好きな要素のハッピーセットみたいな話ですが、よろしくお願いします。
商人は逃げていた。もっと高い馬車を使えば良かった。ナドクライという、治安の悪い地を甘く見ていた。
背に迫るのは、大量の魔物。アビスの気配を纏いながら、こちらへと襲いかかってくる。しかし、あと少しだ。あと少しで、ナシャタウンにたどり着く。
商人は馬を走らせる。
刹那、襲い来るのは魔物の放った魔術。大きく馬車から突き飛ばされて、商人は地面に無様に転がり落ちた。
あまりの鈍痛に、商人は一度大きく息を吸い込んでしまい、何度も咳き込んだ。
足を捻挫してしまったのか、折ってしまったのか。医者でないからわからないが、ひどい痛みだった。
もうダメだ、死んでしまう。
そう思ったその時、一人の人間らしき影が月の光を遮った。
「ああ、助かった! どうか助けてくれ!」
商人は顔を上げる。
そして、すぐに口をつぐんだ。
身長こそ人間らしかったものの、黒く染まった手足、仮面。顔半分はボロボロになり、まるで形を保っていない。左手は力が入らないのか、ぶらんと力無く垂れ下がっていた。
化け物だ。
ああ、そうだ。これは、ヒルチャールだ。
✳︎✳︎✳︎
今から自分の状況を一文で説明しなさい。
A.気がついたらよくわかんねぇ廃墟に女体化して座ってました。
うーん、何言ってるか自分でもわかんないわ。でも一つ覚えてるのは、俺は歩きスマホで前見てない状態で、トラックからダイレクトアタックを食らったってこと。クソ痛かった。
じゃない。つまり、つまりだ。
これは間違いなく異世界転生のテンプレ。チート無双系ハーレム主人公の爆誕。
とか思ったんだが、俺TSしてるっぽい。ほとんどないけど触ったら微かに「ある」のと、俺の未使用の息子が消えていた。よってハーレム系主人公の道は潰えた。
だが、まだチート無双系の可能性は秘めている。よし、適当な魔物でも倒してみよう。
「てかそもそもここどこ?」
辺りを見回してみる。
見たこともないなんか紫がかった空。かろうじて雨風が防げるくらいの古びた家。
遠くには紫色の炎が燃えてるみたいな禍々しい魔物が見える。
うーん、明らかチュートリアルの魔物ではない。ラスボス手前に居そうな見た目をしている。
うん、あれに素手で挑む勇気はないわ。一旦、近くに人がいないか探してみるか。
俺はしばらく辺りを彷徨いた。
初期装備が厚着にも関わらず、やや肌寒い風を浴びながら廃墟から遠ざかってみる。
しばらくすると、黒いもこもこの服を着た人を発見した。なんか商人なのかめちゃくちゃ荷物を持っている。
「すみません」
コミュ力ゼロなくせして勇気を振り絞り、俺はか細い声で声をかけた。
俺の声、たっか。喉を抑えた。前の地声よりもかなり高い声だし、女性の中でも高い方だろう。
奇妙な仕草をした俺を怪訝げに見つめながら、黒い服の人は「なんだい?」と俺の言葉を待ってくれた。
「ここってどこですか?」
「ここはナドクライだ。なんだ嬢ちゃん、記憶喪失かなんかか?」
「えぇと、多分?」
黒い服の人は眉を下げて、笑った。
「そうか、強く生きろよー」
「はい。……———ん? ええ?」
あ、あれー?
俺の計画ではここらへんで「なんだってー。着いてこい、いい職場を案内してやる」的な展開になるはずだったんだが。
俺はせめて状況を変えるために、さらに声をかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください! この辺りに人がたくさんいるところって、ありませんか?」
「そりゃあ、ナシャタウンだろ。この道をまっすぐ行けばすぐに着く」
ナシャタウン、ナドクライ。全く聞き覚えがない。俺は「ありがとうございます」と礼を言いながら道に沿って歩いた。無情に男の人は手を振りながら離れていった。
やっべー。俺、金とか持ってなさそうなんだよなー。コートのポケットにもなんも入ってないし。
ぶらぶらと歩いていれば、なるほど。確かにごちゃごちゃとした、異世界情緒あふれる街に辿り着いた。
でっかい機械みたいなのが置いてあって、人も沢山いる。無法地帯みたいな雰囲気があって、やっぱりチュートリアルの街感は薄い。
ふと、掲示板みたいなところに一枚、ポスターがあった。その文字を眺めてみる。
おぉ、読める、読めるぞ!
どうやら、文字解読系の能力はあるらしい。かろうじて助かった。
ポスターには、「ロッセーニ商会、従業員募集中! お気軽にご相談を!」と書いてある。
お、よくわからんがいいんじゃないか?
俺は頰を緩ませた。とりあえず、お金を稼がなくてはやっていけない。よし、この商会とやらに行ってみるか!
……ところで場所はどこですか?
そうして俺が商会にたどり着くまでに要した時間はなんと、一時間ほど。太陽もうっすらと傾いて、夕陽へと近づこうとしている時間になってきた。
「すみませーん、従業員募集中って聞いたんですけど」
教えてもらった建物の中には、初老に差し掛かったくらいの、女性が座っていた。
「ああ、確かに募集しているよ。あんた、夜は働けるかい? 夜中にも営業したいんだが、なかなか集まらなくてねぇ」
「はい、もちろんです!」
「んじゃ、仮採用。ここにサインを」
え? 早くね?
俺は困惑して女性を見つめるが、女性はタバコの煙をふかすだけだ。これが、ここの常識なのか? それとも詐欺?
俺は契約書を一通り見るが、詐欺らしきものはない。
とりあえずサインをするかー、と思ったが、そういえば名乗れるような名前がないことを思い出した。日本人の男性の名前は、流石に浮くだろう。それらしい偽名を考えなくては。
偽名……偽名……ぎめい……ギメイ……。
あ、そうだ! いい名前が思いついたぞ!
「ギメイラ、ねぇ。珍しい名前だ」
「はは、ははは……」
はい、言いたいことは分かります。偽名に、らをつけただけとか舐め腐ってるって思うよな? でも咄嗟の時の人間の判断力を舐めんなよ。ぜんっぜん思いつかないから。
だらだらと冷や汗が伝うが、俺は嘘笑いをして誤魔化した。
女性は、戸棚の奥から古びた印鑑を取り出す。そして、それを契約書に押印した。
「明日の夜七時、また来ておくれよ」
「はい、ありがとうございました」
俺は一礼して、外に出た。空は真っ赤に染まり、太陽はさらに山へと近づいている。
「……なんだ」
思ったより簡単じゃん。
転生して、女になって、知らない世界に放り出されたけどさ。
仕事も見つかった。金も稼げる。これなら普通に生きていけそうだ。
「俺の異世界生活、案外———」
これはフラグか。よし、このままここにいても何もできないし、廃墟、戻るかー。
廃墟へと歩いていく。
ナシャタウンから遠ざかり、日も落ち、そろそろ完全に夜になる。廃墟まではあと少し。そんな頃だった。
「あれ……やべ……なんか、変だな」
瞼が勝手に落ちてきた。
足元がふらつく。視界がゆらゆらと揺れる。眩暈? いや違う、そうじゃない。じゃあ、なんだろ。
すごく意識もぼーっとするし。あ、そうか、俺今眠いのか。
——ダメだ、ここは道のど真ん中だぞ!? 疲れすぎだろ俺。このまま寝落ちするのはまずい!
理性はそう告げているが、眠気は消えることを知らない。だんだんと瞼は沈んでいく。
そ、そうだ、素数を数えよう。1、3、5、9? あれ、違うな、なんだっけ。えーっと、……あれ?
思考すら碌にまとまらなくなっていく。遂に、俺の意識は太陽が完全に落ちたのを最後に、沈んだ。
鳥の声。クッソ眩しい太陽と共に、俺は目を覚ました。
うーん、寝坊だわ。もう十二時過ぎてんだろこれ。
軽く伸びをして辺りを見るが、廃墟に備え付けられていたボロボロの布団しかない。
ん? 知らない天井だなー。ここどこ? 俺昨日何してたっけ。そうだ、TS転生して、職場見つけて、それで道端で寝落ちして。
「は?」
なんで俺、廃墟に戻ってんだ?
ごくりと唾を飲み込んだ。俺は、昨日急に眠くなって寝たはずだ。それなのに、今ここにいる。
誰かがここに運んだのか?
いや、違う。この廃墟、埃がすごいから歩いたら足跡がつくのに、俺の靴の足跡しかない。間違いなく、俺がここに自分で歩いてきたんだ。
「あ、あれか。無意識チートってやつだ!」
黄色い雷属性のあのキャラのように、俺は寝てるとき覚醒してるのかもしれない。うん、だよな? そうだよな?
俺は自分を説得させて、暇つぶしに外に出てみた。特にやることもないので、地面に絵を描く。
……暇! 俺仕事まで暇だわ!
全く充実していない時間を過ごして、また夕方になった。
うし、仕事するぞー! 異世界生活始まりだ!
そうして、日が沈み出し、完全に沈んだ頃にナシャタウンが見えてきて———。
俺の意識は、また暗転した。
「す、すみません。お願いします! 次は来れますので!」
「寝落ちするような人材は、流石に雇えないねぇ。慈善組織ではないんだ」
「お願いします!」
「用がないなら、出ていきな」
当然、俺は即クビにされ、商会から追い出された。
昨日はおかしかった。夜になった途端、また意識が勝手に落ちて、気づいたら廃墟にいたし、早朝だった。わざとなんかじゃなかった。そんなつもりなかった。
でも、クビにされた。
え? 俺に厳しくないこの世界? いや、でもまだだ。まだ新しい職場を探せば……!
そう俺は意気込んだ。
だが、そう上手くはいかなかった。
二日後、新しい職場を見つけた。また意識が日が沈んだ途端暗転。寝坊してクビにされた。
腹が減った。水をその辺の川で啜り飲んだ。
その四日後、またアルバイトに申し込んだが見窄らしい容姿と特技もないことを理由に受け付けてもらえなかった。風呂にすら碌に入れていなかった。
その二日後、また職場を見つけたがまたも夜枠しか空いてない。当然寝坊してクビ。
「……おなか、空いた」
体……が、軽くなった、はずなのに、なんか、重いな。お腹、痛い。空き過ぎて、動けない。
おれは、どうやら夜になると勝手に眠くなって、廃墟に戻る体質らしい。
俺は特筆すべき特技もなく、戦えず、無知だ。雇ってくれそうなところは大抵、勤務は夜中か早朝が多い。必ず、俺は寝てしまう。そして落とされる。
ああ、くそ。金が。この世界で言うところの「モラ」とやらが少しでもあれば。
パン一切れでもいい、少しでいいから、なんか食えれば……。
俺が道端でうずくまっていても、助けてくれる人はいない。見慣れているのだろう。ナドクライで、こういう人はよく居るらしいし。
俺が道端で歩いている人を眺めていれば、人混みの中、不注意に財布をポケットに入れている男を見かけた。財布は膨らんでいる。警戒もしてない。
あれ取れば、金が手に入るんじゃないか? ああ、そうだ、なんか、食える。あれ、盗めば。一回でいいから。少しだけだから。
気がつけば、俺は人混みに混ざり、男に近づいていた。さりげなく、通り過ぎるように手を伸ばす。財布に触れる。どどどど、と心臓がギャグみたいに音を立てた。そうして金属の音がしないように、財布を抜き取る。
俺の手の中に、完全に収まった。男は通り過ぎた。
心臓、うるせー。でも、やった、金だ。重い。金がある、結構入ってる。
「パン、ください」
「あいよー」
フラフラとしながら、俺は近くの店でモラを渡して、パンを受け取った。
安上がりのパン。俺は、齧った。硬くて酸っぱい。うまい。
———じゃ、ない。
「なに、やってん、だ。俺」
俺は手に持った他人の財布を見て、ようやく自分のしたことを思い出した。手が勝手に震えて、止まらない。
朦朧としていた意識が、急激に冷える。
盗んだ。財布を。犯罪を、した。これまで、真っ当にやってたのに。俺が、俺が?
「返さないと……」
俺はパンを飲み込んで立ち上がるが、モラの重さがそれを引き留めた。
いや、返して俺はどうする。このまま餓死か? 秀でた特技もない俺を雇ってくれるところなんて、ほとんどない。仮にまともにやっていくとしても、職場を探すのに幾らかかるだろう。その間の金は、どう稼ぐ。
「くそ……」
俺は、財布を握りしめた。
もう少しの、辛抱だ。少しだけだから、いつか返すから、だから……。
俺は、唇を強く噛み締めた。