元侯爵、今は黒猫。世界最恐ダンジョン最下層で国家運営の派出所暮らし   作:tuna&mayo

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第004話 まだ金はない

 翌朝。

 

 クロは勝者の顔をしていた。

 

「今日は和牛だな」

 

 机の上。

 端末を三枚並べ、その真ん中に陣取る黒猫型マスコット。

 

「昼は寿司。夜は焼肉。明日は……そうだな、天ぷらもいい」

 

 赤い目が輝いている。

 尻尾も機嫌よく揺れていた。

 

 その隣では、リマがぽけーっと画面を覗いている。

 

「肉」

「分かってる分かってる。昨日どんだけ飛んだと思ってんだ?」

「いっぱい」

「そう! いっぱい!」

「具体的な金額を把握してください」

 

 背後から声がした。

 

 クロの耳がぴくりと動く。

 

「お、千尋ちゃん。おはよー」

「おはようございます」

 

 御影千尋はいつも通り転移設備から出勤すると、鞄を置き、眼鏡を直した。

 

 そして、机の上で盛大に皮算用しているクロを見る。

 

「ずいぶん景気がいいですね」

「当然!」

 

 クロは胸を張った。

 

「昨日見ただろ? 投げ銭! あれだけ飛んだんだぞ!」

「ええ」

「今日は肉祭りだ!」

 

 リマの翼が少し上がる。

 

「肉祭り」

「だろ!?」

 

 二人して盛り上がる。

 

 千尋は席についた。

 端末を立ち上げる。

 

「ところで」

「ん?」

「入金されたんですか?」

 

 クロが止まった。

 

「……もう入ってるだろ?」

「はい」

「昨日、金飛んだだろ?」

「投げ銭は確認しました」

「じゃああるだろ?」

「どこに?」

「……どこに?」

 

 クロと千尋の視線が交差した。

 

 数秒。

 

 クロの耳が、わずかに伏せる。

 

「千尋ちゃん」

「はい」

「なんか嫌な聞き方するな?」

「確認しているだけです」

「……」

 

 クロは端末へ向き直った。

 

「ま、まあいい。見りゃ分かる!」

 

 昨日の配信管理画面を開く。

 

 視聴回数。

 登録者数。

 コメント。

 投げ銭。

 

「ほら!」

 

 クロは得意げに画面を叩いた。

 

「こんだけ!」

「ええ、かなりの金額ですね」

「だろ!」

「では、支払予定日は?」

「…………」

 

 クロの前足が止まった。

 

「……昨日、あとで見るって言ったやつ?」

 

 ページをスクロールする。

 さらにスクロール。

 

 項目を開く。

 

 そして。

 

「…………」

 

 クロの全身が固まった。

 

 リマが画面を覗き込む。

 

「どうしたの?」

「……」

「クロ?」

「……千尋ちゃん」

「はい?」

「これ」

 

 クロが震える前足で画面を指した。

 

「いつ金になる?」

 

 千尋は表示を見る。

 

「書いてありますよ」

「読める!」

「では」

「読めるけど信じたくねえ!」

 

 画面。

 

 そこには、はっきりと表示されていた。

 

**《次回支払予定日:約一か月後》**

 

「…………」

 

 クロはもう一度見る。

 

 表示は変わらない。

 

 更新。

 変わらない。

 

 別ページ。

 変わらない。

 

「…………一か月?」

「ええ」

「一か月後?」

「はい」

「昨日の金なのに?」

「昨日の売上ですからね」

「じゃあ今日使えねえの?」

「使えません」

 

 クロはゆっくりリマを見た。

 

 リマもクロを見る。

 

「肉は?」

「……ない」

「昨日いっぱいあった」

「昨日食っただろ!!」

 

 最下層にクロの絶叫が響いた。

 

 ◇

 

「即日換金!」

「ありません」

「前借り!」

「できません」

「立て替え!」

「しません」

「政府!」

「しません」

「国家!」

「同じです」

 

 クロは机の上を右へ左へ走り回っていた。

 

「おかしいだろ! 金はもう俺らのもんなんだぞ!?」

「支払いシステムの問題です」

「システムなら変えろ!」

「あなたのためだけに?」

「俺、昨日めちゃくちゃバズったぞ!?」

「それと制度変更は無関係です」

「世知辛ぇぇぇぇ!」

 

 クロは机に突っ伏した。

 

 身体がぷにっと広がる。

 

「肉……」

 

 リマも横でしゃがみ込む。

 

「肉……」

「あなた方、昨日からそれしか言っていませんね」

「食は人生だぞ」

「お肉、おいしい」

「そう! 分かってんじゃん!」

「反省してください」

「反省で腹は膨れねえ!」

「そもそも一週間分を二日で使い切った方がおかしいんです」

「でもうまかった」

 

 リマが言う。

 

「だよな!」

「うん」

「そこ意気投合しないでください」

 

 千尋は書類へ視線を戻した。

 

 少しして。

 

 ぽつりと。

 

「でしたら」

 

 クロの耳が動いた。

 

「ダンジョン素材を売却すればいいのでは?」

「…………」

「…………」

 

 クロとリマが同時に顔を上げる。

 

「……素材?」

「はい」

「何の?」

「ここのです」

「ここの?」

 

 クロが周囲を見る。

 

 派出所。

 畑。

 芝生。

 遠くのアスレチック。

 さらにその向こう。

 禍々しい最下層。

 

 千尋が眼鏡を押し上げた。

 

「世界最恐ダンジョン最下層ですよ?」

「…………」

「希少素材の宝庫ですが」

「…………」

 

 クロの顔から、ゆっくり血の気――は元々黒いので分からないが――とにかく何かが引いていった。

 

「ちょっと待て」

「はい」

「ここの素材って売れんの?」

「当然でしょう」

「…………高い?」

「物によります」

「……どれくらい?」

「物によります」

「怖ぇ言い方すんなよ!」

 

 リマが立ち上がった。

 

 少し辺りを見る。

 

 そして派出所脇に転がっていた、手のひらほどの青黒い結晶を拾う。

 

「これ?」

 

 千尋が顔を向けた。

 

「見せてください」

 

 リマが渡す。

 

 千尋は端末を取り出し、簡易的に確認する。

 

 数秒。

 

「……高位魔力結晶ですね」

「高位?」

「最下層産ですから純度も高いです」

 

 クロが前のめりになる。

 

「いくら?」

 

 千尋が金額を表示した。

 

「…………」

 

 クロが止まった。

 

 リマも画面を見る。

 

「肉買える?」

「はい」

「和牛?」

「はい」

「いっぱい?」

「かなり」

 

 リマの尻尾が揺れた。

 

「よかった」

 

 クロだけ動かなかった。

 

「……千尋ちゃん」

「はい」

「これ」

「はい」

「昨日でも売れた?」

「もちろん」

「即金?」

「管理省経由なら即日対応できます」

「…………」

「研究機関や企業から常に需要がありますので」

「…………最初から?」

「はい」

 

 クロはゆっくり。

 

 ゆっくりと。

 

 机の上へ倒れ込んだ。

 

 そして、そのままスライムみたいにぺたーっと広がった。

 

 リマが覗き込む。

 

「クロ、溶けた」

「スライム由来なので問題ありません」

「問題しかねえよぉぉぉぉ!!」

 

 クロが液体状態のまま叫んだ。

 

「先に言い切れよォォォォォ!!」

「昨日、説明しようとしました」

「最後まで言えよ!」

「クロさんが配信の話へ移りました」

「もう一回戻せよ!」

「支払日の確認も、おすすめしました」

「別件で!」

「どちらも金銭の件です」

「つめてぇ!」

「身体はクロさんの方が冷たいですよ」

「そういう話してねえ!」

 

 ◇

 

「俺は……」

 

 クロは机の端で丸くなっていた。

 

「昨日一晩かけて……」

「はい」

「チャンネル作って……」

「はい」

「配信準備して……」

「はい」

「喋って……」

「はい」

「コメント拾って……」

「はい」

「投げ銭集めて……」

「はい」

「金は?」

「一か月後です」

「素材は?」

「即日です」

「…………」

 

 クロは横倒しになった。

 

「人生に勝ったと思ったのに……」

「昨日おっしゃっていましたね」

「言うな……」

 

 リマが魔力結晶を持ち上げる。

 

「肉買いに行く?」

「…………行く」

「和牛」

「買おう……」

「寿司も?」

「買おう……」

「ラーメン」

「食おう……」

 

 少しずつ復活していく。

 

 千尋は端末へ素材を登録した。

 

「売却処理をしておきます」

「千尋ちゃん」

「何です?」

「今だけ好き」

「どうも」

「反応薄くね?」

「夫がいますので」

「そういう好きじゃねえよ!」

 

 リマが結晶を差し出す。

 

「これ売る」

「はい」

 

 千尋が受け取った。

 

 その時。

 

 ぴこん。

 

 小さな通知音がした。

 

 クロの耳が動く。

 

「……ん?」

 

 昨日の配信端末。

 

 画面に通知が表示されている。

 

**《新着コメント》**

 

 クロは力なく端末を引き寄せた。

 

> 《次いつ?》

 

「…………」

 

 また通知。

 

> 《またやって》

> 《リマちゃん肉食ってるだけでも見る》

> 《あの猫また出る?》

 

「猫じゃねえ……」

 

 反射的に呟く。

 

 さらに。

 

> 《クロおもろかった》

> 《次回通知オンにした》

> 《登録しました》

> 《次もクロ喋れ》

 

 クロは黙った。

 

 画面を見る。

 

 赤い目が、さっきまでと違う光を帯びる。

 尻尾が少しだけ上がった。

 

「クロ?」

 

 リマが覗き込む。

 

「……」

 

 クロは返事をしない。

 

 通知。

 コメント。

 登録者。

 

 知らない誰かが、自分の次を待っている。

 

 千尋が横から画面を見る。

 

「金策はもう必要ありませんよ?」

「……」

 

 クロは画面を見たまま言った。

 

「金の話じゃねぇ」

 

 千尋が少しだけ目を細める。

 

 リマは首を傾げた。

 

「次も配信する?」

 

 クロの耳がぴんと立った。

 

「する!」

 

 即答だった。

 

「肉ある?」

「もちろんだ!」

「わかった」

「よし! 次はもっとデカく――」

「次回から食費については、先に予算を組みます」

「は?」

 

 千尋がにこやかに言った。

 

「これ以上、二日で生活費を使い切られては困りますので」

「好きに食わせろよ!」

「自由裁量を与えた結果が現在です」

「ぐっ」

 

 リマが千尋を見る。

 

「肉いっぱい」

「予算内でお願いします」

「いっぱい」

「……検討します」

 

 クロが跳ね起きる。

 

「俺より甘くね!?」

 

 千尋が笑う。

 

「何か?」

「…………なんでもないです」

 

 リマの尻尾が嬉しそうに揺れる。

 

 クロはもう一度、配信端末を見た。

 

 新しいコメントが一つ。

 

> 《次回待ってます》

 

 赤い目が細くなる。

 

「……よし」

 

 クロは笑った。

 

「次、何やるかな」

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