ウマ娘達の萌芽 作:ワナシ
「そう言えばトレちゃんってさ、ウチとの契約期間が終わったらどーすんの?」
「……急にどうしたんだ? ──まあ今のところ普通に、次の担当先を探すつもりだけど……」
「…………そっか」
放課後のトレーナー室。
休養日であるためトレーニングをお休みし、部屋に入り浸ってソファに寝転んでいたトランセンドは、ふと気になった事をトレーナーに質問し、その返答に目を丸くした。
返答の後に黙り込んでしまったトランセンド。
トレーナーはその様子を訝しんだが、報告書などの書類仕事が終盤に差し掛かっている状態だったため、追及をせずにパソコンの画面へと向き直る。
その一方でトランセンドは、驚きのままに返した言葉を脳内で反芻しながら、天井を見つめ続ける。
(いやいや、『そっか』って何?)
質問自体、何か考えが有って発したものでは無い。
トランセンドはただ、担当契約の期間が残り一年を切っているという事実を思い出しただけだ。
シニア級を迎えた自身がこれからの一年をどう過ごし、その後はどうするのかを考え、そこでふとトレーナーはどうするつもりなのかが気になっただけだ。
その何気無い質問をぶつけた結果、トランセンドの胸中にはモヤモヤが生まれてしまっている。
(もっとこう、寂しがるとか、逆にウチに聞いてくるとかさー……)
トランセンドは今になって理解した。
具体的な理想が有った訳では無いが、トレーナーからの返事について、無意識にどこか期待していた部分が有ったことを。
そしてトレーナーの返答が、その期待を完全に裏切るものだったということを。
そこに少々の恥ずかしさを覚えたトランセンドは、眼鏡を外し、両の指で目元をぐしぐしと押す。
それから身体を起こし、小さな溜息を吐いた後、眼鏡を掛け直した。
そして、トレーナーの方へと目を向ける。
キーボードをカタカタと鳴らし、パソコンの画面に集中しているトレーナーは、彼女の視線に気付かない。
そんなトレーナーを見詰めながら、トランセンドは考える。
(……二年、か)
トランセンドとトレーナーが契約を交わして二年という月日が経った。
最初の出会いは全くの偶然、その偶然が二度三度と続いたことで契約を交わすことになったのだが、ここまでの道のりは決して楽なものでは無かった。
レースに関する事はもちろん、少なからずお互いのプライベートな部分を知り合う機会も有り、時に喜び合い、時に悲しみ合い、二人で試練や苦難を乗り越えてきた。
そんな中で彼女が恋愛感情を抱かずに過ごせたのは、偏にトレーナーのおかげである。
多感な年頃の女性に対し、そういった感情を向けず、抱かせる余地を与えず、それでいて頼れる大人として振る舞うことで、徹頭徹尾トレーナーが『良き大人』で在ったおかげである。
事実、今日に至るまで。
トランセンドにとってトレーナーは『尊敬の対象』であり『親しい年上』でしかなかった。
そして今。
その関係性にヒビが入ろうとしている。
(よくよく考えてみれば、さ。トレちゃんって────)
まず趣味が合う。
トランセンドの趣味と完全に一致している訳では無いが、互いに情報などを共有して楽しみ合うくらいには。
次に生活が合う。
二年という月日は、お互いを知るには十分な時間だ。食生活や普段の行動に言動、度し難く許し難いといった部分がお互いに無いことを、二人共に知っている。
最後に、理想が合う。
トランセンドがレースに求めているもの、ワクワクしてゾクゾクする『未知のもの』。その理想にトレーナーは強く共感してくれた。これが無ければ、トランセンドとトレーナーが契約に至ることは決して無かったであろう。
もしかしたらトレーナーは『未知のもの』を求めて、新しい契約先を探しているのかもしれない。
そこまで考えて、トランセンドはフッと微笑んだ。
(これが、この気持ちが『そう』なのか、まだ答えが出ないけど……)
全てを見せた訳では無い。
自分は、トランセンドというウマ娘は、二年程度で知り尽くせるものじゃない。
そう強く思い、トランセンドは新たな目標を定めた。
トレーナーと共に臨むレースとは別の、彼女だけの目標である。
そしてその先駆けとして。
「トレちゃん、仕事の方は落ち着いた?」
「ああ、もうそろそろで一段落しそうだ」
「それが終わったらさ、ちょっと出かけない?」
「……構わないけど、またガジェットの最新作? 今度はどこのメーカーなんだ?」
「それは出かけてからのお楽しみ、ってことで!」
お出かけの約束を取り付け、トランセンドは楽しそうに笑う。
そして頭の中で、目標達成のための道筋を組み立て始めるのだった。