「おはよう、いずみさん」
「浅瀬を歩いてきたの?」
「うん」
俺は離小島でいずみさんたちを待つつもりだったのに、先を越されてしまった
「なんか降りそうだね」
上を見上げるとぽつりと雨粒が頬に落ちた
その瞬間、ザァーとスコールがきた
「うわっ、雨宿りしないと!」
「そうしたら?」
「え?いずみさん、早くこっちに」
いずみさんは慌てる事なく空を見上げて雨を全身で受け止めていた
「せっかくのスコールじゃない、私は気持ちいいくらいだけど?」
「え?」
「酸性雨とかの心配は要らないし。晴れれば、直ぐ乾いちゃうし」
俺も空を見上げ、両手を目一杯横に伸ばす
「まあ、言われてみればそうだね」
やがて雨はおさまってくる
「ねえ、颯くん」
「ん?」
「昨日さ」
いずみさんが言いにくそうに言葉を発した
「港で、あたしが近づいたとき」
「……うん」
「緊張してた?」
「……してた」
「やっぱり」
香水のことになると夢中になっちゃう、と楽しそうに笑う。
「顔に出てたよ」
「マジで?」
「うん」
「恥ずかしいな……」
思わず視線を落とす。
昨日のことを思い出すだけで、今さら頬が熱くなる気がした。
「でも」
いずみさんが少しだけ声を落とした。
「嫌じゃなかったでしょ?」
「……嫌じゃない」
「ふふ。正直だね」
いずみさんは笑った。
けれど、その笑顔はほんの少しだけいつもと違っていた。
俺から目を逸らす。
「じゃあ、いずみさんは?」
「何が?」
「俺が近くにいても嫌じゃない?」
いずみさんの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「……あんたさ」
「ん?」
「昨日から、ちょっと調子に乗ってない?」
「え?」
「一人が好きとか言ってたくせに、ずっとあたしについてくるし」
「それは……」
「香水のことも覚えてるし」
「それは覚えてるだろ」
「そういうところ」
いずみさんは呆れたように笑った。
けれど、耳が少し赤くなっているように見えた。
「しつこい男は嫌いだからね、あたし」
「……じゃあ、しつこくしなかったら?」
「さあ?」
「じゃあ、どこまでならいい?」
「颯くん」
「はい」
「そういうところが、しつこいの」
「……すみません」
思わず頭を下げる。
すると、いずみさんが吹き出した。
「あはは。素直すぎ」
「だって嫌われたくないし」
「……」
いずみさんが黙った。
さっきまで笑っていたのに、じっと俺を見つめている。
「何?」
「いや」
少しだけ視線を逸らしてから、
「そういうこと、さらっと言うんだね」
「本音だから」
「……そっか」
小さく返して、いずみさんは耳に髪をかけた
その横顔は、さっきより少しだけ赤く見えた。
俺も何となく気恥ずかしくなって、頭を掻き下を向く
「でも、まあ」
「うん?」
いずみさんが一拍置いて呟く
「今のところは、あんたと一緒にいても嫌じゃないよ」
「……ほんと?」
思わず顔を上げる。
いずみさんと目が合った。
ほんの一瞬。
すぐにいずみさんのほうが先に視線を外した。
「うん」
その返事だけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
嬉しい。
たったそれだけの言葉なのに、今日は一日ずっと機嫌よく過ごせそうな気がした。
「だからって、調子に乗らないでよ?」
「分かった」
「ほんとに分かってる?」
「たぶん」
「もう」
いずみさんが笑った。
その笑顔を見ていると、もっと近くにいたくなる。
でも、今はこれくらいでいい。
昨日より少し近くて、明日にはまた少し近づけるかもしれない。
そんな期待を胸の奥にしまいながら、俺も笑った。
その「あんた」が、なぜか嫌じゃなかった。
むしろ――
名前で呼ばれるよりも、少しだけ特別な呼び方に聞こえた。