劇場版 HUNTER×HUNTER 終わらない祝祭(エンドレス・フェスティバル) 作:敦盛
メイン会場周辺では、一般客が楽しそうに祭りを回っているすぐ裏側で、関係者たちが慌ただしく動き回っていた。
開催都市側の責任者、国側の役人、音楽祭プロデューサー、歴史研究者、音楽史研究者、音響スタッフ、祭具管理責任者、警備、運営。
誰もが表情を引き締めて手元の資料を確認し、短い言葉で指示を飛ばしている。
時折、周囲の一般客を気にして資料を閉じる者までいた。
「その件は裏で」
「ここでは話すな」
「本番前にもう一度確認する」
低い声で交わされる簡潔な会話。
事情を知らない者が少し離れた場所から見れば、まるで祭りの裏側にある重大な秘密を、関係者だけが共有しているかのようにも見えただろう。
国側の役人は、開催都市の責任者へ念を押していた。
「去年の成功があったからこそ、今年ここまでの規模にできたんです。一族側からの協力も、昨年とは比較になりません」
責任者も頷く。
「ええ、もちろんです。分かっています」
役人は表情を崩さなかった。
「ここまで来て、失敗は許されません」
役人は手元の予定表を閉じると、責任者へ低い声で告げた。
「この祭典がどう終わるかで、両者の今後も変わる。そして……我々の今後もです」
「ここまで入念に準備してきたんです。有終の美を飾りたいものです」
握手すらしない。
互いに頷くだけだった。
その少し離れた場所では、音楽祭のプロデューサーが音楽担当へ強い口調で指示していた。
「アリアには、祝祭歌で自分の色を出させるな」
音楽担当が少し驚く。
「本人の持ち歌なら?」
「そちらは本人に任せていい。自分の歌をどう歌うかは、歌手であるアリアの仕事だ」
プロデューサーは資料へ指を置いた。
「だが、《陽だまりのコラール》だけは別だ。古式の発音、息の継ぎ方、節回し。確認できている部分は、一切崩させないでくれ」
「アリア本人にも?」
「もう伝えてある。念のためだ、もう一度言っておいてくれ」
プロデューサーは舞台の方角を見る。
「余計なものは足さなくていい。当時の歌を、当時の形のまま蘇らせるんだ」
プロデューサーは念を押すように言った。
「可能な限り、完全にな。それが今回の企画の目玉だ」
さらにその横では、音楽史を担当する研究者たちが、一枚の古い譜面を机へ広げていた。
現在、本番で使う《陽だまりのコラール》の復元譜。
複数の口伝、古い採譜、一族に残された歌詞、過去の祭礼記録、現代語訳。それらを何度も照合して作られたものだ。
研究者の一人が赤い鉛筆の印を確認する。
「《陽だまりのコラール》は現行の復元譜でいきます」
別の研究者が、机の端へ置かれた小さな保存箱へ視線を向けた。
そして、少し声を落とす。
「……例の断片は?」
その一言で、周囲の空気がほんの少しだけ変わった。
研究者が箱を引き寄せ、慎重に蓋を開く。
中には、保護材へ挟まれた変色した古い紙片が入っていた。
端は崩れ、虫食いと水染みがあり、文字も記号も半分以上が失われている。
辛うじて残っているのは、音符に似た記号、歌詞らしき文字列、そして何本かの線だった。
音楽担当が身を乗り出した。
「これも、今回見つかった資料ですよね?」
「ああ。去年の祭典をきっかけに提供された古文書の中へ混じっていた」
別の研究者も、紙片を傷つけないよう距離を取りながら覗き込む。
「《陽だまりのコラール》と関係している可能性は?」
少しの沈黙。
「高い確率で関係あると言える」
短い答えだった。
音楽担当の目が動く。
研究者はすぐに続けた。
「ただし、断定はできない。使われている記譜法が古すぎる。欠損も激しい。前後に何が書かれていたのかも分からない」
欠けた部分へ指を止める。
「祝祭歌の一部かもしれない。別の曲かもしれない。そもそも、歌ですらない可能性も残っている」
音楽担当が尋ねた。
「復元は?」
研究者は首を横へ振った。
「間に合わない。いや、時間の問題だけでもない」
紙片を見つめる。
「推測で音を補うこと自体はできる。この記号なら恐らくこうだろう、と欠けた拍を推定することもできる。だが、それでは学術的な復元とは呼べない」
別の研究者も口を挟む。
「不確かなものを本番へ組み込むわけにはいきません。文化を復元する以上、分からない部分をこちらの想像で勝手に完成させるべきではない」
音楽担当は紙片を見つめた。
「……分かりました。今回は使わない方向で?」
「ああ。資料としては重要だ。保管して、引き続き調べる」
研究者は紙片を元の保護材へ戻し、蓋を閉じた。
小さな音がする。
「確証が取れた時に、改めて考えればいい」
そのやり取りだけを遠くから見れば、まるで何か重要な情報を発見したにもかかわらず、意図的に本番から外し、箱へ隠したようにも見える。
だが実際には、分からないものを分からないまま勝手に補わなかった。
ただそれだけだった。
別の区画では、祭具を担当する研究者たちが都市の大きな配置図を広げていた。
広場、展示場、工芸区画、メイン会場。各所へ赤い印が付けられている。
「鏡は記録通りに配置してください」
スタッフが確認する。
「第二展示場へ一枚」
「はい」
「北広場にも一枚」
「東側の工芸区画にも一枚ですね」
「ああ」
研究者は古い祭礼図を横へ並べた。
「前年以降に見つかった資料で、配置の根拠がかなり増えました」
別の研究者が、興奮を隠し切れない様子で言う。
「せっかく本物をこれだけ集められたんです。研究者として、こんな機会はもう二度とないかもしれない」
配置図へ一つ、また一つと印が増えていく。
「確証の取れている部分はすべて反映してください。可能な限り、当時の祭礼へ近づけます」
その声には、研究者としての確かな自信と誇りがあった。研究者は改めて机の上を見渡した。古い祭礼図と今年の配置図、その脇には今回新たに確認された祭具の一覧や、復元された《陽だまりのコラール》に関する資料まで並んでいる。前年の祭典をきっかけに、それまで各地へ散らばっていたものが次々と集まり、長いあいだ断片でしか見えなかった祭礼の姿は、かつてないほど鮮明になっていた。
もちろん、すべてが分かったわけではない。資料の欠けた部分もあれば、用途を確定できていない記録も残っている。
それでも研究者は、目の前に揃った成果を見て満足そうに笑った。
「まだ、いくつか埋め切れていない空白はあります」
そう言ってから、今年の配置図へ視線を落とす。
「ですが、全体として見れば、ほぼ完璧と言っていいでしょう。祭具も、配置も、歌も、ここまで揃った」
抑えきれない興奮が、次第にその声へ滲んでいく。
「我々はついに――失われた祭りを取り戻したんです!」
周囲にいた研究者たちも、その言葉を否定しなかった。ここまで辿り着くために費やしてきた時間と労力を知っているからこそ、その表情には同じような達成感が浮かんでいた。さらに少し離れた場所では、祭具管理責任者が無線を握っていた。
「中央像は予定通り、メイン会場へ」
『了解』
「設置位置の変更はありません。固定後は許可なく動かさないように」
無線の向こうから問い返される。
『理由は?』
責任者は即答した。
「重量もあるし、何より借用品だ。転倒や移動中の破損なんて起こしたら洒落にならない。安全管理を最優先にしてください」
『了解しました』
通信が切れる。
責任者は書類に記された補償額をもう一度見た。
額が額だった。
小さく息を吐く。
「……絶対壊すなよ」
去年成功した企画を、今年はさらに良いものにする。
一族から預かった文化を可能な限り正確に、丁寧に後世へ残し、分かっている部分は忠実に復元する一方で、確証のないものを勝手な推測で補わない。
研究者としても、行政としても、運営としても、その判断にはどこにも不自然なところはなかった。むしろ、文化を扱う以上は当然と言っていいほど慎重で、誠実なものに見えた。
彼らが目指していたのは、ただ一つだった。
去年よりも正確に、去年よりも丁寧に、そして可能な限り当時の姿へ近い、より完成度の高い祭典を作り上げること。
そのために祭具を集め、配置を正し、歌も伝承に残る形へ近づけていった。