翌朝。
「ごみをたべるよ」
「おはようございます、スライムさん」
「おはようだよ」
スライムが掃除する廊下を超えて、教室の扉を開けた瞬間、氷華の視界に飛び込んできたのは昨日までと変わらない……いや、昨日以上に賑やかな光景だった。
「——でさ! マジであの雷! ビビーってしてドカーンってなって! 超カッコよくなかった!?」
「あかり、声大きいって。……まあ、一瞬で固められた割にはすごかったけど」
「ちょっと結衣! 一瞬で固められたー、とか身も蓋もない言い方すんなし!」
「……それな。じん、ださい」
「ださくねーだろーがよー!」
北村迅の席の周りを囲んでいたのは、クラスでも一際目立つギャル三人組——
あかりが身を乗り出して騒ぎ、結衣が萌え袖のカーディガン姿でクスクスと笑い、結衣の膝に頭を乗せた宵が眠そうに口を挟む。迅は金髪を掻きながら、頭を抱えつつも嬉しそうに笑っていた。
昨日の今日で、迅はすっかりクラスの注目の的になっていた。
圧倒的な天才、零条氷華に真っ向から挑み、一瞬で砕かれながらも笑ってみせた金髪の少年。その異端すぎる存在感に周りも興味を惹かれずにはいられなかったのだ。
(……あ)
氷華の足が、入口でピタリと止まる。昨日、自分だけに向けられていたあの太陽のような眩しさが今は教室全体に広がっている。
「あ、おはよう零条!」
迅が真っ先に氷華の姿に気づき、ぶんぶんと大きく手を振った。
「……おはようございます、北村さん」
氷華は慣れた淑女の笑みを浮かべて自分の席に着く。だが胸の奥がきゅっと冷たく締め付けられるような感覚があった。
(嫉妬……? いいえ、違いますわ)
氷華は自分の感情を打ち消そうとする。だが思考とは裏腹に、胸の奥で嫌なざわめきが広がっていた。自分だけに向けられたと思っていた真っ直ぐな熱。だが迅は誰に対しても分け隔てなく明るく、フランクなのだ。
自分は彼にとっての
「ねえねえ、迅!」
そんな不安もつゆ知らず、あかりが迅の机にバンと両手を突いた。
「ウチら、昨日の試合見てマジでファンになっちゃってさ! 放課後、ウチらとも戦おうよ! あと友達になろ!」
「試合? 友達? おう、どっちもいいぞ!」
「あは、即答じゃん。迅ってホントノリいいよね〜」
「……ん。それじゃあじん、放課後ごはん奢ってね」
「奢らねぇよ!? なに当然みたいに言ってんだ宵!」
あっという間に輪を広げ、繋がっていく迅。その圧倒的な眩しさを氷華は遠い目で見つめることしかできない。かつて天才ゆえに人を遠ざけた自分とは対照的に、彼はその泥臭さと純粋さで自然と人を惹きつけていく。
——また、置いていかれる。
自分の強さが壁となり、誰も隣に立ってくれない。迅すらも自分を置いて遠くへ行ってしまうのではないか。
「……あの、北村さん」
気づけば氷華は静かに立ち上がり、彼の席へと歩み寄っていた。
「ん? どうした零条?」
振り返る迅。迅を囲んでいたあかりたち三人の視線が一斉に氷華へと注がれる。
一瞬走る静寂。
名家の令嬢であり、学園首席の『怪物』。普通なら気圧されて言葉を失う場面だ。氷華は胸の前で細い指をギュッと握りしめ、震えそうになる声を必死に抑えて口を開いた。
「……私のような者でも」
「え?」
「私のような……皆さんに恐怖や忌避感を抱かせるような者でも、あなた方の……その『輪』に入っても、よろしいのでしょうか……?」
問うた瞬間、氷華は自分の不器用さに唇を噛んだ。友達の作り方など知らない。対等な関係の結び方など教わっていない。
ただ……迅のそばにいたい。彼のそばから弾き出されたくない。その一心で絞り出した、あまりにも健気で悲痛な問いかけだった。
一瞬の沈黙。
それを破ったのは迅の失笑でも、冷ややかな視線でもなく——あかりの弾けたような声だった。
「はー? ちょっと待って何言っちゃってんの氷華ちゃん!」
「……え?」
あかりは立ち上がり、腰に手を当てて呆れたように息を吐いた。
「
「ホントそれー」
結衣がクスクス笑いながら乗っかる。
「氷華ちゃんから話しかけてくれるとか、あたしら的にテンション爆上がりなんだけど? ね、宵?」
「……ん。ひょうか、白くて綺麗、もちもちそう。お友達になりたい」
「な……っ!?」
氷華は瑠璃色の瞳を大きく丸くした。
畏怖の対象だと思っていた。遠巻きに見られるだけだと思っていた。だが彼女たちは恐怖などではなく、純粋な『憧れ』と『親しみ』で氷華を見ていたのだ。
「てかさ、友達になるのに理由とか形式とかいらなくねー?」
あかりがニカッと笑い、氷華の手を両手でギュッと握りしめた。
「ウチは鳳条あかり! こっちが結衣で、膝に転がってんのが宵! 今日からウチらもマブダチね、氷華ちゃん!」
「ま、まぶだち!?」
いきなりの距離感ゼロの接触に、氷華の真っ白な頬が一気にカッと朱に染まる。
「いいじゃねえか、氷華!」
迅も満足そうに頷く。
「俺のライバルで、俺たちの友達だ!」
「……っ!」
胸の奥でドクン——と音が鳴った。冷たく締め付けられていた胸の痛みが一瞬で温かな熱へと変わっていく。
「……はいっ!」
氷華は溢れそうになる感情をグッと抑え、これまでで一番可憐で、心からの笑みを浮かべた。
「よろしくお願いしますわ……あかりさん、結衣さん、宵さん。そして……迅さん!」
「おう!」
初めて呼んだ、彼の名前。
迅が誇らしげに胸を張る横で、「氷華ちゃん笑うと超絶かわいいじゃん!」「ね、マジ天使〜」「もちもち、したい」と女子たちの賑やかな歓声が教室中に響き渡る。
「あ、それならさー……今週末の休日にどっか出かけない? 氷華ちゃんも一緒に!」
「い、一緒に……ですか!?」
思わぬ提案に氷華はあたふたと驚いていく。氷華の休日といえば鍛錬や勉強、それか読書など……大抵は1人で過ごせる者だったので、誰かと休日を過ごすというのは初めて……ではないが、かなり久しぶりなので戸惑ってしまっていた。
「おっ、いいじゃん。今週末は予定空けておかないとな」
「あ、迅は今回待機ね、今回は女の子だけでいくの!」
「なんで!?」
「女子会ってやつね」
「ゆりのはなぞのー」
「むむむ……なんだかわからないがまあそういうことならいいか! 楽しんでこいよ!」
「……で、どこ行く? 氷華ちゃんは行きたい場所とかある? 買い物でも、カフェで甘いもの食べるのでもなんでもいいよ!」
「行きたい、場所……」
急に振られた氷華は、胸の前で指を折りながら必死に思考を巡らせた。だが頭に浮かぶのは『おすすめの大型トレーニング施設』や『静かな図書館』といった無骨な場所ばかりだ。ギャルである彼女たちが楽しめそうな場所など、知識としてすら持ち合わせていない。
「あ、あの……申し訳ありません。私、そういった『遊び場』というものに疎く……みなさんが普段行かれるような場所すら、存じ上げなくて……」
申し訳なさそうに身を縮める氷華に、あかりは一瞬驚いたような顔を見せた後、すぐに極上の笑顔を弾けさせた。
「なにそれ! じゃあウチらが氷華ちゃんのお出かけデビュー、プロデュースしちゃっていいってこと!?」
「ふふ、氷華ちゃんを連れ回すの楽しそう。映えるカフェとか、可愛い服のお店とか、いっぱい連れてってあげるね」
「……ん。クレープ、食べる。氷華、一口あげる」
「みなさん……っ」
自分を『何も知らない異物』として排除するどころか、新しい世界を見せてくれようとする温かさに、氷華の胸がキュッと締め付けられる。
世界はもう、モノクロなどではなかった。
眩しいほどの色彩と、優しいぬくもりに満ち溢れていた。