その瞬間、ぼうっと……爪の間から排泄物がこぼれ、それが空気に触れて火の粉になった。
だがそれだけじゃない、ちょっと放つつもりだったのだがしばらく燃えまくっていた事もあってかその勢いはまるでバックファイア、軽く放った火の粉がこの環境で爆炎に変わり通りかかった人の顔面を粉微塵に焼き尽くしてしまった。
「あっ、しまった」
明らかに『しまった』で済ませていい規模ではないが、首から上がなくなったそれを後ろからぽいと投げ捨てたその人物が……この宮城に来た中で、未だにこの人に会うと思っていて結局ここまで会ってなかった女、今でも苦手な歌舞伎町の主。
花岡……桃花。
「モモさん……どうしてここに!?」
「どうしてっていうか、私しばらくここで住んでたんだよね~、色々しがらみを忘れてさ、田舎で気ままって言うのも憧れてさ」
桃花は燃え上がる背景には雰囲気が合わない態度でへらへらと笑っていたのだが、しばらくしてから氷のようにスンと冷たい顔に変わる。
完全に吹っ切れたのか、演じるのを辞めたのか、あるいは……山田という存在に完全に失望したのか。
「はっきり言うとさぁ、私は初対面の頃からお前の事が心底嫌いだったんだよね、山田さんはまだイジメがいがあったんだけどさ、お前はなんか気に食わないんだよ」
山田の記憶を認められない現実ごと消して、みいちゃんという痕跡から都合の良い思い出だけを拾ってすがろうとした、自分のものでもないのに……悪かったとは言わないが、美咲の中で尊かったものを独占し……あわよくばと己の人格さえも手に掛けた。
すると手がつけられなくなって、人の真似も出来なくなってからははどうだ……? 平然と他者というものを自分の人生の糧にしている。
愛していたみいちゃんでさえ、自分の人生を満足するための道具であり、幻想であり……自己認識を整えるための怪物として使っている。
自分もまた人間らしさを捨てるべきだったか、綺麗事かもしれないが……少しでも山田に対して情を感じたのが悪かったのかもしれない。
「……何? 貴方もママと同じで、私を殺すつもりなの?」
「2012年の歌舞伎町でお前はむちゃくちゃやりすぎたの、大人しくキャバ嬢戻るかみいちゃん抜きの人生を受け入れるべきだった……で、済むかどうかも分かんないんだけどさ」
「どうして……どうして皆、私とみいちゃんを受け入れてくれないの!? 私はただあの頃みたいに楽しく……」
「空っぽの胸のうちに問いてみろよ、化け物」
桃花は首筋に桃色の薬を注射器で打ち込んで首を鳴らしたあとに、無人となったスーパーに音速の蹴りをたたき込む。
「元々エレボス人は私達花岡家が作ったものだ、責任で言えばあのおばさんと同じくらい私にもあるわけだから……速めに死んでもらいたいんだよね」
「みいちゃんと私の邪魔をするやつは……死ね!!」
山田も炎細胞の使い方がわかってきた、炎で逃げ場を無くし孤立したスーパーで山田と桃花の戦いが始まる……!
桃花が首筋に薬を打ち込み、音速の踏み込みを見せた瞬間、山田の視界からその姿が完全に消え去った。
直後、正面にあったサービスカウンターと大型の金属製陳列棚が、まるで大型トラックに激突されたかのようにぐにゃりと歪み、凄まじい衝撃波とともに山田の頭上を吹き飛んでいった。
「くっ……!?」
山田は無我夢中で床を転がり、間一髪で圧縮された鉄の塊の下敷きになるのを免れる。だが、避けた先に立ち塞がっていたのは、既にそこへ移動していた桃花だった。
「遅いね」
桃花の短い呟きとともに放たれた蹴りが、山田の脇腹をかすめる。たったそれだけの掠り傷にもかかわらず、バットで殴りつけられたような激痛が走り、山田の体は横滑りしながら缶詰売り場の棚へと激しく衝突した。倒れてきた無数の缶詰が頭上から降り注ぐ。
「誰も彼も……みいちゃんと私の……邪魔を、するなあああっ!! だったら私だって……全て壊してやる、私の人生を阻害する全てを!!」
山田は血吐くような叫びを上げ、爪の隙間から滲み出る分泌液に意識を集中させた。激しい怒りに呼応するように爪先から勢いよく爆炎が噴出し、目の前の空間を赤黒く染め上げる。
しかし、山田の肉体は炎に耐性を持つ化け物のそれではない。放たれた爆炎の強烈な熱気が直撃し、山田自身の腕や顔の皮膚がジクジクと焼け焦げ、激痛が脳を突き刺す。
「熱ッ……ぎゃあああっ!?」
自ら放った炎の熱に悲鳴を上げる、花火でさえ分泌される廃棄物が燃えることに体がもたなかったのに娘も扱いきれるわけがない、しかし山田は狂気と執念だけでその手を桃花へと向け直した。勢いを増した火炎弾が、スーパーの陳列棚を包み込みながら直線的に桃花へ襲いかかる。
だが、桃花は眉ひとつ動かさなかった。
脚の筋力を爆発させた瞬間、彼女の体は重力を無視して垂直に跳ね上がった。超ジャンプによって一瞬でスーパーの天井付近まで到達すると、鉄骨のトラスを足場にして空中を蹴り、音速を超えるスピードで斜め上空から山田へと急降下する。
「炎が出せようが、この反応速度じゃこの速度には追いつけない……こんな時のために用意しておいた秘伝の極召喚法だからさぁ!!」
ドスンという重厚な破砕音とともに、桃花のかかと落としがスーパーのコンクリート床を深く穿った。山田は寸前で横に転がったものの、爆心地から放たれた衝撃波と瓦礫の破砕片が全身に突き刺さり、悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
飛ばされた先は酒類とスプレー缶の売り場だった。割れた瓶からあふれ出た高濃度のアルコールに、山田の腕から散った火の粉が引火する。
ボッ……!!
一瞬で激しい火柱が上がり、周囲のスプレー缶が次々と熱暴走を起こして爆発し始めた。連鎖的な爆音とともに炎の渦がスーパーの店内を飲み込んでいく。
「熱い……熱いよみいちゃん……! でも、負けない……あいつを殺す……!」
自らが招いた火の海の中で、山田の皮膚は赤く爛れ、呼吸するたびに灼熱の空気で気管が焼き切られそうになっていた。人体としての限界はとっくに迎えている。それでも、みいちゃんという幻影を失うことへの恐怖が、山田に死以上の動力を与えていた。山田は爛れた両手を叩き合わせ、身を削るような大爆炎を全方位へと撒き散らした、もはやみいちゃんがどこにいるのかは分からない。
「お前……本当にわかりやすいよ」
炎の壁が迫る中、桃花は冷ややかな瞳のまま、超パワーを込めた拳をストレートに突き出した。
「桜花一拳!!」
拳から生じた強烈な風圧が、目前の火炎の渦を物理的に押し返し、真っ二つに切り裂く。炎の隙間をすり抜けた桃花の拳が、山田の胸の中央に深々と突き刺さった。
「カハッ……!?」
肋骨が砕ける鈍い音が響き、山田の体は吹き飛んで鮮魚コーナーのガラス製ショーケースを粉々に砕き割った。氷と氷水、そして血の混ざり合った床に山田は突っ伏し、激しく血を吐き出す。
「これで終わり。長々と好き放題やってたみたいだけど理想の生活ごっこはここで積んだんだよ、山田さん、その体をあの世にいそうな元人格に返すんだね」
桃花がトドメを刺すべく、静かに歩み寄る。その足取りには一切の油断も、躊躇もない。
だが、その時だった。
外からの延焼と、店内で連鎖したスプレー缶の爆発、そして二人の激闘によって支柱を失ったスーパーの建造物自体が、ついに限界を迎えたのだ。
ギシギシと悲鳴を上げていた天井の鉄筋が歪み、巨大なコンクリートの屋根ブロックが、咆哮のような崩落音とともに二人と桃花の間に落下してきた。
轟音とともに土煙と火の粉が舞い上がり、二人の視界を完全に遮断する。
「チッ……崩れるか、これだから整備の域届いてないところは!」
桃花は咄嗟に後方へ超スピードでバックステップし、頭上から落ちてくる巨大な瓦礫を拳で砕きながら退避した。
瓦礫の向こう側で、ボロボロになった山田は意識が朦朧とする中、幻覚のみいちゃんが自分の手を強く引っ張っているのを感じていた。
「山田さん! 早く逃げよ! ここ、壊れちゃう!」
「みい……ちゃん……うん……逃げよう……一緒に……」
壊れたショウケースの氷水でわずかに火傷の熱を冷ました山田は、折れた肋骨の激痛に耐えながら、崩れかけたスーパーの非常口のドアを蹴破り、這い出るようにして外の火の海へと姿を消した。
煙が少し収まり、崩落した瓦礫の山の上に降り立った桃花は、非常口から伸びる血と煤の跡を見下ろした。追撃しようと踏み出しかけたが、スーパー全体が本格的に崩落を始め、激しい炎が完全に退路を塞ぐ。
「……しぶといね、本当。化け物になってまで、まだ逃げる気なの? 今更手遅れだというのに」
桃花は首を鳴らし、ポケットから別の煙草を取り出すと、迫り来る炎で火をつけた。深く紫煙を吐き出しながら、炎の中に消えた山田の去り際を冷たい眼差しで見つめ続けていた。
自分がやらなくても、もう少しすれば白革県の連中が来る、この場所を支配するために。
そして自分は仕留めきれなかった……薬だってずっと続くわけじゃない、2012年の歌舞伎町の管理者なんていくらでも代わりはいる。
自分は燃え上がり、崩落しかけたこの建物が墓場となるだろう。
山田だってあのボロボロの状態では燃え上がる外でまともに活動できないだろう。
命の終わりが近い、そういう時に景色がゆっくりとして見えるのが走馬灯というやつだろう。
従姉のことを思い出していた、女として生きることを強制された家系で、あの人は本当に男らしかった、男に憧れていた。
それでもなお、女らしい所もあったように見える。
あの時は馬鹿らしい……とも思った、そのしわ寄せが舞芸という形で自分に押し付けられたこともあった。
その一方で……自分の道を見られて割り切ったように見えるその人には尊敬もあったのかもしれない、今更だが。
「さくら姉ちゃん」
きっと、あの世にもあの人はいない。
そんな範疇に収まるような軽い人間ではない。
だが自分は結局掃き溜めの管理者で終わった、自分にヒーローなんて柄じゃないが、もしかしたら別の生き方も……。
「なーんてな、余韻に浸る暇なんかないってのこんな熱い中で」
「くたばれ、このマトモに生きようともしないクソ不真面目なクソ新人類共」
そう吐き捨てながらも、その顔は晴れやかだった。
縛られ続けて、自分や他者の為に能面のように笑い続けて、かりそめの箱庭の幸福を守る為に人生をかけて。
欺瞞の幸せを探していた女。
花岡桃花、ここに散る。
……
そしてスーパーから出られた山田、ただし桃花の思惑通りその身体はマトモに動けるものでもなく、みいちゃんに引きずられながら燃え上がる景色をなんとか歩く、本格的に逃げ道もなくなって大火災の中を歩いてゆく、当然道も無い。
山田がスーパーから這い出て、みいちゃんに引きずられるようにして燃え盛る商店街をさまよっていた頃。
燃え尽きたスーパーの裏手にある錆びた古い駐車場に、一台の黒塗りのSUVが音もなく滑り込んできた。
運転席から降り立ったのは、夜の帳が降り始めた火災現場の明滅する光の中でも、その美貌が陰ることのない一人の女性。黒革のジャケットを羽織り、鋭い眼差しで周囲の惨状を見渡している、桃花が予測していた通り遂に白革県から領土侵略の為にやってきた、本部の人間である。
「ここね、例の『2012年の歌舞伎町』から逃げ出してきたというの……」
その凛とした声に応じるように、助手席から降りてきたのは彼女の部下らしき屈強な男たち。彼らは手際よく炎の壁と瓦礫の合間を縫い、崩落したスーパーの内部へと慎重に突入していく。目的はもちろん、この事件の調査と……そしてニュースにもなる程に目立ちすぎた最重要参考人、『山田』の捜索だ。
そんなことは知らず、燃え盛る家電量販店の残骸の向こう、薄暗い路地裏から、まるで幽鬼のような姿がよろめき出てきた。
それは紛れもなく山田だった。桃花との壮絶な戦いで負った全身の火傷と打撲、そして満身創痍の肉体が熱風にさらされ、今にも崩れ落ちそうだ。
しかし、彼女の濁った瞳には、依然として一点の執着だけが宿っている。自分だけの『みいちゃん』が、必死に山田の腕を引いている。
「山田さん……早く……あっちに行こう……」
その幻聴に導かれ、山田はふらつきながらも捜査員たちとは逆方向を進む、しばらくすればこれからミサイルが飛び交い、戦争の火蓋が切って落とされる、こんな場所に留まれば間違いなく死亡確定である。
しかし、山田の脳内は熱で朦朧とし、迫りくる軍靴の足音など微塵も察知できていなかった、みいちゃんと一緒に居られるならそれで良かった。
「みい……ちゃん……待って……行かないで……」
山田が燃え盛る自動販売機の残骸に手をつき、必死に体を支えようとした、その瞬間。
すぐ傍を通り抜けようとした捜査員の一人が、ふと振り返った。燃え盛る炎に照らし出された山田の、泥と血にまみれ、爛れた顔を、そして虚ろな瞳で虚空を見つめる姿が、彼の目に映る。
「……隊長! 生存者一名、確認しました! こっちです!」
男の声が、火の粉が舞う中で甲高く響いた。
しかし、その呼びかけは山田の耳には届かない。
隊長と呼ばれた女性捜査官が駆けつけ、その酷たらしい姿に一瞬息を呑む。
山田は目の前に立つ、現実の救助者である彼女を認識することもなく、その焦点の合わない瞳を震わせ、ただ一つの名前を譫言のように繰り返した。
「み……い……ちゃん……」
女性捜査官は、山田のその痛ましい言葉と、この惨状を招いた原因の片鱗を悟り、眉をひそめて何かを決意したように頷く。
一方、当の本人である山田は、迫りくる軍靴の足音とミサイルの炸裂音が遠くから聞こえる中、みいちゃんに手を引かれるまま、深い深い闇へと引きずり込まれていくのだった。
自分はまだ、みいちゃんに夢見ることができると、信じていたからだ。
捜査官は燃え上がる大地から目を背けるようにして通信機から連絡を送る、その相手というのは大総統にだ。
「大総統様、特別地区建築予定地が火の海で……一名、重症ですが生存者を発見しました」
「……?」
『一名』、山田の耳にはそう聞こえた、それはつまり自分だけしか生きていない?
そんなはずはない、みいちゃん……今のみいちゃんは人によっては人間扱いが難しいにしてもだ、麻美子……自分の子供だって連れてきていたはずだ。
同窓会の頃から間違いなくずっと離さず守っていたはずだ、赤子のあの子はどこにもいかない、桃花と戦った時だって肌身離さず持っていたつもりだ。
「みいちゃん!? 麻美子!? どこ!?」
山田は錯乱したように辺りを見渡す、みいちゃんや麻美子に見立てたものが燃え落ちる、それはあまりにも無惨で……こんな世界……こんな現実……死んだ方がマシだと思えるほどに惨たらしい。
「さっきまで一緒にいたのに! みいちゃん!? 麻美子!? 返事をしてぇっ!!」
「落ち着いてください、怪我が酷くなる!」
「ふざけるなふざけるな!! 離せ離せ離せ!! みいちゃんも麻美子もどこに行ったの!? どこに行ったのぉ!!」
女性捜査官の拘束を振り解こうと必死になりながら山田は絶叫する、あの子達が死ぬはずはない、あの子達が死んでしまったら自分は何のために生まれたんだ?
全てが意味を成さなくなる、何もかもが消えてなくなってしまう、死んだほうがマシだと思えるほどの絶望、それこそが山田にとっては最大級の絶望であった。
今度こそ希望の灯火が完全に消えかかる、山田の中に巣食う執念という名の怨念、それはドーパミンをバッドトリップさせて彼女を怪物たらしめる毒に変わっていた。
「私の子供を返してよぉおおおおおおおおお!」
『こちら大総統シエル・ローレンス、状況はおおよそ把握した、通信機を奴に向けろ』
「え? ああ……はい?」
通信機の先から返事が返ってすぐに言われた通りにアンテナを山田に向けて突き出すと、その瞬間遠隔操作でアンテナが高速で射出されて一本の針のように山田に突き刺さる。
これがいわゆる遠距離通信針、一般的には高価な装備なので特別な任務の時以外に使用されることはない。
そして……針から強い刺激が流れ始める、山田の体中に神経を抉るように激痛が走った。
「い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!?」
『熊にもよく効く麻痺針だ、そいつは連行してホワイト・レボルシオン本部に送れ』
「え……でもこの人凄い怪我で……」
「好都合だ、連れて行くなら抵抗しない状態のほうが扱いやすい……それに……なにやらただごとではないようだしな」
そうして痙攣して目もろくに回らない状態で山田は白革県までいけどりにされる。
たった一人……結局ここまでの騒動を起こしておきながら、宮城に居た一同は山田を仕留めきれなかった。
悪運は常に主人公の味方をしている、幸運は味方しなくても……どうにもならない時の悪運、それは常に目立ちたがり屋とは関係ないところで作用する。
そうして同窓会は終わった、みいちゃんの地元は炎に包まれて……雨が振り、ようやく火の海は散った。
榎本親子だけが地底の奥深くで、遠く離れた土の中で眠り続けている……その先にあるのは、地獄だけだ。
燃え尽きた思い出、もう使えない街並み、残された黒い骨……。