三玖が勉強会に参加するようになってから数日が経過した。
他人の勉強を見る経験の少ない上杉は、ついつい三玖よりも成績の悪い四葉に付きっきりになることが多く、その隙を黒瀬がさり気なくカバーしていた。その甲斐あってか、三玖は得意な歴史科目以外の勉強にも意欲的に取り組んでいる。
そんなこんなで順調(?)に一週間を終え、土曜の家庭教師の日──。
黒瀬は上杉と共に中野姉妹の住む高層マンションにやって来ていた。
「うは〜、高いねぇ……」
「いいから行くぞ。時間は有限だからな」
「あ、うん」
初めて間近で見た高層マンションに、間の抜けた声を漏らす黒瀬に上杉が声を掛け、ズンズンと先に進んで行った。
上杉に付いて行った黒瀬だったが、上杉がオートロックの扉の前で立ち止まったのを見て、頭を傾げながら同じく足を止めた。
「上杉くん?」
「……かしい」
「え?」
上杉が何かを呟いたかと思うと、いきなり自動ドアのガラス戸にドンッと両手をついた。
「おかしい、何だこれ! センサー反応しろ!」
「え……ええっ!?」
「クソォ……あの五人だけでなく、お前も俺の邪魔をするのか!」
「ちょ、上杉くん!」
「止めるな、黒瀬!」
突然の上杉の強行に黒瀬が慌てて組み付いて止めようとするが、それを受けてなお、上杉の強行は止まらなかった。
上杉は黒瀬に組み付かれた状態のまま、壁面に取り付けられた監視カメラへ語り掛ける。
「あのー! 30階の中野さんの家庭教師をしてる上杉と申します!」
「上杉くん! マジで恥ずかしいからやめて……ッ!」
「──そこのドア壊れてて中に入れないんですけど!」
オートロックの前で監視カメラに語り掛ける上杉と、それを顔を真っ赤に染めながら必死に止めようとする黒瀬。
「……二人で何してるの?」
それはコンビニ帰りの三玖のひと言で終わりを迎えた。
「今時オートロックも知らないんだ」
「ま、まあ、知ってたけどな!」
「知ってたならあんな恥ずかしいことしないでよ……」
苦し紛れの言い訳を述べる上杉に、黒瀬は酷く疲れた様子で肩を落とした。
「中野さん、ありがとう。助かったよ」
「……別に。ただあのままだったら他の住人に通報されてたかもしれないし……」
「うん、それは、ほんとにそう……」
疲れたような笑みを浮かべる黒瀬から、三玖はそっと視線を逸らした。
黒のTシャツとデニムのジーンズに、黒いキャップを合わせたシンプルな格好。
初めて見る黒瀬の私服姿に居心地の悪さを感じた三玖は、さっさとオートロックを開けてエントランスホールへと向かった。
「上杉くん、どうしたの?」
三玖の後を追おうと一歩踏み出した黒瀬だったが、視界の端に立ち尽くしたままの上杉の姿を捉えると、不思議そうに首を傾げた。
「何してるの?」
三玖もそのことに気が付いて声を掛けると、上杉はハッとした様子で三玖に視線を向けた。
それを受けて、三玖はほんの少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「家庭教師、するんでしょ?」
「っ、あ、ああ……」
三玖の言葉に、上杉は少し目を丸くしながら応えた。
つい一週間前の三玖の様子を思い出し、少しずつ、そして着実に前に進んでいる実感を得る上杉だった。
◆◇◆◇◆
上杉が他の姉妹を呼びに行っている間、三玖と黒瀬はリビングのソファに座って時間を潰していた。
中野家に初めて訪れた黒瀬は、そのあまりの広さに間の抜けた声を漏らす。お上りのようにキョロキョロと室内を見回す黒瀬に、三玖はクスッと笑みをこぼした。
「そんなに珍しい?」
「うん、こんなに広い家は初めて見た」
「……ユーマの家はどんな?」
「二階建ての小さな家だよ。両親との三人暮らしだし、特に不便とかは感じないかな」
「……意外……妹とかいそうだった」
「あぁ……うん、よく言われる」
この一週間足らずで、三玖と黒瀬の間には、確かな絆が生まれていた。
あまり人とのコミュニケーションが得意ではない三玖にとって、黒瀬のどこかゆったりとした雰囲気は居心地の良いものだった。
そして、最初にリビングへ下りて来たのは五月だった。
「こんにちは、黒瀬くん」
「うん、こんにちは。お邪魔してます」
軽く挨拶を交わした五月が、部屋から持ってきた勉強道具をソファの裏側にあるダイニングテーブルへ並べていく。
「……五月も参加するの?」
「いいえ。ですが、一応彼を雇っているのは私達側なので、体裁だけは整えておこうかと」
三玖の質問に対し、淡々と『居るだけ』宣言をした五月に、黒瀬は苦笑いを浮かべた。
そして五月は、対面の椅子に見覚えのないカバンが置いてあることに気が付いた。
「これは……?」
「あ、それ、僕の荷物。元々そっちで勉強するつもりだったから……いいかな?」
「え、ええ、構いませんが……ですがいいのですか? 彼の手伝いは」
「うん。今日は元々、上杉くんとそう決めてたから」
黒瀬は中野家に向かう道中、上杉と今日の家庭教師について軽い打ち合わせをしていた。
お金で雇われているにも関わらず、三玖の勉強を黒瀬に任せっきりにしている現状を良しとしなかった上杉が、一度一人で勉強を見てみると言い出したのだ。
黒瀬は特に気にしなかったが、いずれ五人の勉強を見る予定の上杉が「今のうちに慣らしておきたい」と申し出たため、黒瀬は上杉の意思を尊重することにした。
お人好しの黒瀬に甘えていてはダメだと、今日の上杉は特に気合を入れていた。
「……ユーマ、参加しないの?」
「うん。上杉くんの仕事を奪うわけにもいかないからね」
「…………そう……」
そう小さく呟いた三玖は、少しだけ視線を下に落とした。
初めて黒瀬が参加する自宅での勉強会を、三玖は内心少しだけ楽しみにしていた。その不満を抑え込むように、彼女は膝を抱える腕に少しだけ力を込めた。
ちょうどその時、二階から上杉だけが下りて来た。
「あれ、上杉くん独り?」
「ああ。四葉は一花の支度の手伝いだ。終わったら下りて来るだろ」
「そっか。じゃあ僕もそろそろ準備しとこうかな」
「ああ、悪いな。頼む」
「あはは、気にしないでいいってば」
黒瀬はそう言ってソファから立ち上がり、ダイニングテーブルへと向かった。
自分の都合で黒瀬を振り回している現状に多少なりとも罪悪感を覚える上杉だったが、黒瀬は特に気にした素振りも見せず笑って受け流した。
ダイニングテーブルでは既に五月が自習を始めていた。そんな彼女に迷惑が掛からないよう、黒瀬はできるだけ静かにカバンから勉強道具を取り出していく。
そうして準備は済み、いざ勉強を始めようと椅子に腰を下ろしたタイミングで、対面に座る五月が頭を悩ませているのが目に入った。
黒瀬が上杉の方へ軽く視線を向けると、彼は既に三玖のテストを監督しながら単語帳を捲って自身の勉強に集中していた。加えて、上杉の位置からは五月の背後しか見えない。ふわりとボリュームのある彼女の髪では、背後から手元を見るのは不可能だろう。
そこまで考えてから、黒瀬は五月に助け船を出すことにした。
「この公式、もうちょっとよく見てみて?」
「っ、え……?」
五月の手元の教材の一点を指差しながら黒瀬が言った。黒瀬はぽかんと見つめてくる五月と一度目を合わせると、もう一度教材に視線を落とした。
「ほら、求めてるのはこの値でしょ? 判明してるのはココとココ、あとココだよね?」
「え、ええ…………あっ」
「気付いた?」
「えっと…………こう、ですか?」
「うん、正解。それで解いてみて?」
黒瀬が軽く微笑みながらそう言うと、五月は問題を解き進め、出た答えを模範解答で確認した。
「合ってる……あの、ありがとうございました」
「うん、どういたしまして。また分からない所があったら、いつでも声掛けてよ」
「いえ、ですが……それだと黒瀬くんの勉強の邪魔になってしまいます」
「あぁ、それなら気にしなくていいよ。教えることで僕の復習になったりするからさ、むしろこっちからお願いしたいくらい」
そう言って黒瀬は、はにかむような笑みを見せた。
実際、黒瀬は三玖の勉強を見るようになってから、明らかに教えた部分に対する理解が深まっていることに気付いていた。常に独りで勉学に取り組んできた黒瀬にとって、これは新たな発見だった。
「……では……その時は、お願いします」
「うん。こちらこそ、お願いします」
五月はしばらく逡巡した後、やがて黒瀬に軽く頭を下げた。
元々、五月は勉強を教えてもらうこと自体には抵抗が無い。上杉
お互いに軽く頭を下げ合った後、五月は再度手元の教材へと意識を向けた。
「(真面目で不器用……それでいて、意地っ張り……)」
正面を向く黒瀬の視界に映るのは、黙々と問題に取り組む五月と、その奥で単語帳を捲っている上杉の姿……。
「……ほんと、似た者同士」
黒瀬は口元に薄っすらと笑みを浮かべながら小さく呟いた。
「? 何か言いましたか?」
「ううん、なんでもない」
不思議そうに首を傾げる五月に、黒瀬は首を振って誤魔化した。
ちょうどその時、二階から四葉が一花の手を引きながら下りて来た。
「あっ、黒瀬さん、こんにちは! そしていらっしゃいませ!」
「ふぁ~……おはよ~、ユーマくん」
「も、もう昼すぎだよ……? うん、こんにちは。お邪魔してます」
それぞれの挨拶に、黒瀬は笑顔で応えた。
「やっと来たか。もう始めてるぞ。今日はまず、このプリントからだ」
「はーい! って、三玖!? いつの間に!?」
元気よく手を上げる四葉だったが、既に机に向かっている三玖を視界に捉え、オーバーなリアクションを取った。
しかし三玖はそんな四葉を気にも留めず、ただ黙々とプリントに取り組んでいた。
「…………」
「あ、あれ? 三玖、なんか怒ってる……?」
「…………別に」
そう短く呟いた三玖の様子は、表情こそ大きな変化はないが、明らかに不貞腐れていた。一花に視線で助けを求める四葉だったが、一花も何が何やら分からないといった様子で肩をすくめることしかできなかった。
続いて黒瀬に助けを求めようとした四葉だったが、ふとあることに気が付いた。
「あれ? 黒瀬さんは参加しないんですか?」
「あぁ、うん。今回、僕は不参加だよ」
「えぇー!? ど、どうしてですか!?」
「うん、まあ……色々とね」
特段隠してもいないため説明してもよかったが、一から説明すると家庭教師の時間が減ってしまうことを考慮して、黒瀬は言葉を濁した。
なおも追及を続けようとした四葉だったが、上杉の一喝で慌ててプリントに取り掛かり始めた。
一問目から頭を悩ませる四葉を横目に、上杉はいつの間にかソファを枕にして目を瞑っている一花へ視線を向けた。
「一花、お前もコイツらを見習って少しはやってみたらどうだ?」
「えぇ~……私は、ほら。寝起きだし、見てるだけでいいよ~……」
今にも寝てしまいそうなほど気の抜けた声で言う一花に、上杉は大きなため息を吐いた。
「(色々問題はあるが、最初に比べれば急激な進歩だ。コイツらだって人の子……優しく接すれば、理解し合えるんだ。そして何より……)」
上杉がダイニングテーブルの方へ視線を向けると、自習中の五月と黒瀬の姿が目に入った。
「黒瀬くん、ここなんですが……」
「あぁ、そこはね……この問題もさっきと一緒で、まず何を求めるかを明確にして……」
「え、えっと…………こう、ですか?」
「うん、正解。文章問題は慌てず、何が分かって何が分からないのかを整理したら理解しやすいよ」
「なるほど……ありがとうございます」
ダイニングテーブルから聞こえてくる二人のやり取りに、上杉はあくどい笑みを浮かべた。
「(俺が五月に避けられている今、黒瀬がそれとなく五月の学力をフォローしてくれている。もちろん、このままではいかんだろうが……三玖のように黒瀬きっかけで勉強会に参加してくれるようになるかもしれん。だから、今のうちに俺も家庭教師として力を付けておかなくては……!)」
少なくない打算と確かな決意を胸にする上杉のすぐそばには、頬を目一杯膨らませて「ズモモモ……」と不機嫌オーラを放出している三玖の姿があった。
「…………」
「み、三玖……? やっぱり、なんか怒ってる……?」
「………………別に」
真隣から伝わってくる悶々とした空気に、さすがの四葉も居心地の悪さを感じていた。
「(だ、誰か助けて~……!)」
その切なる願いが天に届いたのか、階上から声が響いた。
「まーだいたの~?」
その声のもとに、リビングにいた全員の視線が集まった。
「また懲りずに家庭教師してるんだ。この前みたいに、途中で寝ちゃわなきゃいいけど」
「二乃……(あれはテメェが薬を……! おっと、いけない。優しく……優しく……)」
二階の吹き抜けからこちらを見下ろす二乃に、上杉は忌々し気に声を漏らした。しかしすぐに心を落ち着かせると、喉元まで出かかった不満をギリギリで呑み込んだ。
二乃は上杉から視線を外し、ダイニングテーブルに座る黒瀬を見た。
「てゆーか、なんか一人増えてるし」
「あぁ、うん。お邪魔してます」
「そこの家庭教師はパパが許可出したからまだいいとして、アンタはそれ以前の問題じゃない。アンタ一体誰の許可得て私たちの家に上がり込んでるわけ?」
「あぁ~、あはは……」
痛い所を突かれた黒瀬は、苦笑いをこぼすしかなかった。
黒瀬は上杉の友人だが、中野家の家庭教師に参加する正当な理由は無い。家庭教師という立場を使って上杉が招き入れたとあっては、雇い主である父親からの信用を失うことにも繋がりかねない。黒瀬としても、それだけは絶対に避けなければいけなかった。
どう言い訳しようか頭を回してしていると、静かな室内に落ち着いた声が響いた。
「私が招いた」
「…………は?」
声を上げたのは三玖だった。
二乃はまさかの助け船に間の抜けた声を漏らした。
「だから、私がユーマを家に上げた」
「は、はあ!? なんで……ッ!?」
「なんでって……二乃に言われたから」
「はあッ!!?」
三玖の返答に、二乃は驚きの声を上げた。
「この前ユーマと話してたら帰りが遅いって怒られたから、時間を気にしなくていいうちに呼んだの」
「なっ……!?」
淡々と放たれた三玖の言葉に、その場の誰もが目を見開いた。
先週、三玖の帰りが不自然に遅かった日は確かに一日だけあった。そしてその時、三玖からは「友人」としか聞かされていなかった。その友人が黒瀬だったことを、今日初めて告げられたのだ。
二乃がバッと黒瀬へ視線を戻すと、黒瀬もまさか三玖から助け船が出されるとは思っておらず、困惑したような、ほっとしたような表情を浮かべていた。
いくら家族とはいえ、二乃に三玖の交友関係にまで口出しする権利は無い。黒瀬を使って上杉もまとめて家から追い出そうと画策していた二乃は攻め手を失い、ただ睨むことしかできなくなってしまっていた。
二乃が三玖を睨み、三玖が二乃をじっと見つめる。五月が驚愕したまま黒瀬を、四葉が黒瀬と三玖を交互に見て、一花が「へぇ~」と興味深げに三玖へ視線を向けていた。
上杉はと言うと、黒瀬の他人と円滑にコミュニケーションを取る能力の高さを知っていたため、納得の方が大きいといった様子だった。
何とも言えない空気が続く中、最初に声を上げたのは上杉だった。
「どうだい! 二乃も一緒に!」
「ッ……死んでもお断りよ……ッ!」
「ハハハッ! そうか!」
上杉の芝居がかった誘いを、二乃は怒気を滲ませながら切り捨てた。しかし上杉はそんな二乃の様子を見て、先日の睡眠薬事件の溜飲が僅かに下がったような気がした。
「さっ、今日は俺たちだけでやろう! 分からない所があったら、何でも聞いてくれ!」
「はい! 上杉さん! ここが分かりません!」
「おお! どれどれ~……ってまだ一問目じゃねぇかッ!!」
芝居がかった言い方を続ける上杉だったが、四葉のプリントの進み具合を見て一瞬でいつもの調子に戻った。
二乃は一度大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、階段を下りつつ口を開いた。
「そうだ四葉。バスケ部の知り合いが大会の臨時メンバーを探してるんだけど、アンタ運動できるんだし、今から行ってあげれば?」
「いっ、いい今から!? えっと、でも……」
「なんでも五人しか居ない部員の一人が骨折しちゃったみたいで、このままじゃ大会に出られないらしいよ~? 可哀そうに……」
「っ……!」
「ハ、ハハ……そんなのやるわけ……」
上杉が冷や汗を垂らしながら恐る恐る四葉の顔を覗き込めば、その表情が物悲しそうに歪んでいくのが見て取れた。
上杉の内心に影が落ちるのもお構いなしに、二乃がわざとらしく続ける。
「頑張って練習してきただろうに、あぁ可哀そう……」
「よ、四葉……?」
上杉が声を掛けると、四葉はその場で勢いよく立ち上がって頭を下げた。
「上杉さん、すみません! 困ってる人をほっといてはおけません!」
「あ、ちょっ! 四葉!」
四葉は言い終わるや否や全速力で駆け出し、上杉の静止はバタンッという玄関扉の閉まる音によって無慈悲にも遮られた。
「嘘だろ……?」
「あの子、断れない性格だから」
「クッ……アイツもか……ッ!」
一花の補足を聞いた上杉は、中途半端に伸ばした手をグッと強く握り締め、忌々し気に呟く。その様子を見た黒瀬は、気まずそうに上杉から顔を逸らした。
「一花も2時からバイトって言ってなかったっけ?」
「わあああ、いっけない! 忘れてた!」
一花が時計を見上げると、時刻は1時40分を指していた。上杉は慌てて二階へと駆け上がって行く一花を見送ると、状況が呑み込めないのか「えっ……?」と小さく声を漏らした。
「五月も、こんなうるさいとこより図書館とか行った方がいいよ」
「……それもそうですね」
五月はそう言って立ち上がり、自身の勉強道具をまとめ始めた。その様子に二乃は満足気に笑みを浮かべるが……。
「そういう訳ですので黒瀬くん。よければ図書館で一緒に勉強をしませんか?」
「なッ!?」
「え……?」
五月の放ったひと言に、二乃は驚愕の声を上げた。そして、疑問と困惑が入り混じった声にならない声は、三玖の口から漏れ出たものだった。
「えっと……僕?」
「ええ。教え方も分かりやすかったですし、黒瀬くんさえよければ、ですが……」
「あぁ~、うん、ごめん。僕も夕方からちょっと用事があって、また時間がある時にってことでいいかな?」
「そうですか……では、またその時に」
軽く会釈をして去って行く五月の後ろ姿を、黒瀬は笑顔で、二乃は信じられないといった表情で、三玖は静かにじっと観察するように見送った。
上杉は姉妹(生徒)が次々と減っていく現実を受け止め切れず、ただ呆然と立ち尽くすのだった。