大空を隠そうとする薄い雲、その中でも太陽は輝き、カエデはK2西中継ステーションの中をマーフィと並んで歩いていた。
「どうだ?初めての空の下を歩く気分は」
「もう何度聞くんです?よくわからないですよ……ええ、わからないです。驚くことばかりだから」
「ルーキーに用意された装備を身に着け、初めて乗るトラックに揺られて3時間。お前の相棒にして偉大な教師との楽しくない、2時間の散歩。いろいろと学んでもらわないとな」
「偉大かどうかはまだわからないんですが――いつもこういう感じで始めるんですか?」
マーフィーはフンと鼻を鳴らす。
「まさか。本音を言えばガキとはいえ、野郎に優しくしてどうするよ。
昔は新人にこんなことするのは、そんなにいなかった。いきなり仕事につき合わせる感じでな。外に連れ出して、放り出したりもして。無理やりやらせてモノになるかどうか、ふるいにかけていた」
「自分は違うんですね」
「そうだ。もう同じことはできねぇ。
お前さんは生まれてこのかたこんな風に何時間も外を出歩いた経験なんてないだろ?トラックに乗るなんて経験もなかったはずさ。
そんなルーキーを昔のように扱おうとしたら死ぬだけだ。この世界で外を出歩くってのはそれだけヤバいってことなんだ」
「なるほど」
「へっ、わかってないよな。いいさ、今を感じろ。できるだけ学んでおけ」
「……よくわからないです。頭が動いてないのかも」
「しっかりしてくれよオ!俺も新人を鍛えるのは久しぶりなんだ。お前はルーキーで、俺は復帰組。不安はできるだけなくしておきたい」
建物に囲まれた十字路に出るが、マーフィーは道を知っているようで迷うことなく左に曲がる。カエデは黙ってそれに従うしかない。
「ここはよく来るんですか?」
「いや、全然。でもわかるよ、地上の施設ってのは政府どうこう関係なく面白みがないからわかりやすいんだ。あとは、そうだな。ここには有名人がいるってことくらいか」
「有名人ですか。誰です?」
「アメリカ大統領。ブリジットの婆さんさ」
そこまで話すと、2人は無言になり。ただ歩き続ける。
すると視界は広がり、眼前に荒野が見えてきた。
「そこを曲がって荒野を横に見ながら歩こう……。ああ、そうだ。
あと2時間ほどで太陽は沈む。俺たちポーターにとって太陽は重要なお守りみたいなもんさ。可能な限り日中に活動し、その間に目的地に着くように調整する。夜の移動は基本はしない」
「基本?例外もあるということですね」
「違うな、鉄則だよ。現状、”時雨”とBTに人間が対処する方法はない。出会うだけでリスクだ。お前さん、能力がないんだろ?」
「はい、DOOMSではありません」
「だから鉄則を守れって話よ。
ポーターはBTに対処する方法をどちらかが持っていれば問題ないけどな。
お前がBTに近づかれて、なんなら肩をつかまれた時点で終わりだ。ヴォイドアウトの瞬間がどれほど最悪なものだったとしても。そこに刻まれる大地の大穴が、間抜けなお前がしくじったとこの先の未来で皆に教えてくれる」
足を止める。いつの間にか地平線が沈む太陽で赤く燃え上がっていた。
「ジョッシュの奴がな」
「コーディネーター、ですか?」
「ああ、奴は言ったんだ。お前と2週間くらいキャンプで鍛えろって。俺は今日、この時間しか用意しなかった。ルーキー、お前さんは意外と厳しい環境で学ぶことになる」
「覚悟は決まってます」
「しばらく俺はお前を赤ん坊のように扱う。ただし1回だけだ。
お前はそこで学ぶことに集中しろ、質問があるならいくらでも答えてやる。この世界で外を出歩くってのは、死ぬことが前提と断言してやってもいい。
教師とは言うが、実際にはお前は俺の相棒でいる時間が圧倒的に多くなる。正しく判断して行動してもらうために教師と生徒の関係を求める瞬間もある。俺も正直なところ。余裕はないんだ、悪いな」
半人前の自分に向けて、なにか言い訳をするようなマーフィの口調だった。
「時間がたつとルーキー。お前はいい配達人になるか、悪い配達人のどちらかになる」
「どう違うんです?」
「俺の教えを守って、自然とできるようになればお前さんはいい配達人だ。できなきゃ、仕事に邪魔な間抜けになる」
「なるほど」
「お前がどちらになるのか、そこに俺の興味はない。だから、お前さんが自分で自分の面倒を見てやりな。テメエのケツをちゃんと拭く、でもいい」
「ひとつ、いいですか?」
「なんだ」
僕はずっと気になっていたことを口にする。
「ルーキーとかお前さんじゃなくて、名前で呼んでくれませんか」
「ダメだ、カエーデ」
「どうしてですか?」
「今、聞いただろ?発音が難しいんだよ、お前。こっそり練習するから、半人前になるくらいまで気にするな」
マーフィは茶目っ気たっぷりの笑顔でこちらにそう言い放った。
彼は言った。
配達人のやることは難しくない。外への出入口で依頼を受け、荷物を背中に外へ出ていく。そして目的地の都市の入り口まで運んで、荷物を渡す。
だがこの単純な仕事の中に、命の危険がたっぷりとつまっている。
最初は2人で40キロの荷物を引き受けた。
身長が高くもない僕にはかなりきついものだったが、積み上げられた100キロは余裕でありそうな荷物をそれぞれが担いで出ていったポーターたちを直前に見てしまったので、泣き言は言えない。
都市を出てからしばらく、無言のまま。前を歩くマーフィの背中と、自分が歩いている地面だけを見つめていた。
すると装備からいきなりビープ音が鳴り始める。
「おっ、ルーキー!顔を上げるんじゃないぞ、今まで通り地面を見てろ。そのまま歩け」
「は、はい」
そう答える間にポーターの装備は勝手に動き出して、頭部のカバーを展開した。
そこでマーフィーは足を止め、こちらを振り向く。
「天を仰ぐ。かつて人間は雨が来たと感じた時、誰もが空を見上げていた。だがそれは今はできない。覚えておけ、ルーキー。
お前がかつての人々と同じように空を見上げた瞬間。お前さんはあっというまに爺さんになれる」
「それが”時雨”、ですね」
「そうだ。ありがたいことに今のポーターの装備は、お前が馬鹿をやらなきゃこうして雨から守ってくれる。雨が終われば、勝手に解除もしてくれる」
「便利だ」
「そうだな。でも、こんな性能が実現するには多くの悲惨な経験をした誰かがいたからこそさ。ルーキー、お前さんもこうして外を歩く以上。すでにそうしたなにがしかの技術のための実験に付き合っているといえる」
「そう聞くといい気分はしませんね」
思わずこぼした言葉に、初めてマーフィーは厳しい声と態度を見せた。
「そういうくだらない個人の感情は捨てろ。覚悟は決まっているんじゃないのか?
お前は自分で選んでここにいる。その経験値の中で使い物になりそうなものが人類の武器になる。理解するつもりがないなら、やめちま……っ!?」
言い切る前にマーフィーは言葉を飲み込み、同時に自分も背中に冷たい悪寒が走った。
「えっ、なに?」
「嘘だろ。マジかっ」
言いながらマーフィーは周囲を見回し始め、自分もそれをまねてしまう。
「ハァっ!?ミュールかよ」
「ど、どこに」
「西側、丘の上から走ってきている。この辺に奴らの新しい野営地がおかれたのかもな」
そういうとマーフィーは緊張した表情を見せ、背負子を背負いなおした。
ようやく自分はオレンジに輝く複数のなにかが雨の向こうで動いているのを確認した。あれがミュール、初めて見た。
「ここからは集中しろよ、ルーキー」
「た、戦うんですか?」
「馬鹿野郎!逃げんるんだよ、全力でな。足元に注意しろ、自分が賢く冷静な奴だって俺に証明して見せてみろ」
「了解っ」
マーフィーの後について走り出す。
進路の先には森が見えた。なるほど、あそこに入ることで逃げきろうというのだな。
雨はやむ気配が全くなかったが。僕らが木々の中へと飛び込んでいくと、ミュール達は木々の前で足を止めた。
マーフィは教えてくれたが。そもそもミュール達はBTの出現を恐れて”時雨”をひどく嫌っているものらしい。だから僕らが出会った連中は、珍しいことをしていたのだそうだ。
僕らの運がよかった、つまりそういうことらしい。
次回は明日のこの時間に