ルーシーという少女はいなかった。同じくアンジェリカという少女もいなかった。
同じようにリアムという少年もいないし。ザックという少年もいなかった。
UACの建国宣言後。
カイラル通信の中で歴史家たちは亡くなったブリジット大統領の評価について話し始めていると聞いた時。いなかった、かつての子供たちの胸は確かに音を立てて張り裂けた。
湧き上がるのは暗い感情の数々。だが最後にやってくるのはいつも付き合っていたアレ。
絶望。
己の肉体を、精神を。箱に詰めて歯車で引きつぶしにくるものだ。
デス・ストランディングという絶望の世界で生きる限り続く彼らの苦しみだ。
いなかった彼らの個人情報は、17歳より遡るほど黒塗りで消されていく。笑えるのはそれが生まれる前まで続き、百ページをこえて存在していることだろう。
彼らがその情報を自分の目で読むチャンスは死んでもない。実際、アンジェリカもリアムもザックも。それ以外のかつての子供たちは死ぬと存在から記録が消されていた。
消された理由はなんとなく理解している。
彼らはみな、特別ではあったが。特別であるために生み出された命であった、ということなのだろうと。
彼らの血縁上の両親は、毎日昼だけ家族になり。朝と夜は、彼らの家で彼らの別の家族と暮らしていた。それが当然のことで普通と思っていたからわからなかった。
昼だけの家族は15歳で終わった。
用意されていた自分たちの両親が消えると、今度は上司が現れてそれぞれの性能と成績だけを求めてきた。優秀であるために甘えを捨て、優れた結果を出せることが重要と互いに憎むようにしむけ。弱いことは悪だ精神と肉体に叩き込まれた。
アンジェリカは女性でありながら、鍛え上げられた男性に負けない肉体を持っていた。攻撃性も高く、ぶちのめして倒れる弱い男を嘲笑していた。
リアムは理性的ですべてにバランスが取れている成績を残していた。欠点らしい欠点はなく、それだけに裏で彼を頼る仲間は多かった。
ザックは陽気で体を動かすことが得意だった。なにが楽しいのか理解できないほど笑っていて、落ち込んでいた奴がいたら励ます。そんな快活な若者だった。
そしてルーシー。
この女はコミュニケーション能力に特化していた。肉体を自らデザインし、声の音程や顔を印象付ける化粧。異性を誘惑できる体のラインはすべて彼女自身が結果を出すために作り上げたものだった。
だが、ブリジット大統領が亡くなったであろうあの日から。
彼らの価値は変わってしまったようだ。上司が新しい人にかわると、皆は特別ではなくなり。UACが手放すはずもない普通のヒトと扱われ出した。
激しい競争と特別を奪われて、彼らは一気に壊れていった。
アンジェリカは勇ましい一方で、確かに女性らしい感性は備わっていた。彼女の子宮が癌化した時。絶望にとらわれ、治療を拒否した。
異常なほど発達した骨格が弱っていく彼女をさらに苦しめ、国が裏切ったのだとやせ細り、体も小さくなり、呪いながら死んだ。
能力が平均して高いリアムは、激しい競争の中で見るべき点のない凡庸な男と評価が一変したことでおかしくなった。彼は感情を暴走させ、競うはずの同じ存在に憎悪を向けると殺害してしまう。武装した警備兵に囲まれ、射殺された彼がぼろ雑巾のように廊下を引きずられたのが最後に見た彼の姿だった。
陽気なザックは笑顔のまま爆死した。
直前では「特別を失った自分たち」をどうはげませばいいのかとくだらないことで泣き叫んでいたというのに。自分はもう笑顔のままだと言って、自作の爆弾で見事に自分を吹っ飛ばして見せた。
でもルーシーは、ルーシーだけは自分に寄り添う絶望にはとらわれなかった。
特別ではなくなった自分の作り上げた能力が。上司や職員、兵士といった男たちからの欲望に満ちた目を向けられていることが苦痛だったが。流されるように彼らを利用して自分の人生を豊かにしようとは思えなかった。
それにかわるように、逃げるように女の恋人を作っても。今度は自分の欲望を満たす要求しかしてこない同じ性を持つ女たちという存在に傷つけられる。
そんな時、フラジャイルを知ることができた。
徐々に人が減っても補充されないオフィスで、ルーシーは初めて職場移動の願いを提出する。自分がなれなかった特別な彼女が新しく始める跳ね橋部隊。
そこで自分のしてきたことがどれだけ役に立てるのか発揮したいという狂おしい気持ちから出た行動だった。
却下、と告げる冷笑を浮かべた上司の顔は忘れることはないだろうが。
カイラル通信を通じてフラジャイル本人と接触できたことが救いになった。フラジャイルの声掛けで、彼女はオフィスを出て外でUACの宣伝工作に携わる新しい仕事につくことができた。
――こんにちは、変なところで会いますね
南米の公共施設の職員たちと接触を持つ中で、ルーシーはひとりのポーターが気になっていた。
記録によるとそのポーターは法で裁かれなかった殺人者ということだった。あの危険な男、ヒッグスのばらまいた戦闘データで学んだテロリスト容疑がある青年。
情報のひとつとして政府が隠して取っていた彼の戦闘データからVRで再現させたことがあったが。確かにそれは兵士の動きにしか見えなかった。
だから彼が拒否しないであろうペルソナを作り上げてから会いに行った。
不思議な感想を持った。そいつ――カエデは、ルーシーの目からは穏やかな目をした恐ろしい牙を持った獣の顔をしたヒトに見えた。その顔の向こうに何かあるのか、気になった。
この時も、彼がここにきていると思ったから近づいた。
任務としては上からヒッグスと接触があったのかどうか確かめろ、ということだったが。彼と自分が会う理由ができることがうれしかった。
この想いを自分から伝えることはないだろうけれど。
「やァ、今日もスタッフに会いに来たのかい」
「そんなところです。でも、カイラル通信で南米に戻ってるとも聞いたので」
「会いに来てくれた?それはうれしいね」
何か深く悩んでいたのだろうか。声や口元は笑っているようだが、その眼はいつもとは違う寒気が走るほど冷たい輝きを見せている。
ルーシーは怖いと思ったが、なぜか知りたいという欲求がわいてくるのも感じる。
「休暇で南米に、と聞きました。本気ですか?」
「確かにね。最初は悪くないって思ったんだ」
「最初は?では今は?」
「悪い狩りだけ選んでやってる。楽しい話にはならないから深くは聞かないでくれ」
「ですね。わかってます」
カエデの隣にある、自分の尻を置きたくないとがった石に腰かけた。
「では、オーストラリアで何かありましたか?」
「興味があるの?」
「はい。自分も跳ね橋部隊に参加していきたかった場所です。それに未来、カイラル通信が無事につながれば。プレート・ゲートを越えていく仕事ができるかもしれないので」
「キャリア・アップか。なるほど」
思った通りヒッグスの話は出なかった。
だが、話していると徐々にカエデの視線がまた穏やかなものに変わっていく変化を感じた。自分はどうやら彼の役に立てたようだ。
自分はこのポーターをどう考えるべきなのだろうと思う。
いつも人生の選択肢は一枚のカードだった。その中身も誰かが”ルーシーに適した”ものだけ渡されてきた。それは親であり、上司であり。
フラジャイルのおかげでオフィスから外の世界に出られたが。まだ上司はそこにいて、ルーシーの選択肢を決めている。
このポーターに期待することでまた違う未来が自分に来るのだろうか?
ーーーーーーーーーーーーーーー
北部の騒ぎは収まらない中で、跳ね橋部隊はついにオーストラリア東部に到達した。
カイラル通信は確実に広がりを見せてはいたが、同時にタール潮流をはじめとしてBTの活動も活発になり始め。
あちこちで大型BTが”時雨”と共に現れると、ポーターを襲い始めるということが増えた。
一方、ポーター達は北部の国道をASらを排除はせず。強引に敷設することに成功した。
もう2度とやりたくないとポーター達を呆れさせ、怒らせた作戦ではあったが。車体の左右にポーターを乗せ、資材を積み込んだトラック部隊の突入から強引に危険な山間部の合間に道路を通した作戦は非常に愚かだったと言われたし。
跳ね橋部隊のやりように不満を口にするものも増え始めていた。
そんなポーターの一組。中東系の顔立ち強めのガザラとマルタンは国道から離れてわざわざ看板をだしているピザ屋で昼食を取っていた。
ここのイカのピザはどうなんだ、と問い詰めたい気持ちはあるものの。名物にもなっていて中毒性のあるおいしさがある。
「なんだかんだでさ。カイラル通信もついにこの大陸の半分をこえたって発表あったばかりなのに。さすが伝説のポーター様だ。ヒッグスに大型BT、ASも関係ないのか」
「ふん、嫉妬か?」
「まさか!
どっちかというとアイツこそ化け物だって証明してると言ってるのさ。UACの救世主はここでも同じ評価がされる。うらやましいと本当に思うのか?死なない男といわれるだけあっておぞましいわ」
かつてアメリカで第2次遠征隊を一人のポーターに背負わせる、と聞かされた時。良識あるポーター達は10日もたたずに失敗するだろうと言いあっていたものだ。
そう、それがあのサム・ポーター・ブリッジスだと知るまでは!
「やっかむなやっかむな。考えてものを言えよ。
彼がやっていることは誰もかわりにはやれないさ。お前がやれると言い出したら、こっちは解散だと返してやるよ。報酬が何であっても、死にたくはない」
「だからサムだって?あいつはテメェの女房まとめて都市を吹っ飛ばした奴だぞ」
「蒸し返すなって言ってる。当時は何もわからなかっただけだ。調査結果はとうにでてるし、彼が原因ではない」
「なるほど。ヒーローらしく過去はきれいなモノってか」
「いい加減にしろ。それとそのバカは俺以外の前で口にするなよな」
「わかってる。やらないさ――わかった、話題を変えよう」
しばし無言でピザをむさぼる2人。
だがLLサイズで頼んでしまったので、まだまだ残っている。
「そういえばそろそろあの目出兄弟、戻ってくるんだよな」
「おい!こら、話を変えると言っただろ。次に出るのがあの兄弟は違う」
「わかった。えと、あれだ。幽霊の話だ」
「……ゴーストハンターのことか」
「このオーストラリアのあちこちで怪奇現象が見つかってるとかなんとか」
「あれか。とはいってもな、そもそも普通に死者が地上に戻ってきているわけだから。オカルト話があっても『そりゃそういうこともあるだろ』って感じだけどな」
「なんだよ、それ。話を終わらせるなよ、信じられねェ奴だな」
「だが事実だろ?最近じゃ、幽霊が国道を全力で走ってるとか。砂漠にタールの海ができて、廃墟の町をぷかぷか浮かべてたとか。笑ったのが、巨大な怪獣のBTが出たとか」
「くそっ、もういい。そういえば今、思い出したんだが。変な噂を聞いた」
「ん?」
「本当かどうか知らないけどな。あのUACのミュールがこっちにやってきてるって」
「そうなのか?なぜ?」
「わからん。もうあそこには俺たちの場所はないからよくわからんが。本当だと思うか?」
「ない、とは言えんだろうな。APACは俺達だけじゃなく、ミュールにとってもやっかいな存在だった。あいつらがAPACがいきわたっていない土地で活動しようと考えた、としても不思議ではないかもしれない」
「ここにはすでにブリガントがいて、ASも。ヒッグスもいるんだぞ?」
ピザは残り3枚。
誰が何枚食うか、ここから小さな食卓のレースはオーラスを迎える。
「そもそもここまで来れるかね?南米を越えて、ここまで来ても。どうやって活動する」
「ヒッグスがいるだろ。あいつから武器をもらえばいい」
「本気で言ってるのか?土地勘のない場所でゼロから始めるって、大変なことだろ」
最後の1枚に2人の手が伸びていく。
腹は十分にふくれたが、この1枚を譲る理由はどこにもない。激しい口論が開始されようとしていた。
唐突にサムは目を覚まして飛び起きた。
吐く息の白さに自分が雪山の中で凍死しなかったことに気が付いた。気を失う前には、背中に背負っていたはずの人がーー冒険者が。なぜか隣にねかされている。
まさか!?と思って確かめたが、ありがたいことに彼はまだ眠っているだけらしい。
現在、跳ね橋部隊は東部配達センターから大陸中央部へ。雪がつもる危険な高山ルートに進んでいる。
だが活動するには環境が厳しくなってきており、もう何度かはダメかもしれないと追い詰められることが起きている。
初対面から毎回のこと救助している冒険者だが。
今回はおかしな空間に一緒に取り込まれたりしたこともあって、サムと一緒にひどい目にあっている。
再び静かに眠っている彼を背負うが、指輪端末を起動させて現在地を確認すると顔が曇ってしまう。
ーーいつ山の反対側に来たっていうんだ
ここから目的地に向かうには、厳しい傾斜をのぼって下る必要があるということ。
時間にするとどれだけかかるのかなんて考えたくない。
それでもサムは歩き出す。
彼はずっと自分のことを考えることなくそうしてきて。今もそれをやっているだけだ。
だが次の脅威はすでに近くまで迫ってきている。
無心で山を登るサムは、あのいつも感じる違和感に足を止めて顔を上げた。
緑が買った曇り空以外、真っ白な世界の中に。危険な赤い影がたってサムを”観て”いた。
手を口で覆う前に思わず息を吐いたのが悪かった。
影は追いすがる人の形となってサムに突っ込んできて。しかしサムは背中の冒険者を思って身動きが取れず。最悪の瞬間が始まった。
白い世界に、重力を無視したタールの湖が広がり。
その中で坂を上るように引きずりまわされたサムは、唐突に放り出される。
またしてもひどい目にあったわけだが。しかし自分は正しい判断をしたと思いたい。
アイツに背中を見せて逃げ出したとして、背中の冒険者に接触させたらそちらのほうが恐ろしい結果になったはずだ。
タールに汚れながら、経験からこのあとで襲ってくるであろう大型BTの姿を探す。
タールが揺れる波間には何もいなかった。
だが、的は空にいた。
あれは鳥か?それとも飛行機?
こちらが見上げていると分かったのか。咆哮を上げ、巨体をひるがえして飛んでいる。
地上をはいずるサムが、空を飛ぶ鳥に何ができるというのだろう?
「助けてくれェ!!」
恥も外聞もない、素直に助けを求めた。
でもわかっている。ここは危険な雪山の中腹だ、そもそもにして人がいるわけでもない。
だがサムが声に出したのは理由がある。
タールの波がガボッと音を立てたのを聞くと、そちらに注意を向ける。そこではタールの底から何かが浮き上がる、というよりも飛び上がるようにして荷物が姿を現した。
誰にも信じてもらえないから、サムも特に口に出すこともないことがある。
この地上のすべてを飲み込んできたタールの海には、人の意識がのこっているのではないかサムは考えていた。正確に説明できることも、根拠もないがそう確信している。
取り上げた荷物はショットガンであったが、何もないよりはマシだ。
だが大きな黒い鳥はサムが武器を手にしたことが分かったようだ。
近づくと見せていったん離れた鳥の姿が、奇妙な音と共に変化した。
巨大な体を奇妙に丸めて開店するその姿はUFOであった。それが今度こそサムに向かって接近を始めている。
鳥のような飛んでいる奴を、ショットガンで仕留めてやると思ったら。
不気味なUFOになるなんて聞いていない。
サムは慌ててタールに足を囚われながら走り出した。
近づいてきて何をするつもりなのか知らないが。BTがなんもしなかった、なんて事は絶対にない。
雪山の死闘はまだ始まったばかりである。
次回は明後日のこのくらいの時間に