貞操逆転世界のメンズエステで働くことになった 作:カラスあげます
あの悪夢のような施術から数日が経過しても、俺の全身を苛む不安と絶望は一向に収まりを見せていなかった。
まぶたを閉じれば、暗闇の中でぬるぬるのオイルを纏った素足が股間にズシリと乗せられる感触や、呼吸を奪われるほど顔面に押し付けられたコトネさんの圧倒的な体熱、そして可憐な顔立ちの奥に宿っていた狂気じみた笑みが鮮明に蘇ってくる。逃げ場を失った俺の心は完全に悲鳴を上げていた。
ガラス張りの窓から外を眺めると、駅前のスクランブル交差点には絶え間なく人々が行き交い、曇天の空から落ちてくる微かな霧雨がアスファルトを薄黒く濡らしていた。
都会の喧騒から遮断されたジャズが静かに流れるカフェの店内。テーブルの上のカフェラテはすっかり冷め切り、表面に張った薄い膜が、俺の混濁した思考そのもののように揺れている。
店のオーナーにも誰にも打ち明けられず、自分一人の胸に抱え込むにはあまりにも重すぎる泥沼。そんな俺が唯一すがる思いで連絡を取った相手が、間もなくここへやって来るはずだった。
「コウ君……だよね?」
不意に頭上から掛けられた声に、俺は弾かれたように跳ね上がった。
振り返った視線の先に立っていたのは、一瞬でカフェ内の空気から浮いてしまうほどの強烈な存在感を纏った人物だった。
黒を基調とした地雷系のモードファッション。ダボついたオーバーサイズのジャケットに、華奢な身体を包むルーズなパンツ。長い黒髪の合間からは、幾重にも重なったシルバーピアスが光を反射している。印象的な目元には丁寧に暗めのメイクが施され、鼻元を覆う黒いマスク越しでも、その顔立ちが驚くほど整っていることがはっきりと分かった。
「……っ、カ……カイさん!?」
俺は慌てて席から立ち上がり、深く頭を下げた。
「直接会うのは、はじめましてだねー」
カイさんはマスクを少しだけ下げ、目元を細めてにこっと柔らかく微笑んだ。
その仕草ひとつ、立ち振る舞いひとつに独特の艶と浮世離れしたオーラが漂っている。
この人こそが、俺が働くメンズエステサロン『GOD SELENE SPA』で圧倒的な指名数を誇る人気No.1セラピスト、カイさんだった。
右も左も分からぬままこの怪しげな業界に飛び込み、怯えていた俺に対して、店舗のグループチャットで最初に気さくに声をかけてくれたのが彼だった。接客のコツ、指名を取るための写真の撮り方、厄介客への最低限のあしらい方まで、メッセージ越しに親身になって教えてくれた恩人である。
だが、互いにシフトが重なることがなく、連絡もすべてアプリ上のやり取りだけだったため、こうして対面で顔を合わせるのは今日が初めてだった。
(……すごいな。かっこいいけど、なんていうか……纏ってる雰囲気が異次元だ……)
実物のカイさんを前にして、俺は圧倒されるような感覚を覚えていた。華奢でありながら全身から匂い立つような色気と、どこか全てを見透かしているかのような冷ややかな底知れなさ。それが同居した、まさにNo.1に君臨する男の凄みのようなものが肌に伝わってくる。
「座って座って。そんな固くならないでよ」
カイさんはしなやかな動作で向かいのソファー席に滑り込み、店員に豆乳オレを注文した。そして、あごを手に乗せて俺の顔をじっと覗き込んでくる。
「うん。僕も会えて嬉しいよー。写真よりずっとかっこいいね! 最近、グループチャットでもコウ君の指名が増えてきてるって話題になってたけど、実物見たら納得だよ」
「い、いえ……そんなことないです。本当にカイさんのアドバイスのおかげで……」
「ふふ、謙遜しちゃって。……で? メッセージで『どうしても対面で相談したい』って言ってたけど、一体どうしたの? かなり落ち込んでるみたいだけど」
豆乳オレが運ばれてくると、カイさんはストローに口をつけ、表情を少しだけ真剣なものに変えた。ガラス越しに差し込む淡い光が、彼の影のある横顔を照らしている。
俺は息を呑み、拳を膝の上で固く握りしめた。
店内で流れる穏やかなBGMとは対照的に、俺の胸の中では心臓が早鐘のように打っていた。
どこから話すべきか迷いながらも、俺は絞り出すような声で、コトネさんとの間に起きた出来事をかいくぐりながら話し始めた。
彼女のエスカレートしていった常軌を逸した要求と、俺を完全に支配しようとしてきたサディスティックな言動。施術ルームで起きた恐ろしい脱衣や過激な行為、
さらには、俺が断れないように盗撮されたマンション出入りの写真や動画を盾に脅され、断れば警察や店にバラすと暗に匂わされていること――。
混乱した頭で必死に言葉を紡ぐ俺の告白を、カイさんは時折豆乳オレを飲みながら、黙って聞いていた。
「……え……何その女。やばいね……」
一通り話し終えると、カイさんは呆れたように息を吐き、黒髪を指先で弄りながらつぶやいた。その瞳には、軽蔑と呆れが混ざり合ったような複雑な色が浮かんでいる。
「店長には相談したの?」
「いえ……まだ、相談できていないです」
俺は力なく首を振った。
「俺がマンションに入っていくような写真も撮られちゃってて……もしNG(出禁)にしたり店長に言ったりしたら、何をされるのか怖くて……。警察に通報されたり、ネットに晒されたりしたら、俺の人生本当に終わっちゃうと思って……」
恐怖で声が震えた。もし店や公的な機関にバレれば、セラピストとしての立場どころか、社会的な死が待っている。そう思い詰めていた俺にとって、この数日間はまさに生きた心地がしなかったのだ。
だが――俺の悲壮な覚悟とは裏腹に、カイさんは「うーん……なるほどね」と顎に手を当てて少し考え込んだ後、案外あっけらかんとした調子でこう切り出した。
「コウ君、ちょっと考えすぎだね」
「……え……?」
思いもよらない言葉に、俺は耳を疑った。
「話を聞くだけだとさ、それくらいの証拠じゃあ全然何にもならないよ。僕はこの業界そこそこ長いけど、そんなんで捜査が入って捕まるようなことは、まあ無いだろうね」
「そ……そうなんですか……!? でも、マンションの一室で施術してて、裏でそういう過激なオプションっぽいことまでさせてて……ちょっとでも警察にバレたら絶対やばいと思ってたんですが……」
縋るような思いで尋ねる俺に、カイさんはクスッと軽く笑い、肩をすくめた。
「うん、警察はそんな簡単に動かないよ。そもそもメンズエステ自体がグレーゾーンな業種だけどさ、警察も暇じゃないから、大規模に手を広げて組織的にガッツリやってるような大きいグループを優先して叩くんだよね。
僕たちみたいなマンション一室でやってる小規模店なんて、優先順位としてはめちゃくちゃ低いんだよ。本当に違法な性サービスをしてるのかどうかだって、私服の警察官が潜入捜査したりして、証拠を何重にも固めなきゃ動けないからね。素人の客が撮った『マンションに入る写真』程度じゃ、警察も『ふーん、で?』って感じで相手にしないよ」
カイさんはストローで氷をカランと鳴らし、安心させるように優しく微笑んだ。
「だからさ、その女の言うことなんて気にしないで、きっぱり断って跳ねのけてもいいと思うよ。事情も店長に話していいと思う! まあ、これは僕が店長に取り次いであげるからさ、安心しなよ」
「っ……カイさん……!」
胸の奥に広がっていた暗雲が一気に晴れていくようだった。
一番恐れていた「警察への通報」や「社会的な終わり」がただの相手のハラキリに過ぎないこと、そして何より頼りになるNo.1のカイさんが間に入って店長に取り次いでくれるという事実。
独りよがりに恐怖を膨らませていた俺の冷え切った心に、強い安堵と感謝の熱が広がっていくのを感じた。
しかし、カイさんはそこでフッと表情を崩すと、窓の外の風景へ視線を向けた。駅の向こう側に広がる、整然とした街並みを見つめる彼の表情が、急に少し陰りを帯びる。
「うーんでもさ……学校とかの公的な施設とか、観光地、あとは閑静な高級住宅街が近くにあるエリアだと、警察も地域住民の手前、徹底的にやりに来ることもあるんだよね……。ほら、この近くにも慶明大学があるじゃん?」
「あ……」
「この辺って住んでる人も品が良くて、街の雰囲気もキレイ目でしょ? そういう文教地区に近い場所だと、近隣からの苦情一発で警察が本気出すこともあるから、そこはちょっと気になるかなあ」
カイさんの言葉に、俺の心臓が再び嫌な跳ね方をした。
「あ……ちょうど、その客の女性も……慶明大学の学生なんです……」
「え!? マジで!?」
カイさんは目を見開き、心底驚いたように声をあげた。
「そうなんだ……。なんかさ、金持ちで育ちがいいお嬢様って、家庭の教育とかが厳しすぎて、逆にどこか歪んじゃうのかなあ……。まあ、それはともかくとして」
カイさんは指先で机をトントンと軽く叩きながら、声を一段低くした。
「僕たちの店、まだ開店して1年も経ってないからまだマシな方かもしれないけど……その撮られちゃった動画や写真とは関係なく、店自体がすでに警察や当局からマークされ始めてる可能性はあるんだよね」
「……っ!?」
安堵しかけた胸に、再び冷たい針が突き立てられたような感覚だった。
「特にさ……掲示板でコウ君の書き込みとかも、最近結構盛り上がっちゃってるでしょ? 警察とか風俗環境のチェックをしてる機関って、そういうネットの掲示板とか口コミサイトの情報をもとに目星をつけてマークするらしいよ」
カイさんが口にした言葉の中に、俺の耳を疑うような単語が混ざっていた。
「……す、すみません……。掲示板で……俺の書き込みがある、っていうのは……一体なんですか……?」
「あ……知らなかったの!?」
カイさんは意外そうに目を丸くした。
「まあ、セラピストはメンタルやられるから掲示板は見ない方がいいんだけどさ……。ちょっと待っててね」
カイさんはポケットから最新型のスマートフォンを取り出すと、慣れた手つきで画面を素早く操作し始めた。青白い画面の光が彼の美しい顔立ちを照らし出す。数秒の後、「あ、このサイトだよ」と言って、スマホの画面をテーブル越しに俺へと差し出してきた。
俺は息を殺し、恐る恐るその画面を覗き込んだ。
画面の上部には、目に入るのも恐ろしいタイトルが踊っていた。
『GOD SELENE SPA コウ君攻略 報告スレ 5ページ目』
そこは、当店を利用する女性客たちが、匿名の裏でセラピストの評価やプライベートな情報をリアルタイムで交換し合う、過激な裏掲示板だった。
画面を下にスクロールしていくと、そこには俺の名前を冠した無数の書き込みがびっしりと並んでいた。
205:名無しさん
私のお尻見てボッキしてたーww
眼福ゴチですww
206:名無しさん
まじでコウ君ドスケベすぎる
可愛いし感度もいいので最高です
207:名無しさん
そろそろフルオプション入れさせてほしい
まじであと一歩でいける
208:名無しさん
あれ、まだパンツオプションまでしかできていないん?
あたし次回フルオプションの確約とりましたーw
お前らお疲れ!「先」にいってきます(^▽^)/
209:名無しさん
>>208
いや、意外とそこからが長いから。
私は何回それにやられて金落としてきたかわからん
まじで!
いつか〇す
「な……なんだよ、これ……」
俺の口から、掠れた声が漏れ出た。
血の気が引いていくのが自分でも分かった。画面に並ぶ卑猥で生々しい言葉の数々。俺が必死にセラピストとして接客し、恐怖や背徳感に耐えながらこなしていた施術が、裏では女性客たちの格好の「娯楽」として消費され、品定めされていたのだ。
今まで俺は、店で決められた一線を越えないよう、本番行為や決定的な一線を頑なに断り続けてきた。だが、彼女たちにとってその拒絶は、むしろゲームの難易度を上げるようなものであり、逆に彼女たちの欲望と執着を狂乱のように燃え上がらせる結果を生んでいたらしい。
(俺の知らないところで……こんな会話が交わされていただなんて……)
欲望の対象として群がり、俺をどうにかして崩壊させようと群がる女性たちの醜悪な熱量。
その一方で、男として求められ、これほどまでに執着されているという事実に、恐怖と同時にどこか頭の奥が痺れるような、甘く歪んだ優越感がほんの僅かに混ざり込むのを否定できなかった。自分でも嫌になるほど複雑で狂った感情が、胸の中で渦を巻く。
「性欲ばっかりできもいよねー、女の掲示板ってw」
カイさんは呆れたように笑いながら、スマホを回収してポケットに仕舞った。
「でも、これだけ色んな客から言い寄られても、頑なに本番行為をしないで踏みとどまってるのは偉いと思うよ、コウ君。うちは過激店だからさ、裏で客と本番しちゃってるセラピストも結構多いからねえ。僕も基本的にはあんまりしないけど……」
「……過激店……?」
俺は思考がフリーズした。カイさんがさらりと口にしたそのワードに、引っかかりを覚えずにはいられなかった。
「……なんですか……それ……?」
「え……?」
カイさんは、今日一番の驚きといった様子で目を丸くし、ストローを口から離した。
「えっ……嘘でしょ? この辺の説明も店からされてなかったの……? あのオバサン店長、一体何やってるんだよ……」
カイさんは呆れ返ったように頭を抱え、深いため息を漏らした。
「あのね、コウ君。そもそも普通のメンズエステっていうのは、アロママッサージで客を癒すのがメインの場所なの。オプションでセラピストがパンツ一丁になったり、客と一緒に全裸になったりなんて、普通はあり得ないことなんだよ」
カイさんは指を立て、懇切丁寧に諭すように言葉を続けた。
「そういう、脱ぐオプションがあったり、暗黙の了解で性的なサービスが組み込まれてるような店のことを、業界用語で『過激店』って言うんだよ。逆に、そういう過激なサービスが一切なくて、セラピストも客も衣服を着たまま健全にマッサージをするのが『健全店』。健全店でも裏でお金もらって触らせたり本番する奴はいるけど、システムとして脱がせるのはアウトなんだよ」
「……っ!」
「だから、うちの『GOD SELENE SPA』は完璧な過激店。客も最初からそういうギリギリの性的サービスや、男を玩具にして楽しむことを求めてやってくるような店なんだよ」
ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
自分が働いていた場所が、ただのマッサージサロンなどではなく、最初から性的な境界線を踏み越えることを前提とした「過激店」だったという事実。
少しでもこの業界について調べたり、疑問を持って勉強していれば、もっと早く気づけたはずだった。無知ゆえに俺は、知らず知らずのうちに足を踏み入れてはいけない危険な底なし沼へと自ら飛び込んでいたのだ。
ショックで言葉を失い、蒼白な顔で固まる俺を見て、カイさんは表情を真剣なものへと引き締めた。
「そういうのもあってさ……さっきの話に戻るけど……」
カイさんは声を潜め、俺の目をじっと見つめてきた。
「僕たちの店……正直、ちょっとかなり危ないかもしれないんだよね」
「え……」
「うん。本当は今日、ここまで深く話すつもりはなかったんだけどさ。コウ君があまりにも純粋で、可哀想に思えてきたから正直に話すね。店長も売上しか見てないし、あの店舗、危険なエリアで好き勝手やりすぎてるんだよ。掲示板も荒れてるし、ターゲットにされたら一発で終わりかねない」
カイさんは静かに身を乗り出し、決定的な言葉を俺に突きつけた。
「そのやばいコトネって女のこともあるしさ……。このタイミングで、店、やめたほうがいいかもよ?」
「―――ッ!?」
カフェの喧騒が、一瞬で遠のいた。
最初はカイさんという強い味方ができて安心したはずだった。だが、次々と明らかになる店舗の危険性、裏掲示板の醜悪な真実、そして「過激店」という過酷な現実――。
そして締めくくりに告げられたのは、No.1セラピストであるカイさんからの唐突な「退職の勧め」だった。
コトネさんからの異常な支配と執着。
警察や公的機関からの摘発の影。
裏掲示板で繰り広げられる俺を標的にした熱狂。
そして自分が立っていた場所の崩壊――。
短時間で叩きつけられた衝撃の数々に、俺の頭は完全にパンクし、激しい眩暈とともに、ただ震える唇を固く結ぶことしかできなかった。
そんな俺の動揺を見透かしたように、カイさんは唇の端をふっと釣り上げ、妖しく細めた瞳で俺の顔をじっと覗き込んだ。その黒いマスクの奥で、彼の笑みが一層深まったような気がした。
「……ま、いきなり言われてもパニックになるよね」
カイさんは指先でストローを滑らせ、ゆっくりとソファーの背もたれに身体を預けた。シルバーピアスがシャラリと小さく鳴り、彼の周りの空気が一瞬で濃密な毒を含んだような雰囲気に変わる。
「せっかくだからさ……このお店ができた経緯とか、あの店長のことも教えてあげるよ」
主人公の立ち位置について
-
主人公が責められる方が好き
-
主人公が責める方が好き