劇場版 HUNTER×HUNTER 終わらない祝祭(エンドレス・フェスティバル) 作:敦盛
絡まれる少女とチンピラ二人
ビスケと別れたあと、ゴンとキルアが歩いていたのは、大都市というほどではない、ごく普通の地方都市だった。
石造りや煉瓦造りの建物が不揃いに並び、その一階には小さな商店や食堂が入っている。軒先では洗濯物が風に揺れ、通りの角にある青果店には色鮮やかな野菜や果物が並べられていた。古びた看板の向こうでは、昼休みを終えたらしい職人たちが仕事場へ戻っていく。
観光地として特別賑わっているわけでもなければ、危険な無法地帯というわけでもない。そこで暮らす人々の日常が、そのまま続いているような街だった。
時刻は昼を少し過ぎた頃で、食堂からは焼いた肉の脂が弾ける音が聞こえ、別の店からは煮込み料理に使う香辛料の匂いが風に乗って流れてきていた。
その匂いを嗅ぎつけたゴンの鼻が、ぴくりと動く。店先に出された看板を一つずつ眺めながら、「何食べようかなー」と楽しそうに歩いている隣で、キルアは両手を頭の後ろへ組んだ。
「お前、どうせ肉だろ?」
「肉!」
ほとんど考える間もなく返ってきた答えに、キルアは呆れたように笑った。
「ほらな! お子ちゃまめ」
「えー、じゃあキルアは?」
「俺? うーん……甘いもん!」
「キルア、ご飯だよ?」
「甘いもんだって飯に合うだろ」
ゴンは露骨に嫌そうな顔をした。
「げっ、合わないよ」
「絶対あーう!」
そんな取り留めのないやり取りをしながら歩いていた二人の耳へ、少し先から街の喧騒とは違う刺々しい声が届いた。
「だからいいだろって言ってんじゃん」
「本当にしつこいんだけど」
こぢんまりとした建物の脇、路地へ入る手前で、二人の若い男が一人の少女を囲んでいた。
一人は派手な刺繍の入った赤いジャージを着た大柄な男で、もう一人も赤い男よりわずかに背は低いものの、負けず劣らず派手な緑色のジャージを着ている。どちらも二十代前半ほどで、服の上からでも分かるほど身体を鍛えていた。肩幅は広く、腕も太い。普通の人間から見れば、かなり喧嘩慣れしているように見えるだろう。
赤い男は少女の進路を塞ぐように身体を入れ、馴れ馴れしく顔を近づけた。
「あんた、あの歌姫だろ? なあ、いいだろう? 俺たちと遊ぼうぜ!」
すると緑の男も、隣から調子を合わせるように笑った。
「そうだぜ。俺たち、結構つえーんだぜ!」
二人に纏わりつかれている少女は十五、六歳ほどだった。長い紺色の髪に整った顔立ちをしており、腕には少し大きめの荷物を抱えている。
あれだけ体格のいい男二人に挟まれていれば、普通の少女なら怯えていてもおかしくない。ところが彼女にはそんな様子がまるでなく、それどころか露骨に迷惑そうに眉を寄せて二人を見返していた。
「その顔で、よくそんな自信持てるわね」
あまりにも容赦のない一言に、赤い男の笑顔がぴたりと固まった。
女へ声を掛けて嫌がられることなら、これまでにもあったのだろう。しかし真正面からここまで迷いなく顔を貶された経験は、さすがになかったらしい。意味を理解するまで一拍かかり、次の瞬間には自分の顔を指差しながら声を裏返した。
「はあ!?」
少女は眉一つ動かさない。
「ちょっと顔がいいからって、なんだその言い草は!」
そう食ってかかられても、少女は改めて男の顔を眺めただけだった。そして心底面倒そうに息を吐く。
「見たままを言っただよ」
「見たままだと!?」
赤い男のこめかみに青筋が浮かぶ。
緑の男も、さすがに面白くなくなってきたらしい。相棒が馬鹿にされているだけなら笑っていられたのかもしれないが、少女の態度には自分たち二人まとめて見下されているような響きがあった。
靴底を石畳へ擦らせながら一歩前へ出る。
「お高く止まりやがって。俺たちが優しいうちに、しおらしくした方がいいぜ、あんた」
少女は一度だけ目を瞬かせたあと、鼻で笑った。
「優しい? 道を塞いで、嫌がってる相手へ付きまとって、断られたら脅す。それのどこが優しいの?」
緑の男の頬が引きつる。
少女は腕の中の荷物がずれないよう抱え直すと、改めて二人を睨んだ。
「これだから、腕力で何でも思い通りになると思ってる男って嫌いなのよ」
今度こそ、二人の顔から笑みが消えた。
少し離れたところからその様子を見ていたキルアが、小さく息を吐く。
「……なんか面倒くさそうなのいるぞ」
しかしゴンは、その時にはもう二人組の方へ歩き始めていた。
「おい、ゴン」
呼び止めても、もちろん止まらない。
赤い男が苛立ちに任せて少女へ手を伸ばした、その瞬間だった。
男の手が届くより早く、ゴンがするりと二人の間へ入り込んだ。あまりにも自然な動きだったため、赤い男は一瞬、目の前の少年がどこから現れたのかさえ分からなかった。
ゴンは男を見上げ、いつもの調子で言った。
「ねえ、おじさん。その人が嫌がってるなら、やめた方がいいよ」
「あん?」
二人の男が同時にゴンを見下ろし、少女も驚いたように目を丸くした。
「子供? ……別に私一人でも、こんな奴――」
「お前も煽んなよ……」
後から追いついたキルアが心底呆れた顔でそう言いながら、二人の男へ視線を向ける。
そこで、キルアの表情がほんの少し変わった。
相手がただの不良なら、ゴン一人でも何の問題もない。だが、二人の身体を覆っているものがキルアにははっきりと見えていた。
荒く、不均一で、場所によってはひどく薄い。それでも身体の周囲には確かにオーラが留められている。
二人の纏を短く観察したキルアは、今度は少女へ視線を戻した。
「まあ、逃げるくらいなら出来そうだけど、二人ともそこそこ使えるぞ」
キルアが顎で男たちを示すと、少女の表情が止まった。
「……え?」
「気づいてなかったのかよ」
どうやら本当に分かっていなかったらしい。
少女は改めて男たちを見る。意識して観察すれば、確かに二人の身体の周囲には薄くオーラが揺らめいている。
歌手として名前が知られるようになって以来、馴れ馴れしく近づいてくる男は珍しくなかった。だから今回も、身体を鍛えただけの少し喧嘩慣れした男、その程度にしか考えていなかったのだろう。
ゴンはそんな少女を見て、妙に嬉しそうに笑った。
「じゃあ来てよかったね、お姉さん!」
「はあ!? うるさいし!」
少女の頬が一気に赤くなり、その横でキルアが顔を逸らした。けれど肩がわずかに揺れたため、すぐに気づかれる。
「ぶっ……」
「何笑ってんのよ!」
「別に」
「笑ってるでしょ!」
「気のせいだろ」
二人がそんなやり取りをしている間にも、赤い男の苛立ちはどんどん膨らんでいた。
この二人組は、ただの不良ではない。纏は荒く、オーラ量も決して多くはなかったが、それでも確かに念を修めている。一般人が相手なら、それだけでも充分すぎるほど危険な存在だった。
赤いジャージの男はゴンへ向き直ると、苛立ちを隠そうともせず拳を構えた。
「おい!!せっかく爺から解放された記念すべき日のナンパなんだぞ! 俺らの邪魔すんじゃねえよ、坊主!!」
どうやら二人とも、これまで誰かの下で念の修行を続けていたらしい。
緑の男も、今度はゴンとキルアをただの子供としてではなく、その身体を覆うオーラまで含めて観察した。やがて何かに気づいたように口元へ笑みを浮かべる。
「ふん……そのオーラの密度。お前らも能力者だな?」
「むっ?」
赤い男も改めてゴンを見る。
ただの子供ではない。少なくとも、自分たちと同じく念を扱う側の人間である。その程度のことなら分かる。
だが、それ以上は分からなかった。
目の前にいる少年たちが天空闘技場を経験し、グリードアイランドで一流の念能力者たちに揉まれ、ビスケから基礎を徹底して叩き込まれ、つい先日までゲンスルーたちと命懸けで戦っていたことなど、知るはずもない。
数年かけて修行を終えたばかりの彼らにとって、ゴンとキルアは初めて出会った「自分たちより年下の念能力者」にすぎなかった。
赤い男の口元へ挑戦的な笑みが浮かぶ。
「へっ。ヒーロー気取りに現実を教えてやるぜ! ハアァッ!!」
男が全身へ力を込めると、それまで身体へ薄く纏わりついていたオーラが一気に膨らみ、足元の砂埃がわずかに舞った。
その様子を見たゴンには、相手が強化系であることも、これから何をしようとしているのかもすぐに分かった。
全身のオーラ量を増やし、その力を拳へ集めて殴る。ただそれだけの、単純な攻撃だった。
赤い男は右拳へオーラを寄せながら勢いよく踏み込む。
「俺の拳でぶっ飛びな!」
ゴンは大きく跳ぶことすらせず、首をほんの少し横へ傾けただけでその拳を避けた。男の拳が頬のすぐ横を通り抜ける。
すぐに振り返った男が二発目を横薙ぎに振るったが、ゴンは半歩だけ横へずれた。続く三発目は身体ごと踏み込んだ拳だったものの、今度は腰を落とすだけで頭上へ通してしまう。
男の攻撃は決して遅くなかった。一般人なら、まともに反応することさえ難しかっただろう。
しかしゴンの目には、拳そのものより先にオーラの移動が見えていた。
右拳へ集めたあと、全身へ戻すのが遅い。次に左へ移そうとすれば、その間に脚へ回るオーラが薄くなる。攻撃するたび、身体のどこかが露骨に無防備になっていた。
ゴンは相手を馬鹿にしているわけではなかった。むしろ本当に不思議そうな顔で、その動きを見ていた。
「練も弱いし、流も遅いよ、おじさん。それに、凝で集めてるそばからオーラが外に逃げちゃってるよ」
赤い男の眉が跳ね上がる。
「何!?」
ゴンに悪意はない。
ビスケから何度も何度も、もっと無駄を減らせ、切り替えを速くしろ、攻防力移動を意識しろと叩き込まれてきたから、見えたものをそのまま口にしているだけだった。
それが男には何より腹立たしかった。
「舐め腐ったガキが!!」
赤い男は意地になり、今度はほとんど全力で右拳へオーラを集め始めた。
肩、胸、腹、左腕、脚。全身を覆っていたオーラが右拳へ大きく偏り、その分だけ他の部位を守るオーラが露骨に薄くなっていく。
男は拳を大きく引いた。
「最大オーラの拳だ! 砕けろ!!」
その瞬間、ゴンの目が変わった。
今度は避けない。
右足を一歩引き、自分のオーラも動かし始める。ただし男のように一気に偏らせるのではなく、身体を守る分を残したまま、必要な量だけを必要な瞬間に右拳へ集めていく。
焦らず、無駄に漏らさず、ビスケから何度も叩き込まれた攻防力移動をそのまま行う。
赤い男が拳を放ったのとほとんど同時に、ゴンも真正面から踏み込んだ。
二つの拳がぶつかった瞬間、乾いた衝撃音が通りへ響き、その風圧で少女の長い髪が大きく揺れた。
勝敗は、それだけで明白だった。
赤い男の拳が押し返され、受け止め切れなかった力が手首から肘、肩、そして胴体へ一気に抜けていく。
「な――」
驚きの声を最後まで発することもできず、男の両足が地面から浮いた。
大きな身体は数メートル後方へ吹き飛び、背中から道路へ叩きつけられる。一度大きく跳ねたあと、そのまま動かなくなった。
ゴンは追撃しなかった。
右拳を開き、指を何度か動かして感触を確かめる。痛みはほとんどない。
「うん」
それだけ確認すると、満足そうに小さく頷いた。
少女は言葉を失っていた。
そして、それは緑の男も同じだった。
「あ……相棒?」
倒れた男、その前に立つゴン、そして少し離れたところから自分を見ている白髪の少年を順番に見ていくうちに、緑の男の顔色が変わっていった。
「クソが……! よくもやってくれたな!」
恐怖をごまかすように声を荒げながら男が手を前へ突き出すと、指先から手の周囲へオーラが集まり、その性質を変え始めた。
薄く、細く、そして鋭く研ぎ澄まされていったオーラが、やがて手の先で刃物のような形を作る。
変化系だった。
本人はよほどその能力に自信があるらしい。わざわざキルアへ見せつけるように手を掲げる。
「これが俺の能力! 《念刃(オーラブレード)》だ! こいつの切れ味は鋭いぜ、クソガキ。俺の間合いに入ってこれるか?」
キルアは答えず、男の手へ視線を向けた。
初対面の念能力者が、実戦へ入る前から自分の発をわざわざ相手へ教えた。
普通なら、そこには何か理由がある。
(こいつ、馬鹿正直に能力喋りやがった? 何かの誓約と制約か? 説明すること自体が発動条件なのか、それとも聞いた相手に何か作用するタイプか……)
キルアはすぐには飛び込まず、男の手と刃の形、そしてオーラの流れを細かく観察した。
しかし、見れば見るほど妙な仕掛けは見つからない。能力を明かしたことでオーラ量が増えた様子もなければ、こちらへ何かが付着した感覚もない。
(……いや、この練度だ。刃そのものにも特別な仕掛けはない。本当に、切れ味があるだけのオーラだな)
そこでキルアの目から警戒が消えた。
(こいつ、ただの馬鹿だ)
「冷静に様子見か?舐めやがって!」
緑の男が腕を振り上げた、その瞬間だった。
キルアの姿が男の視界から消えた。
少なくとも男には、そう見えた。
ついさっきまで目の前にいたはずの白髪の少年が忽然と姿を消し、何が起きたのか理解するより早く、首筋へ何かが触れる。
「え――」
振り返る時間すらなかった。
すでにキルアは男の背後へ回り込み、片手をその首筋へ当てていた。
もちろん、殺すつもりはない。
だが、だからといって適当に殴って気絶させればそれでいい、とも思っていなかった。
キルアの脳裏には、天空闘技場で出会った一人の少年が浮かんでいた。
ズシ。
まだ念というものを知らなかった頃、何度殴っても蹴っても、しつこいほど立ち上がってきた少年だった。
あの時は、何故あれほどまで頑丈なのか分からなかった。だが今なら理解できる。念能力者の耐久力は、見た目だけでは判断できない。
(こいつがどの程度まで耐えられるか分からない以上、中途半端に手加減して反撃される方が面倒だな)
ならば、確実に意識だけを奪えばいい。
キルアの掌へ電気が集まる。
「――《雷掌》」
青白い閃光が走り、掌から流し込まれた電気が男の身体を一瞬で駆け抜けた。
「――ッ!?」
声にならない息を漏らしながら男の身体が硬直し、手へ作られていた刃物状のオーラも一瞬で崩れる。そのまま膝から力が抜けた。
キルアは倒れてくる身体を避けながら手を引いた。
「あんま正面から発は見せない方がいいぜ、あんた」
もっとも、男にはもう返事をする余裕など残っていなかった。そのまま地面へ崩れ落ち、完全に意識を失う。
赤と緑の二人は、念能力者として最低限以上の力を持っていた。念を覚えただけでろくに鍛えることもなく、グリードアイランドへしがみついていたモタリケのような者よりは遥かに強いだろう。
念能力初心者が相手にするなら、充分な脅威になり得る。
しかし、ゲンスルーたちとの戦いを経験し、ビスケの下で念の基礎を徹底的に鍛え直された現在のゴンとキルアにとっては、あまりにも未熟な相手だった。
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少女との会話
戦いが終わっても、少女はしばらくその場から動かなかった。
ついさっきまで自分を囲んでいた二人の男は、ただの不良ではなく念まで使える相手だった。その二人を、目の前の子供たちはほとんど何もさせずに倒してしまった。
頭では理解できても、感覚が追いつかない。
少女は倒れた男たちを見て、次にゴンを見て、最後にキルアへ視線を移した。
「……あんたたち、本当に何者なの?」
二人をもう一度見比べる。
「こんな子供が……」
キルアが眉を上げた。
「おめーも充分子供だろが」
「私はあんたたちより年上よ!」
「そんな大差ねーだろ」
「あるわよ!」
その言い合いを聞きながら、ゴンは別のことへ気づいていた。
少女は先ほどの戦闘を、ただ拳が飛び交った喧嘩として見ていたわけではない。
オーラの動きも、緑の男の発も、キルアの電気も見えていた。
驚きはしていても、「何が起きたのか分からない」という反応ではない。
ゴンは素直に尋ねた。
「君も念が使えるんだね」
少女の目がわずかに細くなる。
「……まあね」
それ以上は説明しない。
警戒しているというより、初対面の相手へ自分の能力を説明する理由がないのだろう。少なくとも、先ほどの男たちのように戦闘へ慣れている雰囲気ではなかった。
少女は気を取り直すように腕を組む。
「言っとくけど、私は別に助けてなんて頼んでないから!」
ゴンは首を傾げた。
「でも困ってたでしょ?」
「それは……」
あまりにも普通に返され、少女の言葉が止まる。
横でキルアが顔を逸らした。
肩が僅かに揺れている。
少女はそれを見逃さなかった。
「何笑ってんのよ!」
「別に」
「笑ってるでしょ!」
「気のせい」
少しして、ゴンが思い出したように尋ねた。
「そういえば、名前は?」
少女は軽く髪を払うと、少しだけ姿勢を正した。
「……私はアリア」
言ったあと、ほんの少し間を置く。
「俺、ゴン」
「キルア」
それだけだった。
アリアは二人の反応を待った。
一秒。
二秒。
しかし驚かない。目を輝かせることもなければ、「あのアリア!?」とも言わない。ただ普通に、初対面の人間から名前を聞いた時の反応だった。
やがてアリアの眉間へ皺が寄る。
「ねえ……本当に私のこと知らないの?」
ゴンは素直に答えた。
「うん。ぜんぜん」
キルアも悪びれない。
「だから誰?」
アリアの顔が固まった。
「なっ……!?」
少なくとも名前くらいは知られている自信があったらしい。
ほんの僅かに肩が落ちる。
地味に傷ついていた。
「わ、私! これでも、そこそこ世間に知られた歌手なんだけど!」
ゴンの目が丸くなった。
「歌手?」
「そうよ! 隣の市で開催される音楽祭のメインも務めるんだけど!!」
一息でまくしたてる。
「へー!」
ゴンは素直に感心し、キルアに顔を向ける。
「アリアは歌手なんだって、キルア!」
「今聞いたところだろ」
キルアは改めてアリアを頭から足まで眺める。
「で、このチンチクリンが世間に知られた歌手?」
「誰がチンチクリンよ!」
「その看板歌手が、電車で一時間以上も離れた隣の都市でぶらぶらしてていいのかよ?」
「好きでぶらぶらしてるんじゃないわよ!」
アリアは抱えていた荷物を、見せつけるように持ち上げた。
「必要な物を取りに来ただけ!」
荷物の中には、厚手の布を何重にも重ね、紐できちんと結んだ包みがあった。中に入っているのは、古い髪飾りと胸飾りだった。
どちらも一族に古くから伝わる装身具であり、念能力が込められた祭具ではない。特殊な力もない。ただ、一族が正式な衣装を身につける際に用いてきた、大切な文化の一部だった。
今回の文化復興公演に合わせ、その品を長く預かっていた古老が「歌う本人へ直接渡したい」と申し出たのだ。
開催都市からは列車で一時間ほど。リハーサルまでは少し余裕があったため、アリア自身が受け取りに来た。そして帰り道、たまたま先ほどの二人組に絡まれた、ということらしい。
アリアが何気なく腕時計を確認した。
その瞬間、表情が変わる。
「……まずい」
キルアが見る。
「何?」
「次の電車乗らないと、リハーサルに遅れちゃう!」
ついさっきまでの強気な態度が一変した。
アリアは荷物を抱え直し、ポーチを慌ただしく開く。財布、切符、予定表を取り出し、何かを指差しながら時間を確認している。
ゴンが尋ねた。
「音楽祭って今日なの?」
「本番はまだ先だけど、直前リハーサルがあるの!」
「じゃあ急がないと」
「そうなの!」
アリアは一歩走り出しかけた。
けれど、そこで突然止まる。
「あ、そうだ」
ゴンも足を止める。
「なになに?」
アリアはポーチの中を探り、今度は二枚の紙を取り出した。
招待枠のチケットだった。
少し迷ったあと、それをゴンとキルアへ一枚ずつ突き出す。
「べ、別にお礼じゃないから。余ってただけなんだからね!」
キルアはチケットを受け取ると、二枚を見比べた。
「ちょうど二枚?」
「うるさいわね!」
ゴンはもうチケットへ夢中だった。印刷された会場や開演時間、出演者の名前を眺めているうちに、これから始まる音楽祭への興味がどんどん膨らんでいく。
「ねえキルア、行ってみようよ!」
すっかりその気になっているゴンを見て、キルアは半眼になった。
(――こいつ、大事なこと綺麗さっぱり忘れてやがる)
「ゴン」
「?」
ゴンがきょとんとした顔で振り向く。
キルアは呆れたように、ゴンの背負っている鞄へ視線をやった。
「お前、親父は?」
「あ」
その一言で、ゴンの動きがぴたりと止まった。
チケットへ向いていた視線が宙をさまよい、それからゆっくりと自分の鞄へ落ちる。
ついさっきまで、その中にある一枚のカードを使ってジンの手掛かりを追うつもりだった。
《同行(アカンパニー)》。
指定した相手、あるいは指定した場所へ、自分と周囲にいる仲間をまとめて移動させるグリードアイランドの移動スペル。
ゴンは《ニッグ》という名前がジンに繋がる手掛かりだと考え、そのカードを使ってキルアと共に向かうつもりだった。
ビスケと別れる直前には、もしかしたら今度こそ父親へ会えるかもしれないと、あれほど緊張していたはずなのに、空腹に負けて食事を優先し、その途中でアリアと出会い、念能力者との喧嘩まで始まってしまったせいで、完全に頭から抜け落ちていた。
ゴンは数秒そのまま固まり、ようやく思い出したように目を見開いた。
けれど、すぐに答えた。
「ご飯食べてから行くつもりだったし……明日でもいいじゃん!」
「軽っ」
「だってカードは使わないとなくならないでしょ?」
キルアも《同行》の性質を考えた。
一度使えば消えるが、使用期限があるわけではない。今日中に使わなければならない理由もなければ、ジンと待ち合わせをしているわけでもない。
「……まあ」
キルアは肩をすくめた。
「カードでいつでも会いに行けるしな」
アリアが手を叩く。
「なんだかよくわからないけど決まりね!」
もう二人が来るものと決めている。
「じゃあ早く来て!電車が出ちゃう!」
アリアが走り出し、ゴンも慌てて追いかける。
「そういえばご飯どうしよう!?」
キルアも後ろから走った。
「駅でなんか買えるだろ!」
「よーし、いっぱい買うぞ!」
「好きにしろよ!…そういや、チョコロボ君の新味出てたっけ」
「……キルア?」
腹ごしらえをしようと街を歩いていたゴンとキルアは、一人の少女と出会った。
その時の二人にとっては、ほんの数時間、長くても一日程度の小さな寄り道になるはずだった。