強き者こそが、誰よりも寛容である。
少なくとも“彼女”はそう信じていた。
天まで届く森の向こう側で旅立つ娘たちを快く見送ってくれた、数千を超える眷属の女王であり母である存在はそうであった。
故に、彼女も弱き者に対して寛容であろうと努力した。
始まりがいつだったのかは知らないし興味もない。そういう時間の数え方は彼女には必要ない。ただ、そうした出来事があったという事実だけで良い。
それは飢えた弱き者だった。
彼女と、彼女の子らを見て、震えながら、それでも────それでも、既に幼子たちが魔力を取り込み廃棄した蜜に手を伸ばして口にしていた。
そのようなモノすら餌にしなければならぬ弱き者である、ならば女王となるべく学びの途中である彼女はソレを受け入れるべきであろう。眷属たちにもまた、ソレの行いを見守るよう命じた。
ひとりが、ふたりになり。
ふたりが、少数になり。
ついには当たり前のように大勢のソレは彼女の巣にやってくる。
二足歩行のソレらは前脚を器用に使い食後の残骸を除去してくれた。
その作業の丁寧さは眷属たちでは到底敵わぬほどであり、彼女はソレらを受け入れた判断の正しさを誇るようになる。
なかなか、どうして可愛いものだ……と。
だが彼女らに都合があるように、ソレらにも都合がある。
中には敵対行動を取る個体も現れた。
彼女は考える。
眷属の安全を優先するのであれば、ソレらを排除するのが最も確実な手段なのだろう。
だが眷属の繁栄を考えるのであれば、いらぬ敵対者を増やすべきではない。
なにより敵対行動は鬱陶しくあっても危険ではないのだから、弱き者の戯れとして赦すのもまた……女王としての寛容さであるならば。
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弱き者たちとの共存と戯れを繰り返す中。
彼女は群全体を進化させるために行動を開始する。
目指すはより、魔力濃度の高い場所。
弱き者の近くで進化はできない。それを強行してしまえば共存関係が崩れてしまう。
国家とは多種多様の役割分担により成立することを理解した彼女にとって、その選択だけはあり得なかった。
彼女は考えた。
仮に間違いを犯してしまったとしても、己さえ生きていれば国家は何度でも再建できる。
ならば、と。
眷属たちによる、眷属だけの領域を許す。
そこに弱き者たちが自由に出入りすることを許す。
女王である己が先に動くことにした。
その場に留まる必要は無い。彼女が産んだ我が子らの視えるもの、聴こえるもの、触れるもの、それら全ては女王である彼女に共有され献上されるのだから。
彼女が選んだのは充分な魔力濃度のある渓谷だった。
谷底には魔力過剰により結晶化した花が咲き乱れ、岩壁の上方には適度な魔力を得た樹木が生茂り屋根を形作っている。
ここで、よい。
この場所であれば進化した強力な個体を産めるだろう。
弱き者、弱き蟲の敵対者による侵入も防ぐことができる。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
彼女は自分自身もまた進化を繰り返す。
そして女王の進化は国家の進化と同義。
母のように偉大な女王として、様々な弱き者を従え守護る賢く寛容で強大な女王となるために。
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「ほぅ……? ここにあの、忌々しい黄色の羽つきどもの親玉がいるのか。フンッ、我らは大いなる翼の御方より加護を授かりし戦士。インセクトとの共存などという唾棄すべき愚行、今日で終わりにしてやろう」
「さすがです閣下! 此度の討伐が成功した暁には、閣下こそがパンタシアの新たなる指導者として」
「まて、落ち着け。喜ぶのは終わってからでも遅くない。それに、今日こそは、などと強気なことを言ったところで兵や傭兵どもの体力には限界がある。優れた指揮官は部下を無駄に疲労させないものだ。慎重に、丁寧に探索と侵攻を進めるぞ」
久し振りの、弱き者たちの戯れを配下の騎士たちが伝えてきた。
彼女にとって、それもまた愛おしいものでしかない。
長い年月で理解したことがある。弱き者たちは同族と協力して天敵に対応するが、それとは別に戦う者と戦わぬ者で全く違う行動基準の群れを形成しているのだ。
故に、経験として知っている。
此度の戯れをどう処理したところで、各地で続く共存関係は簡単に終わることはないことを。
「まずは渓谷の底に拠点を構築する。余計な装飾などいらんぞ。吾輩の寝床も必要最低限でよい。いや、ほかの貴族どもの行動にも注意しろ。飲酒など絶対に許すな。敵地で酩酊して判断を鈍らせるようなグズは吾輩が直々に首を刎ねてやる」
「それほどまでに慎重になる必要が?」
「当然だ。吾輩たちは人類の未来のために動いているのだぞ? どれだけ慎重に慎重を重ねても足りんぐらいだ。必要なら撤退も視野に入れる。犠牲を取り戻すために犠牲を増やすなどあり得ん。勝利だけが指揮官の仕事ではない、部下を家族のもとへ返してやるのも指揮官の責任だろう」
弱き者たちが渓谷を進む。
所々に巣を構える。
良い。
それで、良い。
戯れにしても、彼女とてこうした変化は良い刺激になる。学びの機会などいくらあっても困らないのだから。
だが、しかし。
学びの機会である。
このまま正面から轢殺するのもまた、強き者に求められる戦い方ではあるのだが……それではなにも進化に繋がらない。
女王としての強さを示す必要があるとはいえ、弱き者たちの生活から様々な行動を学んできた彼女としては悩むところであった。
結論。
やはりここは試すべきだろう。
久方振りの戯れだからこそ、得難いこの機会は存分に有効活用するべきだ。
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「上から来たぞッ!? 気をつけろッ!!」
「敵襲ッ! 敵襲ッ!」
「まさか補給拠点を狙ってきた? そんな知能をインセクトが……チッ、今回の仕事は大ハズレだったか」
「リーダー、どうします?」
「んー、そうだな。────皆ッ!! 落ち着けッ!! これはただの威嚇だッ!! 冷静になって見てみろッ!! ハチどもは巨大な魔力石を落としてきただけで近寄ろうとはしないッ!! こちらから手出しをしなければ死にはしないぞッ!!」
「言われてみれば、牙をカチカチ鳴らすだけで空中で待ってますね。なんか攻撃的な意思も感じませんし。でも、こっからどうするんです?」
「そうだなぁ。あたしらの仕事は輸送隊を守ることだしなぁ。撤退すっか!」
「えぇッ?! いいんですか、そんな勝手なこと」
「いや、だって、お前。アレに勝てる気するか? あたしらの知ってるミツバチじゃねぇぞアレ。ムリムリ、全然ムリ」
「まぁ、確かに……」
「だろ? 戦いが成立しない相手に命なんか張れるかよ。それなら見逃してくれているうちに非戦闘員の避難を完了させるほうがいい」
「それは、まぁ」
「よ〜し、逃げんぞお前らッ! 情報を持ち帰るのも立派な仕事だッ! 先に進んだ連中には悪いが、全滅してコイツらの存在を知らないままでいるほうがヤバい。……ドロシー、ニナ、フレイ。許しは乞わねぇ、恨めよ」
行動にはエネルギーが必要だ。
手始めに彼女はそれを断つことを試す。
短時間で作られた簡易の巣ではあるが、それでも弱き者たちを守る城である。最奥にあるそれを狙われたとき、弱き者たちがどう動くのか観察することにしたのだ。
結果。
弱き者たちは先を進む同族を見捨て逃げ出した。
この結果には彼女も満足である。種としての生存を優先するその姿は、種の存続に責任のある女王として賞賛に値する。
弱き者は決して愚か者ではない。やはり戯れは身の程知らず、物知らずによる戯れなのだ。弱き者全てとの共存関係には全く影響しない。
ソレらの価値を再確認し、彼女は再び配下を通して弱き者たちの動きを眺める。
逃げる者は追わず、ただ黙々と退路を塞ぎ、残された哀れなソレらがどう動くのか……眷属たちの繁栄のため、優れた女王となるため彼女の観察と学習は続く。
後半へ続く。