××ちゃんと山田?さん。   作:黒影時空

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第18話「山田さん、目覚める」

 あれから早くも三日の月言が流れていた。

 山田の脳内からは、あれほど狂おしく湧き出でていたドーパミンが完全に姿を消していた。短期間で脳細胞が焼き切れるほどに出し尽くして枯渇してしまったのか、あるいはその異常な高揚に肉体が完全に順応してしまったのか、原因は分からない。

 ただ確実なのは、あの身体を貫くような強烈な快楽は、もうどこを探しても得られないということだけだった。

 

 山田は今、自室のベッドから一歩も降りないまま、腐敗した水たまりのように停滞した生活を送っている。何をするにも思考の歯車が噛み合わず、生きて起き上がる気力すら湧いてこない。

 ただ上を見つめたまま、一日が死んでいくのをやり過ごすだけだ。

 

「山田さん、麻美子がご飯食べないよー!」

 

 ベッドの脇から無邪気な声が落ちてくる。

 

「ああ……離乳食は作るから、そこに皿を置いて……」

「山田さん、今日はお風呂に入ってよ」

「入るのが……最近、面倒に感じるようになってきたんだ……」

「山田さん、まだ漫画は描くの?」

「頭は回らなくても……ペンは動かせるから……」

 

 山田の活動範囲は、ベッドの端から床へだらりと垂れ下がった片腕の先だけに狭まっていた。

 上を向いたままペン先だけを滑らせ、紙を削る。ふと、虚無の混じる思考の隙間に自虐がよぎった。

 

(今の私って、昔のみいちゃんよりも生活できていないな……)

 

 生前のあのみいちゃんでさえ、荒れ果てた環境のなかで一人暮らしを営み、ハムスターの世話をし、彼女なりに不器用ながら息をして過ごしていたはずだ。それに引き換え今の自分は、ただベッドの上で生きているだけの植物そのものだった。

 だが、この爛れた底なしの生活を脱出しようという意欲すら湧かない。もしこのベッドから床へ転がり落ちてしまえば、自分という存在そのものが崩れて霧散してしまうのではないかという恐怖すらあった。

 それでも、麻美子も、みいちゃんも、まだ側にいる。人間としては終わっていたとしても、この静寂のなかで、山田は確かに幸福を感じていたのだ。

 

 ——だが、その歪で停滞した幸せの時間は、さらに時が経ったある夜、唐突に叩き壊される。

 

 己の皮膚から漂う不潔さに耐えかねた山田は、みいちゃんに半ば引っぱられる形で、重い体を動かして風呂場へと向かった。

 湯気の中で体を洗っていると、脱衣所の境界線から、みいちゃんがどこか改まった声で語りかけてきた。

 

「山田さーん、今日はちょっと相談があるんだけど聞いてほしいんだ」

 

「急に改まって……珍しいね、どうしたの?」

 

「いや、実は今日、告白されたんだ!」

 

「告白……!? 誰に、誰と……?」

 

 湯気で煙る視界の向こうで、山田の胸にどろりとした感情が渦巻いた。

 みいちゃんにパートナーができることは、喜ぶべきことなのかもしれない。だが、山田にとってこのみいちゃんは、己の空想から生み出された概念そのものだ。周囲の人間すら彼女を認識し始めた現実は知っていたが、まさか他者から求愛まで受ける存在になっているなど、夢にも思っていなかった。

 

「あのね、麻美子がたまにお世話になっている保育園の先生なんだよ。みいちゃんが家事を手伝っている時に『お母さんのパートナーですか?』って聞かれちゃって。『違うです』って答えたんだけど、それがきっかけで声をかけてくれたりしたんだ」

 

「つまり……好きになった?」

 

「うーん、実は山田さんが今日お風呂に入るまで、みいちゃんはお見合いしたり婚活したりしてたんだけど全然だったんだよね。だから偶然出会いがあったのが嬉しくて、OKしちゃったの」

 

「そう……なんだ……」

 

 頭を力任せに殴られたような衝撃が山田を襲った。

 みいちゃんが誰と恋をしようが自由のはずだ。だが、山田の歪んだ内面は、そのあまりにも生々しい現実を激しく拒絶していた。みいちゃんが自分以外の誰かのものになり、遠くへ行ってしまう——その現実が信じられない。

 内側で渦巻くのは、みいちゃんを自分だけのものにしておきたいという粘着質な独占欲と、関係性が破壊されることへの強烈な拒否感だった。

 しかし、それを言葉にして吐き出す勇気すら湧かない。口から出たのは、無気力で薄っぺらい肯定だけだった。

 

「あー……うん……わかった」

 

「山田さん……ありがとう!」

 

 子供のように喜ぶみいちゃんの声を聞いた、その瞬間だった。

 

 体の奥底から、どくぐりとした熱い塊が爆発的に湧き上がってきた。

 ずっと枯渇し、静まり返っていたはずのドーパミンが、脳を鋭く貫いて全身の血潮へと一気に駆け巡る。思考が鮮烈なまでに澄み渡り、爪先まで強烈な感覚が蘇っていく。

 

 山田は悟った。

 自分からみいちゃんを強く意識し、彼女への異常な執着を燃やさなければ、自分はもう動くことすらままならないのだと。

 

(へえ……ちょっと前までまだ赤子みたいだったのに、もう保育園に行くまでになったんだ)

 

 現実離れした歪んだ時間認識が、脳の片隅で冷ややかに明滅する。

 そんな異常さすら、どうでもよかった。

 今の山田を突き動かしているのは、恐ろしいほど純粋な衝動だった。

 

 みいちゃんを愛したというその男に、会いたい。

 そして——今すぐにでも、殺したい。

 

 まだ一年も経っていないはずなのに、久しぶりにベッドから自分で起き上がってみた時の感覚は、まるで数年ぶりに目を覚ました意識不明の患者のようだった。ぎこちなく骨を軋ませ、足裏で冷たい床を踏みしめる。

 今なら自由に動ける。それだけで、心が恐ろしいほどに沸き立っていた。

 みいちゃんを意識する人間を、この手で殺してやりたい。そう考えるだけで、胸の奥に一気に火がついたような感覚になる。全身の細胞が歓喜に震え、息が詰まるほどの高揚感が視界を鮮やかに塗り替えていく。

 

 ……どうやら自分は、一般的に「異常性癖者」と分類されるものに変貌してしまっていたらしい。

 みいちゃんという空想が、いつしか周囲をも巻き込むほどの現実味を帯びて侵食し始めたのも、すべては自分のこの歪んだ内面が原因だったのだろう。

 ……そう、自分は、みいちゃんに大切なものができ、それを力ずくで奪い取り独占するその瞬間にこそ、強烈な快楽とリビドーを得るようになってしまったのだ。

 

 最初に溢れ出たドーパミンに突き動かされるまま行なったあの虐殺すら、今の自分にとっては肉体を維持するための栄養へと変わっていた。

 そのおぞましい事実をすんなりと受け入れ、さっそく目的を果たそうと外に出ようとした山田だったが、ふと視界に入った鏡に映る己の姿に息を飲んだ。

 昨日風呂に入ったのも数日ぶりだったとはいえ、ここまで自分の姿が変わってしまっていたのか。

 体型も、かつて過剰なドーパミンを溜め込んでいた頃とはまるで勝手が違っていた。

 四肢を最低限しか動かさずに寝たきりだったことで、重度の肥満体型へと変貌を遂げている。肌はカサカサに乾き、髪はツヤを失って荒れ果て……かつて歌舞伎町でキャバ嬢をしていた頃の面影など、微塵も残っていなかった。

 

 ずっと天井だけを見つめ、精神を停滞させていたため、自分の肉体がここまで破滅的に変わり果てていたことすら気づいていなかったのだ。

 しかし、山田は深く絶望することはなかった。見方を変えてしまえば、今の自分をかつての「山田美咲」として認識できる者など、この世に一人もいないということだ。

 むしろ、この姿のほうが顔を隠す必要もなく、身軽に動けるのかもしれない。

 そう思い直すと、この変わり果てた肉体のまま活動を開始したほうが都合がいいとすら思えた。

 山田はそのままゆっくりと部屋の戸を開けた……。

 

 外に出た自分の姿は一見すると街を彷徨う浮浪者のようだが、歩いていくうちに少しずつ体を慣らしていけばいい。

 久しぶりに踏み出した2012年の歌舞伎町は、かつての喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 都市伝説として異形化しつつある「山田さん」を余計に刺激したくないのか、街を行き交う人の姿はまばらだった。

 そんな周囲の怯えなど、山田には一切関係がなかった。ただ静かに目的を果たすべく、街に存在する数少ない保育園を虱潰しに探していく。

 

 ……やがて見つけたその場所で、みいちゃんと同じく、この場にはあまりにも毛色の違う異質な人物が保育園の前にたたずんでいた。

 その人物は……実に奇妙だった。一見すると美しい女性のようにも見えるが、どこか立ち振る舞いや体格に男性らしさも同居している。不思議と、直感的に「両方なのではないか?」と納得させられてしまうような、境界線の曖昧な存在感。

 みいちゃんは、あの人物を好いている。

 そう考えた瞬間、胸の奥からどろりとしたもやが湧き上がり、脳内で再び大量のドーパミンが激しく渦巻き始めた。

 

「みいちゃんはあんな奴が好きなの……? みいちゃんは恋愛しようとしても大体うまくいかないんだから……私が見ておかないと……」

 

 ゆらゆらと幽鬼のような足取りでその人物に近づき、背後から一瞬で仕留めるべくナイフを振りかざす。向こうもようやく山田の気札に気づき、呑気に振り返った。

 

「やあ! 歌舞伎町に来たばかりで僕は何も知らないんだけどさ、ちょっと聞きたいことが……」

 

「死んでください、みいちゃんのために」

 

 山田は会話の余地すら与えず、殺意を込めて刃を突き下ろした。しかし——

 

「まあ、そんなつれない顔をしないで」

 

 その人物は何の焦りも見せず、その場の穏やかな雰囲気を一切崩さないまま、なんと指先一本で振るわれたナイフを軽々と弾き飛ばした。鋭い金属音が響き、ナイフが遠くのコンクリートへと転がっていく。

 あまりにも手慣れた無駄のない動き。だが、不思議とそこには山田に対する攻撃性や悪意のようなものは一切感じられなかった。

 歌舞伎町の人間では到底ありえない異能の領域。いや、そもそも人間なのかすら怪しい。

 

「まさか、またエレボス人のなりそこない……?」

 

 山田の呟きに、その人物は困ったように微笑みながら首を横に振った。

 

「うーん……少し違うね。なりそこないは僕が探してる相手で、僕の場合は初めての『完成者』らしいよ」

 

 その言葉で、山田の中で全ての辻褄が合わさった。

 先ほどの違和感は正しかったのだ。この人物は男でも女でもない……その両方を併せ持つ存在。一人で種を残すために生み出された新人類。だが自分と決定的に違うのは、目の前にいるのが不完全な歪みを持たない「完成品」であるということだ。

 

「僕の名前はアダザクラ・ブレドラン34世。僕はここでエレボス人の苦心作がここにいるって聞いて乗り込んできたんだ。戸籍とかは作ってないから本当に乗り込んだ形になるけど……なるほど、君か!」

 

 ——

 

「なるほど人体のうち大半がドーパミン! 確かにそれはエレボス人としては不完全とはいえるか」

 

 ついさっきまで自分は命を狙われていたのに、あの存在は平然と山田に話しかけている。

 自分はこんなやつに殺される心配などないという余裕が見て取れる、実際山田から見てもここまで厄介そうな相手は初めて見た、花火や水仙とはわけが違う。

 

「えっと……アダザクラ? 貴方はどんな風に細胞が……」

 

「ダザクでいいよ、そっちの方が呼ばれ慣れてるし……僕は男性ホルモンと女性ホルモンが半々なんだ、僕正直言うと人体の構造あまり気にしてないけどね」

 

「貴方、エレボス人を探していたって……じゃあなんですか、私に会うためにわざわざみいちゃんに近づいたの? 例の大総統から……」

 

「ここにそれっぽいのがいる、ぐらいしか聞いてないよ……そしたらこんな面白いものが見られて」

 

「今みいちゃんのこと珍獣って言ったか?」

 

「なんで君が珍獣って発想はないの?」

 

「あっそうか……今の私は大概そんなものか……それで会いに来て捕まえるんですか、みいちゃんと楽しく過ごしたい私を」

 

「いや……ううん、どうしようかな、本当に会いたかっただけだし、エレボス人が子供を産むってどんな感じかなって例の麻美子ちゃんも観察したかったし」

 

「観察? 麻美子を?」

 

「うん、エレボス人のなりそこないってだけでもびっくりだよ、僕の認識だとエレボス自体が相当癖のある怪人でなれる人も稀なのに……もしかしたらその頃にはまた怪人の専門家でもいたのかな? また別次元の……」

 

「……何? 貴方はただの野次馬?」

 

「うん、素直に言ってしまえばそうなるね」

 

 ダザクは本当にその通りなのか、言うだけ言ってのんびりした様子を崩さない。

 ドーパミンが出ていない時のやる気を出してなかった自分によく似ている、しかしあんなにめんどくさい感覚が続いた結果自分の見た目はこんなにかわり果てたというのに、彼……いや、彼女は全く変わっていないのが不思議なところだ、これも成功例によるものなのか?

 だが、まだ油断できない……こんな態度でもみいちゃんが今この人のことが好きなのは変わらないのだから。

 

「そういえば君ってどうして僕に会いに来たの? 探してる様子だったし、僕の事殺しに来てたもんね〜」

 

「そんなの……みいちゃんが、貴方のことが好きだからで、その……私がそれを許せなくて、だから」

 

「みいちゃん……?」

 

「この保育園に来てたじゃないですか……茶髪でちょっと背が低めで可愛い女の子、麻美子を迎えに行って……」

 

「ああ、もしかしてあの怪人の事を言ってうぐぅ」

 

 うぐぅでは済まない勢いで強く首を絞められるダザク、しかし山田の怒りは収まらずそのまま折ってしまいそうになるが鋼のように太く硬く、びくともしない。

 

「怒る気持ちは分かるけどね、見た目の問題じゃないんだ、エレボスって元は怪人を産む能力があるんだし、何をしたのか知らないけど君がみいちゃんと呼んでいるそれはもう怪人でね……」

 

「うるさい! あいつも含めてみいちゃんを化け物みたいに言うなんて許せない! お前が祐太郎を連れてきたのか、その逆か!」

 

「祐太郎……? 僕だって全部知ってるわけじゃないんだからちゃんと説明してもらわないと……」

 

「みいちゃんの父親名乗って……ほら! 『都市伝説』! 目立ちたがり屋とか言われてるヤツ」

 

「ああ……やっぱりまだあれいたんだしつこいなあ、僕の管轄外だよ、僕の時は『シャドウ』だ……つまりはまた奴か、どこ行ったの」

 

 目立ちたがり屋の話を聞いてから、ぐにゃりと関節を揺らして脱出し人が変わったように真剣なまなざしに変わる。

 その姿に山田も思わず手を放して驚くが、素直に全部話した、自分の素性を明かした後にやりたいことをやって満足したように消えてしまったと。

 それだけでダザクには「もう存在しない」と判断したのか、頭を抱える。

 

「そうか……彼、もうそこにはいないね、出来れば僕も殴ってやりたかったけどそれもかなわなさそうだ……だが」

 

「……だが?」

 

 

「あれ、もしかして知らない? もう一人、目立ちたがり屋と呼ばれるソレが現れた時……決まってもう一人現れる」

 

 ——

 

 そして同じ頃、桃花達の所に息を切らしながら一人の男が現れていた。

 極めてここで会いたくない相手だったのか、桃花は嫌そうにしている。

 この中で彼に会ったことあるのは桃花と、あとはちょっとだけ見たココロぐらいだろうか。

 その男の名は、十二郎……。

 

「お前生きていたのか……」

 

「生きてて悪かったな、おかげで色々思い出せたが」

 

 十二郎と桃花は互いににらみ合う、元々桃花が何かを知ってから率先して始末してしばらく見ていなかったと思えばこうして再開、こんなことならしっかり死体まで確認しておけばよかったと今更後悔している場合でもない。

 十二郎は桃花の事も気にせず自分の話をし始める。

 

「山田の記憶を取り戻したなら大丈夫なはずだ、俺は山田……いや、美咲に何があったのか思い出した、いいか」

 

 十二郎は突然、山田の将来について語り始めるがそれはココロからすれば理解できないものだった。

 山田はみいちゃんが亡くなった後にふさぎ込んで引きこもりになった後、みいちゃんを元にして漫画を作り『ミィミィの大冒険』がそこそこヒットして結構コミックスも出る漫画家になるらしい。

 しかしその間に山田はリバウンドと荒んだ生活を繰り返して痩せたり太ったりでボロボロになった末に最終回を描いてる段階でぶっ倒れて亡くなるという未来を思い出したという。

 

 

「……あのさぁ、それっていつの話?」

 

「えっと……8年くらい後? 打ち切りマンガにはなるがそこそこ人気あったみたいで……だからそうならないように……」

 

 十二郎がまだ話している段階だがココロは目を見開いて十二郎を見下すように、あふれ出したような叫びを放つ。

 

「8年……8年!? そんな長い間、私達は殺されないようにビクビクしながら長い人生を私に無駄にすごせって言うのおおおおおおおおおお!!?」

 

「いや、ほんと長すぎるよ? 私らもそんな悠長なこと言ってられる状態じゃないのよ8年ってさ、目立ちたがり屋が2~3回くらい現れて何かしら厄介起こせるくらいの時でさ、シリアルキラー相手に私達そこまで生きられないよ~」

 

 軽く言っているが人生を軽く棒に振ることになるのがココロの現状だ、たかが8年? 若者にとっての8年はかなり貴重な時間だ。

 それをただ山田が死ぬまで耐え続けろというのも酷な話であり、ココロの怒りも当然だった。

 

「……え? というか、シリアルキラーってどういうこと?」

 

 ただし、十二郎はまだ状況を理解してない。

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