「ねえ……あの女にちゃんと連絡は入れたの……?」
「は……走ってる最中で、モモさんに電車また出してもらうようには……」
荒い息を吐き出しながら、山田は駅のホームにある古びたベンチへ倒れ込むように腰を下ろした。
隣には、いまだ夢と現実の境目にいるのか、虚ろな目でぽかんと天井を見上げている睦を抱え込んでいる。
命からがら静まり返った無人の集落を駆け抜け、どうにか辿り着いた田舎の小さな駅。街灯の明かりだけが寒々しく二人と一人を照らしていた。
闇の向こうから水仙が追いかけてくる気配は今のところない。だが、あの女が放っていた異様な威圧感と狂気が、皮膚の表面にこびりついて離れなかった。
山田ママは警戒を怠らず、駅の入り口に視線を配ったまま、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。紫煙が夜の冷気の中に揺らめく。
「ママ、改造人間ってあの前に言ってた桃の園事件の……」
「私が在籍していた頃辺りまで遡るからそれからまだ10年は昔の話ね」
煙を細く吐き出しながら、山田ママが重々しく語り始める。
2061年、ニュースを調べればすぐに出てきたのが桃の園事件——かつてとある地域で幸福を旨として行われた人体実験と、それをカモフラージュした『戦隊』という概念を育てる養成学校の存在だった。
その地域というのが、まさにこの東北地方であり、2050年代頃には山田ママもこの場所に身を置いていたのだというのが電車に揺られて聞いた話。
「今ここで肝心なのは人体実験の方。2050〜2060年代頃には人類には大きな課題があった。この時は人類が絶滅するかもしれないという危機に瀕していたのよ……将来的に男性が産まれなくなるかもしれない、という種としての限界にね」
だからこそ、国家は秘密裏に女性だけで生命を繋いでいく道を模索し始めた。男の手を一切借りずに新たな生命を生み出し、存続させるための新たな人類の再構築。
「じゃあ水仙さんも『桃の園』の生徒ってことなの……?」
「この地域で私くらいの歳の女性は大体がそうなんじゃないかしら……ああ、彼女の場合『緑色』の方にもゆかりがありそうね、あそこ宗教じみたところがあったから…」
そして、裏で『怪人』と呼ばれるような失敗作とはまた違う、死ぬために再構築された物とは別の存在。
2061年に正式な両性の成功例が出てくるまでは不完全な物だったが……男を必要としない新人類はこの時点で作られていた。2060年代に頭角を現してからは、その改造人間達はこう呼ばれることになる。
エレボス人と。
「あの家に主人が居た痕跡はあった? あの女……多分1人で、何の助けも借りずに娘を産んだのね……」
山田ママの言葉に、山田は息をのんだ。あの奇妙な家、生活感はあっても「父親」という概念の欠片すら感じられなかった空間。
「そ……そんなこと可能なの、現実に今存在していたとして……」
「私から見ればあれも成功とは呼べたものではないわ。子供というよりはただの苗、土壌や生野菜による栄養補給……細胞が人間の物から歪んで完全に草食と化しているわ。生物学的には花ね、ホルモンが変化して植物細胞にでもなったとみるわ」
水仙という一粒の種から生まれ、時に土に埋められ、苗木のように育ってきた睦。
特殊すぎる形で産み落とされた彼女を、果たして社会通念上の「人間」と呼んでいいのかどうかすら山田には分からない。
だが、水仙にとって彼女は紛れもなく自分の分身であり、娘だった。
だからこその、あの常軌を逸した期待と執着……あの養成学校において、表向きは「人類の救世主」として選ばれたのだと教え込まれる中で、たまに現れる狂信者のような歪んだ選民思想。
……しかし、冷徹な事実として、そんなおぞましい背景すらもみいちゃんの死の真相という本筋においてはただの背景に過ぎないのだ。
水仙がいくら異形のモンスターであろうと、彼女がみいちゃんに接触したのは何らかの巨大な陰謀があったからではない。
単に、芽衣子という中身が至らない人間と近所付き合いがあり、その娘同士が友人になっただけ。
山田が追い求めている真実の道筋において、本来なら検索エンジンに引っかける必要すらなさそうな余計な情報。
ただ運悪く、みいちゃんと関わっていた家系がとんでもない化物だったというだけに過ぎない。
だが、今後宮城でみいちゃんの足跡を捜査していく以上、この存在は絶対に避けられない障害となって立ちはだかる。
それどころか……今後この事件が世間の白日に晒された時、最悪な形で悪目立ちすることになるのだ。
思い浮かべてみれば恐ろしい話だった。現在、容疑者候補として警察や周囲から疑われているみいちゃんの母親・芽衣子は、娘と似たような性格なのもあり現在も要領を得ない言動を繰り返すばかり。
対して、榎本水仙はどうだ。
娘がみいちゃんと幼少期から深い付き合いがあり、直接の手は下していないものの犯行現場を目撃し、アリバイもない。
そして——みいちゃんという存在によって自分の大切な娘を風俗へ落とされ、挙げ句の果てに刑務所にまで叩き込まれた。
動機として、あまりにも完璧で、お誂え向きすぎるのだ。
事情を知らない第三者が聞けば、誰もが水仙に同情し「娘を狂わされた悲劇の母親の復讐劇」という分かりやすいドラマを勝手に期待するだろう。真相がどうであれ、世論というものはそういう「物語」を好む。死の真相を掴むためにドラマ性など必要ないはずなのに、周囲はその筋書きを求めて群がってくるのだ。
「……はぁ、嫌なことばかり頭に浮かぶよ。とにかく早く歌舞伎町に戻らなきゃ……」
山田は頭を振って思考を振り払った。だが、どれだけ耳をすませても、線路の奥から電車の走ってくる重低音は聞こえてこない。夜のホームは不気味なほど静まり返っていた。
「今も声かけたんだけどさ……まだ遠いし私用で滅多に走らせないから20分はかかるんだって」
闇の中から唐突に響いた聞き覚えのある声に、山田と山田ママは同時に跳ね上がった。
「……えっ、モモさん!? どうしてここに……」
暗がりから姿を現したのは、他でもない花岡桃花だった。
だが、いつもの優雅で隙のない歌舞伎町の管理人の姿はそこにはなかった。着慣れた服は泥と煤で汚れ、肩を激しく上下させながら、片手で何かを引きずるようにして歩いてくる。
その隣でぐったりと倒れ込むようにして抱えられていたのは——血の気を失い、全身を痛々しく負傷したココロの姿だった。
——
「もう嫌!! なんで私がこんな目に遭わないといけないの!! みいちゃんと山田さんに会ってからろくなことがない!! どこで間違えたの……」
「キャバクラなんてやったところからじゃないかしら」
「それに関しては本当に私も思う」
「貴方共感しちゃいけないところよ」
電車が後少しで迫る中、なんとか手当てしてもらいながらココロは我慢の限界を迎えたのか叫ぶ、彼女に関しては1から100までみいちゃんの生きた被害者なのでしょうがない、それはそれとしてココロの人生が迂闊なところもある。
モモはというと体の具合を軽く整えた後を鏡を見ている。
「あーもう派手にやったなぁ……明日もシフトあるのに店長にどう説明すればいいのか……」
「も、モモさん……どうして宮城に?」
「えー? 私はあくまで山田さん達に犯人に繋がる情報集めて欲しかったから解放しただけで、勝手にバックレようとして傷ついた自業自得な奴でも捕まえないといけない仕事でもあるからさぁ」
「だって……だってしょうがないでしょ!! 私はちゃんとしたところで働けるから!」
「その顔で? いやぁさすがエレボス人の失敗作、種を残す者としては成功してるけど紛れもなく化け物だよアレは……で? なんで山田さんは娘さん連れて帰ってきたわけ?」
「え? あ、それは……咄嗟だったからつい、さすがに歌舞伎町には……」
「馬鹿言わないで!? そんな誘拐みたいな真似したらあの女どこまでもついてくるわよ!?」
「まぁ麻酔銃は何発か撃ち込んだからしばらくは大人しいはずだけどそれは置いてって、ウチはパニックホラー映画のセットとしては使ってないから」
そういって話していると、ようやく電車が見えてきた。
中に乗り込んで、一旦歌舞伎町まで戻って今後について考えなくてはならない。
山田自身……やっと真相が近いというのにどうにもすっきりとした気分にもなれない。
どうにかモモが追加された状態でまた2012年の歌舞伎町へ帰ることになる……。
——その時、電車のパンタグラフや天井がどんと揺れる音がする。
「うっ!?」
「触れんな触れんな気の所為って思いなよ」
「いや……モモさん!! これ間違いなく」
「ああそうだよ私だって分かってる、だから尚更目を合わせるな赤の他人と思え」
どんどんどんどんと音は強くなっていき、遂にガラスが破られる。
そこから這って滑り込むように……人間というよりは海藻みたいな勢いで骨の調子を整えて……榎本水仙、従来。
「ギャアアアアアア!!!」
逃げ場所のないところで化け物みたいな奴が現れたことで、ココロも本格的に腰を抜かす。
「こ……こんなところまで追いかけてくるなんて!? ムウちゃんに手出ししませんから!」
「信用できないわ、私がエレボス人と知られていることも含めると通報先が変わるだけにしか思えない、そしたら睦とは離れ離れになってしまうしあの子も実験に利用される」
「へぇ、エレボス人名乗るんだ? おばさんより先の世代になってようやく完成したものでそれさえも生命としては欠陥品、アンタはただ植物っぽくなった失敗作……まあそれでも、白革県の連中から見れば興味深いだろうね」
「花岡桃花! あんたの家系が元凶なんだからアレなんとかしなさいよ!」
「なんとかしろってやった後なんだけどこっちも……てか、何がしたくてうちに乗り込んできたわけ? 私だって特別地区としても花岡家としても代わりはいくらでもいるくらいには期待されてないからさぁ」
モモはこんな状態でも一切動じずに様子を伺っている。
さっきも外の風景や天候を利用したからか、どこか有利に動き回っていた。
そういうところも上手いので、モモはなんだかんだでキャバ嬢としても昔から信用されている。
「あの子を離しなさい……今なら許してあげる」
「許してあげるって……貴方がどんな立場のつもりでそんなこと言うの? 犯人でもないのに」
山田ママは心底呆れたように吐き捨てたが、水仙は動じずに応え続ける。
「私も不完全燃焼という気持ちなのよ、いつ中村実衣子をどうにかしてやろうかと思ったら、まさかしょうもない半グレにリンチされて勝手にくたばるなんて……」
なんとも冷たく他人事な言い草、忘れてはならない……この人物も手を下さなかっただけで、いつでもみいちゃんを殺そうとは思っていた、本人が言ったように先を越されただけだ。
「うん……ここで殺しても睦の肥料にするには汚いところもある……なら復讐の方を優先しようって思ったの、貴方達もあの女と同類の仕事をしていたんだから当然ね」
「その『復讐』の内容にもよるけど」
「簡単よ、睦があの女にやられたことを返すだけ……だから分かりやすく言うと貴方達の体をそれはもうぐちゃぐちゃにさせてもらうわ」
「わ、私達だって何も好きでそういう仕事してた訳じゃないわよ!? キャバクラと風俗は異なるし!」
「うるさい!! 今はアレの味方になったんだから一緒に地獄に落ちなさい!!」
突如電車の中で始まる阿鼻叫喚の逃亡劇、ココロは腰を抜かしていたのもあり即座に捕まって体を抑え込まれた。
「ひいいぃぃ!? 離してよ!?」
「私と睦は確かに貴方達と同じ女性の肉体は持っているけど内臓の作りが違う、排泄物を出したりはするけど機能が異なるのよ、そんな中であんな所に送られても……痛いだけよねぇ……」
「私は働いてないって!! 私も被害者であの女に勝手に!!」
「それも貴方の意思が弱いからよ」
その言葉と共にココロの足がめくり上げられて下着姿にされていく。
「やめてってば!! もういい加減にして!!」
「ぐちゃぐちゃになってしまえばそれでいいわ、最初にここからいなくなりなさい!!」
その言葉と共に、ココロの股間部を蹴り上げようとする水仙……そんな行動に思わず山田も驚き声をあげる。
生に対するおぞましさと執着心は異常だ、あの目……だが、ココロに八つ当たりされてもどうしようもないので飛び蹴りして水仙を止める。
「その人はみいちゃんとは関係ない! やるなら私からにすればいいじゃない!」
「や……山田さん!」
「うっ……貴方、中々やってくれるじゃないの……そうね、中村実衣子に馴れ馴れしくしている貴方から先にやるわ」
「やめなさい! それ以上やると本当に警察に……け、警察……通用するの? これ……」
怯えながら携帯を構えるココロに対して、水仙はポケットから手裏剣を投げ飛ばして携帯を壊し、呆れるように答える。
「……貴方ねえ、ちゃんと昔の事件も把握してないの? それと、戦隊がなれるのは基本5人だけというのも」
「ご、5人……ねえママ、その手のってママも含めて卒業した人って戦隊なれなかったらどうなるの!?」
「…………進路は思ってる以上に広いわ、成績さえ良ければ可能性としては公務員も軽々いけるわ、警官だって」
「ああ……なるほど、こんな堂々としてられるのも地元にシンパがいるってわけね、妙な話だと思ったよ杜撰すぎて」
そもそも、みいちゃん殺人事件に対して警官のやってきた行動が雑だった、暴れた痕跡があるならみいちゃんの両手に引っ掻いてDNAでも取れてておかしくないし、それ以外でももっともっと調べれば情報でも出てくるのに異様に淡々としている。
……先を越されたことが想定外なだけで、最初から計画通りだった。
みいちゃんは、宮城に帰ってきた時点で詰んでいたんだ。
そして……帰るようになったのは山田のせいだ。
自分のせいでみいちゃんがお前のような奴らに囲まれて死ぬことになったんだ、生きることさえ保証されているのなら私の身体さえ惜しくないとも思えてくる。
どうしようもなく腹が立ってくるのだ。
「だがお前だけは許さん」
そう呟いて山田が前に出た、山田は握り拳を作って水仙の前に飛びかかる。
その衝撃で山田ママやココロ、モモはバランスを崩し壁際に押し付けられた。
そして、自分は身体を丸くして相手の拳を受け止めながら反撃をする。
「どうした!? こんなんじゃみいちゃんの痛みをわかんない!!」
山田はそのまま水仙を殴りつけた、しかし相手は素手でそれを受けて拳を開いてくる。
「うげっ!?」
「ふんっ!」
次の瞬間、逆に彼女の首を掴んで床に叩きつけると馬乗りになり腹に膝を入れた。あまりの早技にココロ達は言葉を失い、動くことができない。
一方で山田は吐血しながらも懸命に抵抗するがやはり力及ばず。しかし諦めずに何度も腕を伸ばしては払い除けられる事を繰り返している。
その姿に周囲もたじろぐことしか出来ず、山田ママもモモに詰め寄る。
「ちょっと! あれどうにか出来ないの管理者でしょう!?」
「ああうっさいなぁもう! だからあまりこの仕事好きじゃないんだって! だったらこっちだって強引にやらせてもらうから!」
モモは懐からボタンのような物を取り出すと、新宿が見えてきた辺りでシャッターを叩き割る勢いでボタンを押すと、電車内が大きく揺れる……一気に特別地区内に突っ込むがどうにも止まり方が荒々しい。
「えっと……モモさん、今のボタン何?」
「ええ!? この電車の瞬間加速からの急ブレーキだけど文句かな!? 今から覚悟しないと次の行き先が天国になるよ!」
その瞬間だった、突然電車内の照明が落ちて暗闇になる。
「わあ!? なになになに!?」
「ごめん本当はもう少し静かに行きたかったんだけどさ、ウチのバックアップ使えばこんなことできるんだ、まあ簡単に言えばね」
『ここから先はウチの支配権内、あの時代の延長線でもあるから色々できるわけ』
そういいながらモモは車内の中央付近、この先は貨物スペースである部分に歩いて行って声をかける。
「さ、ここからはお前の出番だよ、いい?」
——
そうして特別地区の入り口に乗り付ける、時間ももう遅いので何個かのお店も新宿的には始まり始めた時間だろう。そんな中モモを先頭に玄関を開けると、そこには大きな影が立っていた。
「……今日は随分遅かったですね」
声をかけてきたのは背が高く、ガタイの良いスーツ姿の男性だった。
歳は三十代後半といったところだろうか。穏やかな笑みを浮かべながらこちらを見据えている。
その人物をおぼろけながら山田は見ていたが……その顔を見て驚く。
「十二郎さん!?」
「……十二郎? いえ、自分はそんな名前ではありません、桃花様もしやこれは……」
「あーいいよお前にも後で説明しておくから……いい? 山田さん? こいつは名月61号、色々あった後に花岡家としてウチが改修した、いわゆる『イエロー』なんだけど」
「……なるほど、ロボットね」
名月と呼ばれた存在は、水仙を抱えているが……そのまま、山田にも近づいてくる。
じーっとこちらを眺めると……首筋をとんと叩かれて無限に消える意識の中へ誘われる……。
「お前……いい加減にしろよ……何回私は意識を失えば……」
文句の一つも言いたくなるが、どうやらそんな余裕もない。
とりあえずこうして目覚めた後、また命の保証があることを願い続ける……。
「どういうつもりよ! 花岡桃花!!」
「いやさぁ、どうせ調査するならまとめての方がいいでしょ?」
「調査って……まさか貴方」
「腐っても花岡家、ナメてもらっちゃ困るよ……そっちも同じなんでしょ失敗作」