魔術が神の奇跡だと信じられている世界ですべて論理的に説明してしまった少年の末路 作:TOKUMEI
俺は、村では愚鈍で有名だった。
駆けっこをすれば誰よりも遅い。
力もなく、鉄の剣なんて持ち上げるだけで精一杯。
畑仕事を手伝えば、三十分もしないうちに息が上がる。
おまけに頭の回転まで遅い。
誰かと言い合いになれば、言い返す言葉を考えている間に負ける。
何か意見を求められても、じっくり考えてから口を開くものだから、大抵その頃には話がまとまっていて、もう別の話題に移っている。
だから、村の子供たちにはよく馬鹿にされた。
大人たちからも出来損ないだと思われているらしく、そこにいるのにいないような、空気みたいな扱いをされている。
そんな俺を庇ってくれるのは、父さんと母さん、それから姉さん。
家族だけだった。
――まあ、それは別にいい。
俺には、誰にも話したことのない野望があったからだ。
この世の仕組みを、全部解き明かしたい。
どうしてリンゴは木から落ちるのか。
どうしてリンゴは赤く見えて、バナナは黄色く見えるのか。
火はどうして熱いのか。
風はどこから来るのか。
みんなが「そういうものだから」で済ませてしまうことが、俺にはどうしても気になった。
世の中で起きる出来事には、きっと何か理由がある。
なら、その理由を一つ残らず見つけてみたい。
それが、俺の唯一の野望だった。
「ショウー! そろそろ礼拝の時間よー!」
階下から、母さんの声が響いた。
「……もうそんな時間か」
友達もいないので、自室に篭ってこそこそ実験をしていたらしい。
どうやら夢中になりすぎたようだ。
今調べているのは、ひとつ。
――なぜ、火を使っていないのに、魔術なら水を沸かせるのか。
もう少し。
あと少しで何かが分かりそうな気がする。
けれど、どうしても最後の一欠片が足りない。
「うーむ……」
机の上のコップを睨みながら唸ったところで、もう一度声が飛んできた。
「ショウー! 聞こえてるー!?」
「聞こえてるー!」
仕方ない。
続きは帰ってからだ。
この村では、朝と夕に一度ずつ礼拝がある。
毎日欠かさず神に祈りを捧げていると、ある日突然、
魔術が使えるというだけで、人から一目置かれる。
それに、実際とても便利だ。
火を起こす。
水を沸かす。
風を起こす。
本来ならいくつもの手順を踏まなければならない現象を、途中の手順をすっ飛ばして結果だけ得られるのだから、便利なのは当然だ。
言ってしまえば、ズルみたいなものである。
――もちろん、そんなことを人前では口が裂けても言えない。
「現象」とか。
「必要な手順」とか。
ましてや「魔術には何か仕組みがあるんじゃないか」なんて。
そんなことを言った瞬間、俺は異端者扱いされるだろう。
下手をすれば牢に入れられる。
もっと下手をすれば、そのまま処刑だ。
さすがの父さんや母さんでも庇えない。
なぜなら魔術とは、
その奇跡を疑う。
仕組みを考える。
ましてや批判する。
それは、そのまま神の御業を疑うことになる。
この国では、それだけで立派な背徳だ。
でも。
俺はずっと、密かに思っている。
――本当に、そうなのか?
魔術にだって理屈があるんじゃないか。
もしその理屈を解き明かせたなら。
紋章を持っていない人間でも、魔術を使えるようになるんじゃないか。
……まあ、絶対に誰にも言えないけど。
俺は机いっぱいに広げていた紙束をまとめ、床板を一枚持ち上げた。
その下に紙束を押し込む。
俺がこれまで観察したこと。
考えたこと。
思いついた仮説。
全部を書き溜めた、俺だけの帳面だ。
誰にも見せたことはない。
というより、見せられるわけがない。
これが表に出れば、俺は縛り首になる。
……大袈裟じゃない。
本当に。
五年前、村を訪れた行商人がいた。
そいつが酒の席で酔っぱらい、
「魔術にだって、タネも仕掛けもあるんじゃねえのか」
と口を滑らせたことがある。
翌朝。
王都から来ていた聖堂騎士に連れて行かれ、その男は二度と村に戻ってこなかった。
大人たちは、
「罰が当たったんだ」
そう言ったきり、その話をしなくなった。
俺が帳面を床下に隠すようになったのは、その日からだ。
「ショウー! 早くしなさーい!」
「今行くー!」
床板を戻し、俺は慌てて部屋を出た。
階段を下りると、母さんが腰に手を当てて待っていた。
「まーた部屋に篭って。あんたも少しは外で体を動かしなさい」
「動かしてるよ。部屋の中で」
「それを篭ってるって言うのよ」
玄関では、姉のリナが靴を履いていた。
「ぼさっとしてると置いてくわよ、のろま弟」
「姉さんまで俺をのろま扱いか」
「事実でしょ」
「…………」
ぐうの音も出ない。
姉さんは俺と違って足が速い。
力もある。
頭の回転も速い。
口喧嘩なんてした日には、俺が一言考えている間に五言くらい返してくる。
おまけに器量もいいので、村の若い連中から人気がある。
神様はもう少し、能力の配分というものを考えるべきだと思う。
夕暮れの道を、家族四人で礼拝堂へ向かう。
途中、井戸のそばで遊んでいた子供たちが俺を見つけた。
「あーっ、のろまショウだ!」
「歩くのおっそ! 礼拝終わっちゃうぞー!」
何か言い返そう。
そう思って、頭の中で言葉を組み立てる。
ええと。
礼拝が終わる。
終わるといえば――。
「…………」
まとまった頃には、子供たちはきゃらきゃら笑いながら走り去っていた。
……くそ。
今いいのを思いついたのに。
『終わるのはお前の運だ』
…………。
いや、待て。
これ、別に面白くないな。
没にしよう。
「あんたもよく平気ね。あれだけ言われて」
「平気っていうか、返事が間に合わないだけ」
「それを世間では言われっぱなしって言うのよ」
姉さんは呆れたように笑ったあと、走り去る子供たちへ顔を向けた。
「こらー! あんたたち、うちの弟を馬鹿にするんじゃないわよ!」
子供たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
姉さんは昔からこうだ。
どうやら、
――俺を馬鹿にしていいのは自分だけ。
という妙な特権意識を持っているらしい。
◇
礼拝堂は村の中央に建つ、この村で唯一の石造りの建物だ。
夕の鐘が鳴ると、村人たちがぞろぞろと集まってくる。
今日は、普段より明らかに人が多かった。
理由は分かっている。
祭壇の前にマルコ司祭が立ち、全員が席に着く。
やがて司祭は、いつもの言葉をいつもの厳かな調子で唱え始めた。
「――魔術は、主より授かりし奇跡である。主は日々の祈りをご覧になり、選ばれし者の手の甲に、御印たる
魔術は、神の奇跡。
それを使えるのは、神に選ばれた紋章持ちだけ。
この世界で、誰ひとり疑おうとしない大前提だ。
紋章というのは、手の甲に現れる金色の文様のことだ。
細い線が幾重にも絡み合った、複雑な模様。
それがある日、何の前触れもなく浮かび上がる。
なぜ現れるのか。
どういう基準で選ばれるのか。
それは誰も知らない。
教会に尋ねても、
「すべては主の御心のままに」
としか答えない。
分かっていることは、ただ一つ。
――紋章を持つ者だけが、魔術を使える。
この村にいる紋章持ちは二人。
マルコ司祭と、雑貨屋のネマばあさん。
――いや。
二人
「皆も知っての通り、三日前、我らが村に新たなる祝福が下された。ダグよ、前へ」
司祭に呼ばれ、自警団の青年ダグが立ち上がった。
緊張で表情を強張らせながら、祭壇の前へ進んでいく。
三日前の朝、目を覚ましたら、突然手の甲に紋章が浮かんでいたらしい。
以来、村はずっとその話題で持ちきりだ。
そして今日。
ダグは皆の前で、初めて魔術を披露することになっている。
礼拝堂が満員なのも、そのためだった。
ダグが右手を掲げる。
手の甲に刻まれた金色の文様が、窓から差し込む夕日を受け、きらりと輝いた。
礼拝堂のあちこちから、ため息とも歓声ともつかない声が漏れる。
最前列では、ゼフ爺さんが複雑そうな顔で手を合わせていた。
ゼフ爺さんは四十年間、朝夕の礼拝を一度も欠かしたことがない。
村一番の信心者だ。
一方でダグは、礼拝中の居眠り常習犯。
先週なんて、俺はこいつの寝言を聞いた。
……信心の深さで選ばれるなら、どう考えてもゼフ爺さんが先だよな。
つまり。
少なくとも、
では、何が条件なんだ?
分からない。
分からないけど――これは帳面に書いておくべき事実だ。
「では、ダグ。授かりし奇跡を、主への感謝と共に披露しなさい。皆で見届けましょう」
いよいよだ。
初めての魔術のお披露目。
俺も、こればかりは朝から楽しみにしていた。
魔術をこんな間近で、それも初めて使う瞬間から観察できる機会なんて滅多にない。
ダグは、司祭から教えられた通りなのだろう。
ぎこちなく両手を組み、祈りを捧げる。
それから右手を差し出し、掌を上に向けた。
「つ、集え、熱よ。う、渦を成し……ひ、光と……」
声が上ずる。
途中で言葉に詰まった。
――何も起きない。
「…………」
礼拝堂に、なんとも気まずい沈黙が落ちた。
ダグの顔がみるみる真っ赤になる。
「落ち着きなさい、ダグ」
マルコ司祭が穏やかな声をかけた。
「心が乱れております。乱れた心の祈りは、主には届きません」
ダグは何度か深呼吸した。
そしてもう一度、掌を掲げる。
「――集え、熱よ。渦を成し、光と成りて、我が手に灯れ」
今度は、淀みなく。
その直後。
ダグの掌の上で、空気が陽炎のようにゆらりと歪んだ。
ぽっ。
小さな炎が灯る。
「おおおお……!」
礼拝堂がどよめきに包まれた。
「奇跡だ……!」
「主のお恵みだ!」
村人たちは口々に声を上げ、祈りを捧げる。
ダグ本人も、今にも泣きそうな顔で掌の炎を見つめていた。
隣では母さんが目を潤ませている。
姉さんまで、珍しく素直に感心した顔をしていた。
そんな中。
俺だけは、まったく別のことを考えていた。
――待て。
今の。
おかしくないか?
一回目と二回目で、ダグの信心が変わったとは思えない。
あの十秒やそこらで突然信仰心が深まった?
そんなわけがない。
むしろ一回目のほうが、緊張しながらも必死に成功させようとしていた。
「心がこもっていたかどうか」なら、一回目のほうが上だったんじゃないか?
なのに。
一回目は失敗した。
二回目は成功した。
二つの違いは何だ?
――言葉だ。
一回目は途中で詠唱を間違えた。
二回目は、最後まで正しく唱えた。
変わったのは、それだけ。
もし本当に神様が人の心を見て奇跡を起こしているのなら、言い間違えたくらいで奇跡を取り消すだろうか?
でも実際には。
手順を間違えれば動かない。
正しい順番でなぞれば動く。
それはまるで――。
背中に、ぞくりと震えが走った。
それだけじゃない。
今の詠唱。
『集え、熱よ。渦を成し、光と成りて、我が手に灯れ』
よく考えれば、おかしい。
どこにも神を讃える言葉なんて入っていない。
熱を集める。
渦を作る。
光らせる。
手元に留める。
ただ、
……これ。
母さんが料理をするときに、
『鍋に水を入れる。火にかける。野菜を切る。鍋に入れる』
と手順を並べるのと、何が違う?
いや。
まだある。
ネマばあさんが店先で水を沸かすときの詠唱は、
『集え、熱よ。水面に宿り、湧き立て』
だった。
――出だしが同じだ。
『集え、熱よ』
炎を灯す魔術も。
水を沸かす魔術も。
最初は同じ。
なぜ?
共通するものは何だ?
……熱だ。
炎にも熱がある。
湯にも熱がある。
どちらも「熱」を扱う現象だから、最初の手順が共通している。
そんな偶然があるか?
いや。
偶然にしては、出来すぎている。
そして極めつけは。
炎が灯る直前、掌の上で揺れた空気。
あの、陽炎みたいな揺らぎ。
俺はあれを知っている。
ネマばあさんが湯を沸かすときも、鍋の水面の上でまったく同じように空気が揺れるのだ。
つまり。
目には見えない
「…………」
頭の中で。
今までどうしても埋まらなかった空白に、最後の一欠片が落ちた。
かちり。
そんな音が、本当に聞こえたような気がした。
「……ふ」
思わず口元が緩む。
「ふ、ふふ……」
「うわ」
姉さんが俺から少し身を引いた。
「ちょっとあんた、何ニヤニヤしてんのよ。奇跡を見て笑うとか罰当たりよ。あと普通に気持ち悪い」
肘で小突かれる。
「痛っ」
俺は慌てて口元を引き締めた。
危ない危ない。
今ここで笑ってる場合じゃない。
◇
夕食の席は、当然ながらダグの話で持ちきりだった。
「いやあ、ダグの奴、大したもんだ。これでこの村も安泰だな」
父さんが嬉しそうに言う。
「うちにも紋章が来てくれないかしらねえ」
母さんが続ける。
「来るとしたら、あたしでしょ」
姉さんが当然のように胸を張った。
俺は何も言わず、黙々とスープを口へ運ぶ。
今はそれどころじゃない。
頭の中では、礼拝堂で見た光景が何度も繰り返されていた。
詠唱。
失敗。
成功。
陽炎。
共通する言葉。
考えれば考えるほど、一つの可能性が頭から離れなくなる。
夜。
家族が寝静まるのを待って、俺は床板を外した。
隠していた帳面を引っ張り出す。
ランプの灯りをぎりぎりまで絞り、今日の観察結果を書き加えた。
一つ。
起こしたい現象を順番に述べた、一種の
二つ。
ダグは礼拝中の居眠り常習犯であり、四十年間礼拝を欠かしていないゼフ爺さんには紋章がない。
三つ。
目には見えない何かが動いている可能性がある。
「…………」
そこでペンを置く。
俺は、自分の右手の甲を見た。
何もない。
複雑な金色の紋章なんて、どこにもない。
ただの日焼けした手だ。
でも。
もし。
本当に詠唱が祈りではなく、
「…………」
喉が鳴った。
なら。
どくん。
心臓が大きく鳴った。
どくん。
どくん。
自分の鼓動が、やけにうるさい。
これは。
たぶん。
確かめてはいけない種類のことだ。
頭では分かっている。
もし試して。
もし本当に動いてしまったら。
俺は、この世界で最悪の背徳者になる。
神に選ばれていない人間が、神の奇跡を再現する。
そんなもの、教会が許すはずがない。
でも。
「…………やるか」
無理だった。
気になってしまったものを、確かめずに放っておくなんて。
俺にはできない。
昔から、そういうふうに出来ている。
俺は音を立てないよう台所へ行き、コップ一杯の水を汲んできた。
机の上に置く。
使う魔術は決めていた。
ネマばあさんの湯沸かし。
あれなら店先で何十回も見ている。
詠唱も覚えている。
言葉だけじゃない。
どこで区切るのか。
どこで息を吸うのか。
声の高さ。
言葉と言葉の間。
全部、帳面に書き取ってある。
「…………」
深呼吸を一つ。
水の入ったコップへ掌をかざす。
そして、家族に聞こえないよう声を潜めた。
「――集え、熱よ。水面に宿り、湧き立て」
…………。
何も起きない。
水面は、鏡みたいに静かなままだ。
「……まあ、そうだよな」
思わず息を吐いた。
そりゃそうだ。
そんな簡単にいくわけがない。
――では。
何が違う?
ネマばあさんと、俺。
紋章があるかないか。
それ以外は?
声の高さ?
違う気がする。
年齢?
もっと関係なさそうだ。
言葉?
いや。
間違っていない。
何か見落としている。
何だ。
何が違う。
「…………あ」
ふと。
思い出した。
ネマばあさんは魔術を使う直前、必ず一拍だけ目を閉じる。
今まで俺は、あれをただの癖だと思っていた。
でも。
もし。
あれも
目を閉じて。
何をしている?
祈っている?
いや。
ばあさんは詠唱前に神の名を口にしない。
では何を――。
「……想像?」
口から言葉が漏れた。
沸騰した水。
完成した結果。
それを頭の中で思い浮かべている?
もしそうなら。
詠唱だけじゃない。
「…………」
試す価値はある。
俺は目を閉じた。
頭の中に、沸き立つ湯を思い描く。
ぐらぐらと踊る水面。
水の底から次々浮かんでくる泡。
立ち上る白い湯気。
鍋の縁で弾ける細かな泡。
触れば思わず手を引っ込めるほどの熱。
できるだけ具体的に。
まるで目の前に本当にあるみたいに。
「……よし」
目を開ける。
再び、掌をコップへかざした。
「――集え、熱よ。水面に宿り、湧き立て」
――ふるり。
水面が。
揺れた。
「…………っ!」
息を呑む。
思わずコップへ顔を寄せた。
だが、水面はすぐに静かになる。
俺は息を止めたまま、指先をそっと水に入れた。
「…………」
ぬるい。
…………気がする。
いや。
待て。
落ち着け。
確証はない。
机が揺れただけかもしれない。
俺の息が水面に当たったのかもしれない。
水がぬるく感じるのだって、緊張で指先が冷えているせいかもしれない。
こんなものは誤差だ。
思い込みだ。
ちゃんと確かめるなら、同じ条件で何十回も試す必要がある。
水の量を揃える。
部屋の温度も揃える。
息が水面に当たらない距離を決める。
それから水の温度を正確に測る方法も考えないと――。
「…………」
指先が震えていた。
なのに。
頭の芯だけは、不思議なくらい冷たく澄んでいた。
そしてそこには。
説明のできない、一つの
――これは。
解ける。
魔術は、奇跡なんかじゃない。
俺の知らない何かがあって。
俺の知らない法則があって。
決められた条件を満たせば、決められた現象が起こる。
ならば。
その理屈さえ、すべて解き明かせば。
きっと――。
その夜。
誰にも知られず行った、ほんの小さな実験。
それがやがて。
神の奇跡と呼ばれてきた魔術の正体を暴き。
千年以上続いた世界の常識を、根底からひっくり返すことになる。
もちろん、この時の俺は。
そんなことなど、知る由もなかった。