない。器も飾り気がなく、使われている肉や香辛料も特別上等というわけではなかった。

 

 だが、一口食べると自然に次の匙が進む。

 

「これはこれで悪くない」

 

 高価な食材を惜しまず使えば、より美味いものはいくらでも作れるだろう。

 

 それとは別に、この味と量の食事を学生が僅かな金で選び、毎日のように食べられるという事実には価値がある。特別な者だけが富を享受するのではなく、街に暮らす大半の者が同じ豊かさへ手を伸ばせる。

 

 かつて国を治めていた身としては、料理の味以上にそちらの方が興味深かった。

 

 食事を終えて店を出る頃には、当初考えていた出勤経路の確認など、とっくに終わっている。それでもすぐ宿舎へ戻る気にはならず、午後もそのまま街を歩くことにした。

 

 書店を覗き、菓子を扱う店の前で足を止め、路面電車が街の中心を横切っていくのを眺める。すれ違う女子学生から向けられる視線は相変わらずだったが、午前中より人が増えた分、反応も露骨になっていた。

 

 何人かはこちらと目が合っただけで顔を赤くし、友人同士で慌てて離れていく。

 

「忙しい連中だ」

 

 小さく笑いながら視線を前へ戻したところで、街並みの向こうに伸びる巨大な樹冠が目に入った。

 

 遠くからでも、他の建物とは比較にならないほど大きい。

 

 だが、足を止めた理由はその高さではなかった。

 

 視線を向ければ、表面を覆う樹皮のさらに奥まで隠れることなく見えてくる。

 

 大地へ広げた根は幾つもの地脈へ食い込み、そこから吸い上げた魔力を長い時間を掛けて内部へ蓄積している。枝葉に至るまで巨大な循環器として機能しており、満ちた力は一定の周期で外へ溢れ、周囲の術式だけでなく人間の思念や現実そのものへ干渉する。

 

 自然に育った巨木ではない。

 

 少なくとも、今の人間が最初から作り上げられるような代物でもなかった。

 

「……世界樹だったな」

 

 記憶の奥に沈んでいた名前が、構造を理解したことで浮かんでくる。

 

 前世で見た物語でも、確か何度か騒ぎの中心になっていたはずだ。

 

 現時点では蓄積の途中にあり、直ちに何かが起きる状態ではない。人間側が周囲へ施している術式も機能している以上、今ここで手を出す理由はなかった。

 

 一通り見終えると、再び歩き出す。

 

 分からないから放っておくのではない。

 

 何であるかを理解した上で、放っておいて構わないと判断しただけだ。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 午後も半ばを過ぎた頃、麻帆良湖へ出た。

 

 水面の向こうには巨大な島が浮かび、その大半を建物が占めている。案内図に記されていた図書館島で間違いない。

 

 外観だけでも相当な蔵書を抱えていることは分かり、自然と興味が湧いた。

 

 近いうちに中を見てみるのも悪くない。

 

 そう考えながら島へ視線を向け、表から見える建物だけでなく、その下へ意識を沈めていく。

 

 結界も岩盤も、こちらの目を遮る役には立たない。

 

 地下へ広がる巨大な書庫と複雑に入り組んだ構造、そのさらに奥に居座っている一人の男まで、隠されていたものが順に姿を現した。

 

 アルビレオ・イマ。

 

 現在はクウネル・サンダースと名乗っている。

 

 他者の人生を記録し、その姿や技まで再現する力を持ちながら、自身は長い時間を地下で過ごし、人の営みを半ば娯楽のように眺めている男だった。

 

 性格まで見えたところで、思わず顔を顰める。

 

 人から一歩離れた場所を好み、面白そうな出来事があれば観客の顔をして近付き、いざ関われば相手の嫌がるところまで平然と踏み込んでくる。

 

 完全に同じではない。

 

 少なくとも、人間に対する情はあちらより残っている。

 

「……あの夢魔よりは幾分ましだが、同じ手合いか」

 

 図書館そのものには興味がある。

 

 だが、今日わざわざあの男と顔を合わせる必要はない。

 

 関われば面倒になると分かっていて、自分から地下へ降りていくほど暇ではなかった。

 

「書庫は、また後日だな」

 

 そう決めて島から視線を外す。

 

 この目で見れば、大抵のものは知ろうと思った時点で見えてしまう。

 

 だからといって、目に入る全てを片端から暴く趣味はない。必要もないのに他人の事情まで掘り返して回るなど、あの地下の男や夢魔と同類になりかねなかった。

 

 湖畔を離れた後も幾つかの区画を回り、主要な施設と道の位置を頭へ入れていく。案内図を開く必要も次第になくなり、日が傾く頃には、少なくとも日常生活で迷うことはなさそうだった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 帰る前に何か食べていこうと考えたのは、屋台から流れてきた匂いがきっかけだった。

 

 昼に食べたカレーからそれなりに時間も経っている。

 

 暖簾を潜ると、先客は一人だけだった。

 

 スーツ姿の男がカウンターへ座り、湯気の立つ丼へ箸を伸ばしている。傍らの灰皿には火の消えた煙草が置かれていた。

 

 空いている席へ腰を下ろし、店主へ同じものを注文する。

 

 その間、先客からこちらへ向けられていた視線に気付き、初めてまともに男の姿を見た。

 

 見れば、分かる。

 

 高畑・T・タカミチ。

 

 魔法使いでありながら気を主軸に据え、両者を咸卦法によって一つへ纏めている。鍛えられた身体には戦場で染み付いた動きが残り、拳を構えることなく放つ居合い拳は、距離そのものを意味のないものへ変えるほど洗練されていた。

 

 ナギ・スプリングフィールドと共に戦った赤き翼の一員であり、現在は麻帆良で教師と魔法先生を務めている。

 

 前世の記憶とも一致する。

 

 能力も経歴も、既に知っている。

 

 ただし、向こうはそうではない。

 

 タカミチは何度かこちらの顔を確かめた後、箸を置いた。

 

「失礼ですが、ウヌグ先生ですか?」

 

「そうだ」

 

「やっぱり。明日から赴任されると聞いています。高畑・T・タカミチです」

 

 既に分かっていた名前を、初めて聞いたように受け取る。

 

「ギルガメッシュ・ウヌグだ。もっとも、そちらは既に知っているようだがな」

 

「顔写真だけは見せてもらっていました。実際にお会いすると、随分印象が違いますね」

 

「ほう。書類ではどのように見えた」

 

「もう少し、堅い方かと」

 

 少し言葉を選びながら答える様子に、思わず口元が緩んだ。

 

「正直に言えばよかろう。面倒そうな外国人が来ると思っていたのではないか?」

 

「そこまでは言っていませんよ」

 

「思ってはいたか」

 

「……否定すると嘘になりますね」

 

 気の弱い男ではないらしい。

 

 見えていた通りではあるが、実際に言葉を交わしてみると印象は悪くなかった。

 

 注文した丼が置かれ、箸を取る。まずはスープを口に含むと、濃い味と脂が空腹へ素直に染みた。

 

「これは美味いな」

 

「気に入りましたか?」

 

「うむ。昼に食ったものも悪くなかったが、こちらの方が好みだ」

 

「もう街を見て回ったんですか?」

 

「一通りな。少し歩くつもりが、思っていた以上に広かった」

 

「麻帆良は初めてだと迷う人も多いんですが……」

 

「道に迷うほど耄碌しておらん」

 

 反射的に返すと、タカミチが僅かに目を丸くした後、声を立てずに笑った。

 

「それは失礼しました。図書館島の方まで行きました?」

 

「外から見ただけだ。中へ入るのは後日にする」

 

 地下に誰がいるかまでは口にしない。

 

 タカミチがアルビレオの存在をどこまで把握しているかは知らないが、初対面でわざわざ話題に出して余計な説明を求められるのも面倒だった。

 

「世界樹も見たぞ。随分と大層なものを抱え込んでいるな、あの学園は」

 

「……ご存じですか」

 

 一瞬だけ、タカミチの表情から教師としての穏やかさが薄れる。

 

 何も知らない新任教師が、ただ巨大な木を見ただけで口にする感想ではないと理解したらしい。

 

「見れば分かる」

 

 それ以上説明する気はない。

 

 こちらの返答をどう受け取ったのか、タカミチは数秒だけ考えるように黙ったものの、すぐにいつもの表情へ戻った。

 

「学園長から、かなり優秀な魔法先生が来るとは聞いていました」

 

「優秀、で済ませる辺りがあの老人の悪知恵か?」

 

「まだお会いしていないのに、よく分かりますね」

 

「書類を見れば、用意した側の性格くらい多少は透ける」

 

 実際、戸籍から面接履歴まで整えた上で肝心の説明を一切残さない人間が、素直で分かりやすい性格をしているとは思えない。

 

 タカミチは否定せず、苦笑するだけだった。

 

「明日はまず学園長室へ行くことになっています。場所は分かりますか?」

 

「既に見てきた」

 

「本当に一通り回ったんですね」

 

「己が暮らす土地を知らぬままでいる方が落ち着かん」

 

 丼へ箸を伸ばしながら答えると、タカミチは少しだけ納得したように頷いた。

 

「教師の仕事は初めて、ですか?」

 

 その問いには、箸を止めてしまった。

 

 書類上なら長い教師歴があることになっている。

 

 だが、実際に教壇へ立ったことは一度もない。

 

「……人へ物を教えた経験なら幾らでもあるが、学校教師は初めてだな」

 

「その答え、学園長には言わない方がいいかもしれません」

 

「なぜだ」

 

「経歴と食い違いますから」

 

「我が覚えておらぬだけだと言っておけばよかろう」

 

「赴任初日から記憶喪失を名乗る新任教師は、かなり問題がありますよ」

 

 もっともな指摘だった。

 

「面倒だな、現代の社会というものは」

 

「そこは頑張って慣れてください」

 

 タカミチの口調には、警戒よりも呆れに近いものが混じり始めている。

 

 能力や経歴を一目で見通したところで、実際に飯を食いながら交わす会話の間までは、それだけで得られるものではない。相手がどの程度冗談を許し、どこで困った顔をし、隣で黙って食事をしていて苦にならない人間かどうかは、こうして時間を過ごして初めて形になる。

 

 少なくとも、タカミチは食事相手として悪くなかった。

 

「ところで、明日はその格好で出勤されるんですか?」

 

 食事も終わりに近付いた頃、タカミチがこちらの服へ視線を向けた。

 

「そのつもりはない。背広くらいは着る」

 

「少し安心しました」

 

「ただし、袖を通すかは分からん」

 

「……着るなら通してください」

 

「羽織れば同じであろう」

 

「教師としては、かなり違います」

 

 妙なところへ真剣に口を挟んでくる。

 

 現代の衣服にそこまで厳密な決まりがあるとも思えないが、初日から余計な小言を受けるのも面白くない。

 

「考えておこう」

 

「その返事、通さない人の返事ですよね」

 

「さてな」

 

 食事を終えたタカミチが代金を置き、席を立つ。

 

「それでは、また明日。何か困ったことがあれば、遠慮なく声を掛けてください」

 

「うむ。貴様も暇ならまた付き合え。ここの飯は気に入った」

 

「僕でよければ、喜んで」

 

 軽く手を上げて屋台を出ていく背中を見送る。

 

 高畑・T・タカミチ。

 

 力も経歴も、本人が何を抱えているかも見れば分かる。それでも、実際に話して初めて知るものがないわけではない。

 

 記憶にあったよりも、随分と気のいい男だった。

 

 

 

     ◆

 

 

 

 屋台を出る頃には、街はすっかり暗くなっていた。

 

 昼間ほど学生の姿は多くないが、部活動を終えた者たちが連れ立って歩き、商店では店じまいの準備が始まっている。路面電車の音が夜の通りへ響き、遠くには明かりに照らされた世界樹が見えた。

 

 朝に書類で名前を見た時には、麻帆良は前世で知っている物語の舞台でしかなかった。

 

 だが実際に歩けば、腹を満たす店があり、学生が騒ぎ、教師が仕事帰りに飯を食っている。図書館の地下には関わるだけで疲れそうな男まで住み着いていた。

 

 地図の上にあった名前へ、一日分の景色が重なっている。

 

「住むには、悪くなさそうだな」

 

 誰に聞かせるでもなく零し、そのまま宿舎への道を歩いていく。

 

 明日からは教師として、この街の中へ入ることになる。

 

 王の次が教壇とは、改めて考えても随分と変わった巡り合わせだった。

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