一花と五月が家を出て行った後、四人だけとなったリビングで上杉が声を上げた。
「ヨーシ、オマエラー、アツマレー。ジュギョーヲハジメルゾー」
「……フータロー、現実を見て。もうみんないない」
「っ、クッ……!」
三玖の淡々としたツッコミを受け、上杉はガクッと項垂れた。
そして二乃をキッと鋭く睨みつける上杉だったが、二乃はそれを軽く流して勝ち誇ったような笑みを浮かべるだけであった。
「(二乃の奴、毎度邪魔しやがって……ッ! 一体何が目的だ……!?)」
「あれ~、三玖~? まだいたんだ~。間違って飲んだアタシのジュース買って来なさいよ」
「それならもう買って来た」
「え……?」
三玖がローテーブルの一角に置かれたレジ袋を指差しながら言うと、二乃は間の抜けた声を漏らした。
「そんなことよりフータロー、プリント終わったから採点して」
「よし、切り替えていこう。採点が終わったら、後は間違った所の復習だ。それまでは軽く休んでおけ」
「分かった」
プリントの採点を始めた上杉を横目に、三玖は立ち上がり黒瀬のもとへ向かった。その間、二乃はレジ袋の中から『抹茶ソーダ』の缶を取り出し、困惑と疑問で顔を分かりやすく歪めていた。
「抹茶ソーダって……ちょっと三玖! っ……!」
「お疲れ様。どうだった?」
「……あんまり。でも、歴史問題は鎌倉時代が中心だったから、いつもよりは解けたかも」
「へぇ~、鎌倉時代か……
「うん、そうかも。天狗から剣術を教わったり、弁慶を返り討ちにして家来にしたり……」
「あぁ、あと、個人的に好きなのはやっぱり戦関連の話かな。例えば──」
「ふふっ、うん。私もそれ好き。あと私は──」
二乃がバッと振り返って三玖を見れば、そこには楽しそうに雑談をする三玖と黒瀬の姿があった。
知り合ってから僅か一週間足らずとは思えないほど打ち解けている二人の様子に、二乃はほんの少しだけ衝撃を受けた。姉妹として三玖のことを熟知している二乃にとっても、それは大変珍しいことであった。
「……アンタら、どうやってそんなに仲良くなったわけ?」
「おい、三玖。採点終わったぞ」
二乃が二人に詰め寄るとほぼ同時に、採点を済ませた上杉がプリント片手に近寄って来た。しかしそんなことなどお構いなしに、二乃は続ける。
「えぇ~? こういう地味な感じの男が好みだったの?」
「コイツ今酷いこと言った」
「あ、あはは……」
黒瀬を指差しながら言う二乃に上杉からの冷静なツッコミが入った。
「……二乃はメンクイだから」
「お前も地味に酷いな……」
「ハァ? メンクイの何が悪いんですかぁ~?」
二乃が三玖のそばに立っていた上杉を押しのけながら更に詰め寄る。たたらを踏む上杉を、黒瀬は椅子に座ったまま咄嗟に片腕で支えた。
「外見より中身とか言いたいわけ?」
「だったら?」
両者一歩も引かず、空気は少しずつ張り詰めていく。
二乃が自身の尖った爪を三玖の胸に軽く突き立てると同時に、黒瀬はサッと二人から顔を逸らした。
「なーるほどぉ。外見気にしないからこんなダサい服で出かけられるんだ」
「この尖った爪がオシャレなの?」
「アンタには分かんないかなー」
「分かりたくもない」
「お、お前ら、姉妹なんだから仲良くしろよ」
女の子同士の喧嘩特有のピリピリとした空気に耐え切れなくなったのか、上杉が恐る恐るといった感じで仲裁に入った。他人との円滑なコミュニケーションを得意とする黒瀬だが、こと争い事の仲裁に関しては期待できないと、上杉は理解していた。
「外見とか中身とか、そんなの“今は”いいだろ? それに、外見で言うならコイツだって──」
「わあああああ!! 上杉くん!?」
上杉が言い切る前に、黒瀬は慌てて立ち上がり彼の口元を手の平で覆った。
いきなり大声を上げた黒瀬に、二乃と三玖は一瞬肩をビクッと震わせ、取っ組み合いをする男子二人へ視線を向けた。
「ビックリした……」
「何なのよ、いきなり大声なんか出して……」
幸いにも、二乃と三玖はその衝撃で落ち着きを取り戻していた。
二乃が呆れたように、三玖がじっと静かに二人を眺めていると、上杉のお腹から空腹を報せる虫の音が鳴り響いた。
その音はその場にいる全員の耳に届いており、二乃は何かを思いついたかのように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ三玖の言う通り、中身で勝負しようじゃない。どっちが家庭的か、料理対決!」
「な、なんで……?」
「さ、さぁ……?」
二乃の突拍子のない提案に、上杉は黒瀬の拘束を解きながら困惑の声を漏らす。黒瀬も状況に付いていけず、曖昧な表情で首を傾げた。
「アタシが勝ったら、今日は勉強ナシ!」
「そ、そんなのやるわけないよな……?」
「フータロー、ユーマ。すぐに終わらせるから座って待ってて」
「お前が座ってろ!」
「あはは……アレ、負けず嫌い出ちゃってるね……」
上杉の静止の声に聞く耳を持たず、三玖は腕まくりをしながらキッチンへと向かった。その姿を見て、黒瀬の脳裏に初めて二人で帰った放課後、自慢の歴史問題を易々と答えられた時の三玖の拗ねたような表情が過った。
黒瀬が並んでキッチンに立つ二人へ視線を向けると、しばらくしてあることに気が付いた。
親の仕事の都合で多少料理を嗜んでいる黒瀬から見れば、三玖の動きはお世辞にも良いとは言えないものだった。しかし、だからこそ浮き彫りになるものもあった。
三玖が作業をしやすいように敢えてスペースを譲ったり、三玖の動線の邪魔にならないよう敢えて遠回りをしたり、三玖の料理の工程を先回りして調理器具の置き場所を取りやすい位置に置き変えたり……それらを自身の料理の手を止めることなく、気付かれないようさり気なく熟していた。
「ふふっ……(根はいい子なんだろうな……)」
二乃のその不器用すぎる優しさに、黒瀬は小さく笑みをこぼした。
「なに笑ってんだよ……?」
「あぁ、いや、何でもない」
突然笑い出した黒瀬に怪訝な眼差しを向ける上杉だったが、黒瀬に薄く笑みを浮かべたまま上機嫌そうに返されたため、深くため息を吐いた。
「悉く上手くいかない……」
「うん、まあ……また次があるよ」
項垂れる上杉に、黒瀬は慰めの言葉を掛けるのだった。
◆◇◆◇◆
しばらくして、二人は出来上がった料理を上杉と黒瀬の前に差し出した。
「じゃーん! 旬の野菜と生ハムのダッチベイビ~!」
そう言って百点満点の笑顔を向ける二乃の料理は、小さな鉄製フライパンに綺麗に盛り付けられたダッチベイビー──シュー生地のような食感が特徴のドイツ風パンケーキ──を、おかず風にアレンジした皿だった。
「お……オムライス……」
対して恥ずかしそうに視線を落とす三玖の料理は、二乃とは対照的にお世辞にも、とても美味しそうには見えない出来だった。不揃いに切り刻まれた野菜や所々焦げが目立つ卵、チキンライスのケチャップの分量が多いのか、見て分かるくらいにべちゃっとしていた。
「さっ、どっちが美味しいかジャッジしてよねっ」
自信満々に胸を張る二乃の瞳は、揺るぎない勝利を確信しているようだった。
「……やっぱいい、自分で食べる……!」
「せっかく作ったんだから食べてもらいなよ~」
耐え切れなくなって声を上げる三玖を、二乃はニヤニヤしながら見つめる。
「「いただきます」」
上杉は貧乏性ゆえのもったいない精神から、黒瀬は自分たちの為に作ってもらったものを食べないわけにはいかないという心根から、二人は揃って手を合わせた。
そして二人は用意された小皿にそれぞれの料理を取り分け、口に入れた。
「…………」
「…………」
二乃の料理、三玖の料理と順番に味わっていく二人の様子を、二乃は自信満々に、三玖は不安そうに見つめていた。そして……。
「うん。どっちも普通に美味いな」
「「えっ……?」」
最初に味の感想を述べたのは上杉だった。
上杉の家は父子家庭であり、小学生の妹が幼い頃から炊事を担当していた。当然、最初の頃は失敗も多く、食卓に失敗作の料理が並ぶことも珍しくなかった。その料理を、兄である風太郎は「美味い、美味い」と言いながら残さず食べ続けてきたのだ。妹を悲しませないために。
その結果、上杉の舌は一種の自己催眠状態に陥り、『美味しい』と感じる下限値が大幅に下方修正されたのである。
「本当だ。どっちも普通に美味いぞ」
「はあ!? そんなわけ……ッ!!」
抗議の声を上げようとした二乃だったが、視界の端で未だ不安そうにしている三玖の姿を捉えた。そしてそんな三玖の視線の先に、もう一人の審査員である黒瀬の姿があった。
「あ、アンタは!? どっちの方が美味しい!?」
声を掛けられた黒瀬は、口の中のものを残さず呑み込んでから口を開いた。
「うん。僕も、どっちも美味しいかな」
「「っっ……!」」
笑顔で言い放つ黒瀬に、二乃は思い通りにいかない怒りに顔を歪め、三玖は驚愕に目を見開いた。
「ダッチベイビーはおかずアレンジとして、味付けなんかもしっかり寄りに調整されてて美味しいし。オムライスの方は少し見た目は悪いけど、味付けは微調整されてしっかりと美味しくなるように作られてる……うん。やっぱり、どっちも美味しいね」
黒瀬の続く言葉に、二乃はぐっと言葉を呑み込んだ。
対して三玖は、その緩んだ口元と赤く染まった頬を黒瀬から隠すように、両手を顔の前で軽く合わせた。
黒瀬は上杉と違い、どちらかと言うと味覚は敏感な方である。しかしだからと言って、自分の為に作ってくれた料理を酷評することなど、黒瀬にはできなかった。加えて自分の発言が再び争いの種になりかねないとあっては、黒瀬の答えは最初から決まっていた。
「……それにこのダッチベイビー、見た目は結構重そうに見えるけど、実際は軽くてペロッと食べられるんだよね。それでいてお腹自体には溜まりやすいから、お腹を空かせた上杉くんにはピッタリの料理かも……即席でそこまで考えてメニューを選べるの、本当に凄いと思う」
「ッッ……!!」
『食べる相手のことを考えて料理をする』──料理人として大切なことのひとつである。
二乃が無意識に行った料理人としての気遣いを言い当てられ、素直に称賛されたことへの気恥ずかしさから、彼女の顔は瞬く間にカァーっと赤く染まった。
黒瀬は再度お皿から二乃の料理を掬い上げると、口に入れた。
「ッ、何それ! 意味わかんないッ!!」
二乃は顔を真っ赤にしながらそう声を上げると、逃げるように自室へと戻って行った。
◆◇◆◇◆
上杉と黒瀬が食事を済ませた頃には、既に日は傾き始めていた。
「もう遅くなっちまったな……まんまと二乃の策に嵌っちまったわけだ」
シンクで皿洗いをする黒瀬からお皿を受け取り、布巾で水気を拭き取りながら上杉が呟いた。
「まあまあ……ご飯代が浮いただけでもよかったんじゃない?」
「……まあ、否定はしない」
黒瀬の言葉を、上杉は顔をしかめながらも肯定した。
「とりあえず、今回は出直すとするわ」
「……ごめん」
上杉が水気を拭き取ったお皿を水切り籠に仕舞いながら言うと、三玖は気まずそうに謝罪の言葉を口にした。二乃の提案に真っ先に乗ってしまった彼女は、少なからず罪悪感を感じていた。
「中野さんが謝ることじゃないよ。今日一番真面目に家庭教師受けてた優等生なんだからさ」
「……でも、私が勝負に乗らなかったら……」
「──三玖さん」
ダイニングキッチンのカウンターを挟んで真正面。初めて名前で呼ばれた三玖がハッと顔を上げると、黒瀬が三玖の目を真っ直ぐ見つめていた。
しばらくじっと目を合わせていると、黒瀬が柔らかく笑って首を傾げた。
「料理勝負、楽しかった?」
「え……?」
黒瀬の言葉を受け、三玖は先ほどの料理勝負の様子を振り返る。
最初はユーマを悪く言った二乃への苛立ちと、純粋に『負けたくない』という対抗心からだった。料理で二乃に挑むのは無謀だと頭では理解していたけど、言われっぱなしで終わるのは、どうしても我慢ならなかった。
料理を始めて冷静になってくると、自分の不出来な料理をユーマに食べさせるという事実に気付き、徐々に不安感が募っていった。美味しくないと思われたらどうしよう……そう思い始めたら止まらず、何度も失敗を重ねてしまい、泣きたくなった。
完成した不格好な料理を出して、二人に食べてもらっている間も全力で逃げ出したかった。フータローに「美味い」と言われても不安感は拭えず、ユーマの言葉を待った。そして……。
──『うん。僕も、どっちも美味しいかな』
──『オムライスの方は少し見た目は悪いけど、味付けは微調整されてしっかりと美味しくなるように作られてる……うん。やっぱり、どっちも美味しいね』
その言葉を聞いた瞬間、料理を完成させるまでの全ての苦労が報われたような気がした。
何度も何度も味見をして、少しでも美味しくなるようにした小さな悪あがき……それに気が付いたうえで「美味しい」と言ってくれた。
「…………うん……悪くは、なかったかも……」
三玖は薄く頬を染め、胸の温もりを噛み締めるように微笑んだ。
それを見届けると、黒瀬は「そっか……」と一度言葉を切り、皿洗いを再開しながら続けた。
「最後にそう思えるってことは、少なくとも中野さんにとって、今回の料理勝負はいい経験になったんじゃないかな? それこそ、勉強なんかよりよっぽど」
「おい、聞き捨てならんぞ。なんかとはなんだ、なんかとは」
「うん、上杉くんならそう言うだろうと思ったよ」
すかさず横やりを入れてくる上杉に、黒瀬は「やっぱりね」といった笑みをこぼした。
そして、上杉が最後の皿を水切り籠に仕舞い終えると、彼は二階の二乃の部屋へそっと視線を送った。
「……正直、アイツと分かり合える日が来るとは思えん」
「そんなことない……と、思う」
上杉の呟きに三玖が曖昧に返した。
「ちゃんと誠実に向き合えば、分かってくれるよ」
「誠実にって……どうすりゃいいんだよ」
「私に言われても分かんない」
「…………」
「……いや、そこで僕を見られても……僕も分かんないからね?」
無言でじっと見つめてくる上杉に、黒瀬は苦笑いを浮かべた。
「ダメか……お前ならもしかして、と思ったんだがな……」
「上杉くんの中の僕ってどんだけ過大評価されてんの……」
実際、上杉は人間関係のことに関して、黒瀬以上に熟知している人間はいないと思っている。自分では相談に乗ってやれない
「なあ、三玖。教えてくれ。二乃に俺を認めさせるにはどうしたらいい?」
上杉が二乃の姉妹である三玖にそう問い掛けると、窓の外をじっと眺めていた三玖が振り返り薄く笑みを浮かべた。
「それを考えるのが、フータローの仕事でしょ?」
その言葉に、上杉が僅かに目を見開いた。
三玖はその様子を見て口元の笑みを更に深めると、言葉を続けた。
「前にユーマが言ってたよ。みんなのやる気をゼロからイチにするのがフータローの仕事だ、って」
「……お前そんなこと言ってたのか……?」
「あぁ、まあね。でも、その通りでしょ?」
「……確かにな」
上杉は一度考え込むように瞼を閉じ、腕を組んだ。そしてそのまま数拍置いた後、開けた目で正面に立つ三玖の姿を真っ直ぐ見据えた。
「……いいだろう。日給25,000円の高給バイトのためだ……二乃だろうが何だろうが、一人残らず引っ張り出してやる……!」
上杉の瞳の奥に、使命感にも似た強い意志の炎が宿っていた。
上杉家の家計の為、ひいては妹の笑顔の為、上杉は決意を新たにするのだった。
◆◇◆◇◆
その後、上杉と黒瀬の二人は中野家から出て、マンションのエントランスホールを歩いていた。
「──とは言ったものの、目下の課題は二乃の妨害行為なわけだが……どうしたものか……」
顎に手を当て必死に頭を回す上杉のすぐ後ろを、黒瀬が静かに追従する。
かつて『人付き合いを不要なもの』と切り捨てていた上杉からは想像もつかないその姿に、黒瀬は微笑まし気な笑みを浮かべていた。
「……クソッ、分からん。こういう時は英単語でも覚えて、思考をリセットしなければ……」
「日本広しと言えど、そんなことする学生は上杉くんぐらいだろうね……」
オートロック付きの自動ドアをくぐったタイミングで、限界を迎えた上杉がポケットから単語帳を取り出そうとした。しかし……。
「あっ、しまっ……!」
何かに気が付いて引き返そうとした上杉だったが、その行く手は来た時同様、オートロックの自動ドアに阻まれてしまった。
「どうしたの?」
「……単語帳をアイツらの家に忘れてきた……」
「あらら……」
悔しそうに項垂れる上杉を横目に、黒瀬がスマホの画面を確認すると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめん、上杉くん。僕、もうそろ帰らないと」
「ん? ああ、気にするな。元々その予定だったし、コレの開け方はもう分かったからな。三玖にでも開けてもらうさ」
元々黒瀬は、この時間には用事でひと足先に帰宅する予定だった。
それが不測の事態──二乃による妨害で、上杉もこの時間に帰宅することになってしまったが、黒瀬の予定自体は何事もなく健在だった。
「じゃあな、黒瀬。今日は助かった。また頼む」
「うん、また」
黒瀬にお礼と別れの挨拶を済ませ、呼び出し用の集合玄関機へと向かう上杉の後ろ姿に、黒瀬は「上杉くん」と声を掛けた。振り返って首を傾げる上杉に、黒瀬は言葉を続ける。
「僕からのちょっとしたアドバイス……他人と上手く付き合うためのコツは、相手の大切にしているものを見つけることだよ」
「大切にしているもの?」
「うん。上杉くんで言ったら、妹のらいはちゃんとか」
上杉は「その通りだ」と言わんばかりに大きく頷いた。
「上杉くんは、らいはちゃんが褒められたりすると嬉しくなるよね?」
「当然だ」
「じゃあ逆に、もしらいはちゃんが悪く言われたりしたら?」
「ソイツを殺す。」
真顔で淡々と即答する上杉に、黒瀬は苦笑いを浮かべた。
「ま、まあ、要は……その人の大切にしてるものさえ見つけてしまえば、仲良くなるのも、逆に嫌われるのを比較的簡単になるってこと」
「……なるほどな」
そう言って再度顎に手をやって考え込む上杉を見て、黒瀬はもう一度優しく笑みを浮かべた。
「それじゃあ、またね、上杉くん。頑張って」
「あ、おう。またな」
黒瀬は上杉と軽く手を振り合うと、自動ドアを通ってマンションの外に出た。手元のスマホを確認すると、予定よりは遅いが、歩いて向かっても十分余裕のある時間帯だった。
黒瀬はスマホをポケットに仕舞い、歩き出す。
脳裏に浮かぶのは料理勝負の一幕──淀みのない手つきで自身の作業を片付けながら、さり気なく三玖のフォローに回っていた二乃の姿。
喧嘩中の相手へ向けるには不自然すぎるほど、その気遣い全てに彼女の優しさが溢れていた。
彼女の普段のつっけんどんな態度とのギャップに、黒瀬は思わず「ふふっ……」と笑みをこぼした。
そして同時に。
「……うん……やっぱいいな、ああいうの」
自分には無い『それ』を、酷く羨ましく思うのだった。