ナンパ大好きな勇者だけど、自害しようとしてる美少女を引き止めたらポンコツ魔王だった件。そんで、色々あった結果一緒に農業やることになった。 作:ジュウヨン
「僕が小さい頃……まだここには透き通るほど綺麗な水が通っていて、川魚が面白いくらい獲れたんです。父さんや友人ともよく遊びに来ていました」
急な山道を登りながら、ウォルタが今まで見たこともないほど穏やかな表情で思い出を語る。
「秋にはトンボが空を駆け回り、冬には水面を凍てつかせる。そして……春には色とりどりの花が咲き誇り、夏にはホタルが無数の灯火を点す。……とても美しくて、息を呑むほど素敵な場所でした」
「僕は……そんなラグナ渓谷が大好きだった。」
どこか愛おしそうに眼下に広がる景色を見つめながら、ウォルタは小さく息を吐いた。
「……ふっ、まあ今は見ての通り、その影も形も一切残ってませんがね」
自嘲気味に呟くウォルタの言う通り——
目の前に広がるラグナ渓谷の上流は、あまりにも酷い有り様だった。
道を進むにつれて草木は姿を消し、土は赤黒く荒れ果てている。
かつて豊かな水が勢いよく流れていたと思われる川床は完全に干上がり、太陽の熱に焼かれた乾いた土と岩肌だけが、剥き出しになって転がっていた。
セシリアは痛ましそうに眉をひそめて目を伏せ、俺もまた、胸を締め付けられるような感覚に包まれる。
……正直、ここまで酷いとは思わなかった。
リザード族の住むラグナ渓谷の下流と比べても、さほど変わらない惨状だ。
そして隣を歩くルーナは、包帯を巻かれた頭の痛みにうっすらと表情を歪めながらも、真っ直ぐな瞳でウォルタの背中に視線を向けた。
「一体……ラグナ渓谷で何があったんですか?」
息を荒らしながらも、ルーナは尋ねる。
「いつから……このような状況に?」
疑問を投げかける彼女に対し、ウォルタは歩みを止めず、いつもの張り付いたような笑みを浮かべて答えた。
「うーん……何があったかは頂上の溜池に着いてからお話ししましょう」
そう前置きしてから、彼は少し言葉を区切る。
「……ですが、このような状況になっていったのは、決してある日突然のことではありません。自然は実に緩やかに形を変えていきました。」
「ゆっくりと、恐ろしいほど静かに……ラグナ渓谷の湧き水は減っていったんです。きっと最初は誰が何をしたわけでもない。ただ徐々に、命の水が枯れていった……」
笑顔で語るウォルタだが、その瞳の奥にはどこか深い寂しさと、静かに燃えるような怒りのようなものが混ざり合っているように見えた。
山道を登り詰めることとしばらく——。
「おや……そろそろ、見えてきますよ」
ウォルタの足が止まる。
「ここが、元々は我々アクアリールの命の源だった場所——ラグナ渓谷最上部の溜池です。……もっとも、それも今は『跡地』と呼んだ方がしっくりくるかな」
先頭に立つウォルタが指差す方へ、俺たちは視線を向けた。
その光景を目にした瞬間、俺は息を呑んで凍りついた。
ルーナもまた、ポカーンと口を開けたまま……
言葉を失って呆然と立ち尽くしている。
「こ……ここが…………本当に、ラグナ渓谷の最上部ですか……?」
目の前に広がっていたのは……広大すぎるほど広大で、恐怖覚えるほど異様に窪んだ巨大な大地だった。
「……なんだ、これ……」
思わず、引きつった声が漏れた。
広すぎる。
単に「水が枯れた」なんて表現で済むレベルじゃない。
大地そのものが、巨大な怪物にでも削り取られたかのようにぽっかりと削れていた。
かつてそこに豊かな水が満ち、魚が泳ぎ、生命が芽吹いていたとは到底信じられない。
乾ききった土には巨大な亀裂が無数に走り、風が吹き抜けるたびに乾いた砂埃が舞い上がって俺たちの頬を撫でていく。
そこに残されていたのは、湖ではなく……かつて『湖が存在した』という惨めな痕跡だけだった。
「……最初はね、ただの違和感だったんです。少し水が減っただけだと思っていました」
ウォルタの静かな声が響く。
「でも翌年には、あんなにいた魚が急激に減った。その次の年には……ホタルの光が見られなくなった」
語るウォルタの顔から、気がつけばあの不気味な張り付いた笑みが綺麗に消え去っていた。
「僕はね……。自分の大好きな、大切な場所が少しずつ死んでいくのを、何もできずにただ見ていることしかできなかったんです」
風に髪を揺らせながら、ウォルタは寂しげに呟く。
「ふふ……あまりにも自分が無力で、笑えましたよ」
徐々に茜色へと染まりゆく夕空に向かって、彼はゆっくりと両手を広げた。
圧倒的な自然の崩壊の前では、人間などあまりにも小さく無力だ——そう諦めを含んで語っているようだった。
「溜池の水が減っていく中で……僕は、とある光景を見掛けました」
ウォルタの目が、どこか遠くを見るように細められる。
「……そう、リザード族です。彼等はラグナ渓谷上流が人間領であることを知りながら、何度もこの溜池に侵入していました。おそらく……下流に住む自分たちの元に届く水が減ってきたことから、我々人間を疑ったのでしょうね」
「父に相談しましたが、『彼等にも生活があるのだから仕方ない』そう言うばかりでした。……僕も、当時の父の考えに同意していましたよ」
日が沈みかけ、周囲の影がゆっくりと伸びていく。
「……だが、ある日。
——その影響が、明確な形となって現れました。」
ウォルタの声のトーンが冷たく沈んだ。
「ラグナ渓谷から街へ流れる川が、明らかに濁り出したんです。……水かさは著しく減り、川魚も全滅した。飲み水に影響が出始めた頃——ようやくアクアリールの大人達が重い腰を上げて調査に出掛けました」
ふっとウォルタが振り返り、静かな眼差しをルーナへ向ける。
「……魔王よ、何があったと思いますか?」
「……」
ルーナは何も答えなかった。
ただ、痛む頭を抱えながら、真っ直ぐにウォルタの目を見つめ返している。
「ふふ、わかるわけがないか。…………我々アクアリールに向かうはずの水流がね——溜池の手前で、完全に遮られていたのですよ」
ウォルタは静かに告げた。
「僕が何度か見かけたリザード族達は、草木や岩を大量に運んでいました。……彼等は水路を自分たちの手で塞ぎ、自分達の住む下流へ強引に水をひき込もうとしていたのです」
「……そう。リザード族は我々を疑うどころか、自分達が生き残るために、我々の生活水へ手を伸ばした。」
「それからです。……この辺りでリザード族との血で血を洗う争いが苛烈を極めたのは。まあ、その辺りの醜い歴史はアクアリールの図書館に行けば嫌と言うほど見ることができますから、後でご自身でご覧になるといい」
ウォルタは冗談っぽく笑いを交え、指をピンと立ててみせた。
だが——
次の瞬間、その笑顔は一瞬で影を潜めた。
「そして……その後です。溜池が完全に干上がり始めたのは」
声から一切の感情が消える。
「リザード族が無理に流れを変えたからなのか、あるいは自然の寿命だったのか……真相は分かりません。……ただ、それから水は恐ろしい速さで失われていきました。日に日に、確実に」
「リザード達の侵入を条例で厳しく取り締まり、水路を元に戻そうとしても手遅れだった。一度壊れてしまった自然のバランスは、二度と元には戻らない……。僕にその酷く残酷な現実を教えてくれたのは、このラグナ渓谷の惨状そのものです」
静寂が支配する溜池の跡地で、ウォルタはパンッと手をひとつ鳴らし、瞬時にいつもの不気味な笑顔を顔に貼り付けた。
「……そして、今に至る。というわけですね」
重苦しい空気の中、セシリアがゆっくりと一歩前に出た。
「ラグナ渓谷の……そしてアクアリールの歴史はよく分かりました」
セシリアは冷静な眼差しでウォルタを見つめる。
「ですが、ひとつ気になることがございます。……アクアリールはその後、どうやってこの壊滅的な水源問題を解決したのですか?」
その問いに、ウォルタは嬉しそうに目を輝かせた。
「おお! よくぞ聞いてくれました、アウレリア殿……! うん、流石は王国貴族のご令嬢。お父上の血を引いているだけあって着眼点が素晴らしい」
ウォルタは意気揚々と指を立て、語り始める。
「簡単ですよ……。とにかく、狂ったように地下水源を掘りまくったのです」
「水脈をひとつ掘り当てれば巨額の報奨金を出すと触れ回り……僕の父、ヴェイン=アクアリールは狂気に取り憑かれたように街の命を繋ごうと奔走しました」
「……ですが、それはただの延命処置、破滅へのジリ貧でした。アクアリールは水に最低限困らなくなったものの、我が一家は資産を完全に使い果たしてしまった」
ウォルタの視線がセシリアへ向かう。
「その際、アウレリア殿のお父上には多大なご援助をいただきました。……本当に彼には、感謝してもしきれません」
「……そして、父は長年の過酷な労働と心労が祟り……『この街を頼む。』そう言い残して、若くしてこの世を去ってしまった。」
ウォルタの胸の内に去来する思い出。
「僕はね……途方に暮れましたよ。何をすればいいのか全く分からなかった。いつ枯れるとも知れない井戸を抱え込んで、ただ怯える毎日です」
「そこで……僕が目をつけたのは——海でした」
ウォルタが誇らしげに、渓谷の頂から遠くに見える蒼い海へと指を差す。
「僕はすぐさま留学へ向かいました。自分の狭い知見だけでは、絶対にこの街を救えないと確信したからです」
「街の住民には、『もう一度アクアリールを豊かにする。そのために暫く街を出る。だから信じて待っていて欲しい』……そう告げて旅立ちました」
「世界には……港の近くにあるというだけで『アクアリール(水の都)』などと大層な名を付けられた我が街とは違う、本物の『水の都』が存在していたのです」
ウォルタの瞳に、当時の熱量が蘇る。
「そこで行われていた技術……そう、泥水や汚水の『濾過』です」
まるで子供のように目を輝かせながら、ウォルタは熱弁を振るう。
「濁った泥水が、複雑な機械やフィルターを通るだけで瞬時に透明な清水へと変わっていく……。衝撃でした。言葉を失うと同時に『これだ!』と確信しました」
「どうにかして、この広い海水を濾過して無害な生活水に変えられないか……。あらゆる知識や最先端の技術を学び、泥水をすする思いで全てを試しました」
「そして……想像を絶する苦労の末に、ついに海水を完璧に濾過することに成功したのです」
「あの瞬間の感動と震えは……今もこの身から消えることはありません」
ウォルタは静かに目を閉じ、その記憶を噛み締めるように深く呼吸をした。
そして……冷ややかな光を宿した眼をゆっくりと開く。
「……ですが、僕が歓喜に胸を躍らせてアクアリールに戻った時……街からは住民がほぼ消え去っていました」
その声に、冷酷な毒が混ざる。
「元々、裕福な者ばかりが住んでいたこの街の連中は……暮らしに少しでも不便を感じた瞬間、恩も義理もなく、手のひらを返して逃げ出したのです」
「呆れ果てましたよ。……地下水はまだ生きていた。多少生活を切り詰めれば、命を繋ぐことは十分にできたはずだ。……それにもかかわらず、彼等は容易く街を捨てた」
「父が命を削って守ってきたものは……いったい何だったのか。僕には何もかもが分からなくなりました」
「……しかしね。僕が海水濾過の技術を持ち帰り、街が安定して貿易で再び潤い始めるや否や——離れていた住民達は何食わぬ顔で戻ってきた」
ウォルタはふっと口角を歪めた。
「だからね……僕は金と合理性だけを信じることにしたのです。理想や信念、絆なんてものは……僕の人生にとって何一つ役に立たないゴミクズだ」
満足そうに言い放つと、ウォルタはセシリアを見つめた。
「…………これで十分でしょうか、アウレリア殿」
誇らしげに、そして嘲笑うように語るウォルタを前に、俺は心の中で大きく苦み唾を呑み込んだ。
……重たぁ。マジで話が重た過ぎるんやが。胃もたれするってガチで!
いや、理解はできる。こいつが何故こんな歪んだ性格になったのか、その悲壮な過去は十分に理解できた。
……。
だけど……それでも、違和感がある。
こいつは、結局のところ——
『夢』を捨てきれていないんじゃないのか?
冷たく怒っているようでいて、どこか未練たらしく寂しそうに語るその表情。
だってそうだろ?
こいつは……口では「合理性だけを信じる」なんて言いながら、全然合理主義に振り切れちゃいないんだ。
アウルム鉱山の討伐依頼だって、ゴブリンたちを「殺せ」とは俺に一言も命じなかった。……おそらく、セシリアの行動から推測するに王国にもそう依頼はしていないはずだ。
話に割り込んでくるあの真面目すぎる門兵だって、ルーナに説得された途端にあっさりとクビを取り消した。
どちらも——
また同じ面倒を起こすかもしれないリスクを抱え込む行為だ。
ゴブリンだって一度追い払ったところで、また戻ってくるかもしれない。
あの門兵だって、あの頑固な性格だ。
いずれまたウォルタのやり方に口を挟むかもしれない。
きっと……
目先の利を優先する方が、よほど簡単な道だったはずだ。
それなのに、ウォルタはそいつらを冷酷に切り捨てなかった。
……合理性だけを信じる冷徹な人間を気取っている割には、随分と甘ちゃんじゃねえか。
こいつは……
本当は俺たちに、何を期待してるんだ?
なぜ、自分の信じる合理性を俺たちにまで無理やり押し付けてこないんだ?
問いただしてみたい——
そう思ったが、俺の喉から言葉は出なかった。
ずっと隣で無言を貫いていたルーナの瞳に……
じわりと涙が溢れ出しそうになっているのに気づいたからだ。
ルーナは今、この男の過去を聞いて……自分の抱く理想や青臭い思いが、何の役にも立たない現実を突きつけられてショックを受けているのだろうか。
リザード族の問題も、ゴブリンたちの問題も……
自分なんかの力では何も解決できないんじゃないかと、己の無力さに怖気付いてしまったのだろうか。
……ふざけんな。絶対にそんなわけがねえ。
夢は抱くためにあるんだし、叶えるために泥を這いずり回るもんだ。
例え届かなくても、打ち砕かれても……それでも諦めず抗い続けることに意味があるんだ。
昔、師匠が俺とカイルとパルシィの頭を乱雑に撫でながら語ってくれた言葉。
あの時も——
ちょうどこんな風に、沈みゆく夕空を皆んなで見上げていたっけ。
……
…………
その後——俺たちは口数も少なく、ウォルタの後ろについてゆっくりと下山した。
ウォルタは、街灯もない暗い山道を一度も足踏みすることなく迷わずに歩いていく。
幼い頃、父親や友達と何度も駆け回ったこの場所の地形を、彼の体が完全に記憶しているのだろう。
気のせいか、前を行く彼の足取りはどこか軽やかで……そしてひどく重そうだった。
まるで——大好きな秘密基地で一日中遊び尽くした後、寂しさを抱えて家路につく子供の背中のように見えた。