1話
「……ん?」
強制ログアウトされる感覚がなかなか訪れない事に疑問を抱き、モモンガは目を開けた。
自身の体内時計が正しければ、もうとっくに日付が変わっている筈だ。しかし、視界に映るのは先程と全く変わりのない様子の玉座の間。
「サーバーダウンが延期になった?」
何かしらのトラブルが起きて、未だにサーバーが落ちていないのかもしれない。
UI表示が無くなっているのも、そのトラブルが原因か。
本来であれば、視界の右上にデジタル時計、右下にミニマップ、左上にステータス、そして左下にはコンソールが表示されている。だが、今はそれらが無いのだ。
(これじゃコンソールにアクセス出来ないじゃないか……。まったく、最後くらいしっかりしてくれよ)
やれやれと呆れたように溜息を吐きながら、コンソールを使わない強制アクセスを試してみる。しかし何の反応も無い。
チャット機能やGMコールも同様で、全くの無反応だ。
まるで、システムから切り離された仮想世界に閉じ込められてしまったかの様だ。
「どういうことだ!」
ジリジリと焦りが湧き、つい大きな声を出してしまう。
「どうかなさいましたか? モモンガ様」
その時、自分一人しか居ない筈の玉座の間に、透き通るような美しい女性の声が響き渡った。しかしその声に聞き覚えはない。
ギルドメンバーのうち3人は女性メンバーだが、間違いなく彼女らの声ではなかった。……そもそも居ないのだから、それも当たり前なのだが。
「何か問題がございましたか、モモンガ様?」
「ッ……!」
声のした方へと視線を向ける。そこに居たのはアルベド。ナザリック地下大墳墓の守護者統括であり、最高位のシモベという設定を与えられたNPC。
そう、NPCだ。AIプログラムでしか動く事が出来ないはずの彼女が、自発的に声を掛けてきたのだ。
表情があり、口が動き、自発的に喋る。あまりに予想外の状況に、モモンガは彼女を見つめたまま固まってしまった。
「失礼いたします」
そんな自分の様子に、彼女は立ち上がり顔を寄せてきた。まるで体調不良の相手を心配し、状態を確認する様な仕草だ。
(な、ちょっ、近っ!?)
近い。吐息がかかるぐらい近い。
リアルで童貞だったモモンガは、女性に、しかもこんな美人にここまで近寄られた経験など皆無だ。
初めての体験に、無い筈の心臓が激しく鼓動している気がする。
(────ふぅ。あ、あれ、何だ? 急に落ち着いたぞ)
まるで風船が萎むように、昂った感情が急に落ち着いた。それについて疑問を抱くが、今はそれ以外に優先的に解決しなければならない事が多数ある。
(めっちゃ美人だな。あ、良い匂い。……匂い!?)
彼女から漂ってくる甘いフローラル系の香りで、嗅覚が機能している事に気が付いた。
ユグドラシルのような仮想世界では、重度の依存を防ぐために、嗅覚や味覚を再現する事を法律で厳しく規制している筈なのにだ。
(NPCが動き出すし、匂いはするし……。ユグドラシルが現実になった? いやいや、そんなまさか)
「──ンガ様! モモンガ様……!」
アルベドに肩を揺さぶられて我に返る。
そこで初めて、彼女が悲痛な声で自分の名前を呼んでいた事を認識した。
(しまった。思考に集中しすぎたな)
一向に返事をしない自分を心配したのか、瞳に涙を溜めて名を呼ぶ様は、見ていてかなり痛々しい。
このまま答えずにいると、事が大きくなる気がする。良い話題が浮かばないが、とにかく話しかけてみる事にした。
「ア、アルベド」
「モモンガ様……! ああ、良かった……! 本当に良かった……!」
彼女の名前を呼ぶと、心の底から安堵したような表情で涙を流し始めた。
まずい。泣き出した女性の対処法など知らない。こういう時、どうすればいいのだろうか。取り敢えず謝罪をしよう。
「ごめ……いや、すまない。心配をかけた」
NPCを相手に敬語を使う気にはなれず、つい尊大な態度になってしまった。その言葉に涙を拭い、真剣な面持ちになるアルベド。
怒らせたかと身構えるが、どうやら予想とは違うようだ。膝をついて頭を下げたアルベドが語り始める。
「モモンガ様が謝罪なさる事など何一つございません」
「いや、しかし……」
「寧ろ謝罪をしなければならないのは
(急に重いなぁ……)
正直これはこれで対応に困る。
取り敢えず魔王ロールで乗り切るしかないか。
「別に私は気にしていない。だが、そういう事なら確認したい事がある」
「モモンガ様のお慈悲に、心より感謝申し上げます。何なりとお尋ねください」
アルベドは、先ほどよりも深く頭を下げた。そんな彼女の頭頂部を見ながら、モモンガは考える。
まず、この世界は仮想空間なのか。
これに関しては、自分の中で答えはほぼ出ている。しかし、まだ一つだけ確認出来ていない事があるのだ。それはR-18行為。つまり性的な接触だ。
別に触りたいわけではないが、いや、機会があるのなら触りたいが、そんな勇気があるのなら年齢=童貞なんて事にはなっていない。
話が逸れたが、これが確認できれば、より完璧な答えが得られるだろう。
次に、ナザリックの外はどうなっているのか。
ユグドラシルそのものが現実となったのか、それともユグドラシルとは全く別の世界に居るのか。これはなるべく早く情報を集めたいところだ。
最後に、NPCがどういった存在なのか。
正直に言えば、これが一番の不安要素である。
今ここにアルベドが居るが、彼女は今のところは友好的だ。言葉の端々からも、自分に対して敬意を持っている事が窺える。
しかし、その態度がいつまで続くのか分からない。
彼女が明確な自我を持って行動している事は、この短時間で確認出来た。やがてそれが裏切りの方向へと向かう可能性は否定できない。
NPC達に失望されないように、理想的な支配者として接する事を心掛けよう。
(魔王ロールがこんなところで役に立つとは。ハハ、人生何が起こるか本当に分からないな)
内心で自嘲気味に笑う。
まさかゲーム内でのノリがこんなところで役に立つなど、誰が予想できただろうか。そもそもこの状況も、だ。
(いかんいかん、また熟考してしまった)
「アルベド」
「はっ」
アルベド、ひいてはNPCというものを少しでも多く理解するために、モモンガは質問を投げかけるのだった。
わ