ランナー   作:Zizzi

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第六十三章 廃墟の上

地下都市第三号主支持柱の内部に穿たれた秘密機械室の中は、冷却配管から滴る微かな水滴の音すら鮮明に響くほど、底知れぬ死の静寂に包まれていた。

部屋の隅の簡易ベッドの上では、灰色の髪の青年が未だ重度の昏睡に沈んでいた。 過酷を極めた生理的代償と神経の反動により、冷汗に濡れそぼったトレンチコートの下で、その華奢な肉体は無意識の微細な痙攣を繰り返していた。紙のように蒼白な顔面において、拭い去られたはずの血痕の残滓が、皮膚の表面に薄暗い影を落としている。

そして部屋の突き当たり、あの巨大な防爆観察窓の前では、エリックがまるで冷たい鋳鉄の彫像のごとく、丸二時間もの間、微動だにせず立ち尽くしていた。 窓外の遥か彼方、旧工業区三番街の方角では、可塑性爆薬とテルミットが焼き上げた火球はすでに崩壊して赤黒い余燼の海へと沈んでいたが、立ち上る濃密な黒煙は、地下都市の重苦しく圧迫感のある岩盤天幕の下で、今なお渦を巻いて淀んでいた。

「……エリック」

極限まで押し殺され、明らかな震えを帯びた低く掠れた呼び声が、室内の窒息しそうな空気をようやく切り裂いた。

折りたたみ椅子から、アイラが力なく立ち上がった。 彼女は両手で胸元のハギレのおくるみを死に物狂いで抱きしめていた。生後一ヶ月の赤ん坊は布の中で身じろぎし、か細い寝息を立てている。アイラの目元は真っ赤に充血し、乱れた髪が蒼白な頬に張り付いていた。全身が過度の恐怖と脱力によって微かに震えている。

「振り向いて……私を見て」

エリックの魁偉な巨躯が、ほんの一瞬だけ強張った。 彼は極めて緩慢に、鉛のように重い足取りで振り返った。窓外の赤黒い炎の光を背に負い、闘技場の砂地で四十戦以上を勝ち抜き、数万の暴徒から『屠殺者(ブッチャー)』と恐れられてきたこの巨漢は、涙と恐怖に濡れた妻の眼差しを前にして、脇に垂らした生身の左手を所在なさげに震わせた。

「アイラ……」

「そんな風に呼ばないで」

アイラの声は低かったが、皮膚を切り裂く刃のような鋭利さを孕んでいた。彼女は半歩後退し、胸の中の我が子を庇うように抱きすくめると、見慣れぬ機械と工具に満ちた密室を視線で走査し、最後にはエリックの硬質な顔面へとその瞳を突き立てた。

「私たちの家が、潰されたわ。ほんの数時間前、サブマシンガンを持った十数人もの暴漢がドアを蹴破って、私たちを殺そうとした……その時、あのベッドに倒れている男が突然現れて、私とこの子を部屋の外へ放り出したのよ」

アイラの胸郭が激しく波打ち、せき止められていた涙が一気に決壊して頬を伝った。

「あの部屋に投げ込まれた、二体の冷たい死体……あの女と、小さな赤ん坊は一体何なの?! あなたはどうして、崩壊するビルの中へ吹き飛ばされたの?! エリック・ジョンソン……私に、一体どれだけのことを隠してきたのよ?!」

妻の精神の限界を告げる悲痛な詰問を前に、エリックの唇が微かに震えた。 一歩歩み寄ろうとしたが、アイラの眼底に宿る警戒と戦慄を目にした瞬間、その重厚な足は地面に縫い止められたように止まった。

室内には、ホログラムコンソールの冷却ファンが低く唸る微かな音だけが響いている。

長い沈黙の後、エリックは生身の左手をゆっくりと持ち上げ、粗野な手のひらで顔面にこびりついた赤黒い血糊を乱暴に拭った。その声は、鉄ヤスリを無理やりに飲み込んだかのように、低く嗄れていた。

「すまない、アイラ」

男は深く息を吸い込んだ。眼底で現実を取り繕っていた最後の欺瞞が、己の手で無残に引き剥がされる。

「闘技場で人を殺し続けたところで……中層都市(ミドルシティ)への通行証なんぞ、最初から手に入りっこなかったんだ」

アイラは息を呑み、言葉を失って立ち尽くした。頬の涙を拭うことすら忘れ、瞳孔が急収縮する。

エリックは右腕をゆっくりと持ち上げた。全身をマットブラックで覆われた特装インプラント『アレス』。薄暗い微光の下で、表面のナノ流体は絶対の沈黙へと沈み、冷たく、硬く、肉体に直接鋳造された黒鉄の塊のように佇んでいた。

「こんなガラクタは……上層へ這い上がるための階段でもなければ、栄光でも何でもねえ」

エリックの声は背筋が凍るほど平穏だった。その一語一語が、己の古い傷口を生きたまま抉り広げているかのようだった。

「若い頃、俺はスラムの通りで命知らずどもを率いて縄張りを奪い合い、一日中ドブの中で血を流しては、腕っぷし一本で成り上がれると信じ込んでいた。マルクはその時に俺に目をつけたんだ——俺の命知らずな狂暴性に目をつけ、言葉の罠で埋め尽くされた契約書をチラつかせて近寄ってきた。下層のスラムから抜け出させてやる、真っ当にのし上がる道をくれてやる、とな」

エリックの呼吸が荒くなり、生身の左手が右肩と義体の接続部に走る太く硬質な瘢痕を力任せに鷲掴みにした。青筋が皮膚を突き破らんばかりに浮き上がる。

「俺は血迷って、それが運命をひっくり返すチャンスだと本気で信じ込んじまった。薬の仕込まれた強い酒を煽り、手術台の上で目を覚ました時……右腕は根元から消え失せていた。マルクは俺の生身の腕を生きたまま鋸で切り落とし、この特装プロトタイプ義体『アレス』を、俺の骨へ無理やり溶接しやがったんだ」

「それだけじゃねえ。あいつは天文学的な『ハイエンド義体メンテナンス減価償却費』と複利の利息を上乗せした二重帳簿を俺の顔面に叩きつけた。二百四十万……俺が目を開けたその瞬間から、借金という名の絞首台の縄は、すでに俺の首根っこに溶接されていたんだよ。俺は名を馳せる挑戦者なんかじゃねえ、アイラ。借金で鉄籠に縛り付けられ、次から次へと死闘を強いられるただの家畜だったんだ。リングの砂地で命を削るたび、この腕が俺にもたらしたのは栄光なんぞじゃねえ……五十倍に跳ね上がった、感覚過負荷という名の拷問だった」

「五十倍……?!」

アイラの声が上ずり、悲鳴のように甲高く裏返った。

過去の年月の中に封じ込められていた断片的な光景が、その瞬間、豪雨のごとく彼女の脳裏を粉々に砕いていった—— 幾重もの深夜、血と泥に塗れて帰宅したエリックの、血の気の一切引いたあの恐ろしいほど蒼白な顔。右肩に決して触れさせようとせず、隙間風の吹くシャワー室に自らを閉じ込め、凍える冷水を浴びながら、粗い布タオルを口いっぱいの血で濡らして噛み締めていた夫の姿。痛々しさに耐えかねて尋ねるたび、この魁偉な男は決まって気安げに笑い、彼女の髪を撫でながら「ただの擦り傷だ、二日も寝れば治る」と言い張っていた。

ただの擦り傷などではなかったのだ。 それは五十倍に増幅された、通常の人間なら数秒で発狂に至る神経の拷問だった!

「五十倍の激痛……」

アイラの両手が激しく震え、涙がとめどなく溢れ出した。彼女は絶望の眼差しで夫を見つめ、過呼吸を起こしそうになりながら言葉を絞り出した。

「毎晩タオルを噛み締めて、全身を震わせて床でのたうち回っていたのは……そのせいだったの?! 丸五年間も、私に隠し続けていたの?! あなたにとって、私は背後に隠れて、真実すら知らされないただの足手まといだったっていうの?!」

「だが、それすらもすべての真実じゃねえんだ、アイラ」

エリックは首を垂れ、その巨大な背骨が薄暗がりの中で痛々しく丸まった。

「俺だけじゃねえ。お前も、息子も……最初から計算に入れられていたんだよ」

男は深く息を吐き出した。眼底には、破滅的な災厄に直面した歴戦の闘士特有の、骨の髄まで凍りつく絶望が渦巻いていた。

「『アレス』は、レッドウルフ戦略局がマルクに実戦テストを行わせるために下達した特装実験機だ。マルク名義のペーパーカンパニーが中層都市(ミドルシティ)にあって、レッドウルフの裏金を洗浄している。俺が一勝するたび、ファイトマネーの七割がアルゴリズムによって『減価償却費』として強制天引きされ、残りは利息に食い尽くされる。わずか半月で三十九戦全勝、採掘メカを素手で引き裂き、マルクの懐へあと一歩まで肉薄した……だが手元に残されたのは、十二枚の硬貨と二枚の配給チケットだけだった」

エリックの呼気から、生々しい血の匂いが漏れ出す。

「さらに最悪なのは、契約書の末尾に刻まれた条項だ」

彼はアイラの腕の中のおくるみを凝視した。指関節が強張り、白く鬱血している。

「『アレス』のテスト限界が近づいている。マルクはとっくの昔にレッドウルフと密約を交わしていたんだ。いつか俺がリングの上で限界を迎えて完全麻痺に陥った時、奴らは俺を溶鉱炉へ放り込み、この腕を引っ剥がして上層の買い手へ売り飛ばす。そして、お前と息子は……」

「お前たち二人は、まさにその一瞬で、中層都市(ミドルシティ)・下層の強制労働収容所へ叩き込まれ、『未決済の債務の穴埋め』に使われる。女は死ぬまで工場のラインで骨を削られ、生まれたばかりの赤ん坊はバーコードを焼き付けられて完全密閉の収容施設へ送られ、脳を洗浄されて人間性をすべて剥ぎ取られ、黒装甲を纏わされて戦場の使い捨ての肉壁——レッドウルフの『ハウンド部隊』の消耗品に仕立て上げられるんだ」

強制労働収容所。 完全密閉の隔離収容施設。 ハウンド部隊の使い捨ての弾除け。

血の滴るような戦慄すべき名詞が次々と空間へ叩きつけられ、アイラは落雷を浴びたかのように全身の力を失い、膝から崩れ落ちそうになった。

地下都市に生きる者で、収容所が何を意味する場所かを知らぬ者はいない。 それはスラムの流民すら見下す生きた地獄。そして自らの血を分けた我が子が、父親の名を呼ぶ権利すら与えられず、ただ引き金を引くだけの冷酷な殺人機械へと改造されるのだ。

マルクは最初から、自分たちを解放する気など毛頭なかったのだ。 流した血と傷の対価として手に入るはずだった未来——それは最初から、大企業の帳簿の上に期日を記された、廃棄処分へのカウントダウンにすぎなかったのだ!

「だから……今夜の、あの出来事は……」

アイラの震える視線が、部屋の隅で昏睡する一戸へと向かった。

「あの大火事は……あの死体は……」

「葬礼だ」

エリックは深く息を吸い込み、その声は再び、鋼のように冷徹で確固たるものへと戻っていた。

「『屠殺者(ブッチャー)』エリックの一家全員が、三千度のテルミットの溶鉄の中で骨の欠片すら残さず灰になったと見せかけて初めて、マルクもレッドウルフもこの腐った帳簿を抹消し、全域の捜索を打ち切るんだ」

「あのベッドに横たわっている灰色の髪の若造の名は、一戸。あいつもリストに刻まれた標的の一人であり、十八年前にレッドウルフの実験室から這い上がってきた……人生を奴らに踏みにじられた男だ」

エリックは生身の左手を伸ばし、慎重に、壊れ物を扱うかのような優しさで、アイラの冷え切った肩へと手を添えた。

「今夜の爆破、三体の冷凍遺体、そして暴徒が引き金を引く直前にあんたたちを抱え上げて銃撃戦の死角から救い出してくれたのも……すべて、あいつが一人で命を張って勝ち取ってくれたものだ。ビルが崩落した時、俺は衝撃波で脳震盪を起こして狭間に挟まり、周囲は火の海だった。あいつは数千度の業火の中に真正面から飛び込んできて、瓦礫の下から俺を力ずくで引きずり出してくれたんだ」

エリックの喉仏が激しく上下し、その声には押し殺した戦慄と敬畏が滲んでいた。

「俺を引きずり出すなり、あいつはその場の泥濘の中へ崩れ折れた。目、耳、鼻、口のあらゆる穴から血を吹き出し、息は絶え絶えで、心臓すら止まりかけていた。どうやってあんな神業をやってのけたのか、あの瞬間にどれほどの恐るべき反動をその身に背負ったのか、俺には想像もつかん……だが俺が目を覚ました時、あいつは己の肉体を自ら焼き殺しかけていたんだ」

エリックの眼差しに打算の翳りは微塵もなく、そこにあるのは底辺の亡命者同士が結んだ、最も深奥なる信愛のみだった。

「あいつは救世主なんかじゃねえ。俺と同じ、レッドウルフに総決算を叩きつけにきた復讐鬼だ。だが、あいつは約束してくれた。背中を預け合えるなら、必ず俺たちをこのドブ底から連れ出してみせると」

アイラは呆然と耳を傾け、首を巡らせて、簡易ベッドの上に横たわる痩身のシルエットを見つめた。 火の粉に焼かれて大穴の空いた衣服、剥き出しになった皮膚に刻まれた無数の裂傷、そして若すぎるほどに引き締まり、今は生気を完全に失って白く透き通るようなその顔立ち。

彼女の脳裏に、銃弾の嵐が我が身を引き裂こうとしたコンマ数ミリ秒前、突如として空間を切り裂いて伸びてきた、人間の常理を超越したあの腕の感触が蘇っていた。冷たく暗い換気シャフトの底で、口から血を滴らせながら、我が子を己の腕の中へと静かに押し戻し、包布の端を丁寧に整えてくれたあの青年の指先の動きが。

リストの計画も、義体の過負荷の理論も、彼女には理解できない。 だが、この見ず知らずの行き倒れのような若者が、何の血縁もない自分たち一家のために、真にその片足を冥府の底へ踏み入れてくれたことだけは、痛いほど理解できた。

「私たちは……これからどこへ行けばいいの?」

アイラは我が子を強く抱きしめた。その声には依然として微かな震えが残っていたが、眼底の怯えは現実の冷徹さによって消え去っていた。

「地下都市はすべてマルクの目の届く範囲だし、中層都市へ行けば遺伝子スキャンがある……私たちはどこへ隠れられるの?」

エリックは身を翻し、中央のオフラインコンソールへと歩み寄ると、コマンドを叩いた。 古色蒼然とした三次元のブループリントが中空に音もなく展開され、カーソルが赤い電磁ノイズに覆われた広大な絶地の中心へとロックされる。

「寂静区の中心、コードネーム『E-7生態ドーム』」

エリックはその冷緑色の光斑を指差した。

「旧時代の遺産である巨大シェルターだ。独立した大気循環と大深度地熱発電を備え、レッドウルフのあらゆる公式マップから完全に抹消されている。一戸がマスタープランを握っている。あいつの義眼は外部信号に頼らず、放射能の瓦礫を透過して航路を見出せるんだ」

エリックは振り返り、粗野な両手で妻の手の甲を優しく包み込み、視線を合わせた。

「明日の午後、俺とあいつで犬牙組の鋳造工場へカチ込み、鉛装甲を纏った『開拓者七型(パイオニア・セブン)』重ダンプを強奪する。寂静区の放射能嵐を突破できる唯一の鉄の棺桶だ」

「アイラ、寂静区を抜けるのが九死に一生の賭けであることは分かっている。だが、この地下都市に留まり続けることは、十死無生なんだ」

エリックの声は胸郭の奥深くで重く反響した。

「俺は生涯人を殺し続けてきた。この両手はとうに腐り果てている。だが、この子は違う。お前と約束したんだ……陽の光の見える場所で、鉄錆の匂いのしない世界で、胸を張って生かしてやると」

アイラは腕の中の我が子を見下ろした。赤ん坊は両親の緊張を感じ取ったのか、夢の中で眉根をわずかに寄せ、小さく口をもぐもぐさせて、再び静かな眠りへと戻っていった。

熱い涙が、粗末な布のおくるみへと滴り落ちた。 アイラはもう声を上げて泣きはしなかった。 長年地下の泥濘を生き抜いてきたこの女の肉体にも、底辺の民特有の強靭な生命力が確かに脈打っていた。彼女は涙を拭い去ると、顔を上げ、エリックの視線を正面から受け止めた。

彼女は右手を伸ばし、エリックのあの冷たく沈黙する漆黒の『アレス』のナノ義手を、極めて静かに、そっと包み込んだ。 金属と複合装甲の冷たい感触が指先へ伝わってくる。アイラは退くことなく、手のひらの温もりをその硬質な手の甲へと密着させた。

「行って、エリック」

彼女の声は静けさを取り戻し、その瞳には母親としての決然たる光が宿っていた。

「この子を生かせるなら、地獄の果てまでついていくわ」

数日間にわたって張り詰めていたエリックの顎が微かに震え、男は深く、重々しく頷いた。

その時——

「ゲホッ……カハッ!」

部屋の隅の簡易ベッドから、肺腑を引き裂くような激しい咳き込みが突如として響き渡った。

二人は弾かれたように振り返った。 ベッドの上で、一戸の身体が弓なりに激しく跳ね上がっていた。蒼白で細い片手が鉄パイプのベッド枠を万力のように鷲掴みにしており、指関節が過度の力で白く浮き上がっている。激しい咳とともに、ドロドロとした濃密な黒い血塊が唇の隙間から大量に吐き出され、冷たい床板へと撒き散らされた。

「ジジッ……」

灰色の前髪の奥で、義眼・オラクルの冷青の光輪が強烈な神経の震盪とともに突如として点灯した。絞り込まれた光彩が視野の中で高速のセルフチェックを走らせ、激しく明滅する。

【運動神経シナプス熱損傷率:42%】 【外因性化学刺激薬物残滓:代謝中】 【環境走査:密閉セーフハウス / 近接生体シグナル3件を検知】

データストリームが嵐のように視界を駆け抜け、一戸の焦点は激しい残像と砂嵐の狭間でようやく結像した。 トレンチコートの粗い袖口で顎の黒血を力任せに拭い去る。息を整えると、眼窩の奥の幽青の光条が微かに揺らぎ、中空に浮かぶホログラムの残光を透過して、赤ん坊を抱きしめたまま警戒を露わにするアイラの顔面を捉えた。

女の顔色は青ざめ、痩せ細った両手で必死に我が子を庇っている。夫の告白を聞き終えた後とはいえ、顔中から血を吹き出し、悪鬼のような眼差しを放つ灰色の髪の青年を前にして、その肉体には本能的な恐怖と警戒が色濃く残されていた。

一戸は布に包まれて小さく息づく幼子を見つめ、次いでアイラの白く強張った指先を見やった。 彼は、この過酷な破滅を潜り抜けてきたばかりの母親を、少しでも安心させようとしたようだった。

口元が微かに動き、一戸は努めて穏やかな笑みを浮かべようと試みた。

だが——口元の筋肉がわずかに動いた刹那、硬直し死に絶えた生硬さが、顔面神経の伝達経路を無慈悲にロックした。

彼は、あまりにも長い間、笑うという行為を忘れていたのだ。 レッドウルフの実験タワーには電撃と注射針と血塗られたシリアルナンバーしかなかった。闘技場のリングの上には喉笛を食い破る咆哮しかなかった。暗い路地の逃亡劇には弾道を計算し生死を分かつ冷徹な論理しかなかった。丸十八年間、「笑顔」を作るための表情筋の記憶など、果てしない殺戮と冷たいデータによって完全に剥ぎ取られ、焼き尽くされていたのだ。

薬物の反動と長期の機能不全により、頬の両脇の神経が制御を失って微かに引き攣った。ひび割れて皮のめくれた薄い唇が上へと歪に吊り上がり、温もりをもたらすどころか、紙のように蒼白な顔面の上に、極めて怪異で、歪曲した、冷酷極まりない死相を彫り起こしてしまったのだ。

灰色の前髪の下、冷徹な青い光を放つ義眼は一片の感情の揺らぎも見せず、口元の引き攣った歪な笑みと相まって、まるで地獄の死人の山から這い上がってきたばかりの、嘲笑を浮かべる怨霊そのものの形相と化していた。

アイラの瞳孔が急収縮し、呼吸がピタリと凍りついた。

「ヒッ……!」

息を呑む短い悲鳴とともに、彼女は抱き締めた我が子とともに反射的に後方へよろめき、背中を椅子の背もたれへ激しくぶつけた。その瞳は純粋な戦慄に支配されていた。 エリックもまた目を丸くし、太い眉根を寄せて、ベッドの縁の青年を呆然と見つめた。

一戸の顔面の筋肉が、コンマ数秒間、硬直した。 彼は伏し目がちに目を落とすと、冷たい指先を持ち上げ、痛む自らの頬骨を触った。そこでようやく、己の表情筋が引き起こした機能不全の荒唐無稽さを理解したようだった。

余計な弁明も、気まずさを取り繕う言葉も口にしなかった。一戸は平然と口元の力を抜き、その表情は一瞬にして硬質な仮面へと戻り、いつもの石膏像のような冷淡さと無表情へと沈んでいった。

「今、何時だ」

喉の奥を擦り合わせたような掠れた重低音。再起動を完了した精密機械のように平淡な声だった。

エリックが我に返り、大股でテーブルへ歩み寄って温かい水の入ったカップを差し出した。 「午前四時半だ。三時間近く昏睡していたぞ」

一戸はカップを受け取ろうとはしなかった。死線の局面において、社交辞令も虚弱さもただの無駄な荷物にすぎない。冷たいベッドのフレームに手を突くと、無駄のない身のこなしで床へと降り立った。コンバットブーツが床の黒い血だまりを踏み砕き、パチャリと乾いた音を立てる。

胸腔の奥深く、ズレた肋骨が着地の負荷を受けて激しい鈍痛を走らせたが、彼は眉一つ動かさず、壁際の金属機器ラックへと真っ直ぐに歩み寄った。

ガチャリと音を立て、傷だらけの救急アイアンボックスを片手で跳ね上げる。

「ボックスの高分子生体修復ゲルの残量はどれだけある」

一戸は嗄れた声で問いながら、血糊と硝煙でズタズタに裂けた深灰色のトレンチコートを脱ぎ捨てた。大半の皮膚がめくれ上がった左肩と、青黒い陥没痕が走る胸板が露わになる。

エリックが傍らに立ち、高圧ゲルスプレーの缶を二本と、カーボンファイバー芯の加圧固定バンドを素早く差し出した。 「二缶残っている。それと広域神経スタビライザーが三本だ」

「十分だ」

一戸はスプレーを引ったくり、安全ピンを歯で噛み抜くと、何の躊躇もなく、左胸の生肉がめくれ上がって肋骨が陥没した最も深い傷口へと、ノズルを直接押し当てた!

「シューッ————!!」

鼻を刺す高濃度の医療用化学フォームが、マイナス五度の絶対冷却とともに狂暴に噴射され、引き裂かれた骨肉の空隙を一瞬で満たしていった。 極低温と高活性の増殖因子が傷口と接触した刹那、何千本もの真っ赤に焼けた針で神経叢を一斉に突き刺されたかのような激痛が走る。極限の苦痛に一戸の全身の筋肉が一瞬にして引き絞られ、額に青筋が浮き上がり、蒼白な顎から大粒の冷汗がボタボタと床へ滴り落ちた。

だが、その幽青の義眼・オラクルの瞳孔は、微塵の焦点を狂わせることもなかった。 胸前で急速に硬質化していく高分子ゲルを片手で力任せに押さえ込み、顎を持ち上げて、その鋭利な眼光をエリックの瞳へと真正面から突き刺した。

「外の現場だ。マルクとレッドウルフの追手は食いついてきたか」

「今のところはまだだ」

麻酔すら打たずに平然と骨肉の創口を塞ぎ立てる一戸の凄絶な所作を見つめ、エリックの胸中に微かな畏怖が走った。男は早口で状況を報告した。 「五十キロの可塑性爆薬とテルミットで、あの六階建てのビルは前傾角度に沿って完全に倒壊した。お前の仕掛けた信管のおかげで、三番街の掘っ立て小屋は粉々に粉砕されたよ。三千度の高熱で身代わりも骨の欠片もすべて溶鉄に化けた。『アレス』の粒子の残骸すら区別がつかん状態だ」

一戸はカーボンファイバー加圧バンドを引き寄せ、端を歯で噛み締めると、青筋を浮き立たせて己の陥没した胸肋骨の周りを力任せに四重に巻き上げた!

「バキッ!」

骨が外力で強引に整復される鈍い音が胸腔から響き、彼は手慣れた動作でバックルを締め落とし、折れた骨を物理的な張力で強引に固定した。

「ハイエナ組の連中は」

「逃げ散ったよ」エリックが冷笑を漏らした。「頭の傷跡男は完全に腰を抜かしていた。ビルごと倒壊して現場が完全に消滅したせいで、賞金の証拠となる首級すら持ち帰れず、それどころかマルクの最重要資産を『殺害』してしまったことに気づいて、夜のうちに残党を連れて街から逃げ出した。マルクは重傷を負った俺の仇敵が一家皆殺しを仕掛けたとしか思っていねえはずだ。夜が明けるまで、三番街以外のエリアを洗う手は回らん」

「だが夜が明ければ、マルクは必ず気づく」

一戸は救急箱から澄んだ緑の液体が詰まった神経スタビライザーを掴み取ると、キャップを外す間すら惜しんで歯で噛み砕き、首の後ろにある神経インターフェースの縁へと、迷わず力任せに突き刺した!

「ブスリッ!」

氷水のごとき冷徹な薬液が頭頂部へ注ぎ込まれ、限界を超えた過負荷によって脳脊髄液を焼き続けていた高熱を力ずくで鎮火していく。 一戸は血の味の混じる濁った息を長く吐き出した。眼窩の奥の幽青の光輪がようやく安定を取り戻し、狂乱していたノイズの点滅が静止する。

彼は無表情のまま、先ほど引き裂いたトレンチコートを再び羽織り、ジッパーを一気に喉元まで引き上げて、胸元の硬化したゲルとカーボンファイバーの固定バンドをその厚い布地の下へと覆い隠した。

「マルクは『アレス』がレッドウルフ唯一の実戦特装機であることを知っている。現場からコアチップの溶融残渣が見つからない以上、奴はこの地下都市の裏通りをひっくり返してでも追跡してくるはずだ」

一戸は身を翻し、中央のホログラム投影コンソールへと大股で歩み寄ると、操作インターフェースを力強く薙ぎ払った。

「ウォン……」

スクリーンが瞬時に明滅し、あの巨大で禍々しい旧工業鋳造工場の三次元構造図が中空へと展開された。外周の十数箇所の警戒ノードが、赤黒い表示のままオフラインのダミーループを示している。

「俺たちに残された時間の猶予は、あと十時間だ」

一戸の指先が、鋳造工場の最深部にあるガレージの死角を強く突いた。

「犬牙組の外周監視網は、俺があらかじめ録画再生ループで固定してある。午後三時ちょうど、内部の高圧蒸気ボイラーが定期減圧を行い、工場内のすべての自動防衛タレットが、この一時間に限って強電メンテナンスに入る」

一戸は顔を上げた。 深灰色の前髪の奥で、幽青の冷気を湛えた義眼・オラクルが、薄暗い機械室の中で研ぎ澄まされた凶刃のごとき光条を放ち、エリックの硬質な横顔へと寸分の狂いもなく縫い止められた。

「『アレス』を点検し、弾薬を揃えておけ」

一戸の声は低く、平穏で、一片の揺らぎもなかった。

「午後三時、鋳造工場へ車を奪いに行く」

 

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