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山岳地帯での配送にも、たまには楽しいことだってある。
ドクター・ハートマンの研究所がそれだ。ここではハートマンの希望で露天風呂が用意されており、博士はここを訪れるポーターらに寛大にもしこの施設の使用を認めてくれていた。
そのせいで僕たちはここを訪れると必ず使わせてもらっている。
ポーターにとって必要なことに入浴というものがある。
外出することで必ず衣服や人体に付着してしまうカイラル物質を、人が暮らす施設に持ち込ませないためにも必須とされている。
そうなると問題になるのが、犬のアリーである。
犬種として長毛であることから実を言えば頻繁に洗うのはあまりよいとはされないのではあるけれど。アリー自身は兄弟とシャワールームに入ることには問題はないらしい。
犬によっては自分を濡れネズミにすることを嫌うのもいることを考えると、これは大いに助かる話ではある。
ただ、それでもトラブルはあるもので。信じられないことに場所によってはこの犬畜生が人が使う施設に入ることを拒否してくるところは少なくなかった。
犬と人間、どれほどの違いがあるんだよ。
そんな不満もないわけではないのだが。そもそもしにしてデス・ストランディングの世界を散歩気分で犬を連れているポーターは自分達くらいしかいないわけで。
自分たちは特別に扱え、などと主張するのも変な話と思うので。文句を言われると衝突を避け、やってはきていた。
閑話休題。
とにかく露天風呂なのだ。
兄弟はアリーのために常に犬用のシャンプー。2種類の櫛とドライヤーを持ち歩いている。いつもは狭いシャワールームなので兄弟のどちらかでワシワシと洗うのだが、ここだと昔のように2人の手で泡まみれにすることができる。
そこからサッと泡を流すと、湯につかって周囲を見回す。
周囲の山は極寒の世界。装備に不備があれば凍傷になってしまうような気温なのに。
若者たちは素っ裸で犬と一緒に湯につかる。
なんという贅沢か。
ゆるみ切った表情で湯を楽しんでいると、珍しいことにこの施設の主が話しかけてきた。
「おお、君たちか。今日も私の温泉を楽しんでくれているようだね」
この施設に常駐していながら、この施設の主はポーターに姿を見せることはほとんどない。
だが時々ではあるが、こうして会話をすることはあった。
「博士、ごちそうになってます」
「ここ最高ですよね」
「うんうん、構わないよ。好きなだけ楽しんでいってほしい。君たちくらいだよ、そこで数時間も楽しんでくれるポーターは。愛してくれて私は満足だ」
答えに困り、なんとなくアハハと笑ってごまかす。
「湯の魅力、これを理解してくれる人は本当に少ないんだよ。ポーターであるならばカイラル物質の問題から清潔さ、というものを理解しているはずなのに。
私の露天風呂をすすめても、あまり使ってはくれないんだ。まァ、ポーターの中には女性もいるから理解はするが。あのサムですら、5分もいない。悲しい話さ」
「サム?ブリッジスのポーター?」
「そうだ。彼はBBと一緒に湯につかってるんだよ。面白いだろ?
だが長湯は嫌いらしい。『湯冷めしたくない』。『子供に長湯はよくない』なんて言うんだ、本当の親子みたいだ」
「へぇ」
ハートマン博士から面白い話を聞いていると、アリーが何か言いたそうにぅうと声を出し、ひと声だけ吠えて挨拶する。
「おお、今日もお嬢さんは元気だね。君も楽しんでね。そこでおしっこやウンコされると困るが。なに、私ではないが毎日ちゃんと清掃はしているからね。気にしなくてもいいよ」
『感謝します、でも大丈夫ですよ。アリーは外を歩くときにトイレは済ませますから』
「なるほど。賢いね」
自分が褒められていると分かっているのか、アリーの顔もヘラッとニヤけるように崩れかけている。
「で、今日はこの後どうするんだい?他のプレッパーズに会いに行く?」
「いえ、配送センターに戻ります。もしくはこの近くにほかのポーターが設置してくれた仮住居もあるんで、そこで明日の朝を迎えてもいいかなって」
『ん、それならひとつ君たちにテストの協力を頼みたい。ただ問題が起こった場合、君たちを夜の山の中に放り出してしまう可能性はあるんだが』
「危険なことですか?」
「そうじゃない。とりあえず、サブオーダーに出しておくよ。そこで説明する。興味があれば、ぜひ引き受けてくれ。結果はちゃんとブリッジスに報告が行くから、それじゃ」
今日は博士と長く話すことができた。
彼はブリッジスのメンバーであり、DOOMSの研究者だ。人前に出ないのは21分毎に生死を繰り返すから、なんだそうだ。
正直、理解しにくい奇病(?)ではあるが。たしかにそんな症状の人を前にしたら自分がどうふるまっていいのか想像ができにくい。
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風呂から上がって施設の端末に確認に行くと確かに新しい契約がアップロードされていた。ハートマン博士のこのオーダーは確かに少し変わったものではあった。
『やぁ、兄弟。今回は少し変わった依頼をしたい。
現在ブリッジスではカイラル通信を用いた自動配送システムのテストがおこなわれているのは知っているだろう?そこでは少量の鉱物や荷物を持たせ、無事に目的地に配送できるのかを実験している。この研究所からも定期的に、ロボットを送り出しているんだ。
で、今回は少し変わった配送を試したい。
用意した荷物を君たちに背負ってもらった上で、送り出すロボットに乗って配送センターに戻ってほしいんだ。
犬はケンジが背負った方がいいと思う。重量が増える分には問題ない。
この自動配送システムは、人の移送というのも可能だ。
だがこのテストのデータがまだまだ足りていないんだ。なにせ一般人に頼むわけにもいかないわけでね。
ブリッジスはなぜかこのテストを前倒しにして進めたい、と言っているので。君たちに協力を求めたい。
最悪の場合、夜の山の中で投げ出されるという可能性があるが。
その場合は壊れたパーツはその場に放置して、君たちは自分のために必要なことをしてくれたらいい。そんなことにはならないとは思うんだ。
では、前向きに考えてくれ』
メッセージが終わると同時にロッカーが出現し、片膝をついていた人間の下半身をかたどった2台のロボットが現れた。
先日も谷底で走り抜けていた、まさにあれが目の前に現れた。
僕たちは好奇心から、この依頼を引き受けることにした。
実は最近、あのサムがこれに乗って移動しているのを見たという噂を聞いていたので。それが自分たちも体験できるなら、というわけだ。
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夕刻の雪原を駆け抜けていく2台のロボットは安定していた。
荷物に人に、犬まで加えて乗せているのに。リズミカルにスピードを出し、荒れた地面も器用に対処し、何より疲れが全くない。
せめて気になることがあるとするなら、恐らく関節から聞こえる噛み合う歯車のような音くらいであろうか。
この自動配送システムが言われている以上に優れているということは理解した。
研究所の長い階段を抜け、勾配のきつい坂も変わらぬ出力で移動できる。リズミカルに上下に揺られながらも、時々ついてくるアリーを背負ったケンジに目をむける。
自分と同じように揺られているケンジの背中に、アリーは立って奇妙な体験を楽しんでいるように見えた。
夜が来ると、腰の両脇部分にライトが出てきて。前方をかなり広角に照らす。
これにはちょっと心配したくなった。
夜の山岳地帯でこんなに明るいライトが動いていたら、遠くからでもミュールやテロリストからみつかってしまうはず。まァ、この辺りには連中はいないはずなので大丈夫だろうとは思うのだが。
ハートマン博士はこの経験はブリッジスに送られると言っていたが。別に自分たちも荷物として思ったことを送ってみるのもいいかもしれない。
配送センターには深夜に到着する。
笑えたのは配送ロボットに僕たちがそれぞれ腰掛けて入口に現れたことに職員とポーターたちが目を丸くして驚いていたことだろうか。
そんな危険と驚きに満ちた日々は、いきなり終わりを告げた。
その日は明け方から天候が急変し、ポーターらに外出禁止命令が下された。カイラル濃度は急上昇、敷かれた国道はカイラル粒子で火花を散らして異常を訴えている。
誰が流したのかはわからないが、噂ではブリッジスがついにエッジノット・シティに到ったが。なにかしくじったのではないか。歴戦のポーターでもそんなことを口にしてしまうくらいに不安を感じていたのである。
皆が不安を押し殺すようにして集まる中で。僕たち兄弟はアリーのそばに立ち、驚くほど穏やかな気持ちで荒れ狂う大地を見つめていた。
カエデは考える、死は本当に恐怖なのだろうか?
自分にはもうわからなくなっていた。生きていることが重要だ、死んだらおしまいだという奴はまだ若い自分の人生でも何人か見てきた。
だが実際に死んだ人たち。つまり様々なBTに襲われ、逆に襲ってきた自分には恐ろしいという感情は薄れてきているのを感じる。
逆に思ってしまうのだ。
すべての始まりの時、母の胎内からこの世界へと生まれ落ちた瞬間。その時の自分に恐怖はなかったのだろうか?と。
いつまた死に包まれ、この世界から拒絶される日が訪れるかもしれない恐怖。それはなかったのだろうかと。
考えても答えは出ない。
夜、いつもアリーはケンジの部屋で眠っていた。
だが今日は廊下で別れる際、自分がアリーを抱き上げて部屋に入っていこうとした。当然、弟から非難の声が上がる。
「ちょっと!」
「なんだ。おやすみ、また明日」
「それはいいよ。なんでアリーを連れていくのさ」
「ん?まァ、こんな夜だしな。人肌ならぬ犬肌が恋しいのさ」
「バカなの?何言ってるの?」
「アリーは俺の犬だぞ。たまには譲れ、弟。それじゃオヤスミ」
突然の兄の横暴な振る舞いに愕然としているケンジは、兄に抱かれて肩の向こうからこちらを見て居たアリーが。じゃあね、というように楽しそうに消えていくのが恨めしい。
クスクスと押し殺す笑い声が聞こえ、ケンジは自分たちを見ていた誰かがいたことに気が付いた。廊下の良く見えない影のところに立っていたのはカイ。
23歳、ネイティブ・ハワイアンの血を引くという彼女は筋肉質でありながらもふくよかさも持っている。この配送センターで出会い、この場所で兄弟と並んでルーキーでもある。
「ちょっと、今のなに?」
「なんだよ」
「お兄ちゃんに彼女を取られた、ショッキングな現場だったの?」
僕はその言葉にムカッとした。
年上だらけのこのエリアにあって、ある意味唯一年齢が近いことから気軽に話せる相手だとは思っていたけれど。今の彼女の言葉の中に、子供に向ける冷笑のようなものを感じてしまった。
「あの人はぬいぐるみがわりにって言っただけだよ。彼女じゃない」
「怒ってるの?そんな気にしないで。ただ、なんか凄い顔してたからさ」
「別に……」
なんなんだよ、コイツ。
カイは近づいてきて背後に回りながら小さな声で変なことを言った。
「ね、寂しいならさ。今夜はお姉さんが一緒に寝てあげよっか」
「——っ!?」
「どう?」
不愉快のメーターが一気に振り切れる。これがカイラル濃度の影響ということか。
カイラル・エネルギーに肉体と精神に影響があって、このバカ女のまなざしから声から全部が今は気に入らない。
「うるさい。ガキ扱いするなよ」
「え」
ちょっとした動揺から感情を見せなかったけれど、もうその必要はない。不機嫌一杯に言葉を残すと、肩を張ってその場から力強く歩き出す。
ナニが寂しい、だ。からかいやがって、面白いってんなら好きなだけ腹の中で笑ってろ、バカ女がっ!!
翌朝、世界は変わらず終わりかけたままだった。
センターに閉じ込められた人々は憂鬱な気分で目を覚まし、ため息交じりに食堂に集まって朝食をとり始める。
その中にはカエデとアリーがいた。
最近のルーティンとしてAでもBでもなく。枠外のC定食とアヒル肉のドッグフードを選んで席に座る。
ふと、そのタイミングで食堂に不機嫌顔のカイが入ってくるのを横目で確認した。別に声を掛けたり、合図を送ったりもしなかったが。
彼女はA定食をもってカエデの席の正面に座ってきた。
「オハョ」
「おはよう、意外な登場だ。ひとりで、それも酒をやったんだな」
「ナンだよ」
「説明がないのかな、と」
「笑う準備がるってことね、いいw。失敗だよ、失敗。失敗」
「——冗談だろ。お前さァ」
別に彼女に借りがあるわけでもなかったのだが。
カエデが夕べ、弟とアリーを離したのには理由があった。
「わざわざ思い人の兄貴を呼び出して、マジな顔で『あんたの弟とヤリたい』とか血迷ったこと告白してきたのに」
「あ!?そうはいってねーだろ、クソ」
「色々言い訳してただろ。カイラル濃度のせいで不安だとかなんとかさ。それを理由に年下の少年をたぶらかしたいって」
「ㇱね」
「恐らく童貞だし、ちょっと色目を使ったらサカッた犬になるから頑張れって。何で失敗できるんだよ」
「カイラル・エネルギーをなめてたんだ」
「どうせ上から目線で、女を教えてやるとかなんとか言ったんだろ。バカだね、カッコつけようとしたんだろ。一生懸命かわいい顔して縋りつくだけでいいのにね」
「オマエうざいな。やっぱ席替えるわ」
ダルそうな彼女は不機嫌な顔で席を移動してしまった。
やれやれ、こんなところで惚れたはれたは狂ってるな。なんて思ったが、案外の事。彼女の方もピュアな感情だったのだろうか。年上としてのプライドが邪魔したのは間違いなさそうだ。
——哀れな、笑えるけど
弟は癖のある性格をしているから、自分からは仲直りはしないだろうが。すべては彼女の言った通りカイラル濃度のせいなのだろう。数日をかけて仲直りさせてやるくらいまでは、共犯者としての義務と考えてやるべきか。くだらないことで、この先いがみ合う関係になられても困るしね。
そう、たとえその先に世界が終わってしまうとしてもね。
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結局、それでも世界は終わらなかった。
のちにラスト・ストランディング。その前夜、みたいな言い方をされる現象。
人々を怯えさせた環境は7日ほど続き。ふたたび穏やかな世界へと戻っていった。
何が原因でそんなことが起こったのかは相変わらず不明のままではあったけれど、政府職員のつながりで遠征隊は無事にエッジノット・シティに到着。
その後、サムに色々あったが無事に任務を完了したらしい。
外出可能との判断が通達されると、配送センターから再びポーター達が外に出ていく。
閉じ込められた期間があったからこそ、何か困っている人たちがいるとわかるから。
ミュール、テロリスト、BT、座礁地帯。
危険な存在達は変わらずにそこにいる。それらをかいくぐりポーターは荷物を届け、話を聞いてから帰還する。また次に来ると約束をしながら。
それからまもなく兄弟は、ポーターにとって西の果てから東へ戻ることにした。
帰る家のない彼らでも、時代の移り変わる匂いを感じ取ったからだ。新しい時代のため、そろそろ自分たちにふさわしい家族の家を用意する時期だと思ったのだ。
そんな兄弟と一匹が旅立つ日、旅立つ時間。政府が数日前から予告していた特別番組が始まった。
センターの職員もポーター達も、この時のために全員が集まってカイラル通信を通して流れてくる新政府の報道を見守っていた。
『……カイラル通信がこの大陸を再びつなぎなおしました。
そして
第2次遠征隊は大成功のうちに終わった。
絶滅主義者にしてテロリスト、ヒッグスはA・K・Aと発表。
このすべての計画の立案者であった前大統領ブリジットはすでに死亡し、遺体は秘密裏に処理され、埋葬も終わっていた。
新たな大統領の発表はこの新たな国の市民達に静かな驚きとともに受け止められていく。
『ここはもう、以前のアメリカではありません』
無人の出入り口でその言葉に背を向けて兄弟は出発の手続きをしている。それをさっしたアリーも床のにおいをかぐのをやめて2人のそばへ近づく。
人々が新しい国としての出発に心奪われる中で。兄弟は誰にも見送られることなくその場所を離れていこうとしている。
世界は少しだけ。だが割と大きな変化が起こったらしい、それだけわかっていれば若者たちには十分だったのだ。
空は相変わらず曇り空で、太陽はわずかも地上をのぞくこともない。”時雨”は相変わらず降るし、時にBTをこの世界に浮き上がらせる。
何かが変わったはずなのに、世はすべてこともなし。
「なぁ、弟よ」
「なにさ?兄貴」
「具体的にどこに住みたいってあるか?」
「え、どうだろ」
「考えてみたらさ。俺達は無謀にもこの大陸の東の果てから西の行けるところまで全部歩いたわけだろ。いろんな場所、いろんな人を見てきたってわけだ。
なら、そのどこかにひとつくらい気に入った場所があったはず」
「兄貴のはわかるよ。ハートマン博士の研究所、温泉が好きだもんね」
「馬鹿野郎、今出てきたところを言ってどうする。真面目に考えろよな」
お互いが自然、主人たちの間に挟まれるように並んで歩くアリーの背を見下ろす。
彼女は気の抜けた会話をしている主人たちと違い。頭を下げ、においと気配に集中して自分の役目を果たしている。
ああ、そうだ。
彼らの進む道に、新世界を歩くことに不安などない。
次回は明後日の夕方を予定