元侯爵、今は黒猫。世界最恐ダンジョン最下層で国家運営の派出所暮らし   作:tuna&mayo

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001話 金がねぇ!

「金がねぇええええ!!」

 

 朝っぱらから、絶叫が最下層に響いた。

 御影千尋は転移陣から一歩踏み出したところで、ぴたりと足を止めた。

 

 目の前には、いつもの派出所。

 その向こうには畑。

 さらに遠くには、巨大な無機物系魔物が『警備』と書かれた腕章をつけて巡回している。

 

 そこまでは、まあいい。

 問題は派出所の中だった。

 

 事務机の上で、黒猫のような何かが腹を上にしてひっくり返っている。

 赤い瞳は虚ろ。

 短い手足は投げ出され、丸い尻尾までぐったりしていた。

 

 その横では、オーロラ色に揺らめく髪を持つ少女が、空になった高級和牛の包装をじっと眺めている。

 

 天使の輪。

 悪魔の翼。

 ドラゴンの尾。

 赤と緑のオッドアイ。

 そして、ぽけーっとした顔。

 

「……おはようございます」

 

 千尋は何事もなかったように眼鏡を直した。

 

「おはよう」

 

 少女――リマが答える。

 

「千尋ちゃん!」

 

 机の上の黒猫――クロが、がばりと起き上がった。

 

「聞いてくれ!」

「聞く前から、金銭関係の問題であることだけは分かりました」

「金がねぇ!」

「先ほど聞きました」

「肉もない」

 

 リマが包装を持ち上げる。

 

「そう! それが最大の問題!」

「問題を増やさないでください」

 

 千尋は鞄を置き、席についた。

 端末を起動。

 

 クロを見る。

 リマを見る。

 もう一度、クロを見る。

 

「当面の生活費として、先日まとまった額を振り込んでいるはずですが」

 

 クロの耳が、ぴくりと動いた。

 

「……必要経費だ」

「何に?」

「生活」

「明細を確認しますね」

「待て待て待て。プライバシーって知ってる?」

「公費です」

「ぐっ」

 

 千尋が端末を操作する。

 数秒。

 

「高級和牛」

「おいしかった」

 

 リマが即答した。

 

「寿司」

「久々だったし」

「天ぷら」

「久々だったし」

「ラーメン」

「久々だったし」

「洋菓子店」

「久々だったし」

「老舗和菓子店」

「久々だったし!」

 

 クロが逆ギレした。

 千尋は無言で画面をスクロールする。

 

「こちらは?」

「焼肉」

「その前にも和牛がありますが」

「焼くのと焼肉は違うだろ!」

「……」

「なんだその目!」

「眼鏡越しですので、お気になさらず」

「気になるわ!」

 

 リマが包装の端を折り始めた。

 ぱたぱた。

 折って、戻して。

 また折る。

 

「……一週間分ですよね?」

 

 千尋が聞いた。

 クロが胸を張った。

 

「そうだな!」

「何日で使いました?」

「……」

「クロさん?」

「二日」

 

 千尋は目を閉じた。

 深呼吸。

 まだ大丈夫。

 

「二日」

「二日」

「一週間分を」

「二日」

「どうして?」

「久々に食えると思ったら止まるわけねぇだろ!」

 

 クロは机を前足で叩いた。

 

「見ろよ今の地球! なんか俺の知ってるのと微妙に違うくせに、飯はちゃんとうめえんだぞ! 寿司ある! ラーメンある! 和牛ある! 菓子もうめえ! 食うだろ!」

「普通は一度に全部食べません」

「普通じゃねえから食えるんだよ!」

「それを誇らないでください」

「肉、いっぱい食べた」

 

 リマが言う。

 

「だろ!? うまかったよな!」

「うん」

「お前も共犯だろ!」

「うん」

「認めるの早ぇな!」

 

 リマの尻尾が、ぱたぱたと揺れた。

 どうやら楽しかったらしい。

 

 千尋は額を押さえた。

 

「それで、追加の生活費を要求していると」

「話が早い!」

「却下します」

「早すぎるだろ!?」

「当然です」

「俺たち餓死するぞ!」

「しないよ」

 

 リマが言った。

 

「お前はな!」

「クロも食べなくても死なない」

「そういう問題じゃねえ!」

「では問題ありませんね」

「千尋ちゃん!?」

 

 クロは机の上を走り回った。

 

「食は文化だぞ! 娯楽だぞ! 生きる喜びだぞ!」

「その喜びを二日で一週間分消費したのはクロさんです」

「リマも!」

「リマさんは、お金という概念への理解がまだ浅いので」

「俺だけ悪いみたいに言うな!」

「主犯では?」

「ぐっ……!」

 

 クロが固まった。

 

 リマが包装を鼻先へ近づける。

 

「肉の匂い、まだする」

「舐めても出てこねえぞ」

「知ってる」

「じゃあ嗅ぐなよ。腹減るだろ」

「もう減ってる」

「俺も」

 

 二人そろって千尋を見る。

 

 千尋は笑った。

 

「追加支給はありません」

「笑顔で言うなよ!」

「ならどうしろってんだよ!」

「次の支給日まで、現在ある食料で生活してください」

 

 クロは派出所の簡易キッチンを見る。

 棚。

 保存食。

 乾物。

 政府支給の栄養食。

 そして、肉ではない何か。

 

「……無理」

「なぜです?」

「心が死ぬ」

「肉ない?」

 

 リマが聞く。

 

「今日はありません」

「……」

 

 リマの翼が少し下がった。

 クロがそれを見る。

 

 そして――ぴん、と耳を立てた。

 

「分かった!」

「何がです?」

「稼げばいい!」

 

 千尋は一瞬黙った。

 

「嫌な方向へ前向きですね」

「金がねえなら稼ぐ! 単純だろ!」

「働くんですか?」

「…………」

「クロさん?」

「そこは今から考える!」

「やはり嫌な予感がします」

 

 クロは端末へ飛びついた。

 前足を伸ばす。

 いや、伸びた。

 

 黒い前足が、にゅるりと細長く伸びて画面を操作する。

 

「『すぐ 金 稼ぐ』っと」

「検索語が犯罪者の入口なんですよ」

「じゃあ……『副業 即金』」

「少し改善しました」

「『働かずに稼ぐ』」

「戻りましたね」

「千尋ちゃんうるせえ!」

 

 リマもクロの背後から画面を覗き込む。

 

「肉買える?」

「今それ探してんだよ」

 

 クロは検索結果を猛烈な速度で読み始めた。

 

「株……元手ねえ。却下。物販……仕入れいる。却下。クラウドなんたら……労働。却下」

「最後だけ理由を説明してください」

「俺にはもっと価値の高い仕事がある」

「現在、机の上で寝転がっていた方が?」

「戦略会議してたんだよ!」

「一人で?」

「リマもいた!」

「肉見てた」

「お前は今黙ってろ!」

 

 クロはさらに検索する。

 

「『猫でもできる金儲け』」

「なぜ現在の肉体に寄せたんですか」

「重要だろ! 俺、今これなんだから!」

「クロ、猫?」

「見た目だけな!」

 

 検索結果を流し見しながら、クロはどんどん情報を切っていく。

 

 広告。

 動画。

 アフィリエイト。

 配信。

 投資。

 収益化。

 

 その動きは速い。

 

 先ほどまで机の上で「金がねぇ」と転がっていた生物とは思えない速度で、必要な情報だけを拾い上げていく。

 

 千尋が口を開く。

 

「今日中に現金が必要でしたら、この最下層なら別の方法も――」

「……待て」

 

 クロの動きが止まった。

 千尋が顔を上げる。

 

「今度は何を見つけました?」

「これ」

 

 画面には、誰かがライブ配信をしている様子が映っていた。

 

 配信者が喋る。

 コメントが流れる。

 その中に、色付きのメッセージ。

 金額表示。

 

 クロは画面へ顔を近づけた。

 

「……今こいつ、何した?」

「雑談でしょうか」

「その前!」

「視聴者から金銭的な支援が入りましたね」

「喋ってただけだよな?」

「配信ですから」

「見てる奴が金投げた?」

「表現には問題がありますが、概ね」

 

 クロは黙った。

 赤い目が画面を見つめる。

 

「……何人見てる?」

「現在ですか?」

「そう!」

「数万人ですね」

「数万人が、こいつを見てる?」

「ええ」

「しかも金まで払う?」

「ええ」

 

 クロの尻尾が、ゆっくりと持ち上がった。

 

「クロ?」

 

 リマが首を傾げる。

 クロは画面から目を離さない。

 

「…………これだ」

「何がです?」

 

 クロが勢いよく振り返った。

 

「俺、喋れる!」

「嫌というほど」

「喋り上手い!」

「自己評価が高いですね」

「研究もできる! 異世界ネタもある! こっちの世界のことも調べられる!」

「その点については否定しません」

「そしてリマ!」

「ん?」

 

 リマはまだ空の肉包装を持っていた。

 

「お前、絵が強い!」

「絵?」

「見た目の話です」

 

 千尋が補足する。

 

「そう」

 

 リマは興味なさそうに答えた。

 

「世界最強クラスの美少女が肉食ってるだけでも見る奴いるだろ!」

「その紹介はどうなんでしょう」

「しかも背景これだぞ!」

 

 クロが派出所の外を指差した。

 

 家庭菜園。

 日向ぼっこ用の芝生。

 その向こうを、巨大な守衛ゴーレムが歩いている。

 

「これ絶対映えるだろ!」

「……確かに珍しいとは思いますが」

「だろ!?」

「肯定したことを少し後悔しました」

 

 クロのテンションはもう止まらない。

 

「リマ! 配信やるぞ!」

「何するの?」

「とりあえず肉食う!」

「やる」

「決断が早いですね」

「肉ある?」

「稼げば買える!」

「じゃあやる」

「よっしゃ!」

 

 クロは前足で机を叩いた。

 

「チャンネル名どうする!? リマちゃんねる? いや弱い! もっとこう、世界最恐ダンジョン感を――」

「お待ちください」

 

 千尋が割って入った。

 

「なんで!?」

「ここがどこか分かっていますか?」

「俺んち」

「国家管理施設です」

「家」

 

 リマが言う。

 

 千尋は一瞬黙った。

 

「……両方正しいのが面倒ですね」

 

 クロはもう端末を操作し始めていた。

 

「タイトルは……『世界最恐ダンジョンから生配信!』とかどうよ!」

「コアルームは映せません」

「え?」

「転移設備も」

「え?」

「研究区画も」

「え?」

 

 クロの笑顔が少しずつ消えていく。

 千尋は変わらず、にこやかだった。

 

「まず、配信可能区域の確認から始めましょうね?」

 

 クロの耳が伏せる。

 

「……俺、もう嫌な予感してんだけど」

「奇遇ですね」

 

 千尋は微笑んだ。

 

「私もです」

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