元侯爵、今は黒猫。世界最恐ダンジョン最下層で国家運営の派出所暮らし   作:tuna&mayo

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第003話 なんだこの配信

「――来たぁぁぁぁぁ!!」

 

 クロの絶叫が、世界最恐ダンジョン最下層に響き渡った。

 

 画面の隅。

 

《視聴者:1》

 

 たった一人。

 されど一人。

 

 クロにとっては記念すべき最初の客だった。

 

「見てるか!? おい! 今見てるそこのお前!」

 

 カメラにぐいっと顔を近づける。

 

 黒い鼻先が画面いっぱいに映った。

 

 少し離れたところで書類を処理していた千尋が、顔も上げずに言う。

 

「近すぎます」

「距離感なんてこれから覚えりゃいいんだよ!」

「配信開始三十秒で視聴者を酔わせないでください」

「細けぇな!」

 

 リマは横で、焼いた野菜をもぐもぐしている。

 

「クロ」

「なんだ!」

「うるさい」

「記念すべき最初の視聴者だぞ!? もっと歓迎しろ!」

 

 リマはカメラを見る。

 

 ぽけーっとした顔のまま、軽く手を上げた。

 

「こんにちは」

 

 画面。

 

 しばらく何も起きない。

 

「…………」

 

 クロの耳が少しずつ伏せていく。

 

「コメントこねえ」

「一人ですから」

「千尋ちゃん、現実ぶつけんの早くない?」

「事実です」

 

 ぴこん。

 

 画面に文字が流れた。

 

> 《ここどこ?》

 

 クロの耳が再び跳ね上がった。

 

「コメント来たぁ!」

「拾うの早いですね」

「当たり前だろ! 配信者は視聴者とのコミュニケーションが大事なんだよ!」

「先ほど覚えた知識ですね?」

「使えてるなら俺の知識だ!」

 

 クロはカメラへ向き直る。

 

「ここ? 世界最恐ダンジョン最下層!」

 

 千尋が顔を上げた。

 

「いきなり言いましたね」

「通称だからセーフ!」

「私はセーフとは言っていません」

 

> 《は?》

> 《世界最恐?》

> 《CG?》

 

 視聴者数。

 

《視聴者:2》

 

「増えた!」

「二人ですね」

「千尋ちゃん、今は数字伸びたことを喜ぶところ!」

「仕事中です」

 

 また一人。

 

《視聴者:3》

 

> 《後ろなんかおかしくね?》

> 《猫喋ってる?》

 

「猫じゃねえ!」

 

 クロが即座に噛みついた。

 

> 《猫じゃん》

 

「違ぇよ!」

 

> 《かわいい》

 

「そこじゃねえ!!」

 

 千尋の口元がわずかに緩む。

 

 クロが振り返った。

 

「今笑ったろ!」

「いいえ」

「笑った!」

「気のせいです」

 

 リマがクロの尻尾をつまんだ。

 

「猫」

「お前まで乗るな!」

「黒猫」

「見た目だけ!」

 

> 《黒猫で草》

> 《喋る黒猫》

> 《名前は?》

 

 クロは胸を張る。

 

「クロだ!」

 

> 《まんまじゃん》

 

「略称だからな!? 本名はちゃんと――」

「クロさん」

 

 千尋の声。

 穏やかだった。

 

 クロが止まる。

 

「……はい」

「個人情報の公開範囲は確認してからにしましょうね?」

「……はい」

 

> 《急に素直で草》

> 《政府のお姉さん怖い》

 

 クロの目が細くなった。

 

「お前ら、分かってんじゃねえか」

「クロさん?」

「なんでもないです」

 

 ◇

 

 視聴者はゆっくり増えていった。

 

《視聴者:5》

《視聴者:8》

《視聴者:12》

 

 まだ大した数字ではない。

 

 だが、クロは明らかに楽しんでいた。

 

「質問来い質問! 何でも答えるぞ!」

「答えてよいものだけにしてください」

「千尋ちゃん、配信ってのはライブ感が――」

「機密情報にもライブ感を適用しないでください」

「厳しい!」

 

> 《その女の子誰?》

 

 クロがリマを見る。

 

「ほらリマ! 質問だぞ!」

「リマ」

「名前じゃなくて!」

「リマ」

「……まあいいか」

 

> 《羽本物?》

 

 リマは悪魔の翼をぱたぱたさせた。

 

> 《動いた》

> 《CGじゃなくね?》

> 《頭の輪っかも本物?》

 

 リマが天使の輪を指で触ろうとする。

 

 輪が少し逃げる。

 

「逃げた」

「お前それ触れねえの?」

「うん」

「俺も初めて知った!」

 

 千尋がちらりと見る。

 

「クロさんが製――」

 

 一瞬。

 

 千尋が言葉を止めた。

 クロも止まった。

 リマだけ首を傾げる。

 

「何?」

 

 千尋は何事もなかったように書類へ戻る。

 

「何でもありません」

 

 クロもすぐカメラへ向き直った。

 

「はい次!」

 

> 《尻尾本物?》

 

 リマがドラゴンの尾を持ち上げる。

 

「本物」

 

> 《全部本物なの?》

 

「うん」

 

> 《何者だよ》

 

 リマは少し考えた。

 

「リマ」

「それ便利だなお前!」

 

 ◇

 

 しばらくして。

 

 視聴者数は《視聴者:31》。

 

 コメントも途切れなくなってきた。

 

 リマは相変わらず、カメラの横で食べ続けている。

 肉がないので、焼いた野菜と保存食。

 

 だが食べる速度がおかしい。

 

> 《後ろの子ずっと食ってない?》

> 《何個目?》

> 《胃どこ?》

 

 クロがコメントを読む。

 

「リマ、胃どこだって」

 

 リマは自分のお腹を見る。

 

「ここ?」

「そういう意味じゃねえと思う」

 

> 《あの量入るのおかしいだろ》

 

「こいつ普通に食うぞ」

 

 クロは何でもないことのように言った。

 

 リマが最後の一口を飲み込む。

 

「もっとある?」

「ない!」

「ない」

 

 リマの翼が下がった。

 

> 《しょんぼりした》

> 《かわいい》

> 《肉あげたい》

 

 クロの耳が動いた。

 

「……肉あげたい?」

 

 画面を見つめる。

 

「お前らその気持ち忘れんなよ」

「クロさん」

「冗談だって!」

「今の顔は本気でした」

「偏見!」

 

 その時だった。

 

 ずしん。

 

 遠くで地面が揺れた。

 

 さらに一歩。

 

 ずしん。

 

 巨大な影が、配信画面の奥を横切る。

 

> 《待て》

> 《今なんかいた》

> 《でかい》

> 《逃げろ》

 

 視聴者数が一気に増えた。

 

《視聴者:42》

《視聴者:56》

 

「お?」

 

 クロも振り返る。

 

 派出所の前を、守衛ゴーレムが巡回していた。

 

 巨大な無機物の身体。

 人間など片手で潰せそうな腕。

 

 その上腕には、

 

『警備』

 

と書かれた腕章。

 

「ああ、あいつ?」

 

 クロは軽く言った。

 

「守衛」

 

 コメントが止まった。

 

 一拍。

 

> 《守衛????》

> 《世界最恐ダンジョンの魔物だろ》

> 《なんで腕章してんだ》

> 《逃げろって》

 

「だから味方だって!」

 

 クロが手を振る。

 

「おーい!」

 

 ゴーレムが止まる。

 こちらを見る。

 ゆっくりと頭を下げた。

 

> 《会釈した》

> 《草》

> 《礼儀正しい》

> 《何なんだこの配信》

 

 視聴者数がさらに跳ねる。

 

《視聴者:83》

《視聴者:120》

 

「来てる来てる来てる!」

 

 クロの声が弾む。

 

 リマもゴーレムへ手を振る。

 

「お仕事がんばって」

 

 ゴーレムはもう一度頭を下げ、巡回へ戻った。

 

> 《美少女とゴーレムの日常》

> 《意味わからん》

> 《ここ本当にダンジョン?》

 

 そのコメントに、クロが笑った。

 

「本当にダンジョンだぞ」

 

> 《証拠は?》

 

「証拠?」

 

 クロが辺りを見る。

 

「何見せりゃいい?」

「何も見せなくて結構です」

 

 千尋が即答した。

 

> 《後ろの人誰?》

 

 クロが千尋を見る。

 

 にやり。

 

「なあ千尋ちゃん」

「嫌です」

「まだ何も言ってねえ!」

「顔に書いてあります」

「一瞬だけ!」

「嫌です」

 

> 《千尋?》

> 《御影千尋?》

 

 千尋の指が止まった。

 

 クロも画面を見る。

 

「……お前ら千尋ちゃん知ってんの?」

「クロさん」

「はい」

「私を映さないでください」

「名前はバレてるぞ」

「あなたが呼んだのでしょう」

「……あ」

 

 コメントが加速する。

 

> 《御影千尋ってあの御影千尋?》

> 《政府の?》

> 《本人ならこれヤバいぞ》

> 《フェイクじゃないの?》

 

 クロの目が輝く。

 

「千尋ちゃん!」

「嫌です」

「顔だけ!」

「嫌です」

「一秒!」

「嫌です」

「リマ!」

「ん」

「千尋ちゃん連れてきて!」

 

 リマが立ち上がる。

 

「リマさん?」

 

 千尋が顔を上げる。

 

 リマは千尋の椅子ごと、ひょい、と持ち上げた。

 

「ちょっ――」

 

 そのままカメラ前へ。

 

 千尋はスーツ姿のまま椅子に座っている。

 

 眼鏡。

 ポニーテール。

 手元には書類。

 

 数秒、沈黙。

 

> 《本人だ》

> 《本物????》

> 《なんでいるの》

> 《政府案件じゃん》

> 《マジで世界最恐ダンジョン?》

 

 千尋はゆっくりクロを見る。

 

 笑顔だった。

 

「クロさん?」

「俺、何もしてない!」

「リマさんへ指示しましたね?」

「実行したのリマ!」

「クロが言った」

「お前ぇ!!」

 

 千尋は小さく息をついた。

 

 そしてカメラを見る。

 

「こちらは政府公式配信ではありません」

 

> 《政府の人が出てる時点で》

> 《公式じゃないの??》

 

「クロさんが個人的に開始したものです」

「でも配信自体は許可もらってる!」

「区域限定で、です」

 

> 《政府公認草》

 

「その言い方は誤解を招きます」

「でも嘘じゃねえだろ?」

「……嘘ではありません」

 

 その瞬間。

 

 視聴者数が跳ねた。

 

《視聴者:300》

《視聴者:500》

《視聴者:800》

 

 クロが固まる。

 

「……何これ」

 

 千尋も画面を見る。

 

「拡散され始めたようですね」

「拡散?」

「外部SNSで話題になっています」

 

 クロが検索。

 

 そこには、

 

**《世界最恐ダンジョン最下層から謎の美少女と喋る黒猫が配信中》**

 

 という投稿。

 

 さらに切り抜き。

 

 守衛ゴーレムの会釈。

 千尋の登場。

 リマの外見。

 

 それらが一気に回り始めていた。

 

「……」

 

 クロの口元がゆっくり上がる。

 

「来た」

「クロさん?」

「来た来た来た来た!」

 

 視聴者数。

 

《視聴者:1,500》

《視聴者:3,000》

 

「うおおおおおおお!!」

 

 クロがカメラ前を走り回る。

 

「お前ら来たな! 初見歓迎! 世界最恐ダンジョン最下層から配信してるクロだ!」

 

 コメントが速い。

 クロの喋りも速くなる。

 

> 《ほんとに猫?》

 

「猫じゃねえ!」

 

> 《リマちゃん何者》

 

「リマはリマ!」

 

> 《政府何してんの》

 

「千尋ちゃんに聞け!」

「振らないでください」

 

> 《後ろの畑何》

 

「畑!」

 

> 《なんで最下層に畑》

 

「野菜育てるために決まってんだろ!」

 

> 《そうじゃねえ》

 

「じゃあ何だよ!」

 

 クロは全部拾う。

 

 拾って返す。

 噛みつく。

 煽る。

 笑う。

 話題を次へ回す。

 

 明らかに初配信とは思えない。

 

 千尋が小さく呟いた。

 

「……適性がありますね」

「聞こえてんぞ!」

「褒めています」

「もっと言え!」

「やはり言わなければよかったですね」

 

 ◇

 

 視聴者数が《視聴者:一万》を超えた頃。

 

 コメントが流れた。

 

> 《リマちゃん何か能力見せて》

 

 クロが止まる。

 

「リマ」

「ん?」

「なんか見せろって」

「何?」

「何でもいい」

「なんでも?」

「安全なやつな!」

 

 千尋がすぐ口を挟む。

 

 リマは辺りを見回した。

 

 そして近くに置かれていた大きな殻を拾った。

 

 最下層の魔物から採れたものだ。

 人の胴体ほどある。

 

「これ?」

 

 千尋が一瞬目を細める。

 

「リマさん、それは――」

 

 ぐにゃ。

 

 リマが両手で握った。

 

 硬い殻が粘土みたいに潰れた。

 

 コメント欄。

 停止。

 

 クロ。

 停止。

 

 千尋。

 停止。

 

 リマは潰した殻を見る。

 

「できた」

 

 一拍。

 

> 《は?》

> 《今何した》

> 《それ硬いやつだよな》

> 《人間が潰せるものじゃない》

> 《怖》

 

 クロがリマを見る。

 

「……そういうのだよ!!」

 

 視聴者数がまた跳ねた。

 

「そういうのをもっと早くやれ!」

「何すればいいか分からなかった」

「今後は俺に聞け!」

「ん」

 

 千尋が眼鏡を押し上げる。

 

「危険物の使用は事前申請してください」

「これくらいならいいだろ!」

「クロさん?」

「はい」

 

 ◇

 

 ぴこん。

 

 聞き慣れない音が鳴った。

 

 クロが画面を見る。

 

 色付きのコメント。

 金額表示。

 

 クロの身体が止まった。

 

> 《肉代》

 

「…………」

 

 また一件。

 

> 《クロおもろい》

 

 金額。

 

 さらに。

 

> 《リマちゃんに肉食わせて》

 

「…………」

 

 クロは画面を凝視した。

 

 千尋が横から覗く。

 

「投げ銭ですね」

「……マジで?」

「はい」

 

 また飛ぶ。

 また。

 また。

 

 クロの耳がぴんと立つ。

 尻尾も立つ。

 赤い目が輝く。

 

「お前ら……」

 

> 《もっとやれ》

> 《次も見る》

> 《クロ喋れ》

> 《リマかわいい》

 

 クロが震えた。

 

「お前ら最高かよ!!」

「分かりやすいですね」

 

 千尋が言った。

 

「何が!」

「褒められると性能が上がります」

「元から高性能だ!」

 

 そこからクロの喋りは、さらに三割増しになった。

 

 質問を拾う。

 ツッコむ。

 リマを弄る。

 千尋へ振る。

 コメントへ噛みつく。

 笑わせる。

 

 完全に水を得た魚だった。

 

 いや。

 

 ネットを得た承認欲求だった。

 

 ◇

 

「クロさん」

「あとちょっと!」

「予定終了時刻を三十分過ぎています」

「今いいとこ!」

「三十分前にもそう言いました」

「伸びてんだよ!」

「明日も仕事があります」

「俺はねえ!」

「私はあります」

 

 リマが皿を見る。

 

「肉なくなった」

 

 クロが振り返る。

 

「じゃあ終わるか!」

「肉基準なんですね」

「大事だろ!」

 

 クロはカメラへ向き直った。

 

「よーし! 今日は終わり! 来てくれた奴ありがとな!」

 

> 《次いつ》

> 《またやれ》

> 《おつ》

> 《リマちゃんおつ》

 

 リマもカメラを見る。

 

「おやすみ」

「まだ寝ねえだろ!」

「眠い」

「じゃあ寝ろ!」

 

 クロが配信終了ボタンを押した。

 

 画面が暗くなる。

 

 一気に静かになった。

 

「…………」

 

 クロは収益画面を開く。

 

 今日の視聴者数。

 登録者。

 コメント。

 投げ銭。

 

 想像していたより、ずっと大きな数字。

 

 千尋が画面を見た。

 

「支払予定日――入金の時期も、確認しておいた方がいいですよ」

「分かってる! あとで見る! 今はこの数字!」

 

 クロの前足が震えた。

 

「勝った」

 

 千尋が書類を片付けながら聞く。

 

「何にですか?」

 

 クロは画面から目を離さなかった。

 

 尻尾は真っ直ぐ立っている。

 

「人生に」

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