元侯爵、今は黒猫。世界最恐ダンジョン最下層で国家運営の派出所暮らし 作:tuna&mayo
「――来たぁぁぁぁぁ!!」
クロの絶叫が、世界最恐ダンジョン最下層に響き渡った。
画面の隅。
《視聴者:1》
たった一人。
されど一人。
クロにとっては記念すべき最初の客だった。
「見てるか!? おい! 今見てるそこのお前!」
カメラにぐいっと顔を近づける。
黒い鼻先が画面いっぱいに映った。
少し離れたところで書類を処理していた千尋が、顔も上げずに言う。
「近すぎます」
「距離感なんてこれから覚えりゃいいんだよ!」
「配信開始三十秒で視聴者を酔わせないでください」
「細けぇな!」
リマは横で、焼いた野菜をもぐもぐしている。
「クロ」
「なんだ!」
「うるさい」
「記念すべき最初の視聴者だぞ!? もっと歓迎しろ!」
リマはカメラを見る。
ぽけーっとした顔のまま、軽く手を上げた。
「こんにちは」
画面。
しばらく何も起きない。
「…………」
クロの耳が少しずつ伏せていく。
「コメントこねえ」
「一人ですから」
「千尋ちゃん、現実ぶつけんの早くない?」
「事実です」
ぴこん。
画面に文字が流れた。
> 《ここどこ?》
クロの耳が再び跳ね上がった。
「コメント来たぁ!」
「拾うの早いですね」
「当たり前だろ! 配信者は視聴者とのコミュニケーションが大事なんだよ!」
「先ほど覚えた知識ですね?」
「使えてるなら俺の知識だ!」
クロはカメラへ向き直る。
「ここ? 世界最恐ダンジョン最下層!」
千尋が顔を上げた。
「いきなり言いましたね」
「通称だからセーフ!」
「私はセーフとは言っていません」
> 《は?》
> 《世界最恐?》
> 《CG?》
視聴者数。
《視聴者:2》
「増えた!」
「二人ですね」
「千尋ちゃん、今は数字伸びたことを喜ぶところ!」
「仕事中です」
また一人。
《視聴者:3》
> 《後ろなんかおかしくね?》
> 《猫喋ってる?》
「猫じゃねえ!」
クロが即座に噛みついた。
> 《猫じゃん》
「違ぇよ!」
> 《かわいい》
「そこじゃねえ!!」
千尋の口元がわずかに緩む。
クロが振り返った。
「今笑ったろ!」
「いいえ」
「笑った!」
「気のせいです」
リマがクロの尻尾をつまんだ。
「猫」
「お前まで乗るな!」
「黒猫」
「見た目だけ!」
> 《黒猫で草》
> 《喋る黒猫》
> 《名前は?》
クロは胸を張る。
「クロだ!」
> 《まんまじゃん》
「略称だからな!? 本名はちゃんと――」
「クロさん」
千尋の声。
穏やかだった。
クロが止まる。
「……はい」
「個人情報の公開範囲は確認してからにしましょうね?」
「……はい」
> 《急に素直で草》
> 《政府のお姉さん怖い》
クロの目が細くなった。
「お前ら、分かってんじゃねえか」
「クロさん?」
「なんでもないです」
◇
視聴者はゆっくり増えていった。
《視聴者:5》
《視聴者:8》
《視聴者:12》
まだ大した数字ではない。
だが、クロは明らかに楽しんでいた。
「質問来い質問! 何でも答えるぞ!」
「答えてよいものだけにしてください」
「千尋ちゃん、配信ってのはライブ感が――」
「機密情報にもライブ感を適用しないでください」
「厳しい!」
> 《その女の子誰?》
クロがリマを見る。
「ほらリマ! 質問だぞ!」
「リマ」
「名前じゃなくて!」
「リマ」
「……まあいいか」
> 《羽本物?》
リマは悪魔の翼をぱたぱたさせた。
> 《動いた》
> 《CGじゃなくね?》
> 《頭の輪っかも本物?》
リマが天使の輪を指で触ろうとする。
輪が少し逃げる。
「逃げた」
「お前それ触れねえの?」
「うん」
「俺も初めて知った!」
千尋がちらりと見る。
「クロさんが製――」
一瞬。
千尋が言葉を止めた。
クロも止まった。
リマだけ首を傾げる。
「何?」
千尋は何事もなかったように書類へ戻る。
「何でもありません」
クロもすぐカメラへ向き直った。
「はい次!」
> 《尻尾本物?》
リマがドラゴンの尾を持ち上げる。
「本物」
> 《全部本物なの?》
「うん」
> 《何者だよ》
リマは少し考えた。
「リマ」
「それ便利だなお前!」
◇
しばらくして。
視聴者数は《視聴者:31》。
コメントも途切れなくなってきた。
リマは相変わらず、カメラの横で食べ続けている。
肉がないので、焼いた野菜と保存食。
だが食べる速度がおかしい。
> 《後ろの子ずっと食ってない?》
> 《何個目?》
> 《胃どこ?》
クロがコメントを読む。
「リマ、胃どこだって」
リマは自分のお腹を見る。
「ここ?」
「そういう意味じゃねえと思う」
> 《あの量入るのおかしいだろ》
「こいつ普通に食うぞ」
クロは何でもないことのように言った。
リマが最後の一口を飲み込む。
「もっとある?」
「ない!」
「ない」
リマの翼が下がった。
> 《しょんぼりした》
> 《かわいい》
> 《肉あげたい》
クロの耳が動いた。
「……肉あげたい?」
画面を見つめる。
「お前らその気持ち忘れんなよ」
「クロさん」
「冗談だって!」
「今の顔は本気でした」
「偏見!」
その時だった。
ずしん。
遠くで地面が揺れた。
さらに一歩。
ずしん。
巨大な影が、配信画面の奥を横切る。
> 《待て》
> 《今なんかいた》
> 《でかい》
> 《逃げろ》
視聴者数が一気に増えた。
《視聴者:42》
《視聴者:56》
「お?」
クロも振り返る。
派出所の前を、守衛ゴーレムが巡回していた。
巨大な無機物の身体。
人間など片手で潰せそうな腕。
その上腕には、
『警備』
と書かれた腕章。
「ああ、あいつ?」
クロは軽く言った。
「守衛」
コメントが止まった。
一拍。
> 《守衛????》
> 《世界最恐ダンジョンの魔物だろ》
> 《なんで腕章してんだ》
> 《逃げろって》
「だから味方だって!」
クロが手を振る。
「おーい!」
ゴーレムが止まる。
こちらを見る。
ゆっくりと頭を下げた。
> 《会釈した》
> 《草》
> 《礼儀正しい》
> 《何なんだこの配信》
視聴者数がさらに跳ねる。
《視聴者:83》
《視聴者:120》
「来てる来てる来てる!」
クロの声が弾む。
リマもゴーレムへ手を振る。
「お仕事がんばって」
ゴーレムはもう一度頭を下げ、巡回へ戻った。
> 《美少女とゴーレムの日常》
> 《意味わからん》
> 《ここ本当にダンジョン?》
そのコメントに、クロが笑った。
「本当にダンジョンだぞ」
> 《証拠は?》
「証拠?」
クロが辺りを見る。
「何見せりゃいい?」
「何も見せなくて結構です」
千尋が即答した。
> 《後ろの人誰?》
クロが千尋を見る。
にやり。
「なあ千尋ちゃん」
「嫌です」
「まだ何も言ってねえ!」
「顔に書いてあります」
「一瞬だけ!」
「嫌です」
> 《千尋?》
> 《御影千尋?》
千尋の指が止まった。
クロも画面を見る。
「……お前ら千尋ちゃん知ってんの?」
「クロさん」
「はい」
「私を映さないでください」
「名前はバレてるぞ」
「あなたが呼んだのでしょう」
「……あ」
コメントが加速する。
> 《御影千尋ってあの御影千尋?》
> 《政府の?》
> 《本人ならこれヤバいぞ》
> 《フェイクじゃないの?》
クロの目が輝く。
「千尋ちゃん!」
「嫌です」
「顔だけ!」
「嫌です」
「一秒!」
「嫌です」
「リマ!」
「ん」
「千尋ちゃん連れてきて!」
リマが立ち上がる。
「リマさん?」
千尋が顔を上げる。
リマは千尋の椅子ごと、ひょい、と持ち上げた。
「ちょっ――」
そのままカメラ前へ。
千尋はスーツ姿のまま椅子に座っている。
眼鏡。
ポニーテール。
手元には書類。
数秒、沈黙。
> 《本人だ》
> 《本物????》
> 《なんでいるの》
> 《政府案件じゃん》
> 《マジで世界最恐ダンジョン?》
千尋はゆっくりクロを見る。
笑顔だった。
「クロさん?」
「俺、何もしてない!」
「リマさんへ指示しましたね?」
「実行したのリマ!」
「クロが言った」
「お前ぇ!!」
千尋は小さく息をついた。
そしてカメラを見る。
「こちらは政府公式配信ではありません」
> 《政府の人が出てる時点で》
> 《公式じゃないの??》
「クロさんが個人的に開始したものです」
「でも配信自体は許可もらってる!」
「区域限定で、です」
> 《政府公認草》
「その言い方は誤解を招きます」
「でも嘘じゃねえだろ?」
「……嘘ではありません」
その瞬間。
視聴者数が跳ねた。
《視聴者:300》
《視聴者:500》
《視聴者:800》
クロが固まる。
「……何これ」
千尋も画面を見る。
「拡散され始めたようですね」
「拡散?」
「外部SNSで話題になっています」
クロが検索。
そこには、
**《世界最恐ダンジョン最下層から謎の美少女と喋る黒猫が配信中》**
という投稿。
さらに切り抜き。
守衛ゴーレムの会釈。
千尋の登場。
リマの外見。
それらが一気に回り始めていた。
「……」
クロの口元がゆっくり上がる。
「来た」
「クロさん?」
「来た来た来た来た!」
視聴者数。
《視聴者:1,500》
《視聴者:3,000》
「うおおおおおおお!!」
クロがカメラ前を走り回る。
「お前ら来たな! 初見歓迎! 世界最恐ダンジョン最下層から配信してるクロだ!」
コメントが速い。
クロの喋りも速くなる。
> 《ほんとに猫?》
「猫じゃねえ!」
> 《リマちゃん何者》
「リマはリマ!」
> 《政府何してんの》
「千尋ちゃんに聞け!」
「振らないでください」
> 《後ろの畑何》
「畑!」
> 《なんで最下層に畑》
「野菜育てるために決まってんだろ!」
> 《そうじゃねえ》
「じゃあ何だよ!」
クロは全部拾う。
拾って返す。
噛みつく。
煽る。
笑う。
話題を次へ回す。
明らかに初配信とは思えない。
千尋が小さく呟いた。
「……適性がありますね」
「聞こえてんぞ!」
「褒めています」
「もっと言え!」
「やはり言わなければよかったですね」
◇
視聴者数が《視聴者:一万》を超えた頃。
コメントが流れた。
> 《リマちゃん何か能力見せて》
クロが止まる。
「リマ」
「ん?」
「なんか見せろって」
「何?」
「何でもいい」
「なんでも?」
「安全なやつな!」
千尋がすぐ口を挟む。
リマは辺りを見回した。
そして近くに置かれていた大きな殻を拾った。
最下層の魔物から採れたものだ。
人の胴体ほどある。
「これ?」
千尋が一瞬目を細める。
「リマさん、それは――」
ぐにゃ。
リマが両手で握った。
硬い殻が粘土みたいに潰れた。
コメント欄。
停止。
クロ。
停止。
千尋。
停止。
リマは潰した殻を見る。
「できた」
一拍。
> 《は?》
> 《今何した》
> 《それ硬いやつだよな》
> 《人間が潰せるものじゃない》
> 《怖》
クロがリマを見る。
「……そういうのだよ!!」
視聴者数がまた跳ねた。
「そういうのをもっと早くやれ!」
「何すればいいか分からなかった」
「今後は俺に聞け!」
「ん」
千尋が眼鏡を押し上げる。
「危険物の使用は事前申請してください」
「これくらいならいいだろ!」
「クロさん?」
「はい」
◇
ぴこん。
聞き慣れない音が鳴った。
クロが画面を見る。
色付きのコメント。
金額表示。
クロの身体が止まった。
> 《肉代》
「…………」
また一件。
> 《クロおもろい》
金額。
さらに。
> 《リマちゃんに肉食わせて》
「…………」
クロは画面を凝視した。
千尋が横から覗く。
「投げ銭ですね」
「……マジで?」
「はい」
また飛ぶ。
また。
また。
クロの耳がぴんと立つ。
尻尾も立つ。
赤い目が輝く。
「お前ら……」
> 《もっとやれ》
> 《次も見る》
> 《クロ喋れ》
> 《リマかわいい》
クロが震えた。
「お前ら最高かよ!!」
「分かりやすいですね」
千尋が言った。
「何が!」
「褒められると性能が上がります」
「元から高性能だ!」
そこからクロの喋りは、さらに三割増しになった。
質問を拾う。
ツッコむ。
リマを弄る。
千尋へ振る。
コメントへ噛みつく。
笑わせる。
完全に水を得た魚だった。
いや。
ネットを得た承認欲求だった。
◇
「クロさん」
「あとちょっと!」
「予定終了時刻を三十分過ぎています」
「今いいとこ!」
「三十分前にもそう言いました」
「伸びてんだよ!」
「明日も仕事があります」
「俺はねえ!」
「私はあります」
リマが皿を見る。
「肉なくなった」
クロが振り返る。
「じゃあ終わるか!」
「肉基準なんですね」
「大事だろ!」
クロはカメラへ向き直った。
「よーし! 今日は終わり! 来てくれた奴ありがとな!」
> 《次いつ》
> 《またやれ》
> 《おつ》
> 《リマちゃんおつ》
リマもカメラを見る。
「おやすみ」
「まだ寝ねえだろ!」
「眠い」
「じゃあ寝ろ!」
クロが配信終了ボタンを押した。
画面が暗くなる。
一気に静かになった。
「…………」
クロは収益画面を開く。
今日の視聴者数。
登録者。
コメント。
投げ銭。
想像していたより、ずっと大きな数字。
千尋が画面を見た。
「支払予定日――入金の時期も、確認しておいた方がいいですよ」
「分かってる! あとで見る! 今はこの数字!」
クロの前足が震えた。
「勝った」
千尋が書類を片付けながら聞く。
「何にですか?」
クロは画面から目を離さなかった。
尻尾は真っ直ぐ立っている。
「人生に」