ランナー   作:Zizzi

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Episode 1 黎明(下):RESTART
第六十一章 ブループリント


二人は前後して、あの騒々しく安っぽい改装列車バーを後にした。

「遅れるな」

前を歩く一戸の低く掠れた声が届いた。深灰色のトレンチコートのフードを目深に引き下げており、振り返りはしない。 二人はクインビー・ストリートのけばけばしいネオンが瞬き、ギャングの耳目が蠢く目抜き通りを避け、スカベンジャーや底辺の配管工しか足を踏み入れない、極めて狭隘な工業点検シャフトへと身を滑り込ませた。

シャフトの内部は骨の髄まで凍てつくように冷え切っていた。頭上に縦横無尽に交錯する太い配管からは、粘り気のある酸性の凝縮液が時折滴り落ち、二人の肩を濡らす。足元の亜鉛メッキスチールグレーチングは老朽化が進んでおり、踏みしめるたびに、死んだように静まり返った空洞へ重く反響する足音を返していた。

「どこへ連れて行く気だ?」

背後に続くエリックの魁偉な巨躯が、暗闇の静寂を破った。粗く嗄れた重低音。右腕『アレス』の漆黒のナノ流体は皮膚に隙間なく貼り付いており、全身の引き絞られた筋肉が、未だ警戒を解いていない野獣の緊張を物語っていた。

「俺の場所だ」一戸は歩調を緩めず、淡々と、だが鋭く言い切った。「そこなら安全だ」

入り組んだ廃棄配管網と、コンクリートの瓦礫で埋め戻された二箇所の袋小路をすり抜け、一戸は排気減圧バルブに偽装された、分厚い合金ゲートの前で足を止めた。 枠の窪みに埋め込まれた機械式キーパッドに六桁の暗証番号を打ち込み、手首に力を込めて外側へレバーを引き倒す。

「カチャリ、カチャリ」

内部の重厚なリンク機構が外れ、ゲートは人間一人が辛うじて横向きに滑り込めるだけの隙間を音もなく開いた。 エリックは一戸に続いて中へと足を踏み入れた。

扉の向こうに広がっていたのは、地下都市にありがちな湿り気のあるゴミ溜めや掘っ立て小屋などでは断じてなかった。 それは、地下都市の基盤を支える巨大な主支持柱の内部空洞をくり抜いて作られた、極めて堅固な秘密機械室だった。広さは三十平米ほど。四方は分厚い冷間圧延鋼の防爆壁で囲まれ、室内は乾燥し、外界の腐敗臭や酸性ガスの悪臭は微塵もない。漂っているのは、わずかなロジンフラックスと冷却オイルの乾いた匂いだけだった。 壁面には各種の精密ドライバー、高精度レンジファインダー、そして銃器のパーツが整然と掛けられ、部屋の隅には軍用の折りたたみ簡易ベッド、中央には幾重にもパーツを組み上げた大型のオフライン・ホログラム投影コンソールが鎮座していた。

だが、エリックの息を呑ませ、その巨躯を縫い止めたのは、部屋の最奥に穿たれた幅二メートルを超える強化観察窓だった。 防弾樹脂と超高張力クリスタルガラスを多層圧着させた、重厚極まる防爆窓。

エリックは吸い寄せられるように、窓際へと歩み寄った。 分厚いクリスタルの向こうを見下ろした瞬間、彼の呼吸は完全に停止した。

生まれて初めて、彼はこれほど圧倒的な絶対高度から、己の四十二年間の生涯を呑み込み続けてきた地下都市の全貌を見下ろしていた。

足下に広がるのは、見渡す限りの鋼鉄の深淵。 縦横に無秩序に架け渡された違法空中回廊、どこまでも連なるバラックの波、工業冷却タワーが吐き出すドロドロとした黒煙、そして縄張りを主張し合って狂ったように明滅するピンク、蛍光グリーン、深紅のネオンサイン――それらはまるで、人間の貪欲、暴力、そして絶望をごった煮にして煮え滾らせる、底知れぬ業火の海のようだった。

数千メートルの岩盤によって地底へと圧殺されたこの巨大な鳥籠の中で、己が日々命を削って戦い抜いてきた闘技場も、神のごとく振る舞うギャングの巨頭たちも、マルクが己の骨髄を絞り尽くすために突きつけてきたあの天文学的な借用書も……。 この果てしない暗黒の廃墟の上にあっては、瓦礫の隙間に蠢く塵芥のような蟻塚にすぎなかったのだ。

冷たいガラスに、エリックの魁偉な巨躯がぼんやりと映り込んでいた。微光を浴びたその顔面は蒼白で、極限まで強張っている。

「ここは……」エリックが乾いた唇を開いた。

「地下都市第三号主支持柱の内部空洞だ」一戸は部屋の中央のコンソールへ歩み寄り、ブレーカーを落としてホログラムプロジェクターの主電源を入れた。「旧時代に遺棄された垂直エレベーターの点検シャフトだな。三十年前に公式図面から抹消された。ここからなら、都市の大半の防衛ラインの配置を一望できる」

エリックは振り返らなかった。依然として窓外の果てしない暗黒の深淵を見つめ続け、冷え切った窓枠に置いた太い両手の指関節を、白くなるまで強く握りしめていた。

「俺はここで生まれ、ドブの中で育ち、砂の上で二十年間人を殺し続けてきた……だが、この場所が上から見るとこんな悪夢みてえなツラをしてるなんざ、今の今まで知りもしなかったぜ」

一戸は相槌を打たなかった。 蒼白でしなやかな指先がプロジェクターのパネルを滑ると、高周波の微弱な唸りとともに、淡青色の三次元ワイヤーフレームがコンソールの天板から立ち上り、部屋の中央で緩やかに展開された。 それは驚くほど広大で、極限まで精緻に描き出された地下都市の立体トポロジーマップだった。百を超える街区、地下の断層帯、そして遺棄された工業地帯が、冷青の線条によって余すところなく再現されていた。

一戸が戦術ノードを呼び出そうとした、その時――エリックが猛然と振り返った。

魁偉な巨躯が窓外の光を遮り、ホログラム投影の前に巨大な山の影を落とす。血走ったエリックの双眸が一戸を射抜いた。その眼底には、全家族の命をチップとして賭場へ放り出す直前の、歴戦の闘士特有の獰猛さと冷徹な品定めが渦巻いていた。

「待て」

エリックの声は地鳴りのように低く、一語一語に容赦のない質量が込められていた。

「てめえの計画を聞く前に、俺は知っておかなきゃならねえ。俺は一体、どこの誰にこの命を預けようとしてるのかをな」

エリックの視線は、一戸の蒼白で引き締まった顔立ちから、腰に差された無駄のない打刀へと滑り、最後には、眼窩の奥底で幽青の微光を湛える義眼・オラクルへと縫い止められた。

「てめえはただの傭兵じゃねえ。地下のドブネズミ特有の油臭さもねえ。レッドウルフ戦略局の【紅印】で暗号化された最高機密ファイルを握り、そのインプラントで闘技場を百連勝しながら殺気の一欠片すら散らさなかった……一戸・ベニントン。てめえは一体、どこの地獄から這い出してきた化け物だ?」

一戸の手が止まった。 薄暗い密室に、ホログラム装置の冷却ファンの微かな風切り音だけが落ちた。

一戸は静かに顔を上げ、エリックの威圧的な視線を受け止めた。相手の瞳の奥に張り詰める緊張を、痛いほど理解していた。一家全員の命を懸けて死地へ飛び込む以上、エリックはこの抜き身の刃の正体と、その強度の真偽を骨の髄まで確かめねばならないのだ。

「俺の名は、一戸・ベニントン。だが、レッドウルフの実験ログには、一つの識別番号しか記されていない」

一戸は静かに口を開いた。その声音には温度が一切なく、まるで他人の記録を淡々と読み上げるかのようだった。

「GL-29-07」

「九歳の時、レッドウルフ戦略局は装甲車で俺の住んでいた通りを更地にし、放射線と毒水の中で育った何百人もの孤児を、家畜のようにトラックへ放り込んだ。劣悪な環境で生き延びてきた俺たちの神経系は、生体防御の適応変異を起こしていたからだ。レッドウルフはその生理特性を『灰血体質(アッシュブラッド)』と呼んだ――極めて高い排斥閾値を持ち、高負荷実験の消耗品として最適な肉体だとな」

一戸は右手を伸ばし、自らの眼窩の縁の冷たい皮膚を、人差し指でコンコンと叩いた。

「何百人もの子どもが、地底の深層実験室へ放り込まれた。骨を割られ、神経を電離パルスで焼き切られ、大半の人間は即座に脳死して焼却炉へ放り込まれた。俺は、辛うじて生き残った数少ない実験体の1人だ。レッドウルフはこの『神諭原型機(オラクル・プロトタイプ)』を俺の眼窩へ無理やり溶接し、量産兵器のプロトタイプに仕立て上げようとした」

エリックの瞳孔が微かに収縮し、万年の氷のごとく冷徹な青い光条を見つめた。 一戸の指先はそのまま後頭部へと滑り、トレンチコートの襟元から覗く、黒ずんだ金属の継ぎ目へと添えられた。

「そしてこいつだ。『Lorne-X』――数年前、俺はこのスラムで、上層都市から逃げ出してきたガキを偶然助けた。そいつは狂気のハッカーであり、規格外の義体外科医だった。あいつが、上層の巨頭たちから禁忌として封印されていたこの最高峰のプロトタイプを地底へ持ち出し、俺の脊椎へ溶接した」

一戸の眼差しは冷え切り、その語調は静まり返っていたが、絶対の殺気を孕んでいた。

「レッドウルフは俺の人生を壊し、かつて組んでいたバンドの仲間を殺し、そして一ヶ月前、俺を匿って命を救ってくれた、何の関係もない二人の年寄りを重機関銃でミンチにした。エリック、俺がお前を引き入れたのは、誰かを救うためでも、ましてやこの薄汚れた地下都市の救世主気取りになるためでもない」

一戸は一語一語を、研ぎ澄まされた刃のように言い放った。

「俺たち全員の首に嵌められた首輪を、この手で引きちぎり、奴ら自身の喉笛を切り裂くためだ」

エリックはその場に立ち尽くし、分厚い喉仏を上下させた。 一戸のうなじにある冷徹な金属ジョイントを凝視し、眼窩に埋め込まれた青い義眼を見つめた。九歳で実験材料として拉致された灰血の生存者、狂気の外科医が施した禁忌のプロトタイプ……散乱していたピースが寸分の狂いもなく噛み合い、一戸が持つ人外の殺人術と、闘技場で連勝を重ねながらも一切の慢心を見せなかったあの冷徹さの理由を、完璧に裏付けていた。

口先だけの大言壮語を吐くペテン師でもなければ、大勢力のスパイでもない。 レッドウルフの骨肉の溶鉱炉から、最高峰の兵器技術をその身に宿して這い上がってきた、研ぎ澄まされた復讐の凶刃。

「……神諭の実験体、そして上層の禁忌プロトタイプか」

エリックは血の味の混じる濁った息を吐き出し、瞳の奥の最後の警戒を、黒鉄の沈黙へと沈めた。太い掌をプロジェクションコンソールの縁へと置く。

「手札の強度は申し分ねえ。てめえの計画を聞かせてもらおうか」

一戸は微かに頷き、身を翻すと、コンソールの上で手を力強く払った。 青い三次元トポロジーマップが瞬時に拡大・展開され、複雑怪奇に入り組んだ地下都市の境界を飛び越え、最終的にマップの最南西端、深紅のノイズと乱数データに塗り潰された広大なブラインドエリアの奥底で静止した。

その『寂静区(サイレント・ゾーン)』と呼ばれる絶地の中心に、微弱だが驚くほど安定した冷緑色の光斑が、嵐のようなデータ乱流の中で静かに脈打っていた。

「最終目的地は、ここだ」

一戸はその光斑を指差し、冷静かつ断定的に告げた。

「この死地のど真ん中に、旧時代の遺産である巨大シェルターが秘匿されている――コードネーム『E-7生態ドーム』。上層都市から完全に独立した大深度地熱発電ユニット、密閉式大気循環ネットワーク、そして自律修復機能を備えた二基の水耕農業タワーが稼働している。アイラと息子をそこへ送り届ければ、外でどれほど街が燃え上がろうと、連中に手出しはできない。二度と、酸性水と機械油の悪臭に塗れて育つ必要もなくなる」

エリックは赤い乱数ノイズを凝視し、眉根を深く寄せた。長年地下の修羅場を潜り抜けてきた男の直感が、即座に致命的な矛盾を突いた。

「『寂静区』……地下都市で知らぬ者のねえ、一方通行の墓場だ。この数十年、足を踏み入れたスカベンジャーも傭兵小隊も、誰一人として五体満足で戻っちゃいねえ。それに昨夜、バーでてめえ自身が言ったはずだ。この場所はレッドウルフの公式マップからすら完全に消去されてるってな」

エリックは顔を上げ、鷹のように鋭い眼光を放った。

「レッドウルフすら把握していねえ場所の座標を、なぜてめえが持っている? なぜ内部の農業タワーや発電機のことまで知り尽くしているんだ?」

エリックの詰問に対し、一戸の表情には微塵の揺らぎもなかった。 深灰色のトレンチコートの内ポケットへ右手を差し入れ、表面の塗装が擦り減った鈍い金色の物理メモリーカードを取り出すと、コンソール側面の独立カードリーダーへと静かに差し込んだ。

「ウォン……」

ホロスクリーンの戦術マップが瞬時に両脇へと退き、代わりに展開されたのは、茫漠たる古の威容を放つ、巨大な建築構造のマスタープランだった! 図面の中心、玄武岩の地脈の狭間に巨大な球体ドームが巨神の頭蓋のごとく鎮座し、幾重にも重なる物理配管が極めて克明に描かれていた。そして図面の右下、改ざん防止署名の欄には、レッドウルフ戦略局の血色【紅印】もなく、大企業のロゴもなく、ただ繊細なデータストリームで紡ぎ出された古典的な扇の透かし彫りと、優雅な飾り文字で記された暗号電子署名だけが刻まれていた。

「レッドウルフの公式データベースに存在しないのは当然だ。旧時代の戦争が終結し、上層都市の建設が始まったあの日、レッドウルフの前身となった企業群は、商業的利益を生み出さない地下シェルターの記録を、すべて物理的に破棄したからな」

一戸はその扇の紋様を見つめ、声を極限まで落とした。

「このマスタープランは、二年前、地下都市の情報フィクサーである『マダム』のために、中層都市(ミドルシティ)との境界で反逆した武装護送部隊を単身で皆殺しにして、命と引き換えに買い取った唯一の原本だ」

「マダム……?!」

エリックの顔色が変わり、喉仏が激しく上下した。 あの闘技場を支配する『鉄拳』マルクですら、独立した地下軍事要塞に君臨する『マダム』の名を口にする時は、絶対の警戒と表向きの恭順を崩さない。あの女こそが、地下都市における軍用重火器と最高機密情報の真の源流であり、旧時代から現在に至るすべての地下抜け道のトポロジーを握り込んでいると噂されていた。

「あのマダムは、偽物は売らない。彼女の天秤において、欺瞞は何の商業的利益も生まないからだ」

一戸はメモリーカードを引き抜いた。ホロスクリーンは瞬時に戦術ルートへと切り替わる。

「マダムがこの図面を俺に売ったのは、彼女の目から見て、寂静区を生きて突破できる人間など存在せず、断崖の向こうにぶら下がったただの紙屑にすぎなかったからだ。だが俺にとっては、これこそが唯一の生路だ」

エリックはそのマスタープランを丸三秒間凝視し、やがて強張っていた肩を、微かに落とした。

「……いいだろう。その場所が実在することは信じる。で、どうやって行く?」

一戸は指を三本立て、冷徹かつ簡潔に告げた。

「作戦は三幕からなる。第一幕は、『死亡』だ」

一戸はマップ上、旧工業区三番街にあるエリックの自宅を指差した。

「マルクはお前を私有財産と見なしている。お前の吐く息の一つ、アイラが配給所へ向かう足取りのすべてが、闘技場の監視網に捕捉されている。煙のように消え去れば、マルクは即座に全域封鎖を敷き、お前の妻子は街の出口にすら辿り着けない。だからこそ、お前は一度『死ぬ』必要がある。死体があり、火の海があり、マルクもレッドウルフも完全に信じ込むような、偶発的な爆死劇だ」

エリックは冷笑を漏らし、即座に最も致命的な急所を突いた。

「言うのは容易いがな。銃撃戦が始まれば流れ弾は見境なく飛ぶ。替え玉を用意したところで、俺の右腕『アレス』は地下都市で唯一無二の特装プロトタイプだ! 全身が純黒のナノ粒子でできている。マルクが死体の残骸を一瞥し、この腕がなけりゃ、即座に偽装死だと見抜くぞ! その瞬間、街中のチンピラどもが三番街を更地にして探し回るはずだ!」

「もし、家屋全体が超高熱のテルミット爆薬で完全に消滅させられたらどうだ?」

一戸の声音には起伏がなく、背筋が凍るほど平穏だった。

「三千度の高熱で溶融する火の海の中では、鉄筋すら溶鉄となり、骨格は炭化する。数トンに及ぶ金属残滓の中から、ナノ粒子の義腕が焼き溶けたのか、それとも持ち去られたのかを識別できる奴など存在しない。マルクはただ、積年の恨みを買っていた仇敵が、重傷を負ったお前の一家に不意打ちを仕掛け、家ごと灰にしたと確信するだけだ」

エリックの呼吸が止まった。一戸を凝視する。「なら、アイラと子どもはどうやって脱出させる?」

「体格と骨格のサイズが極限まで合致する三体の死体を、俺があらかじめ用意する。そしてハイエナ組の貪欲なクズどもを、お前の家の前へ鉄砲玉としてけしかける」

一戸の冷徹な計算が、エリックの瞳に突き刺さる。

「敵がお前の扉を蹴破ったまさにその瞬間、俺は『Lorne-X』の時間拡張を発動させる。奴らにとって、世界は数秒間完全に凝固する。その絶対の間隙を突いて俺が極限速度で屋内へ切り込み、アイラと息子を抱き上げて戦域から離脱させ、その場に冷凍死体を配置する。直後、仕掛けておいた爆薬を起爆する。お前は信号弾が上がった瞬間、衝撃波で吹き飛ばされた体で瓦礫から脱出し、そのまま闇へと消えろ」

エリックの喉が鳴った。瞳の奥には複雑極まりない感情が渦巻いていた。狂気じみており、針の穴を通すような危険な賭けだ。だが、その論理は精密なメスのように冷徹で、時間拡張の優位性を極限まで絞り尽くしていた。

「第二幕、『車両』だ」

一戸はマップの南東側へ指を滑らせ、広大な面積を占める廃棄鋳造工場をクローズアップした。高温の蒸気配管とスクラップの山に埋もれた旧時代の遺構。

「寂静区の内部は、超高密度の電磁ノイズと強烈な腐食性放射性降下物で満たされている。通常のチップを搭載した現代の車両を持ち込めば、半分も走らないうちに車載コンピュータがショートして炎上する。だからこそ、これが必要になる――」

ホロスクリーンに、全長八メートル、極厚の冷間圧延鉛装甲板で覆われ、無骨なソリッドタイヤを履いた巨大な機械の怪物が浮かび上がった。

「旧時代の高危険物輸送用装甲重ダンプ――『開拓者七型(パイオニア・セブン)』。純機械式の油圧駆動、外殻は高純度鉛合金の防放射線シールドで継ぎ目なく溶接され、内部には独立した酸素循環タンクを備えている。寂静区の電磁嵐を真正面から耐え抜ける、地下都市で唯一の『鉄の棺桶』だ」

エリックの顔色が曇った。「あの車は『犬牙組』の手にある。あの鋳造工場は、ヤク中の狂人どもの巣窟だ。重機関銃と有刺鉄線でガチガチに固められ、常駐の命知らずだけで三、四十人はいる。二人きりで連中の根城へカチ込む気か?」

一戸の口元に、極めて微かな弧が浮かんだ。

「数年前、闘技場から買い戻し契約で足抜けしたその夜、俺は裏路地で犬牙組のチンピラ二人の喉笛を素手でへし折った。連中がどんなタマか、お前以上に知っている。五分前、俺は端末を通じて連中の老朽化した工業監視カメラ網の裏口へアクセスを完了させた。俺たちが動く時、工場全体の防犯アラームは『偶然』メンテナンスモードへ移行する。相手にするのは、車庫で興奮剤をキメてラリっている数匹の番犬だけだ」

エリックは深く息を吸い込み、ついに最後にして、最も根本的な疑問を口にした。

「なら、第三幕はどうだ? 『航路』だ。車を手に入れ、寂静区へ飛び込んだところで、車載コンピュータは死に、無線はゼロになり、視界すら利かない。どうやってナビゲートする? どうやってその生態ドームへ続く正しい道を見つけ出すんだ?」

一戸は視線を上げ、エリックの重苦しい視線と真っ向から交錯させた。 深灰色の前髪の奥で、幽青の義眼・オラクルが無音で収縮する。網膜の最深部、数万に及ぶデータカーソルが、天の川のように超高速で軌道を変調させていた。

「俺の『灰血体質』は、防護服なしで高線量放射線を六時間以上耐え抜く」

一戸の声は、風のない湖面のように平穏だった。

「そしてこの義眼・オラクルは、純物理の光電素子と微小振動波のハイブリッドセンサーを採用している。衛星基地局にも、外部無線ネットワークにも一切依存しない。悪意ある乱数と電磁嵐に閉ざされた廃墟の中において……俺のこの両目こそが、唯一の航海図だ」

一戸は腕を伸ばし、マップの終点にある、生命の息吹を宿した冷緑色の光斑を指し示した。

「信じろ。お前たちを生きてあのドームへ送り届けられるのは、世界で俺一人だけだ」

鋼鉄の密室に、再び絶対の静寂が降りた。 ホロスクリーンのブループリントが放つ幽青の冷光が、二人の冷酷で硬質な顔面の上で明滅を繰り返している。

エリックは窓辺に佇み、足下に広がる己の半生を圧殺し続けてきた深淵を見つめ、次いでマップに描かれた、血と業火と死によって舗装された逃走経路を見据えた。 理性は告げていた。これは全家族の命をルーレットに叩きつける狂気の賭けだと。 だがここに留まり続ければ、待っているのは『アレス』が完全に自壊した後の廃棄処分であり、アイラと息子が強制収容所へと送られてミンチにされる結末だけだ。

もはや、退路などどこにも残されていなかった。

長い沈黙の後。 エリックはゆっくりと右腕を持ち上げた。漆黒のマットブラックを湛えるアレスのナノ義手が、青白い微光を浴びて極めて微小な金属の波紋を広げる。 彼は生身の左手を伸ばすと、ホログラムコンソールの合金天板へ向けて、渾身の力で拳を叩きつけた!

「ドォンッ!!」

鈍い金属の重低音が狭い部屋に響き渡った。

「乗ったぜ、その賭け」

エリックの声は嗄れていたが、その瞳の奥底で、戦士として、そして父親としての決意の炎が、凄絶な輝きを放っていた。

「息子のためにだ」

男は猛然と顔を上げ、一戸を親の仇のごとく睨み据え、一語一語を鉄釘のごとく打ち込んだ。

「だが、この言葉を骨の髄まで刻んでおけ――もしこれが別のペテンだったり、アイラと息子の髪の毛一本にでも傷がついたら……たとえ寂静区で死んで悪鬼に成り果てようと、必ず地獄から這い戻って、てめえの骨を一筋残らず噛み砕いてやるからな」

野獣の咆哮にも似た最後の警告を前にしても、一戸は無表情のまま、プロジェクターの主電源を落とした。

「ふっ……」

青い光条が瞬時にかき消え、部屋は再び、窓外から差し込む薄汚れた街の残光の中へと沈み込んだ。

「各自、持ち場につけ。夜が明けるまでに、コンディションを完璧に整えておけ」

一戸は簡潔に言い捨てた。 彼は部屋の隅のハンガーへと歩み寄り、何度も洗い晒され、大判の防刃ポリマーで補強されたあの深灰色のトレンチコートを手に取った。 すぐには袖を通さず、蒼白な指先で粗い布地の上をゆっくりと滑らせ、襟の内側にある、やや歪んだ太い糸の縫い目の上で指を止めた。 清子が、あの薄暗い電灯の下で、一針一針縫い繕ってくれた痕跡。 コートはずっしりと重かった。内側に高靭性の防刃ポリマーが仕込まれているからだけではない。老井が死の直前に噴き出した鮮血が、この古い布地の奥深くまで染み込んでいるからだ。

一戸はトレンチコートを払って肩へと羽織り、ジッパーを一気に喉元まで引き上げた。鎖骨の下に塞がったばかりの、蒼白な傷痕を覆い隠す。

次なる標的は――『屠殺者(ブッチャー)』の幕引きを飾る、壮大なる偽装の葬礼だ。

 

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