学園にはいつもの日常が戻っていた。
――そう、今日までは。
この日、また一人の「特別な存在」が、私たちの前に現れることになる。
ヴァーチェという少女と出会ってから、一週間が経った。あの日、私たちX-MENが遭遇したのは、巨大な蟻のような怪人たちと、それを追っていた謎の少女だった。彼女はギルス、そしてエクシードギルスへと変身し、私たちと一時的に共闘した後、自分の目的を果たしたかのように姿を消した。
当然、私は彼女について調べようとはした。けれど、分かったことはほとんどない。名前はヴァーチェ。ギルスへと変身することができる。そして、私たちとは違う何らかの力を持っている。それだけだった。彼女がどこから来たのか、どういう環境で暮らしているのか、なぜギルスの力を持っているのか――肝心なところは何一つ分からない。とはいえ、こちらから無理に探し出すつもりもなかった。彼女には彼女の事情がある。そう思っていた。
少なくとも、その日の夜までは。
その日は学園の仕事を終えた後、私は車で買い物に出ていた。学園の備品や食料品を買い込むためである。学校というものは、生徒が増えれば増えるほど消耗品も増える。ましてや現在のエグゼビアスクールは、まだ規模こそ小さいものの寮まで備えた全寮制の学校だ。教師の仕事だけでも忙しいというのに、経営者まで兼ねている私は、こうして時々自分で買い出しに出なければならない。
「……本当に校長って忙しいわねぇ」
コンビニの駐車場に車を停めながら、私は小さく愚痴をこぼした。せっかく外まで出てきたのだから、ついでに何か買って帰ろう。そう考えて車から降り、店へ向かおうとした、そのときだった。
「君、こんな時間に一人で出てきちゃ危ないだろう。パパとママは? 身分証はあるかい?」
近くから、警察官の声が聞こえてきた。私は足を止める。どうやら誰かが警察官に声を掛けられているらしい。この時間に未成年らしき子供が一人で出歩いているなら、警察が声を掛けるのも当然だろう。特に気にすることもなく店へ向かおうとした。
――その瞬間、聞き覚えのある声がした。
「……あれ?」
私は声のした方を見る。
「……嘘でしょう?」
そこにいたのは、一週間前に出会った少女だった。
ヴァーチェ。
彼女は警察官と話をしている。そして、こちらに気づいたらしい。ヴァーチェの目が私を捉えた。
「あっ!」
嫌な予感がした。
「操祈!」
「げっ」
思わず素の声が出た。
どうしてよりによって、こんなところで私を巻き込むのよ。
警察官がこちらを見る。
「あなた、この子の知り合い?」
「ええ……まあ」
「どういったご関係で?」
私は一瞬だけ考えた。ヴァーチェは現代社会についてほとんど知らない。身分証も持っていない。そして、ここで本当の事情を説明したところで、余計に話がややこしくなる。ならば――。
「私はこの子の学校の教師なんです」
「学校の先生?」
「はい。この子も普段は寄宿舎で生活しているんですが、今日は友達と喧嘩をしてしまいましてね」
もちろん、そんな事実はない。だが私は平然と続ける。
「家出すると言って宿舎を抜け出してしまったので、職員総出で探していたところなんです。これ以上見つからなければ、そちらへ捜索願を出そうかと思っていたところでした」
「なるほど……」
警察官はヴァーチェを見る。ヴァーチェは何か言おうとしたが、私は目だけで黙っているように伝えた。
「念のため、身分証を確認してもいいですか?」
「もちろんです」
私は財布から免許証を取り出し、その後にエグゼビアスクールの名刺も渡した。警察官はそれらを確認すると、頷いた。
「はい、確認しました。それじゃあ、お嬢ちゃん。どういう事情があったのか知らないが、今度から何かあったら先生に相談するんだぞ」
ヴァーチェは少しだけ不満そうな顔をしたものの、素直に頷いた。
「……分かった」
「それじゃあ、先生。よろしくお願いします」
「はい。保護していただいてありがとうございました」
警察官はそう言ってパトカーへ戻っていった。
パトカーが見えなくなったところで、私は大きく息を吐く。
「……さて」
隣に立っているヴァーチェを見る。
「説明してもらおうかしら?」
「ありがとう」
「いや、構わないけど……突然だったから、こっちは相当驚いたわよ」
それにしても、彼女が私を「操祈」と呼ぶのは今回が初めてだった。どうやら前回は、私のことを別の誰かと勘違いしていたらしい。まあ、その辺りも含めて聞く必要がありそうだ。
「それで?」
「金がない」
「お金が?」
ヴァーチェは頷いた。
話を聞くと、彼女は集落を出る際に持ってきた金品をいくらか持っていたらしい。しかし、それを現代社会で使える現金にすることができなかった。身分証がないため、売却することも難しい。そのまま途方に暮れているうちに夜になり、先ほど警察官に声を掛けられたらしい。
「なるほどねぇ……」
私は頭を抱えた。そりゃ警察にも保護される。
「今夜はどうするつもりだったの?」
「決めていない」
「……そう」
予想以上に困った子だった。
ただし、彼女の立場を考えれば仕方がない。今まで暮らしていた環境と、ここでは社会そのものが違うのだろう。
「とりあえず、身分証を作るところから始めましょう」
「身分証?」
「ええ。あなたがこの社会で生活するなら必要になるものよ。詳しい話は明日するわ」
私は時計を見る。
「今日はもう役所も閉まっているし、今夜は私たちの学校に泊まっていきなさい」
「学校に?」
「ええ。部屋ならまだ空いているから」
私はコンビニで買ったホットスナックの袋をヴァーチェに渡した。
「とりあえず食べなさい」
「これは?」
「食べ物」
ヴァーチェは袋からホットドッグを取り出す。そして一口食べると、無言のまま食べ続けた。
「気に入った?」
ヴァーチェは頷いた。
「うまい」
「それはよかったわ」
こうして私は、予定になかった少女を一人、学園へ連れて帰ることになった。
◇
学園に到着すると、まだ何人かの教師が校内に残っていた。その中の一人がこちらへ近づいてくる。
「操祈、帰ったか。……ん? その子は先週の?」
「ええ。ちょっとそこで会ってね」
教師はヴァーチェを見て、それから私を見る。
「何があった?」
「話は後でするわ。とりあえず、この子を宿舎へ案内してくる」
「分かった」
私はヴァーチェを宿舎の空いている部屋へ案内した。部屋の中を見たヴァーチェは、しばらく無言で周囲を見回している。
「ここを使っていいわ」
「……私が?」
「ええ」
私は部屋の設備を一つずつ説明していく。
「シャワーはここ。トイレは廊下を右に行ったところ」
「シャワー?」
嫌な予感がした。
「使ったことないの?」
「ない」
「……そう」
この瞬間、私は理解した。
この子には、戦い方以前に教えなければならないことが山ほどある。
現代社会で生活するための知識。公共施設の使い方。金銭。交通。法律。そして、おそらく学校というものそのものについても。
「……これは長期戦になりそうねぇ」
私が呟くと、ヴァーチェは首を傾げた。
◇
その日の夜。
私は教師たちとヴァーチェについて話し合っていた。
「で、あの子をどうする?」
教師の一人がグラスを傾けながら聞いてくる。
「まず、社会常識をどの程度持っているか確認する必要があるわね。読み書きや計算ができるかも確認しておきたいわ」
「戦闘能力については問題なさそうだが、普通の生活能力は別問題ってことか」
「そういうこと」
私は頷く。
「彼女は悪い子じゃない。ただ、今まで暮らしてきた環境が私たちと違いすぎるのよ」
しばらく沈黙が続く。
「まあ、面倒を見るなら最後まで見てやればいい」
教師の一人がそう言った。
「……珍しく素直ねぇ」
「俺は元々、ガキを放り出すのが好きじゃねぇんだよ」
そんな会話をしながら、その夜はヴァーチェについて話し合った。
結論としては、まず彼女の現在の知識を確認する。そして必要なら、学園で生活しながら少しずつ現代社会について学んでもらう。それが私たちの出した答えだった。
◇
翌日。
私はヴァーチェに簡単なテストを受けてもらった。読み書き、計算、簡単な地理、そして社会生活に関する問題。答案を確認した私は、少しだけ驚いた。
「……読み書きは問題ないわね」
簡単な文章なら読める。数字も理解している。計算もそれなりにできる。少なくとも、学力そのものが低いわけではない。
問題は――社会常識だった。
例えば、こんな問題を出していた。
『知らない相手から喧嘩を売られました。どうしますか?』
ヴァーチェの回答は、実に簡潔だった。
『戦って痛みを教える』
「……」
私は答案から目を離す。
「ヴァーチェ」
「何?」
「むやみに暴力を使っちゃ駄目よ」
「だが、相手が攻撃してくるなら?」
「身を守るためなら仕方がない場合もある。でも、まずは逃げる、助けを呼ぶ、警察に相談する。そういう選択肢もあるの」
「……警察」
「そう」
ヴァーチェは少し考える。
「昨日の者たちか」
「そうよ」
「弱そうだった」
「……」
私は頭を抱えた。
どうやら、この子に現代社会の常識を教えるには相当な時間が必要らしい。
◇
その後、私はヴァーチェの身分証を作るための手続きを進め、生活に必要なものを揃えた。
本人は思った以上に物覚えが悪いわけではない。むしろ、一度覚えたことはきちんと身につけていく。問題は、これまで生きてきた環境で当たり前だった常識そのものだった。
だから私は、ヴァーチェに学園の学生証を渡すことにした。
「これを持っておきなさい」
「学生証?」
「ええ。少なくとも、学園の生徒であることは証明できるから」
「私は生徒なのか?」
「今のところはね」
さらに、連絡先を書いたメモ帳と当面の生活費も渡した。
「困ったことがあったら、この番号に連絡すること。それと、勝手に街へ出るときは一言言って」
「なぜ?」
「あなたが何か問題を起こしたとき、私たちが迎えに行かなきゃならないから」
「……分かった」
私は安心した。
少なくとも、これで大丈夫だろう。
そう思っていた。
――甘かった。
◇
翌日。
電話が鳴った。
「はい、エグゼビアスクールです」
『あの……こちら警察署なんですが』
「はい?」
『お宅の生徒さんがですね……』
「……」
嫌な予感がした。
『駅前で迷子になってまして』
「……分かりました。今から迎えに行きます」
翌日。
『エグゼビアスクールさんでしょうか?』
「はい」
『またお宅の生徒さんが……』
「……はい」
さらに翌日。
『あの、ヴァーチェさんという生徒さんなんですが』
「……今度は何をしました?」
『コンビニの前で、店員さんに「金を払わずに物を持っていくのは駄目なのか」と質問してまして』
「……」
私は電話を切った後、机に突っ伏した。
それからというもの、ほとんど毎日のように警察から連絡が来るようになった。
「またヴァーチェ?」
「またです」
迎えに行く。
「今度は何をしたの?」
「道を聞いたら、そのまま知らない人についていったそうです」
「……」
別の日には、知らない相手同士が喧嘩しているところへ割って入り、双方を叩きのめして警察に事情を聞かれていた。
「それ自体は喧嘩を止めようとしたんだから偉いんだけど……」
どうしてそうなるのか。
そんなことを繰り返しているうちに、教師たちの間にはいつの間にか妙なローテーションまで出来上がった。
誰が警察署へヴァーチェを迎えに行くか。
そんなことを相談するための時間まで必要になった。
そして、一週間。
二週間。
三週間。
気づけば、ヴァーチェが学園に現れてから一か月近くが経っていた。
◇
その夜。
私は比較的早い時間にヴァーチェを迎えに行くことができた。
そのため、珍しく教師陣が揃っていた。
現在のエグゼビアスクールは、まだまだ小さな学校だ。教師も多くないし、生徒の数も少ない。モリガンが連れてきたゼシカとミコノ、そしてアマタ・ソラを含めても、まだ数えるほどしかいない。
だからこそ、私にはやりたいことがある。
転生者だけを集める学校にはしたくない。
私が前世で知っているX-MENの物語。その世界に存在するミュータントたち。彼らがこの世界に生きているのなら、いつか出会いたい。
だが、今のところ私は、まだ彼らの多くを見つけられていない。
モイラ・マクタガート。
レイヴン。
ハンク・マッコイ。
そして、エリック・レーンシャー。
私が前世の映画で知っている人物たち。彼らがこの世界のどこにいるのか。そもそも、私の知っている物語と同じ人生を歩んでいるのか。それすら分からない。
だからこそ、今の私は焦ってはいない。
この学園を少しずつ大きくしていけばいい。
生徒を守り、教師を増やし、必要ならX-MENとして活動する。
そして、ヴァーチェのような、この世界で居場所を失っている人間が現れたなら、その居場所を作ってやればいい。
そんなことを考えながら、私は食事をしているヴァーチェを見た。
「……それにしても、一か月経ったのにまだ警察から電話が来るのはどうにかならないかしらねぇ」
「努力している」
「そうね」
ヴァーチェは真剣な顔で頷く。
「だが、街は複雑だ」
「それは認めるわ」
私は苦笑した。
この少女がいつか現代社会に慣れるのか。それとも、最後まで私たちを振り回し続けるのか。今の私には分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
彼女はもう、一週間前に出会った「謎の少女」ではない。
この学園で暮らし、私たちと食事をし、教師たちに怒られ、生徒たちと少しずつ交流している。いつの間にか、学園の日常の一部になっていた。
「……まあ」
私は小さく笑った。
「悪くないわね」
そんな日常を眺めながら、私はふと思った。
この世界には、私が知らない物語がどれだけ存在しているのだろう。
ヴァーチェがそうだったように、私が前世で知っている物語とは違う人生を歩んでいる者が、きっと他にもいる。
ならば、いつかまた、私の知らない誰かと出会うことになるのだろう。
そのたびに、私はこの学園へ迎え入れるのかもしれない。
――そんなことを考えていた。
まさか、その「いつか」が思っていたよりずっと早く訪れるとは、このときの私はまだ知らなかった。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
学園での新たな出会いをきっかけに、物語は少しずつ新しい展開へ進んでいきます。
果たして、今回現れた存在とは何者なのか、次回も楽しんでいただければ幸いです。
感想や「このキャラクターをこんな話で見てみたい!」といった意見などがありましたら、ぜひ活動報告にコメントをお願いします。