セイレーン(暗黒大陸産) 作:セイレーンちゃんカワイイ
長らく拠点としていた島を離れ、辿り着いた小さな島での
陽光を反射してキラキラと煌めく青澄んだ海原を、三匹は滑るように進んでいく。
「色々あったけどぉ、犯人も分かって、ぜんぶ解決したからよかったよね~」
「ギャリギャリ」
並走して泳いでいる人魚たちも、ご機嫌そうに歯を鳴らしている。
それはそれとして。
「これからどうしようかなあ~」
かつて拠点としていた島では、島民たちが味が濃くて美味しいものをたくさんくれたものの、最終的には討伐されかけたので、もうあまり近寄りたくはない。
「仕方ないや。また新しい遊び場所でも探そっかあ」
「ギャギャ」
あまり近場だと、セイレーンの噂を聞き付けた誰かにまた討伐されたり、追い回されるかもしれない。また人魚を食べられても困るし、あのヒリヒリと喉が焼けつく辛いカレーだって、もう懲り懲りだ。
セイレーンたちは波を蹴って、少し遠くまで出向くことにした。
とりあえず
眠くなったら水のベールを身体の周囲に張って、のんびりと波に揺られながら眠って、自然に目が覚めたらまたのんびりと泳ぎ、お腹が減ったらそのあたりの魚や海の動物を捕まえて食べたり、暇つぶしにバレーボールみたいにして遊んだり。
日にちの感覚などセイレーンたちにはなかったが、それでも随分と長い距離を泳いだころ。
「ん~?」
雲ひとつないよく晴れた朝、海面からぬっと顔を出したセイレーンは、水平線の彼方にある異様な影に目を凝らした。
「あれって、島?」
蒼い海と空の境目に横たわるそれは、かつていた島よりもずっと大きいものだった。
ちょっと行ってみようか。と人魚二匹に声をかけてから、これまであてもなく泳いでいたのをやめて、まっすぐにその巨大な島影を目指して、力強く波を切り進み始めた。
「うわあ……すっごい大きい〜」
「ギャリギャリ!」
セイレーンたちが近づくにつれて、その島影の全貌が明らかになってきた。
巨大な島影──つまり大きな島の輪郭をつくりだしている山だと思っていた部分は、古びた石造りの遺跡が聳え立っていたのだ。
「誰か住んでるのかな?」
人魚たちも物珍しそうに、カチカチと鋭い歯を鳴らして顔を見合わせている。
「そうだねえ、ちょっと見に行ってみようか」
休憩も兼ねて、セイレーンたちは島に上陸することにした。
波が穏やかに寄せ返す浅瀬にその巨体を乗り上げるようにして、身を滑らせる。
そこからは立派な尾ひれを蛇のようにずりずりと動かして白い砂浜を進んだ。人魚たちは、頭の上にのせている。
やがて一行は、緑に呑まれかけた古びた石階段へたどり着いた。長い年月を潮風と雨にさらされた石はひび割れている。階段を登るため巨体がのしかけるたびに石段は鈍い音を立てて砕け、破片が斜面を転がり落ちたが、そんなことセイレーンは意にも介さない。
中心部へ近づくにつれ、潮の香りは次第に薄れる。
クンクンと、セイレーンが鼻を鳴らす。湿った土の匂い。苔むした岩の匂い。そして何百年も時を重ねた石造りの建物が発する独特な香り。
巨石が規則正しく緻密に積み上げられ、表面は年月を感じさせるほどびっしりと苔と蔓草が覆いながらも、見慣れぬ文様があちこちに刻まれている。
「変なおうち~。こんなにおおきいのに、誰も住んでなさそう」
セイレーンは物珍しそうに首をかしげ、尾ひれを引きずりながら遺跡の影へと侵入していく。
太陽の光を遮り、ひんやりとした影の下、足元の濡れた石畳はぺたぺたしていて冷たい。
周囲は石に囲まれているが閉塞感はなく、セイレーンがたとえこの場で大きく踊っても、余裕があるほどの広さだ。
「変なところだけど、誰も住んでなさそうだし、前の洞窟みたいでちょっとイイかも~」
ぐう、とお腹の音がふいに鳴る。
「……お腹減っちゃった」
一旦遺跡から出て、周囲の植物を見上げてみる。
高い木々には美味しそうな匂いを放つ熟れた実がいくつか成っていたが、このままではセイレーンの手は届かない。
「腹ごしらえも兼ねて、喉の調子試してみようかな?」
人魚たちにも合図を送り、喉を鳴らして声を出す。
「~~♪」
力強くもあり繊細でもあり、甘くも切なく美しい歌声が、まるで目に見えるかのように空気を震わせる。人魚二匹のコーラスも合わさり、セイレーンの歌声を空へ押し上げていくようだ。
そうしてセイレーンが繰り出す歌声は静かに、波紋のように広がった。
その時だった。周囲の植物たちが、まるで意志を持ったかのようにぐねぐねと動き出したのだ。周囲の蔓や枝木がありえない太さに成長し、伸び──そうして蔓はセイレーンの意志に応えるようにして高所に成っていた果実を引き千切り、セイレーンに献上するように差し出した。
セイレーンはそれを当然のように受け取って、人魚たちにも分け与えながら、かぶりついた。
赤い表皮越しの果肉はじゅくじゅくに熟れていて柔らかく、歯を突き立てただけで瑞々しく甘い果汁が口いっぱいに広がる。セイレーンは満足げに、ぺろりと果汁で塗れた唇を猫のように舐めた。しかし、
「おいしい~! ……ケド、やっぱり島のごちそうと比べたら味薄いかもー」
味自体には何も問題ないのだが、濃い味付けで作られた島民の料理に慣れ切っていた舌は、どこか物足りなさを訴えていた。
「ギャリギャリ」
「ギャギャギャ」
果実を食べていた人魚たちも、同意するようにカチカチと小さく歯を鳴らしている。
「うーんそうだねえ、やっぱり、お料理できる子を見つけなきゃだよねえ」
成っていた果実でひとまず腹を膨らませたセイレーンは、ふわあ、とあくびを零しし、石畳にずっしりと横たわる。
「ひんやりしてきもちー」
泳ぎ疲れた体にしんしんと心地よさが染み渡るようだ。
「ずっと泳ぎっぱなしだったしい、今日はここで寝ちゃおっかあ」
この空間は、かつて寝床にしていた洞窟に近い空気と質感があるので、ゆっくり寝られそうだ。
周りの模様だけが奇妙で、そこが独特の気配に満ちているのがセイレーンの趣味には合わなかったが、今は眠気のほうを優先することにした。
セイレーンはなによりも、自分の気持ちが一番大切で、優先しているのだから。
人魚たちもセイレーンの身体と尾の波間に身体を収めて、カチカチと小さく歯を鳴らしながら目を閉じた。
「おやすみぃ~……」
静寂に包まれた深い遺跡の影のなか、三匹は揃ってすやすやと眠りについた。
──翌朝。
隙間から差し込む朝日に照らされ、まぶしさにセイレーンがパチッと目を覚ましたときだった。
「?」
どこか遠くで、石が擦れ合うような軽い足音が聞こえる。生き物の気配。
セイレーンが上体を起こし、音が聞こえる方向を見上げた。
「島の植物が変に成長してると思ったら──妙な生き物が住み着いてんな。おめーの仕業か?」
頭上高く、崩れかけた石柱のてっぺんから、どこかひょうひょうとした低い声が降ってきた。
見上げると、そこには誰かが腰かけている。
肌色の顔つきはどこか精悍だが、ボサボサの黒髪に無精ひげ、そしてほとんどボロ布に近い服を纏っており、不審者にしか見えない。
それは無遠慮にセイレーンたちを見下ろしていた。
「ん~? だぁれ?」
セイレーンが首を動かす。
セイレーンにとってその生き物は、見たこともない体つきをしていた。島民や島によくくる子たちに比べて、腕も足も体も、ヒョロリと縦に細くて高い。そして布越しの肌には、髪の毛や髭といった体毛はあっても体を覆うほどの毛がない。どちらかといえば、あの島二郎と名乗ったカレー屋に似ているかもしれない。どちらかといえば、での話だが。
「……おいおい、言葉が通じるのかよ。交雑した変異種か? にしても、どっから流れてきたんだ……?」
「どこからってー……」
ブツブツと独り言に近いその疑問を拾い上げたセイレーンは、「うーんとね」と首を傾げる。
「
セイレーンがヒレのような前肢でざっくりと
謎の生き物が便宜上指をさした方向──そちらには、現状この世界の地図に載っているような場所──すなわち、
*
ここはそもそも、サヘルタ合衆国の遥か西にある無人島である。
この島には未だ謎の多い古代遺跡群が存在しており、
ハンター協会からの依頼などではなく、単純にジン個人の興味関心によるものである。
補給のため一旦島を離れ、二日ぶりとなる上陸三度目──島にたどり着いた途端、三日前と比べて
本土とは異なりこの無人島は通年亜熱帯気候のため、島の9割は熱帯雨林に覆われ、幹や根が太く力強く成長したマングローブ林があちこちに広がっている。
そのタコ足状に広がる支柱根が、先日と比べて通常の10倍の太さに成長して、
波打ち際には、ほとんど消えかけているものの、
いつもなら賑やかに喧騒を散らす島の野生動物たちも、今日は水を打ったように静かだ。
人間ではない何者かが、この島に侵入しているのは明らかだった。
(……念能力を持った動物・生き物それ自体は珍しいことでもねえ。ある程度の知性とセンスがあれば、魔獣だろうが動物だろうが念を開花させること自体は可能だ)
だが、
(
ジンはすぐさま
*
改めてジンは、面倒なことになったなと頭をかいた。
「──外から来たってなあ……」
のんびりとした風体に見合わず、意識も視線もしっかりと目の前の巨大な生物に集中したまま思考を巡らせる。
(人語を解するような知能があるとはいえ、
人間も含め、動物というものは同種でもない自分以外の生き物に対してまず警戒するのが本能というものだ。そうでなければ淘汰され、あっというまに絶滅する。
しかしこの、猫と魚をくっつけたような珍妙な生き物にはそれがない。傍にいる人と魚をくっつけたような小さな生き物も同じだ。
多少不思議そうにこちらを見てはいるものの、態度は温厚そのもの。とはいえ、誰かに飼い慣らされているという気配は一切ない。
(自分が上位存在だと思ってなきゃできねー態度だな)
つまりはそういうことだ。念能力とはまた違った超常的な現象も、この珍妙な生き物が引き起こしたのだろう。
だが、上位存在を無意識に自認している生物がなぜわざわざ見知らぬ土地にいるのか?
答えは単純、何かとの縄張り争いに負けて、元居た土地を追いやられたからだ。
本人からすれば被害者的な立場なのだろうが、その果てに上陸された
「……俺はジン=フリークス。この遺跡の調査をしている、まあ、探検家だ」
まずはどこまで意思疎通ができるか、そして情報を得られるかを確認することにした。
セイレーンは特に関心もなさそうに「エ~?」と反応しただけだったが、「自己紹介は大事だよねえ」と間延びしたように呟いてから、
「セイレーンと人魚です」
「ギャリギャリ」
と、あっけらかんと明るく自己紹介をした。
「……セイレーン? あの伝説上の生き物と同じ名前なのか?」
「エ~?」
セイレーン、と名乗った生き物は、何が面白いのかクスクスと笑っている。
「もう一度確認するが……お前、ほんとうに
「そうだよお~。……もしかして、疑ってるの?」
一瞬。まばたきするほどの刹那。
セイレーンの瞳が深紅に染まり、まるで獣が獲物を見定めるかのような光を宿す。
「悪ィな。俺たちのところじゃあ、アッチから来た奴らはそう多くないんだ。情報も少ないから、俺たちの暮らしのためにも色々と確認が必要なんだよ」
言葉では説明できない圧迫感が周囲の空気を支配する中で、ジンは一切動揺することもなく、努めていつもの調子のまま答えた。
「ふうん、そうなんだあ」
会話の地続きのように、張り詰めていた空気はふっと緩む。
深紅に染まっていたセイレーンの瞳もいつの間にか元の色へ戻っており、先ほどまで肌を刺していた威圧感も潮風にさらわれるように消えていた。「てことは、ずいぶん遠いところまで来ちゃったんだねえ」と、のんびりと、人魚たちに首をかしげている始末である。
「そのことだが……お前、なんでわざわざこんな辺鄙なところまで来たんだ? ここにはお前の興味のありそうなモンなんざ、何もねえと思うんだが」
「エェー? うーん……なんか、質問ばっかりで疲れちゃうなあ」
「……あー分かった分かった。じゃ、お前からも俺になんか聞いていいぞ」
降参するように両手を挙げ、というか面倒になってきたジンに対し、セイレーンは「うーん」と首をかしげる。
「そおいうことじゃないんだけどぉ~。あ、そうだ!」
セイレーンは何か良いことでも思いついたように、にぱっと朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「ねえねえ、味が濃くて美味しいもの、つくれたりする~?」