魔法先生ギルガメッシュ 作:長LAVA
午前の授業を終えて職員室へ戻ると、教科書や書類の間に弁当箱が並び始めていた。
食堂へ向かう者もいれば、机の端へ場所を作って早々に箸を動かしている者もいる。窓から入る風には、校庭で騒ぐ生徒たちの声が混じっていた。
こちらも教材を置き、午後に使う紙束を確認する。例文を1つ差し替えるつもりでいたが、それより先に腹を満たしておきたかった。
鞄から昼食の包みを取り出すと、近くで同じように弁当を広げようとしていたしずなと目が合う。
「あら。今日はここで食べるんですね」
「たまにはな。午後の教材に少し手を入れたい」
「いつも気が付くといなくなってるから、お昼は外で食べるものだと思ってました」
「そのつもりで出ても、戻るまでに生徒に何度も捕まるのでな。今日は歩く時間まで食事に使うことにした」
「すっかり人気者の悩みですねえ」
しずなは弁当の包みを持ち直し、職員室の隅にある打ち合わせ用の机へ目を向けた。
「あちら、空いてますよ。一緒にどうです?」
断る理由もないので、昼食と教材を持って移る。
源しずなとは同じ英語科ということもあり、仕事の話なら何度もしている。ただ、互いの授業の合間に用件だけ伝えることが多く、腰を落ち着けて話す機会はあまりなかった。
こちらが椅子へ背広を掛けている間に、しずなは机へ弁当を置き、給湯の方へ向かう。そこへジャージ姿の二ノ宮が戻ってきた。
「源先生、お湯まだあります?」
「ありますよ。紅茶でよければ一緒に淹れますけど」
「じゃあ、お願いします。……あ、ウヌグ先生もいる」
「我がいては不都合か?」
「いえ。お昼に見るのが珍しくて」
「同じことを言われたばかりだ」
「だって、だいたい姿がないんですもん」
二ノ宮は笑いながら弁当を持ってきて、そのまま向かいへ座った。体育の授業と新体操部の指導で校内を動き回っている姿はよく見るが、こちらも仕事以外の話をするのは久しい。
やがて3人分の紅茶が運ばれてきたところで、包みを開く。
中には今朝詰めてきたサンドイッチが並んでいる。1つ手に取ると、二ノ宮がこちらの容器を覗き込んだ。
「きれいに詰めてますね。自分で?」
「詰めたのは我だぞ」
「作ったんじゃなくて?」
「そこまでは言っておらん」
しずなが箸を持ったまま笑う。
「ちゃんと聞かないと駄目なのね」
「聞かれた通りに答えただけだろう」
「じゃあ、料理は出来るんですか?」
「出来るが、今日はしておらん」
「最初からそう言ってくださいよ」
「聞かれてもおらぬ料理の腕前まで、弁当を開く度に披露するのか。面倒な食事だな」
「もう、そういう意味じゃなくて」
二ノ宮が笑って箸を動かし始める。こちらもサンドイッチへ口を付け、しばらくは3人とも昼食を進めた。
卵の入ったものを食べ終えたところで、しずながこちらの脇に置かれた教材へ目を留める。
「あ、それ。今日使ったものですか?」
「ああ。下の例文を替えようと思ってな」
食事から少し離れた場所へ紙を広げると、しずなは身を寄せて目を通した。
「ああ……ここ、やっぱり間違えました?」
「直前まで答えられていた者まで、書かせると同じところを抜かす。例が悪いのかと思ったが」
「分かってても抜けるんですよね。説明している時は、みんな頷くんですけど」
「うむ。あの頷きだけ見れば、教えることなど何も残っておらぬ顔をしておる」
「それで安心すると、後でびっくりするの」
思い当たる顔でも浮かんだらしく、しずなが口元を緩める。
「私は先に答えを言わないで、正しい文と間違った文を並べることもありますよ。どちらか選んでもらうと、案外みんな真剣になるから」
「外したくなくなるか」
「ええ。でも、外して悔しがっていた子の方が、次には覚えてたりするんですよね」
「なるほどな。では、こちらを残したまま、もう1つ並べてみるか」
余白へ短く書き添えたところで、二ノ宮の箸がこちらへ向いた。
「お2人とも、そのまま次の授業を始めそうなんですけど」
「まだ始めん。食い終わっておらんからな」
「食べ終わったら始めるんですか」
「あら、聞いていきます?」
「源先生まで。私、昼休みに補習を受けに来たんじゃないんですよ」
しずなが笑って身体を戻し、こちらも紙を畳む。
「では体育の話にするか」
「今度は私が置いていかれそうね」
「大丈夫ですよ。筋肉の名前から説明しますから」
「遠慮しておきます」
先ほどまでの誘いを、そのまま返されていた。
こちらは紅茶へ口を付け、危うく笑いを吹き込むところだった。
◆
「でも、身体の話ならちょっと気になってたんですよ」
二ノ宮は弁当の蓋を脇へ寄せ、こちらの座り方を見た。
「ウヌグ先生、何してても姿勢が崩れませんね。ご飯食べてる時まで、背中が真っ直ぐ」
「こうしている方が楽なのでな」
「楽なんだ……。うちの部員にも聞かせたいなあ」
「連れてくれば聞かせてやるぞ」
「そのまま立っててもらうだけでも、お手本になりそうです」
別に姿勢を見せに来たわけではないが、見るだけなら好きにすればいい。
しずながこちらの顔から椅子へ掛けた背広まで見て、何か思い出したように笑った。
「そういえば二ノ宮先生、最初に見た時、何て言ってましたっけ」
「ちょっと。本人の前で言わせます?」
「聞かせろ。そこまで言われて終わりでは、気になるだろう」
二ノ宮はしずなへ恨めしそうな顔を向けた後、こちらへ戻ってきた。
「……正直に言うと、マフィアみたいだなって」
なるほど。
こちらも鏡の前で似たような感想を抱いたことはある。
「少なくとも、下っ端には見えなかったであろう」
「否定するところ、そこなんですか?」
「そこは大事だろう」
しずなが口元へ手を当てる。
「ええ。誰かを待たせている側には見えましたね」
「源先生も同じこと考えてるじゃないですか」
「だって、あの着方が本当によく似合うんだもの」
「ほれ、褒められたぞ」
「私が最初に言ったのも、そういう意味を含んではいますけど」
「では、そちらだけ受け取っておこう」
二ノ宮は呆れたように笑い、紅茶のカップを持ち上げた。
「便利な耳ですねえ」
「似合わぬと言われる方が面倒であろう。直す気もないのでな」
「そこまで自信があれば、着るものも楽しいでしょうね」
しずなの言い方に皮肉はない。
褒められたものをわざわざ否定して、もう一度褒め直させる気にもならなかった。似合うと思って選んでいるのだから、それでいい。
「その格好で廊下を歩いてると、背広が落ちないか、つい見ちゃうんですよ」
二ノ宮が椅子へ掛かった上着に目をやる。
「腕を伸ばしても落ちないし、階段でも平気でしょう。何か運動をやってたんだろうなとは思ってましたけど」
「剣や槍、弓なら使っていたな」
「……球技とか陸上を想像してたんですけど」
「走ることも多かったぞ」
「槍を持って?」
「そういう時もある」
二ノ宮の箸が止まり、しずなの肩が小さく揺れた。
「お昼休みに聞く経歴としては、ずいぶん物騒ね」
「そちらが聞いたのだろう」
「もう少し普通のところから聞けばよかったです。泳ぐとか、跳ぶとか」
「それも出来る」
「でしょうね。今はそうだろうと思いました」
初めからそう聞けばよかったのに、と少し可笑しくなる。
二ノ宮は最後の一口を食べて弁当を閉じ、それから改めてこちらへ向き直った。
「今度、体力測定で手が足りなかったらお願いしてもいいですか。準備とか記録だけでも」
「時間が合えばな」
「助かります。力仕事も結構あるので」
「ギル先生がいると、生徒の張り切り方も違いそうですよね」
しずなの一言に、二ノ宮が頷く。
「記録が伸びたりして」
「我を見ながら走れば、むしろ遅くなるだろう」
「じゃあゴールに立ってもらいます」
「測定の条件を変えるな」
今度は2人とも笑った。
手伝いに行った先で、目印代わりに立たされては堪らない。もっとも、二ノ宮もそこまで本気ではないらしく、箸箱を仕舞いながらまだ肩を揺らしている。
「冗談ですよ。測定する方でお願いします」
「それなら、考えておこう」
「その返事で十分です。今のところ」
「後から増やす気だな、貴様」
「さあ?」
しずなが楽しそうにこちらを見ている。
どうやら、こちらが一方的に揶揄うばかりでは済まない昼休みになりそうだった。
◆
「ギル先生って、もう職員室でも通じますね」
しずながそう言って、残っていた昼食を片付ける。
「さっきも自然に呼びましたけど、嫌じゃなかったですか?」
「自分で許した呼び名だ。構わんぞ」
「じゃあ、私もそう呼ぼうかしら」
「既に呼んでおるだろう」
「念のためですよ」
言いながら、しずなは空いた机を小さな布で拭いた。
「生徒たちも、ずいぶん呼びやすくなったみたい。名前を呼んでもらえたって、嬉しそうに話す子もいますから」
「それはよいが、呼び止める用件の半分が英語ではないのは、どうにかならんか」
「ならないんじゃないですかね」
二ノ宮があっさり答える。
「先生、彼女いるかも聞かれたんでしょう?」
「初回に聞かれたな」
「早いわねえ」
「好きなものを聞く授業の、続きだとでも思ったのだろう。その後は好みの女まで尋ねてきたぞ」
「そちらは答えたんですか?」
「途中で打ち切った」
しずなは少し残念そうな顔をした。
「そこまで聞いておけばよかったのに」
「貴様が聞きたいだけではないか」
「あら、ばれました?」
「隠しておらぬだろう」
二ノ宮がカップを持ったまま顔を背ける。
こちらへ話をさせて面白がっているのは、生徒だけではないらしい。しずなは何事もなかったように紅茶を飲んでいるが、口元にはまだ笑みが残っていた。
「では、貴様はどうなのだ。人の話ばかり聞いていても釣り合わんぞ」
「私ですか?」
「そうだ。自分の話も一つくらいしてみろ」
しずなはカップを置き、眼鏡の奥からこちらを見た。
「女は秘密で着飾るものですよ」
迷いのない返答だった。
二ノ宮が、待っていたように口を挟む。
「それ、この前も聞きました」
「あら。そうだったかしら」
「同じものを着ておるのか」
「いいものは長く使うんです」
こちらを見たまま、しずなが微笑む。
なるほど、そう来たか。
「随分と便利な装飾品だな」
「でしょう?」
「人の分まで剥がそうとせねば、なおよいが」
「だって先生、ご自分のことは隠さず話してくださるから」
「今後は少し考えることにしよう」
「残念。警戒させちゃいましたね」
残念そうにはまるで見えない。
こちらもそれ以上追いかける気はなく、空になった昼食の容器を閉じた。二ノ宮は2人のやり取りを眺めながら、最後の紅茶を飲んでいる。
「源先生、そういう時だけ本当に隙がないんですよね」
「そういう時だけ?」
「今のところも含めて」
しずなが笑う。
同じ職場で付き合いを重ねていれば、こちらが知らないやり取りも随分とあるのだろう。何を言えばどう返ってくるか、二ノ宮の方は最初からある程度分かっている顔だった。
空いた机へ、鞄から取り出した小さな箱を置く。
朝、食後用に入れてきたものだ。蓋を外すと、焼き色のついた菓子が姿を見せた。
「あ、おいしそう」
しずなの視線が、すぐにそちらへ下りる。
こちらが1つ取る間に、二ノ宮も少し身を乗り出していた。
「まだ食べるんですね。結構な量あったのに」
「食後の楽しみまで省く理由がない」
「そこは分かります」
返ってくるのが早かった。
箱を2人の方へ寄せる。
「食うか?」
「ええ。いただきます」
「じゃあ、私も」
薄い生地の中に刻んだ果実と木の実を入れた、小ぶりな菓子だった。表面は軽く崩れ、中には果実の甘さがしっかり残っている。
しずなは一口齧ってから断面を眺め、続けてもう一口食べた。
「思ったよりしっかり甘いのね。紅茶、もう少し淹れましょうか」
「頼もう」
「私もお願いします」
二ノ宮が空のカップを出し、しずながポットを取りに立つ。
こちらは箱を机の中央へ置き直した。見た目だけを気にして遠慮されるより、こうして素直に手が伸びる方が気分もよい。
しずなが戻るまでの間に二ノ宮は1つ食べ終え、箱へ視線を残したまま椅子へ座り直した。
「……午後、動くからいいか」
「食いたければ食え。理由なら後からでも付けられよう」
「先生に言われると、本当にそういう気になるなあ」
「何のお話?」
紅茶を注ぎながらしずなが聞く。
「もう1つ食べようかって話です」
「食べればいいじゃない」
「源先生もそっちか……」
誰も止めるつもりはない。
しずなも新しく1つ取り、カップの横へ置いた。二ノ宮は少し笑ってから、今度こそ箱へ手を伸ばす。
自分の分を口へ運びつつ、その様子を眺める。
先ほどまで英語だの体育だの言っていた3人が、今は揃って菓子を食っている。机の脇には畳んだ教材があり、その上へ茶が零れないよう、しずながさりげなく遠ざけてくれた。
「こういうの、いつも持ってきてるんですか?」
「気が向けばな」
「じゃあ、先生の鞄にはまだ何か入ってたりして」
二ノ宮が冗談交じりに鞄へ目を向ける。
そこで、先ほどの言葉を思い出した。
「男にも、秘密で着飾る日があってよかろう」
しずなの手が止まり、次いで笑いが漏れた。
「私の台詞、持っていきましたね」
「よく出来ていたので借りた」
「それで隠すのがお菓子の数ですか」
「貴様の秘密が何であるかも、まだ聞いておらんぞ」
二ノ宮がこちらとしずなを見比べる。
「源先生の方も、お菓子かもしれませんね」
「どうしてそうなるの」
「言わないからですよ」
しずなは反論しかけたが、口を開くより先に、こちらが頷いてやった。
「秘密とは、そういうものらしいな」
「……変なところで息が合いますね、お2人」
こちらを見る眼鏡の奥に、困ったような笑いが浮かぶ。
少しくらいはやり返せたらしい。
◆
食事の包みを片付ける音が、周囲の机からも聞こえ始めた。
時計を見れば、昼休みはもう後半に入っている。しずなはカップの残りを飲み、二ノ宮も弁当箱を包み直した。
「ごちそうさまでした。午後の授業、頑張れそうです」
「菓子がなければ頑張れぬようなことを言うな」
「ある方が頑張れるんですよ。ねえ、源先生」
「ええ。今度も楽しみにしてますね、ギル先生」
「次の話まで始めるな。今日の分を出しただけだぞ」
「じゃあ、次は私たちが何か持ってくるわ」
そこで二ノ宮が顔を上げた。
「勝手に私まで入れないでくださいよ」
「あら。食べたでしょう?」
「食べましたけど」
「美味かったであろう」
「今度はそっちの2人で組むんですか」
言いながらも、二ノ宮は笑っている。
それなら好みくらい聞いておこうかと思ったところで、予鈴が鳴った。まだ少し余裕はあるが、午後の教室はここから近くない。
残っていた菓子を1つ取り、箱を閉じる。
しずなはカップをまとめて盆へ載せ、二ノ宮は机を拭いてくれた。こちらも昼食を鞄へ戻し、脇へ置いていた教材を拾い上げる。
少し直すつもりだった例文には、しずなと話した時の書き込みが残っていた。これなら後は、黒板へ並べる順番だけ決めればいい。
椅子の背から上着を取り、いつものように肩へ掛ける。
その瞬間、二ノ宮がこちらを見て小さく吹き出した。
「何だ」
「いえ。お菓子を配ってる時は普通に見えたのに、やっぱりそれを羽織ると」
「マフィアに戻ったか」
「……ちょっとだけ」
「戻るも何も、初めから教師だ」
しずなまで笑いながら、こちらの手元へ目を向ける。
「今日は教科書を持っているから大丈夫ですよ」
「持っていなければ、どうなる」
「迎えの車を待っているように見えるかもしれませんね」
「ならば用意しておけ。教室まで乗っていく」
「廊下、通れませんよ」
2人の笑い声を背中に聞きながら、先に職員室を出た。
しずなと二ノ宮もすぐ後ろから続き、廊下の分かれ道で足を止める。二ノ宮は体育館の方へ、しずなは上の階へ向かうらしい。
「体力測定の件、時間が決まったら声を掛けますね」
「まだ覚えておったか」
「そこは忘れません。お願いしますよ、先生」
最後だけ妙に真面目な声で言って、二ノ宮が去っていく。
しずなも教科書を抱え直し、階段へ足を掛けた。
「じゃあ、また。次は私がお茶請けを持ってきますね」
「楽しみにしておこう」
「ええ。ちゃんと鞄に入れておきますから」
「中身は秘密か?」
「当日のお楽しみです」
軽く笑って階段を上っていく背中を見送り、こちらも教室へ向かった。
扉の向こうから、生徒たちの話し声が聞こえる。
手元の教材をもう一度確かめてから中へ入ると、前の席にいた生徒が顔を上げた。
「あ、ギル先生。今日、何かいいことありました?」
「何故だ」
「ちょっと笑ってたから」
言われて、口元へ手をやりかける。
昼休みの話を、そのまま顔へ残していたらしい。
「昼飯が美味かったのでな」
「何食べたんですか?」
「その話は後だ。まずは席に着け」
教卓へ教材を置き、チョークを取る。
空いた黒板には、並べるつもりの例文が2つある。先ほどはしずなと二ノ宮に随分と言い返されたが、ここでまで話を逸らされていては授業が進まない。
「今日は、貴様らに選んでもらうぞ」
教室へ向き直ると、何人かが早くも身構えていた。
少しだけ、その顔を面白く思った。