虚無に浮かぶ白銀の月   作:八堀 ユキ

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ラストまで残り3話

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分断

 最後の瞬間は、それまで見たこともない不思議な光景だった。

 光をさえぎる曇り空は一気に快晴となったのはいつもの通りだったが、大型BT達はいつものようにカイラル鉱石へと変化することなく。不思議な輝く水晶体になっていた。

 

 これこそがあの噂に聞いたBT捕獲技術の実演であった。

 

 ポーター達はようやく一息つく。

 皆が座り込み、または膝をつく中。カエデはかがんだ状態でそのすべてを見つめていた――なにかがひとつ、またタガをはずしてしまったのだと思いながら。

 

 

 それから3日、跳ね橋部隊はまだ沈黙を続けている。

 ポーター達は大きな仕事を終わらせ、体を休めていた。あとはサムと彼らの最後の報告を聞くのを待つだけ、そんな空気が流れていた。

 

 

 状況はいきなり最悪な方向へと転がった。

 情報に敏感なものたちがなんとなく予測していたこと。それがあろうことか現実に起こってしまった。

 

 APAC4000は、先のBT戦参加者にのみ。ガバメント名義で次の指名依頼を送ったのだ。

 この依頼は記述された文言も含めて。ポーター達を激怒させた。

 

――AS内で危険な動きが発生。これを制圧せよ

 

 どうやら新興のAS集団のひとつに懸念があるらしい。

 だが、問題はこの依頼に書かれた”制圧”の2文字だ。ポーターは兵士じゃない、そもそもUACにも所属しているかも怪しい達だ。国の暴力機関たる軍に所属などしていないのに、依頼は任務で誰かを制圧しろはふざけている、舐めてるのかという問題でしかない。

 

 誰一人と欠けることなく過去最大級のBTとの戦いを終えたばかりなのに。

 今度は人を相手に戦闘を喜んでやりたがる不愉快な連中と戦争して来いというのか!?

 

 冷酷に法務部をなのって契約を盾にこちらを黙らせようとする画面の文字と。沈痛な表情でも沈黙しながら依頼を取り下げないガバメンツ。

 激しい抵抗があっても、結論は変わらないであろう状況は。ただポーター達に無駄な時間を浪費させるだけでしかないことは皆も理解していた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 目出兄弟も苦悩の中にあった。

 あの戦い以降、アリーの雰囲気が一変してしまったからだ。

 

 タールの海に放り出されたアリーの犬用ポータースーツ(仮)の下にはタールが入り込んでしまった。

 それが原因でこれまでの知性と勇気を示す犬に恐怖心が刻みこまれ。今では兄弟が見えるところにいないだけでこれまで聞いたことのないような悲しい声で鳴き始める。理性を失い、落ち着きをなくす。

 

 こんなアリーを連れてポーター業は続けられない。それはもう明らかだった。

 

 だが、状況が彼らの味方を全くしてくれない。

 この時期に依頼を受けて不満を持つ者が外を出歩こうとすれば、APAC4000の監視を受け、契約破棄の動きと非難されると罪に問われる可能性すらある。

 

 一方で今のアリーにベストな環境は?

 そう考えると、思い浮かべるのは動物保護区しかなかったが、通信を通じて相談すると。彼らにアリーを預けるのは難しいし、辞めた方がいいとまで忠告されてしまった。

 今のアリーは兄弟がいないと平穏を保てない状態になってしまっている。兄弟と一緒に訪れない限り、恐怖心にとらわれているアリーが良くなる可能性は感じない。むしろより見知らぬ職員らにパニックを起こして悪化する可能性すらあると言われてしまった。

 

 もうすぐ時間がなくなる中で、雁字搦めで苦しむ兄弟のもとにコール音が響く。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 南米側のゲート・ポータルは今日も機嫌が悪いらしい。

 晴れることのない空は”時雨”こそ降らないが、雷が不規則に地上に落ちて誰にも近づかせないと主張している。バイクを止めてそれを眺めるルーシーは、こちらからのコールにカエデ返したことで口元に自然と笑みを浮かべる。

 

「私です。そちらはどうなってます?」

――どうなってる、と聞くからには。騒ぎになってることは知ってるんだな

「ええ。ガバメンツがASの排除を要求しているはず」

――そうだ、納得している奴は誰もいない。だが、抵抗は無駄だろうな

「そうですね。APACは確実に執行させるでしょう」

 

 言い終えるとルーシーは大きく息を吐く。

 AIがあらゆる生活を支えるようになって便利になったが。逆に人を通してなにかと都合をつけてもらうという特別な配慮というものは難しくなってしまっている。すべてはルールと合理の判断の中で処理され、権限の解釈は許されない行為になってしまった。

 実際、今回のAS対処についても。UACを中心としたブリッジスやフラジャイルのファンコミュニティでは動きは確認されていたが。この動きに牽制を入れることはできなかった。

 

 ポーターらの不満に思うことはあっても、何もできないのだ。

 

「今回のターゲットの正体は、あのヒッグスのテロリストでした。ご存じでしたか?」

――は?

「ええ、そうです。ヒッグスが姿を消した後、UAC内で彼の同調者たちは悲惨な状況に追い込まれました。組織の崩壊、それでも残ろうとした連中。

 山賊、盗賊、ミュールの真似事をしてなんとか生き残る方法を探していました」

ーーヒッグスのテロリストか

「最近ですが、UACのミュールの一部がオーストラリアを目指して移動しているという情報がありました。それにヒッグスのテロリストも同調したようで。その中のひとつが、そちらで急速に力をつけてきた、と」

――なるほど。APAC、もといUACが無視しきれない理由がそれか

「UACは他の大陸で自国の軍事力を使いたくはないし、明らかにしたくない事情もあります。これらに対処する方法は多くはありません」

――そうか。今、起きていることの説明にはなるか。ポーターをオーストラリアの傭兵として提供し。跳ね橋部隊にはヒッグスの横やりに邪魔されないよう装備の換装がまさに今、おこなわれている。

「関係はあるでしょうね」

 

 口の中に苦いものが広がる感覚に顔をしかめる。

 UACで自分たちはフラジャイルらのために何かができるかもしれないと思っていたが、何もできなかった。その事実が彼女の今の行動の理由となっていた。

 

 

 UACキャピタル・ノット・シティ政府施設。

 ここには旧ブリッジスの政府施設があったが、現在でもそこは目的不明の政府施設としてまだ存在している。

 

 その日、そんな場所にわざわざルーシーが訪れたのは。フラジャイルのファンコミュニティの力を合わせて実現させたチャンスを生かすためだ。

 しばらく前、ここに収容されたひとりのテロリスト。

 彼は今、このUACで囚人のような警備で守られ。客人のように不自由ない生活をしているらしい。

 

 問題はこの男に接触する手段がなかったということ。

 仲間と共にこの男の情報を引き出そうと試みたが、どれもこれもうまくいかなかった。それどころか接触することも難しく、どこに手を突っ込もうとしてもAPAC4000が道をふさいでいるようで近づけない。

 

 ところが突然、ルーシーにこのテロリストとの面談が許された。

 なので彼女はいつもと違い、灰色のジャケットにミルク色のスカートの政府職員の姿で現れた。すでにここではブリッジスは過去の組織でしかなかったが。そのころと変わらずあの旧政府にはあった冷たく堅牢な警備体制だけは変らずに残されていた。

 

 無言で案内を務める兵士の後を歩く。いくつかの電子扉を抜けた先に2人の警備兵が扉の前に立っているのが見えた。

 軽い愛想笑いを浮かべながら、ルーシーの背中は緊張からピンと正してしまう。彼らがここで起きる問題にどのように対処するのか、彼女はそれを理解しているからだ。

 

「――なるほど連絡通りか。よし、面会時間は30分。だがもっと短くなることもある」

「ええ、了承してます」

「この中にいる奴は元テロリストだが囚人ではない。それも知っているな?」

「…拘束されてはいないってこと?驚いた」

「会話には気を付けた方がいい。これは忠告だ」

 

 ルーシーは部屋に入ると、すでに中の男は取り調べを受ける気満々の様子で机の前に座って訪問者を迎える。

 

「やぁ、私の客人。君の名前も知らないし、知りたくもないからこのままで。

 それがお互いのためになると思う。反対かな?」

「いいえ、それでいいわ」

 

 対面の席に向かいながらルーシーは内心舌打ちしていた。

 恐らくこの男はルーシーの訪問とその目的を理解している。だから穏やかに迎えはしたが、こちらが前のめりを見せようものなら面会時間は彼の気分と興味で終了にさせられるというのは本当だったか。

 

 信じたくはなかったが、UACはこの元テロリストを重要な客人として扱っている。

 

「君の名前はどうでもいいと言ったが、私の名前は教えよう。ボブだ」

「こんにちは、ボブ。会えてうれしいわ」

「早速だが時間がない。君は何が知りたくて来たんだい?」

「あなたについてわかっていることは少ない。ヒッグスの元テロリスト。最近までずっとローズなる男の右腕として部隊で行動した。

 が、ある日突然どこかの都市の入り口にやってくると投降すると言った。で、今はここにいる」

「客人としてね」

「ええ、大切な客人として」

「続けてくれ」

「ヒッグスはオーストラリアで活動中、あなたはなぜここに?」

「いい質問だ。本当にいい質問だよ。

 確かにヒッグスはオーストラリアで、私はここにいる。その理由は簡単だ。彼は彼のために動いているし。私も自分のために動いている。だからなにも不思議はない」

 

 それらしいことを口にはするが。

 無理には聞き出せないから特別に説明する気はないらしい。

 

「……なるほど。ところであなたはヒッグスのテロリストになってから興味深い経験をしているようね。彼が対消滅テロで吹き飛ばした都市のひとつがあなたの故郷だった。

 教えてほしいんだけど、自分の過去。現在。そしてここにいるあなたの未来までも消え去ったことにどんな感想を?」

 

 ボブは冷笑を浮かべる。

 

「その質問にはよく答えているよ。皆、動機が違っても好奇心は抑えられないらしい。

 まず――そうだな、すっきりした。ああ、最高だった。

 私は当時、新兵という立場であったが、ヒッグスの隣で。仲間たちと一緒にすべてが吹き飛ばされる爆発を見た。

 その後、何度もその近くを歩き。なれの果てを目にしては、楽しんだ」

「都市丸ごとで大勢が死んだ。イカレてるのは間違いないようね。まったく理解できない」

「立場が違うからそんなおかしなものを目にしている気分になるだけさ。私が君に理解を促せば、素直に同じ考えに至ることになる」

「そう、なら試してみて」

 

 ボブは机の上で両手の指を組むと、しばし目をつぶった。

 

「君は聞いたことがあるかな?例えばだが。

 メモリー・オブ・マンカインドと呼ばれた計画のことを」

「知らないわ。教えて」

「難しい話じゃない。この世界がデス・ストランディングと呼ばれる前の世界。

 愚かで傲慢、そしてロマンチストたちは人間という種が存在しない遠い未来を夢想し。そこにメッセージと自分たちの情報を送り付けようというプロジェクトだ。

 タイムカプセル、そう呼ばれたものだよ」

「それならわかる」

「人が全滅した未来でも人というかつて栄華を誇った自らの存在を知っていてほしい。

 この考えには反吐が出る、そう思うのが私のような人種だ。君はどうかな」

 

 ルーシーは答えない。だがボブは返事を理解したらしく勝手に続ける。

 

「ブリジット大統領はブリッジスという組織に自分の希望を詰め込んだ。少なくとも彼女はそう思っているが、人間がスマートに自分たちを救うことなんてできないと理解できないふりをするあたり。彼女は確かに政治家であったんだろう。

 ブリッジスは別にまっとうな組織では決してない。ただ、世界を救った男が所属したというだけの組織。ブリジットの息子が、ヒーローだったというだけの話だ」

 

 確かにそれは事実ではあったかもしれない。

 ブリッジスは人類の希望を探す組織として生み出されはしたが。その運用にはブリジット以外の権力者たちの思惑が介入していたことは最近でも跳ね橋部隊の調査によって明らかにされた。

 かの組織の負のリストはこれから先にも暴かれる可能性はまだまだ高いと言われている。ただしそんな”余計な”ことを率先してやろうという誰かがいれば、の話だが。

 

「ヒッグスは人類の終幕を崩壊という演出で終わらせようとしていた。

 彼のテロリスト、そう呼ばれた同志たち。そして私はそれを理解していた。あのヴォイドアウトテロはヒッグスが我々に見せてくれたわかりやすい滅びのデモンストレーションだ」

「本気で言ってるの?」

「もちろんだよ。そうでないならあんなやり方をわざわざ選ぶ必要はない。結果だけが需要なら、すでに政府の監視から離れた核兵器を回収し。すべての都市に送り付けてやるだけで終わる話だよ。

 実際、ヒッグスはもしもの時にと1発のみ回収はしていた。

 記録にも残っているはずだよ。ヒッグスがブリッジスの部隊に送り付けたやつがあっただろ。あのサムという男はタールの海に沈めてしまったがね」

「ここまでのところ、あなたを壊れた哀れな奴としか感想がない。あなたの評価はなんで変わらないのかしら?」

「ふふふ、残念だ。私も自分の言語化に関しては評価を改めて低くしないといけないらしいな」

 

 相手の言葉と余裕の態度を崩せず、にただイラつくしかない自分のダメさに嫌気がさす。

 

「なぜ投降したの?ヒッグスにも、仲間にも背を向けて」

「それが私には必要だったから」

「仲間だけ丁寧にオーストラリアに行かせた理由は?あなたたちの計画は本当にオーストラリアでの再起なの?」

「おそらく彼らはそうだろう。ローズは視線を固定させて動くのが好きだ。今に満足せず、より強大な力を手にするために」

「あなたはそれに満足できなかった?」

 

 ボブの表情から感情が消えていくのを見た。

 

「そろそろ時間が残り少ない。そして君は期待したほどの相手でもなかったらしい。

 くだらない質問の答えはまとめてしよう。ヒッグスの情報はない。ローズは彼に近づき、自分の価値をアピールするつもりで動いているつもりだが。

 実際は自分の力を見せつけてヒッグスに態度を変えさせたいだけ。

 そして私は彼らとは道をたがえることになった。それが私がここにいる理由であり、君が私から何かを手に入れようとやってきた理由につながる」

「UACは、APACはあなたの情報からローズという男の脅威を高く評価しているわ。情報を少し高く売りすぎたとは?」

「いや、まったく思わないね。彼は強い意志と目標を実現させる力がある。

 だから私をはじめとしたヒッグスの理想に同調する者たちを率いることができた。彼がオーストラリアで牙をむくなら、それはUACの都合が悪いことになる」

「あなたの仲間はヒッグスのもとにつこうとしているってこと?」

「ああ、それは違うと言える。むしろ、自分たちの存在を無視させないことを選んでる。

 ヒッグスは人類滅亡に自身の演出を加えようとした。我々もそれに同意して動いていた。

 

 だが、我々は負けた。

 ヒッグスは負け、我々は理想なき敗北者として残された。ブリジット大統領と彼女のブリッジスが、彼女の息子のサムが我々を徹底的に叩きのめした。

 おそらくだがヒッグスが跳ね橋部隊とやらにちょっかいを入れているのは、彼自身の復讐というのは本当とは思えない」

「ではなに?」

「知らないね。彼自身とは接触できなかったし、何を考えているのかも聞かされていない。

 ただ伝え聞く情報をもとに推察するなら――彼は同じことを繰り返したがっている」

「繰り返す?」

「正確にはまた敗北を味わおうとしている、かな。我々を率いていた時の彼には力もあった、カリスマがあった。チャンスも手にしていたが……恐らくそれを失った。

 なにかかわりになるようなものを手にはしたのだろう。だから彼は同じことをしようとしている。私はヒッグスをそう考えている」

「今の彼を知らないというには、随分と知った風に話すのね」

「それこそ君の最初の問いの答えにつながるものが理由だ。

 私がUACに投降し、情報をすべて提供する。私の中にある”ヒッグスの遺伝子”がそうさせたんだ」

 

 ヒッグスの、なに?

 ルーシーは相手の言葉に困惑する。

 

「ああ、すまない。これは私の造語みたいなものでね。

 だが説明として十分だから使いだしたんだ。かつてヒッグスは自身の考える滅亡を広めるために鬱屈した社会のあちこちにメッセージと、破壊に必要な技術をばらまいていた。

 ひとつ、UACの悪行を教えよう。

 UAC再建後、政府がAPACに要求したタスクのひとつがこれらメッセージやツールの回収だった。当時はヒッグスは死んだと思われていたから、彼が次の破壊者のアイコンとならないために配慮したんだろうな」

「政府はテロリストのメッセージツールをひそかに回収して、何もなかったことにしたと言ってるの?」

「そうだ。アレには己を武器にするかつての軍の技術が入っていたし。ヒッグスにつながる情報のやりとりも担っていた。

 社会的にも流出されては困るものではあったろう。調べればその形跡は残っているだろうが、別に誰も騒いだりはしないだろうな」

 

 指摘された通り、回収理由に危険なツールだったというだけで皆は納得するだろう。

 時間は少なくなっていた。あと、何を聞き出すことができる?

 

 ボブはそんなルーシーの心の動きを呼んだのか、突然手をたたいて喝さいを上げる。

 

「ああ、ああっ。

 そうか、そういうことか。君は、君と仲間たちだけでここに来たんだな。だから私から何かを引き出したいと、”それだけ”を考えているんだな。だから面白くならなかったのか」

「なにがわかったのかしら?」

「君に会いたかった理由は別にあったんだ。メデ・カエデだ」

 

 いきなりとんでもない名前が飛び出してきて、ルーシーは目をむく。

 

「彼――彼が何だっていうの。もしかして知り合い?」

「いや、会ったことはない。だがあの若者は知っている。覚えている。

 正確には、彼もまたヒッグスのメッセージに触れた迷える羊たちの一匹だったから」

「そうみたいね。でもそれだけ?」

「それだけではもちろんない。さっき教えたあのツールはヒッグスに情報をもたらすようにできていると言っただろ。

 彼の言葉に触発されて仲間になるものもいるが、もちろん何もしない。動かないという選択肢を選ぶ腰抜けはさらに多いんだ」

「彼は加わらなかった」

「ああ、ヒッグス自身には興味はなかったようだな。ただこの若者は真逆に動きをした。あの頃のヒッグスを不快にすることに成功した。

 テロリストではなく、兄弟でポーターになった。あんな選択をするとはヒッグスは思わなかったようだ。彼にしては珍しくとても苛立ちながら嘲笑していたよ」

「……」

「ローズも私もそんなヒッグスを見て内心では驚いた。

 だからずっと興味を持っていた。若者は違う選択を選んだが、しかし私たちと同じ”ヒッグスの遺伝子”であることにかわりはない」

「本人が聞いたら怒るでしょうね」

「本気で言っているなら、君は彼を理解していない。

 彼は誰もがそう思うように世界に絶望していた。死者と生者が地上を跋扈するのをクソだと考えていた。自分の手で何かを壊してもなんとも思わなかった。

 行動は従順に見せてはいても、今も変らずにそうなのかもしれない」

 

 ボブはここに来て初めて、楽しそうに笑いかけていた。

 

「だから私も彼に学んだ。ここにいるのは、ヒッグスはもうかつての彼ではないと分かったからだし。そんな彼に愛憎をこめて執着する仲間たちに付き合う気はなくなった。

 君は結局聞いてはくれなかったな。私がここに来て何をなそうとしているのかを。いきなりだがペーパークリップ作戦というものを知っているかい?」

「ペーパークリップ……第2次大戦後、次の戦争を想定して敵国の技術者を取り込んだ作戦だったわ」

「私がUACが欲しがるその次の戦争のために必要な歯車、ということだ」

 

 はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?

 

 思わず大きな声を出してしまったが、ルーシーが受けた衝撃はそれほど強烈でもあった。

 

「UACはすでに次の戦争を想定して動いている。軍は再編、新たな世界秩序の中でUACにさらなる栄光をもたらすための拳を。武器を用意しようとしている。

 そこに私の居場所はある。未来に必要な暴力装置のサンプルとして、UACは私の能力を評価した」

「バカな!テロリストに恩赦を与えるはず――」

「忘れてないかな?私は過去のない人間であるということを。

 私は記録上では存在しない人間だ。同時にUACが必要とする黒い仕事にはぴったりの優秀さを備えている。君がこれから何をしようとしたとしても、その時にはもうボブはここには存在しない」

「新しい名前、新しい場所が用意されているのね」

「そうだ。ここを出たらもうボブはいなくなる。かわりにUACに忠誠を誓う君の同僚が政府のどこかに加わり、忠誠心を示して働くのさ」

「反吐が出るわ」

「いや、君は価値のある情報を手に入れただろ。

 そろそろ時間だが、君にはよい土産話を持たせて送り出そうと思う」

 

 目を輝かせて椅子に座っていた男が、静かに立ち上がった。

 同時に警戒しながらルーシーも席を立つ。

 

「君らが尊崇しているフラジャイルは苦しむだろう。ヒッグスは依然とは違う、と私は口にしたが。敵にして楽な相手では決してない。

 跳ね橋部隊とやらがなかなか最後の行動に出られないのはなぜだと思うかね?」

「彼女は強いわ」

「哀れな願いだな。もうひとつ。私が感謝しているカエデにも同情する。

 APACは彼にローズの情報は、気づかぬ程度にしか触れさせてないだろう。そして”ヒッグスの遺伝子”同士がぶつかる。どんな戦闘をするのか、直接見れないことが少し残念に思う」

「何が言いたいのっ!?」

「ここに来てからサム・ブリッジスという男の記録に触れてきた。彼はかつてヒッグスのように世界をとらえていたが、対決した時は真逆の立場で叩きのめした。

 ブリジットに乗せられて世界への絶望から離れたのか、それはわからないが。とにかく彼はそこからは立ち去って、アメリカを復活させた。

 

 だが今度は違う。

 ”ヒッグスの遺伝子”をもつ者同士が、私の仕掛けで直接ぶつかり合うんだ。絶望する者同士がぶつかり合うことでどんな結果が来る?サムがヒッグスにしたように叩きのめすことがまた起こるか。もっとひどい、素晴らしい最悪の戦争が始まるのか」

「あなた最悪な奴ね」

 

 ボブは言いたいことを言い、ルーシーは感想を口にしたところで面会時間は終了となる。

 扉がいきなり開くと武装した警備兵が外に出ろと合図し、彼女は部屋から追い出された。

 

 

 エンジンを再スタートさせ、プレートゲートに向かってルーシーは走り出す。

 

「カエデ。私は今、プレートゲートの前にいます」

――こっちにむかっているのか?

「ええ、でもあなたのところにはいけません。

 オーストラリアに派遣されたスタッフの中に私と同じフラジャイルの熱烈なファンがいるんです」

――そうか

「彼女から助けてほしいと。私はそこに向かうつもりです」

――わかった、頑張ってくれ。情報をくれて助かった

「…すみません」

――あやまらなくていいさ。そうだな、なにかアドバイスはあるかな?

「今回のAS排除はUACの求めるところでもあります。だから――武運を祈ります」

――ありがとう。そちらも気をつけて

 

 通信を切ると、心の中で己をののしる罵声が聞こえる気がした。

 あのボブの最後に見せた恍惚とした笑みが思い出される。UACに良い感情を持っていないカエデに、ボブという男との話は聞かせることはできなかった。

 そして苦しいであろう今の彼のそばに自分がいかない――いけないことにも複雑な感情があった。

 

 だがそれでも視線を逸らすわけにはいかないのだ。

 オーストラリアにカイラル通信をいきわたらせるまであと少し。だからこそなんとしてもやりとおさなくてはならない。

 互いの道が交わるのはこの先の未来にはちゃんとあるはず。距離を超越する見えない扉に最高速度で突っ込みながら、ルーシーの気持ちは一新されていく。

 

 彼女はそれが得意であったから。

 




次回は明後日のこの時間に
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