5話
家庭教師が料理勝負で流れた次の日、中野家にて──。
最愛の妹であるらいはの『花火大会に行きたい』という願いを叶えるため、上杉は休日返上で五つ子たちの宿題を監督していた。
「誰か一人でも終わらせられなければ、連帯責任として、全員花火大会には行かせないからな!」
「みんな、頑張って!」
「も~! 花火大会始まっちゃうわよ~!!」
上杉兄妹の激励(?)の言葉を受け、二乃は心の底から嘆きの声を上げた。
今は日曜日の夕方……その時点で宿題を終わらせていない彼女らも多少納得するところはあるのか、なんだかんだ言いつつも大人しく宿題を進めていた。
「お兄ちゃん! みんなで花火大会に行くんだよね!?」
「ああ、コイツらが全員宿題を終わらせられたら、だけどな」
「クッ……! らいはちゃんをダシにするとは卑怯な……ッ!」
五人の中の末っ子である五月は、らいはのことを特別可愛がっていた。そのらいはの願いを叶えるため、五月は悔しそうに顔を歪めながらもペースを上げていった。
その様子に、上杉は「してやったり」と笑みを浮かべた。
「じゃあさ、お兄ちゃん! 悠真さんも呼んでいい!?」
らいはのその言葉に、宿題を進めていた三玖と五月の手がピタリと止まった。
「ああ、一応呼んでみるか。アイツもよっぽどのことがない限り、来てくれるだろうからな」
「やったー! じゃあ、連絡してみるね!」
らいはがそう言ってリビングから出て行くと、すぐに廊下の方から嬉しそうに電話をする彼女の話し声が聞こえ始めた。
「嬉しそうですね……黒瀬くんとらいはちゃんは、以前から親交が?」
「まあな。初めて会った時から、えらく懐いてたぞ」
五月の言葉に、上杉は初めて黒瀬と話した時のことを思い出し、「ふっ……」と小さく笑みをこぼした。ちょうどその時、電話を終えたらいはがリビングに戻って来た。
「お兄ちゃん! 悠真さん、少し遅くなるけど来てくれるって!」
「おお、そうか! よかったな~、らいは。後はお姉ちゃんたちが宿題を終わらせられれば、みんなで花火大会に行けるな!」
「うぐっ……!」
わざとらしく声を上げる上杉に、五月は顔をしかめつつも手を動かし始めた。
「楽しみだなぁ……花火大会!」
らいははそう言って、みんなで行く花火大会に思いを馳せた。それを見た五月が宿題を片付けるペースを更に上げた。そしてそのすぐ隣では、五月に負けず劣らずのペースで宿題を片付ける三玖の姿があった。
◆◇◆◇◆
黒瀬がやって来たのは三玖と五月の宿題が片付き、他の三人の宿題も終わりに近づいてきた頃だった。
「おじゃまします」
「あっ、悠真さん! こんばんは!」
「うん、こんばんは、らいはちゃん。遅くなってごめんね」
リビングに入って来た黒瀬にらいはが駆け寄ると、黒瀬は軽く中腰になって目線を合わせながら挨拶を返した。そして黒瀬はそのまま慣れた手つきでらいはの頭を軽く撫でた。
「悪いな、急に呼び出して。結構遅かったが、何か用事でもあったんじゃないか?」
「ううん、暇してたから全然いいよ。むしろ誘ってもらえて嬉しいくらい。遅くなったのは……ちょっと夕飯の買い出しにね」
そう言って、黒瀬は上杉に曖昧な笑みを浮かべた。
黒瀬がらいはの頭の上から手を退かすと、らいはは何かに気付いたように「あれ?」と声を漏らした。
「そういえば、悠真さん。今日はいつもと違っ──」
「らいはちゃん……っ! シーッ! シーッ!!」
「──あっ!」
らいはが何かを言おうとするのを、黒瀬が慌てて小声で止める。必死に口の前で人差し指を立てる黒瀬に、らいはも何かを思い出したかのようにパッと口元を両手で塞いだ。
そして、らいはが恐る恐るといった様子で背後を振り返ると、先のやり取りを何事かと眺めていた中野姉妹──自室で支度中の五月を除く四人と目が合った。
黒瀬の服装は長袖のグレーのTシャツの袖を軽くめくり、それにジーパンを合わせたシンプルなもので、髪型も服装も特段変わった箇所は見受けられなかった。それを『いつもと違う』と評したらいはに、四人は多少なりとも疑問を抱かずにはいられなかった。
「こ、こんばんは……みんな、浴衣似合ってるね……」
中腰のまま引きつった笑顔を向ける黒瀬。動揺の表れか、彼のいつも掛けている黒縁の眼鏡はずり落ちかかっていた。
そして一花と二乃が宿題を再開するのを見届けると、黒瀬はほっと小さく息をついた──直後。
「らいはちゃん!」
「は、はい!」
四葉がバンッ!と机を叩いて立ち上がり、一瞬でらいはにすり寄って来た。
「女同士の約束です! 絶対誰にも言いませんので、私にも何を隠しているのか教えてください!」
「うん、それ絶対僕の目の前でやることじゃないよね……?」
隠し事を堂々と又聞きしようとする四葉に、黒瀬は苦笑いを浮かべた。
「ひ、秘密です!」
「そこをなんとか! ほら、黒瀬さんからも何か言ってください!」
「そこで僕に振るのはもっとおかしくないかな!?」
「おい、四葉。お前……当然宿題は終わらせたんだよな?」
まったく諦める様子の無い四葉だったが、上杉が彼女のトレードマークである頭のリボンを背後から掴み上げると、彼女はビクッと肩を大きく震わせて動きを止めた。
そしてその更に後ろから二乃の声が掛かる。
「ちょっと四葉! あとアンタだけなんだから、さっさと終わらせちゃいなさい! 花火大会もう始まっちゃってるわよ!」
「は、はーい! ほ、ほら、上杉さん。私、宿題を終わらせなきゃいけないので、その、リボン……は、放してくれませんか……?」
ギギギギとゆっくりと背後を振り返る四葉が見たのは、青筋を浮かべながらこちらを見下ろす般若(上杉)の顔だった。
「お・ま・え・が、宿題そっちのけで遊んでるからだろうがーッ!!」
「わわわわわっ、ご、ごめんなさーい!」
「さっさとやれッ!!」
頭のリボンを掴みながらぐるぐるとかき混ぜるように回す上杉に、四葉は目を回しながら謝罪の声を上げた。
その後無事(?)解放された四葉は、「ひ、酷い目にあった……」と若干フラフラしながら残りの宿題に取り掛かるのであった。
それを眺めながらほっと小さく息をついた黒瀬は、服の裾をくいっくいっと引っ張るらいはに顔を寄せ、小声で話し掛けた。
「どうしたの?」
「あの……ごめんなさい……私のせいで……」
申し訳なさそうに瞳を伏せるらいはの頭を、黒瀬は優しい手つきで撫でた。そして笑顔で口を開く。
「大丈夫だよ。別に、絶対秘密ってわけでもないんだし」
「そう、なの……?」
「うん。ただ、人前で大っぴらに言いふらすようなことじゃないってだけ。だからそんなに気にしないで、ね?」
「……うん」
弱々しく頷くらいはに、黒瀬は内心「兄妹そろって真面目だなぁ……」と笑みをこぼした。
そしてらいはの頭の上から手を退けた黒瀬は、空気を入れ替えるようにらいはへ笑い掛けた。
「さっ、今からお祭りだよ。らいはちゃんは何か食べたいものあるかな?」
「えっと……私、チョコバナナ食べてみたい……!」
「いいね~、チョコバナナ。最近だと、イチゴチョコを使ったものもあるみたいだよ?」
「ほんとに!? 食べてみたーい!」
目前まで迫った花火大会の話題に移したことで、らいはの表情はみるみるうちに明るさを取り戻していった。
そんな二人の様子を微笑ましそうに眺めていた三玖に、一花が声を掛けた。
「ユーマくん、小さい子の扱いすっごく慣れてるね……下に妹とか弟とかいるのかな?」
「……ううん、ユーマは一人っ子。小さい子とは、バイトで触れ合う機会が多いって言ってた」
思ったより詳しい説明が返ってきたことに、一花はぎょっと目を丸くした。そして黒瀬たちからずっと視線を外そうとしない三玖に気付き、その口元をニヤニヤと歪め始めた。
「へぇ~~~?」
「……なに?」
「べっつに~? 詳しいんだな~って思ってさ」
からかうような視線に気付き、三玖が不機嫌そうに一花を見るが、一花がその姿勢を崩すことはなかった。長年の付き合いから何を言っても無駄だと悟った三玖は、一花の視線から逃れるように顔を背ける。
「…………別に……友達だから。このくらい普通……」
「へぇ~、そっか~」
三玖の消え入りそうな声は、顔を寄せていた一花の耳にしっかりと届いていた。一花が三玖に新たなからかいの言葉を掛けようとした時、ちょうど二階から支度を済ませた五月が下りて来た。
「お待たせしました。あぁ、黒瀬くん。こんばんは」
「うん、こんばんは。浴衣似合ってるね」
「五月さん、すっごくキレー!」
「ふふっ、ありがとうございます」
らいはからの屈託のない笑顔と心からの称賛を受け、五月は微笑ましそうに笑みをこぼした。
ちょうどその時、四葉も「終わりましたー!」と声を上げ、勢いよく立ち上がった。
「さあ! みんなで一緒に花火大会に行きましょう!!」
「アンタを待ってたのよ、アンタを!!」
元気よく拳を突き上げる四葉に、二乃の鋭いツッコミが入った。
そして中野姉妹、上杉兄妹、黒瀬の8人は片付けもそこそこに、足早に花火大会の会場へと向かうのだった。
◆◇◆◇◆
花火大会の会場に到着したのは、花火が始まるちょうど一時間前であった。
9月最終日──既に日は沈み、辺りを夜の闇が包み込む中、会場は立ち並ぶ屋台の照明と街灯の灯りによって、眩しく照らされていた。
屋台が立ち並ぶそこそこ人通りの多い通りを、五つ子にらいはを含めた女性陣が、ずんずんと先に進んでいく。その少し離れた後ろには、上杉と黒瀬の姿もあった。
「なんだ……あのテンションの高さ……」
「そんなこの世の終わりみたいな表情しなくても……ほら、らいはちゃん楽しそうだよ?」
「らいははまだいい。俺が言ってるのはアイツらだ……ついさっきまで死にそうな顔で宿題をやらされてたってのに、どういう原理だ……?」
「それだけ楽しみにしてたってことじゃないかな?」
先ほどまでの疲れが嘘のようにはしゃいでいる五つ子の姿に、上杉が怪訝な眼差しを向けていた。黒瀬も内心上杉と似たような感想を抱いていたが、口には出さなかった。
そして、前を歩いていた女性陣が一度立ち止まると、四葉が元気よく手を上げた。
「誰か金魚すくいしませんかー?!」
「あっ、やるぅー!」
四葉の提案に、らいはが元気よく拳を突き上げながら応えた。
「では、らいはちゃん! 行きましょー!」
「あっ、待って、四葉さん。悠真さんも一緒に行こっ?」
「うん、いいよ。行こっか」
四葉に手を引かれるらいはだったが、すぐに反対の手で黒瀬の手を掴んで、ウキウキとした笑顔で言った。それに同じく笑顔で応えた黒瀬は、一度隣の上杉へ視線を向けた。
「上杉くんはどうする?」
「俺は少し休む。お前らだけで楽しんでこい」
そう言って、上杉はふらふらと疲れた様子で屋台の通りから脇道へと逸れて行った。それを軽く見送った後、黒瀬はらいはに笑い掛けた。
「行こっか」
「うん!」
「では、三人で行きましょー!」
「「おぉー!」
元気よく拳を突き上げる四葉に、らいはは四葉に負けず劣らず大きく、黒瀬は控えめに小さく拳を上げて応えた。
そして三人で横並びになりながら、金魚すくいの屋台に向かった。
金魚すくいの屋台は思った以上に繁盛していた。人一人分ほどのスペースしか空いていなかったため、まずはらいはが先に挑戦することになった。
ひと通りのコツなんかを伝授した後、黒瀬と四葉は邪魔にならないよう少し離れた所から、楽しそうにするらいはの後ろ姿を眺めていた。
「らいはちゃん、楽しそうですね!」
「うん、そうだね。普段は結構我慢して頑張り過ぎちゃう子だから、楽しそうでよかったよ」
「らいはちゃんとは、いつからの付き合いなんですか?」
「んん~……大体1年くらい、かな」
らいはは、小さいながらも家の事情をしっかりと把握している。
昼も夜も休む間もなく働く父、バイトと勉強の両立を死ぬ物狂いで実践する兄……そんな姿を一番近くで見続けていたらいはは、自分が大人になる道を選んだ。
わがままを滅多に言わなくなったし、友達と遊びに行くこともなくなり、友達付き合いが兄並みとまではいかないが希薄になった。それでも孤立していないのは、偏にらいはの天真爛漫な性格ゆえであった。
その事情を知った黒瀬は、それ以来、らいはを頻繁に外へ連れ出すようになった。家でらいはが独りでいる時は話し相手になりに行ったし、らいはの予定が無い日は外食なんかにも連れ出した。それを1年間ほど続けた結果、黒瀬はらいはにここまで懐かれたのである。
「1年ですか、思ったより短いですね……これは、私も負けていられません……! もっともっとらいはちゃんと仲良くならなくては!」
「今でも凄く仲良さそうに見えたけど……?」
「いいえ! まだまだ全ッ然足りません! いずれらいはちゃんに『四葉おねーちゃん』と笑顔で呼ばれるくらい、仲良くなってみせますよ!!」
「う、うん、まあ……
胸を張って声高々に宣言する四葉に、黒瀬は曖昧な笑みを浮かべながら返した。
そして、黒瀬が四葉から視線を外してらいはを見守っていると、視界の端で「はいっ!」と元気よく手を上げる四葉の姿を捉えた。
「? どうしたの?」
「黒瀬さん! 私のことは『四葉』と名前で呼んでください!」
「え?」
「私たちは五つ子で、全員同じ『中野』です! 黒瀬さんが『中野さん』と呼ぶ度、誰を呼んでるのか分からず、頭がこんがらがっちゃいます!」
「──なので、これからは、私のことは名前で呼んでください!!」
まるで選手宣誓かのように手を上げてハキハキと言った四葉に、黒瀬は一瞬目を丸くする。しかしすぐにふっと柔らかく笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。
「うん、分かった。改めてよろしく、四葉さん」
その言葉を聞いて、四葉は驚いたように大きく目を見開いた。
「おお! 正直、断られるものだと思ってました!」
「あはは……」
黒瀬は苦笑いをこぼしながら、四葉から視線を外し再度らいはの後ろ姿へ視線を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「別に、名字呼びにこだわりがあるわけじゃないよ。だけど、いきなり名前呼びされるのが嫌って人も一定数いるわけで……だから、こう呼んでって言われるまでは基本的に名字で呼ぶようにしてるんだ」
黒瀬の言葉に、四葉は「はぇ~」と感嘆の声を漏らした後、ポンっと軽く手の平を打った。
「なるほど! そこまで他人のことを考えられるなんて、やっぱり黒瀬さんはお優しいですね!」
弾けるような笑顔を向けてくる四葉に、黒瀬は一瞬僅かに目を見開いた後、すぐに噛み締めるように柔らかな笑みを浮かべた。
「うん……まあ……そうありたいな、とは思ってるよ」
黒瀬のその笑みに、四葉はお返しとばかりに「へへへっ」と歯を見せて笑った。
「悠真さーん! 四葉さーん! 見て見てー! 五匹もすくえたー!」
ちょうどその時、後ろを振り返って嬉しそうに手を振るらいはの声が届いた。それに応える形で軽く手を振りながら、二人はらいはのもとへ歩いて向かった。
「おお、すごい。おめでとう、らいはちゃん」
「やりますね、らいはちゃん! よーっし、これは私も負けてられませんね!」
らいはの頭を軽く撫でる黒瀬と、浴衣の袖をめくりながら一歩前に出る四葉。そして屋台も空いてきたため、三人は並んで水槽の前にしゃがみ込んだ。
「黒瀬さん、せっかくなので勝負しませんか!? 勝った方が負けた方に何でも好きな命令ができる、ということで!」
「ええぇ、僕こういうの苦手なんだけどなぁ……それと四葉さん? そういうことは気軽に言っちゃダメだからね?」
「安心してください! 黒瀬さんにしか言ってません!」
「だからほんっとにやめて……ッ! 周りからの視線が凄いことになってるから……ッ!」
らいはを挟んで繰り広げられる黒瀬と四葉の漫才のような会話。そんな何気ない会話を聞いていたらいはは、心の底から楽しそうな笑い声を上げるのだった。