1
「また、試験飛行の許可取ってきたぞ。ウィル」
薄暗い格納庫で機体にもぐり作業する青年に、男がへらへらと笑いながら紙切れを渡す。くしゃっとポケットにそれを突っ込んだウィルと呼ばれた青年は作業を続けながら話す。
「事務方のお堅い姉さんは口説けたか」
「それが全然。お前に頼まれて話す機会は増えたが、あちらは仕事が増えたとうんざり顔さ」
機体の下から滑り出たウィルは袖で顔を拭うが汚れが広がっただけだった。
「協力してやってるんだ、頑張れ」
「へへっ、どっちが協力してやってんだか」
ウィルは話しながらも壁際の装置を動かすと、格納庫の扉がゆっくりと開いていく。赤い雲がもくもくと広がる空から格納庫に光が入る。白く、青いラインの入った戦闘機が薄暗い空間から浮かび上がり、ウィルはささっと準備を始める。
「各機の整備は終わってる。三番機の調整をちょっと弄った、違和感があったら教えてくれ」
男にそう伝えるとウィルは颯爽と機体に乗り込む。男は笑いながら手を軽く振り「気を付けてな」と壁にもたれかかる。 エンジンに火が入ると男に手を振り返し、機体が滑走路に乗り出していく。
「こちらウィル・アームストロング。発進許可を」
機体の最終チェックの為、各メーターに気を配りながら通信を送る。
「ハーイ、こちらコントロール。何度も言ってるけど、飛行許可空域はAー7からJー9までだからね。わかってる」
「わかってる、発進許可を」
「大佐からグチグチ言われるのは自分だけだと思ってるでしょう。いいわ、発進を許可します。good flight」
ウィルの乗り込む戦闘機の轟音が綺麗にまとまり大きくなる。音のテンションが最高に高まった時、機体は滑走路を駆け出し赤い空に舞った。
壁にもたれかかりウィルが飛び立つ姿を眺めていた男が、自身の真横に設置された受話器を手に取る。
「ウィルが出た。いつものヤツさ、全チャンネル開けて基地に繋げてくれ」
そう伝えて彼は格納庫を後にする。
ウィルは雲すれすれを飛びながら計器を確認する。安定した数字に満足感を感じながら次のチェックに移る。コックピット両サイドに並ぶ鍵盤を優しく撫でると、確認するように音を一つずつ鳴らしていく。1つ、また1つと響く音が少しずつ繋がり次第にメロディーが現れだす。
「…For example」
流れるようなメロディーの中でウィルの歌声が響く。基地内ではその小気味好い歌が広がっていく。
仲間と談笑しながら食事中の者。
書類の山に悪戦苦闘する者。
日々の訓練からか就眠に勤しむ者。
そのどれもにウィルの歌は溶け込みシーンに彩を与える。しかし、次第に音の幅が広がり音が楽しみだし、曲調に合わせてか機体もくるくると旋回を始め速度も増してくる。危険なアクロバットさながらの動きを始めた頃、ウィルに通信が入る。
「ウィル、やり過ぎよ。戻ってきなさい」
勿論、この警告も基地に響く。ウィルは聞こえたか聞こえなかったのか、悪びれもせずそのまま歌い続ける。
三十分ほどそのまま歌い続けたウィルに待っていたのは、仲間たちの称賛と上司の説教であった。
2
新しきと古き、既存文化と異文化、世の中の明と暗が入り混じる町、イサク。
上司の長い小言から解放されたウィルは露店でキャンディーやチョコ、揚げ菓子を両手いっぱいに買い込み、自宅に戻る道を外れある所を訪れる。そこからは子供たちの歌声とピアノの音が漏れ出している。扉を開けると十数人の子供と、ピアノを弾く笑顔の似合う温和そうな青年が楽しい歌を奏でていた。子供達は甘いお菓子の匂いに当てられたのか、ソワソワとウィルを見る。ウィルは壁際にある椅子に腰かけ子供達を眺める。少し悪戯な表情で。青年もくくっと苦笑いしながらもピアノを止めないでいた。曲が終わり子供達が一斉にウィルに駆け寄る。
「ウィル兄ちゃんだ」
駆け寄ってきた子供達の頭を撫でるウィルはとても嬉しそうだ。
「またそんなにお菓子を買ってきて」
「陽介、子供の頃お菓子を貰っても嬉しくなかったか」
そう言われ何とも言い返し辛いのか、少し困った様に陽介が答える。
「そりゃ、うれしかったけれど」
「お前の好きなマンジュウってやつもあったぞ。食べるか」
笑顔でそう促すウィルにやれやれといった表情でマンジュウを受け取る陽介。子供達みんなとお菓子を食べていると1人の女の子がウィルに近づく。
「またウィル兄さんの歌、聴きたい」
恥ずかしそうに言う少女だったが、他の子供達からもリクエストが続く。そうかと食べかけの揚砂糖を口に放り込みウィルはピアノに向かう。
「わわっ、食べながらはやめてくれよ」
「ふぁかっふぇる」
「全然、分かってないじゃないか」
口の中を空っぽにしたウィルがポロンとピアノを鳴らす。
「大事にされてるな」
そう呟くとウィルはいきなりアップテンポなメロディーを奏でる。
「知ってる曲だ」
最近の流行歌。子供でも聴いた事のある曲を歌いながらサビの直前、ウィルが少し笑う。ピアノの音が既存のメロディーから抜け出した。
「違う歌みたい」
子供達はお菓子を食べる手が止まり、聞きなれぬ聞きなれた歌に引き込まれる。ウィル自身も引き込まれ歌が飛び跳ねる。散々歌い終わると子供達のわぁっとした笑顔がウィルを包む。
「ウィル兄ちゃん。すごい」
子供達の惜しみない称賛に陽介も「そうだよ、ウィルはすごいんだよ」と子供達と同じようにはしゃぐ。ウィルはへへっと笑いながら新しい揚砂糖を袋から取り出した。
3
子供達と日暮れまで遊びつくした後、帰り際に陽介が尋ねる。
「セシルとは、最近会ってないのかい」
そう尋ねられたウィルは耳を搔きながら答える。
「会って無いな。それに会っても、何を話していいか」
「僕はねウィル。また三人でいられたらいいなと思ってるよ。形だけじゃなくて、それこそ昔のようにね。無理にそうしようとは思わないけど、僕がそう思ってるのは忘れないで」
そういうと優しい笑顔で「お菓子、ありがとう」と子供達の所へ戻って行った。
陽介の言葉がずっと頭を駆け巡りながら、ウィルは暗がりを歩く。街の毛色が変わってくるこの辺りは治安が悪く、街のゴロツキ達の溜まり場になっている。
薄暗い路地で淡いネオンが光るバーにウィルが帰ってくると、中からジャズの音色と酒と煙草の香りがウィルを包む。カウンターでグラスを磨く初老の男はゆっくりとウィルを確認すると、またグラスを磨く作業に戻った。ウィルがカウンターに入り水を飲むと男が呟く様に尋ねる。
「また、あそこに行ったのか」
「ああ。やっぱり嫌か」
答えず黙ってグラスを磨く自分の父親に、ウィルはその真意を計れずにいた。答えを求めずにずっと過ごしたウィルにこれ以上聞くことも無かった。
そのままカウンターにある階段から自室に帰ろうとすると客の1人がウィルに話しかける。随分と酔っている様だ。
「今日は歌っていかないのかい」
「ああ、ごめんな」
自室のベッドに横になり陽介の言葉を考える。「昔のように」とそのまま目を閉じ、あの頃のメロディーを頭で奏でながら眠りに付いた。