蒼天魔導騎士学園に入学してから、しばらくの時間が経った。
授業、鍛錬、昼休みの食事、放課後の雑談。そして休日には仲間たちと街へ出かける。少し前までの氷華にとっては、夢のまた夢のような愛おしい日常だった。
「氷華、これ食べる?」
「ええ。いただきますわ、あかりさん」
「あ、あたしもほしい」
「じん、そっちの肉も一口ちょうだい」
「いいけど、全部食うなよ?」
今日も賑やかに昼食を囲む。くだらない話で笑い合い、時に魔法や戦闘について熱く語り合う。そんな日々を心から愛おしいと感じているからこそ——
「氷華」
昼休み、迅は改まって氷華をまっすぐ見つめる。
「今日の放課後、時間あるか? ……また、俺と戦ってほしい」
「ええ、構いませんわ」
「ありがとう! ……演習で新技も試せたし、俺、この数日で結構強くなったと思うんだ……だから今の俺がどこまでお前に近づけたか、本気で確かめたい」
確かに迅の成長は目覚ましかった。魔装《
「ふふっ、私も少し本気を出してみますわ!」
「おお、俺も負けたらんねえぜ!」
こうして、二人の再戦が決まった。
◇
放課後。白亜の闘技場。
噂を聞きつけた生徒たちで観客席が埋まる中、あかりたちも最前列で息を呑んで見守っていた。
「両者、構え!」
「おお、今日は熱血なスライムだ」
「性格結構違うんだ」
「スライム、体も硬そう」
審判の指示に従って迅は《喧嘩上等》を展開し、氷華はいつものように《魔装》を展開せずに構えた。
「氷華! 今日は本気で行くからな!」
「ええ……私も、全力を尽くしますわ」
「それでは——始め!」
試合が始まった瞬間、迅の全身から激しい雷光が迸った。
「——『迅雷』ッ!!」
『ドオンッ!』と凄まじい雷鳴と共に超速の踏み込みで一瞬にして氷華の間合いへと侵入する。だが……届かない。
「!? 防がれた!?」
「ちょっとした結界ですわ」
氷華の身体の表面には、薄く、美しく揺らめく『氷の衣』が展開されていたのだ。
「それなら……攻め続けるだけだ!」
氷華の周りに激しい火花が散る。しかし迅の放つ疾風怒濤の斬撃は、その薄い氷の衣に傷一つ付けることすらできない。衝撃のすべてが氷の薄膜によって殺され、滑るように受け流されていく。
「くそっ……! だったら、これでどうだッ!!」
迅は足元の石畳を力強く片足で何度も蹴りつけて超加速、己の最高威力——全身の魔力と雷撃を収束して放つ。
「『迅雷・襲』ッ!!」
音を置き去りにする突きが氷華の胸元へまっすぐに穿たれた。
爆風と雷光が闘技場全体に吹き荒れる。観客席から悲鳴にも似た歓声が上がった。
だが煙の向こう側で、氷華は佇んでいた。一歩も引かず、その白銀の制服に塵ひとつ着けることなく。
「なっ、傷一つ……付かない……!?」
迅が絶句する。
新技をもってしても、彼女を包む氷の衣に一筋のヒビすら入れられなかった。
「そろそろかしら?」
「なに? な、に、が…………」
ふと迅が目眩に襲われる。
大技を放った故の疲労、謎の寒気、そして……呼吸困難。
「がっ……は……っ! カハッ……!?」
「私の冷気は全てを凍らせる……もちろん、空気すらも」
過酷な寒気と酸素欠乏によって視界が急激に暗転し、迅の膝がガクリと折れた。
「……試合終了! 勝者、零条氷華!」
審判の声が響く。
「ふう、すこし本気を出してしまい……あ」
ふと、氷華が観客席に目を向けると……言葉を失った。
観客席は静まり返り、あかりたちすら言葉を失っている。
圧倒的な差だった。見ている者にも感じるあまりにも理不尽な到達不能の領域。氷華の周囲には誰も踏み込めない絶対の氷壁が広がっていた。
(あ、ああ……私は……)
氷華は震える手を見つめた。
手加減をしては相手に失礼だという想いと共に展開した迅の突撃を受け止めるための全力の防御。そして今まで見せたことのない驚かせたいと思った策。
だが結果として自分の強さが「怪物」であることを証明してしまった。
「ごめんなさい、迅さん……」
涙を必死に堪え、氷華は逃げるように闘技場を後にしようとし——
「いやー! 参った参った!」
いつものような明るい声が、迅が駆け寄ってくる。
「さっきの結界に空気も凍らせるその力! マジで強かった!」
「迅、さん……」
「ど、どうした……? そんな泣きそうな顔をして……」
「わ、私は……あなたに見放されたのかと……だって、あなたの攻撃を一撃すら喰らわず、差を見せつけるような戦い方を……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「何言ってやがる!」
涙をこぼしながらうずくまる氷華だったが、迅はまるで気にしていない顔で晴れやかに跪いて手を差し出す。
「確かに悔しい! マジに悔しい! さっき叫んだ! だがな、燃えてくるんだよ……諦められてねえんだよ!」
「迅さん……」
「そんでな、昨日の今日で思ったんだよ。氷華は俺が思ってるよりももっと高い場所にいる。もっとすごい領域で独りで居たのかってさ。だから……俺はもっと強くなる!」
迅は差し出した手で氷華の手を無理やり掴んだ。その手はどこまでも温かい。
「もっと……強くなる……?」
「おう! あの結界をぶち抜く! あの極限状況でも生き抜く! そしてその先のお前の攻撃を耐え抜いて、さらにその先……お前をぶっ倒すくらいの攻撃を生み出してやる! だからさ……絶対お前を1人にはしない! お前の隣に立ってお前の全力を受け止めてやるんだ!」
「っ——!!」
一瞬の静寂。
氷華の瑠璃色の瞳からぽろぽろと大きな涙が溢れていく。
「ありがとう……ございます……っ」
「大丈夫、心配すんな! 俺はお前のそばにいる……これからも!」
自分を拒絶するのではない。『怪物』と恐れて逃げるのではない。彼は圧倒的な絶望を突きつけられてなお、元気に笑って自分のいる場所まで登ってくると宣言してくれたのだ。
遅れて、拍手がパチパチと響いてくる。少ないが、確かに音が鳴っている……あかりたちだ。
「ウチもー! 戦いでは及ばないかもだけどー! 一生友達だからー!」
「あたしも! 1人だと思うなよー!」
「私も忘れるなー」
「あかりさん……結衣さん……宵さん……」
友達がいる、ライバルがいる……孤高と呼ばれた彼女はこんなにも温かい存在がそばにいることを誇らしく、とても嬉しく思っていた。
「もう……迅さんも、みなさんも大袈裟ですわ」
氷華は濡れた目元を制服の袖で拭うと、胸の奥から溢れ出す愛おしさにくすりと微笑んだ。その笑顔は氷を溶かす陽射しのように柔らかい。
「ですが……楽しみにしていますわね、迅さん。私の隣に並び立ち、私を越えてみせるというその言葉……嘘にしたら承知いたしませんから」
「おう! 望むところだ!」
迅はニッと大きく笑い、豪快に自分の胸を叩いてみせた。
かつて氷華にとって『強さ』とは、誰かを遠ざけ、自らを孤独の檻に閉じ込めるための呪いのようなものであった。しかし今、目の前で太陽のように笑う少年の熱が、そして温かく自分を呼ぶ仲間たちの声が、その氷を跡形もなく溶かしていく。
(ああ、私はもう一人ではありませんのね)
(……ぜってー勝ってやる。元々俺はこの学園で一番強くなる予定だったんだ……それなら、氷華も超えるぐらい強くなって、全部全部乗り越えてやる!)
青空を見上げる氷華の胸に、かつてないほど清々しい風が吹き抜けていった。