孤高の天才令嬢に勝つまで挑み続ける!   作:うみじゃけ

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1.明日も

 零条氷華(れいじょうひょうか)は生まれながらにして『完成』していた。

 

 名門である零条家に生まれて何不自由なく育ち、知識は読んだそばから脳に刻まれ、剣を握れば高名な剣士の技術をひと目で再現した。絵筆を握れば個展が開ける画が完成し、魔法を練れば老練の魔導師が言葉を失った。

 

 何をやらせてもこの世界は彼女にとって容易すぎた。

 

『すごいですわ、氷華様!』

『どうやったら、そんな一瞬で感覚を掴めるんだ……?』

『君なら、この国の歴史だって変えられる』

 

 幼い頃はその賞賛が素直に誇らしかった。自分が手を伸ばせば周りの大人が喜んでくれる。昨日までの自分が塗り替えられ、世界が広がっていく感覚。

 

(もっと努力すれば、きっとみんなと一緒に遠くへいける!)

 

 無邪気にそう信じていた。あの日までは。

 

「氷華ちゃん、私、今日こそ絶対勝ちたい……!」

 

 鍛錬場の木床を蹴り、木剣を構えたのは、毎日のように競い合っていた同世代の少女だった。手のひらに豆を作り、汗と泥に塗れて泥臭く振るい続けてきた、彼女の自慢の大親友。

 

「ええ! 楽しみにしておりますわ!」

 

 少女が繰り出したのは彼女が数か月間、血の滲むような鍛錬の末に編み出した独自の剣術だった。踏み込みのタメ、肩の捻り、視線の誘導。完璧な奇襲。

 

 ——カァン! 甲高い音と共に木剣が弾かれる。

 

 氷華はそれを、完璧に模倣して打ち払ったのだ。

 

 呼吸のタイミング、踏み込みの角度、筋肉の弛緩と緊張。直前に少女が見せてくれた一瞬の動きを、さらに無駄なく、より速く、完璧な上位互換として再現してみせたのだ。

 

「今の技、とても素敵でしたわ! 私にもできました!」

 

 悪意などは微塵もない。大好きな友人の工夫を心から称賛し、自分も同じ領域に並べたことが嬉しくて、氷華は心からの笑みを向けた。

 

「もう一度、やりましょう?」

 

 少女は弾き飛ばされた木剣を見つめたままポロポロと涙をこぼしていき、すぐには立ち上がらなかった。

 

 数日後、自分を避けるようになった少女の元へ駆け寄り、理由を尋ねた氷華に、彼女は怯えた目と泣きじゃくる声で言った。

 

『……もう一緒にやりたくないの! 氷華ちゃんがやってることは私の努力を踏み躙ることなんだよ……!』

 

 その時初めて氷華は理解した。自分にとっての当たり前は、他者にとっての当たり前ではないのだと。

 

 それからだろうか、周囲から人が消えて行った。競い合う者は去り、残ったのは遠巻きの畏怖と『天才』『怪物』という冷たいラベルだけ。

 

 誰も隣に立たない。誰も同じ景色を見ようとしない。

 

 努力する意味を失い、新しい技術を得ても胸は躍らず、世界からは緩やかに色彩が抜け落ちていった。

 

 

 数年後。

 

 国内最高峰とされる蒼天魔導騎士学園に氷華は入学した。

 

 入学試験を圧倒的な成績でトップ通過し、新入生代表挨拶を終えた氷華は、1年A組の教室で静かに窓の外を眺めていた。

 

 透き通る白銀の髪、白く瑞々しい肌に、神秘的な瑠璃色の瞳。儚げで可憐な顔立ちとは裏腹に、彼女の身体は日々の身体鍛錬によって実に見事に鍛え上げられていた。制服の生地越しにも窺える豊かな胸元やしなやかなくびれ、健康的な肉感を描く太もも。氷のように冷ややかな美貌と、溢れ出る命の躍動感が同居する容姿をしていた。

 

 だが……その瞳の奥には色彩がない。遥か上空に浮かぶ白亜の校舎も、今の彼女にはただの記号に過ぎなかった。

 

(……退屈、ですわ)

 

 周囲からの視線は刺さるほど感じる。遠巻きに「あれが零条家の……」「本物の怪物だ」「お美しい……」と囁き合う声。気安く話しかけてくる者は一人としていない。名声、家柄、そして圧倒的な才能。それらが巨大な透明の壁となり、氷華を孤独の檻に閉じ遠ざけている。

 

 ——そのはずだった。

 

「よう!」

 

 不意に、軽快で屈託のない声が静寂を切り裂いた。

 

「…………え?」

「アンタが零条氷華だな?」

 

 振り返ると、そこにいたのは一人の少年だった。野性味あふれる、立ち上がった無造作な金髪。精悍で鋭い目つきの奥に、爛爛と輝く黒い瞳を宿している。制服の第一ボタンを外して適度に着崩した姿。腕や首元には引き締まった肉体と、かすかな古傷が見え隠れしていた。

 

「っ……おい、不敬だぞ!」

「零条様に気安く話しかけるなんて……!」

「なんだよ不敬って、同じ学園の同じ生徒になったんだ。話しかけないと損だろ?」

 

 教室が色めき立つ。しかし少年は周囲の動揺など一切気に留める風もなく、不躾なほどまっすぐ氷華を見つめていた。

 

(……私に、話しかけてくださっている……?)

「で? どうなんだ?」

 

 氷華の胸が跳ねた。恐怖の視線でも、壁を作った遠巻きの観察でもない。一人の人間として自分に向かって発せられた言葉。いつもなら『高嶺の花』として距離を置かれてしまう彼女にとって、その声かけは跳ね上がるほど嬉しかった。

 

「え、ええ……! 私が零条氷華ですわ。あの、私に何かご用かしら……!?」

 

 淑女の仮面を被ることも忘れ、氷華は瑠璃色の瞳を輝かせながら、少し身を乗り出すようにして問い返した。金髪の少年は、ニッと白い歯を見せて爽やかに笑った。

 

「俺は北村迅(きたむらじん)! アンタ……零条はめちゃくちゃ強いんだろ?」

「……ええ。一応は」

「じゃあさ、俺とライバルになろうぜ!」

「……え?」

 

 あまりにも直球な言葉に、氷華はぽかんと口を開けた。

 

「俺、この学園で一番強くなりたいんだ。だったら、一番強いアンタをライバルにするのが一番手っ取り早いだろ?」

 

 迅は胸を張り、自身の名前を隠すこともなく堂々と告げた。その瞳に恐れも、媚びも、忌々しい畏怖すらない。ただ純粋に『強い奴』と競い合いたいという、愚直なまでの渇望と熱量だけが宿っていた。

 

「私の……私のお家柄とか、ご存じないのですか?」

「全然知らん!」

「私の才能や……『怪物』と呼ばれていることも?」

 

 問いかけながら、氷華の胸の奥が少しだけ不安に疼く。せっかく話しかけてくれた彼も、周りの評判を知れば失望して去ってしまうのではないか……と。

 

 だが迅は心の底から可笑しそうに肩をすくめた。

 

「そんなのどうでもいいだろ? 俺が見てるのは、今目の前にいるアンタだ。首席で、一番強くて、そこに立ってる()()()()だ……それ以外に何が必要なんだよ?」

「……あ」

 

 息が止まった。

 

 家柄でも、血筋でも、噂される過去でもなく。今、目の前でただ一人佇んでいる自分自身だけを、迅の黒い瞳はまっすぐにとらえている。ただ自分に話しかけてくれたことが嬉しくて跳ねていた胸が、今度はカッと熱くなった。

 

「……ふふ、ふふふっ!」

 

 こみ上げてきたのは、自分でも驚くほど鈴の鳴るような、心からの笑い声だった。

 

「ええ、喜んで!」

「よっしゃ、望むところだぜ!」

 

 

 放課後、白亜の闘技場には噂を聞きつけた多くの新入生が集まっていた。

 

 円形の巨大な舞台を包み込むのは、学園が誇る防衛結界魔法——《白亜の庇護(リバイバル)

 

 いかなる絶技を叩き込もうと魂の損壊や死を防ぎ、敗者は場外へ転送され即座に肉体や精神の傷などがなかったことになるものだ。しかし骨を叩き割られるような激痛も、脳を揺らす衝撃も、すべてが本物のまま精神に突き刺さる『極限の安全装置』だ。

 

「両者、位置についてね」

 

 結界が展開された闘技場の外で審判のスライムが呼びかける。

 

「あれクリーンスライムじゃね? 学園の掃除してる」

「審判もしてるのね」

「えらーい。あとでお菓子あげたろ〜」

「むー、餌付けは私にしろっ」

「はいはい、始まるよ」

 

 ちなみにジャッジとしてカメラが監視しているので不正はあとで裁かれる。

 

「じゃあ両者、《魔装》の展開をしてね」

 

 ——《魔装》。身についた魔法を武器の形に変える魔法の次の段階。弛まぬ努力と才能で開花するそのステージに立てる者……それが蒼天魔導騎士学園に入学する条件のひとつでもある。

 

「かかってこい、《喧嘩上等(ブリング・イット・オン)》!」

 

 迅が直刀状の《魔装》を構える。その刀身からバチバチと激しい青白い雷光が溢れ出し、やがて払って抑えられる。対する氷華は風に白銀の髪をふわりと揺らしたまま、《魔装》を構えず静かに佇んでいる。

 

「あれ? 零条氷華さん、《魔装》は?」

「必要ありませんわ。このままで」

 

 観客席がどっと湧いた。だが迅の顔に不快感はない。むしろそうでなくちゃと言わんばかりに爛々とした黒い瞳で氷華を見つめていた。

 

「ならいっか。こほん、それじゃあ——はじめ!」

 

 合図と同時に迅の全身から雷撃が炸裂しつつ踏み込み、彼の姿が一瞬でその場から消え去る。

 

 超絶的な踏み込みと雷撃による加速……迅が磨き上げた一瞬の突撃。観客たちのほとんどは目で追うことすらできない、閃光の如き一撃。迅の放った雷刃がまっすぐに氷華の喉元へと肉薄する。

 

 だが氷華の瑠璃色の瞳はその超加速の軌道を()()()()()()()()()かのように冷徹にとらえていた。

 

 氷華は避けない。驚きすらしない。ただ迫り来る雷刃に対して白く瑞々しい指先をそっと伸ばした。迅の刃に氷華の指先が触れたその次の瞬間。

 

 カチリ——絶対零度の冷気が爆発した。

 

 迅の持つ《喧嘩上等(ブリング・イット・オン)》の雷光が一瞬で凍りつき、そのまま稲妻ごと、迅の全身が一瞬にして透きとおる瑠璃色の巨大な氷結晶の中に封印された。結界が迅の即死判定を感知した瞬間、氷結晶の内部で彼の身体が眩い光の粒子へと弾け飛んだ。

 

「え」

 

 ほんの数秒前まで身体を苛んでいた凍えるような激痛と麻痺。それが、場外の待機エリアへと転送された瞬間に一気に拭い去られ、擦り傷一つない完璧な状態へと復元される。

 

 時間にして、わずか一秒。

 

「…………まけ、た?」

 

 迅の渾身の一撃は、氷華の指先ひとつに触れた瞬間に完封されたのだ。

 

「……あっ。そこまで! 勝者、零条氷華さん!」

 

 審判の動揺を含んだ声が上がり、観客席から圧倒的な差への歓声と悲鳴が上がった。

 

「速え!」

「北村のやつあんなに強かったのか!?」

「速いだけじゃない? 所詮、零条様には敵わなかったし」

 

(彼もまた……きっと……)

 

 氷華はどこか諦めたような顔でスッと瞳から熱を引き、背を向けようとした。

 

「っ……くっそおぁぁぁぁぁッ!!」

 

 場外の待機スペースから、凄まじい咆哮が響き渡った。

 

 転送された迅は床に伏せたまま、悔しさに全身を激しく震わせ、拳を何度も床に打ち付けた。床を叩く鈍い音が虚しく響く。

 

「一瞬……ッ! 一瞬で氷漬けかよ……! 掠りもしねぇ……ッ!」

 

 迅の口から漏れるのは見苦しいほどの生々しく泥臭い悔恨。氷華は息を呑み、その姿に目を奪われる。

 

(ああ、きっと……彼も……)

 

 しばらく荒い呼吸を繰り返していた迅だったが、やがて床を殴るのをやめた。

 

「……っ、ふぅぅぅ……」

 

 深呼吸をひとつ。二つ。そして汗をぐっと拭って顔を上げた。そこに漂っていたのは恐ろしいほどの爽快感だった。傷一つない身体でガバッと勢いよく立ち上がると、未練を一切残さないスッキリとした笑顔を浮かべる。

 

「あー悔しい! でも楽しかった!」

「……え?」

 

 思った反応とは違ったことに氷華は目を丸くする。いつもなら……いつもみたいに……そんな言葉が泡のように湧いて消えていく。

 

「完璧に負けた! 手も足も出なかった! だからこそ……燃える!」

 

 迅は白い歯を見せ、結界越しに氷華に向かってビシッと指を突きつけた。先ほどまでの悔しさが嘘のように、その瞳には新しい情熱の火がメラメラと燃え盛っている。

 

「覚悟しとけよ零条! 次はさっきの百倍強くなって、その余裕な顔、絶対に崩してやるから! また明日な!」

 

 呆然とする氷華の前で迅は金髪を揺らして爽やかに手を振って闘技場を後にした。

 

「……また、明日」

 

 口の中で、その言葉を慈しむように反芻する。たったそれだけの約束。たったそれだけの言葉。

 

(……負けても諦めない。悔しがっても折れない……本当に、おかしな方)

 

 胸の奥でカチリ——と音がした。氷華の中で長らく凍りついていた何かが音を立てて崩れていく。

 

 ……負けたくない。

 

 彼が成長して追いついてくるなら、自分はさらにその上をいかなければならない。もっと強くなりたい。彼に追いつかれないように……そして、彼の視線をずっと自分に繋ぎ止めておくために。

 

(明日は……そうですね。違った戦い方をしてみようかしら?)

 

 夕暮れの空を見上げる。

 

「……綺麗」

 

 かつてモノクロに見えていた浮遊島の景色は、今の氷華の目には、恐ろしいほど鮮やかに照り輝いていた。

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