十二郎もちょっと見ていない間に山田の変わり果てた姿にはちょっと困惑しているが、なんとか聞き返す。
「つまりアレなの? 君……みいちゃんのことが好きだったって確信に至れたわけで、えっと?」
「ああ大丈夫です言葉につまらなくても……言い換えると、私は性自認的にはノーマルなんだけど、みいちゃんだけが特別意識できるようになったというか」
「ぶっ!!! ごっ!! げぇっは!!」
「!?」
山田のカミングアウトでとんでもない勢いで少し後ろの客が咳き込むような音が響くが山田は振り向くに振り向けず十二郎と話を続ける。
その後ろにいたのは……。
「え……何? 何がどう思い出したら山田さんの性的趣向まで変わるようなことになるの? 一人だから特別セーフなわけないでしょ、それはもう既にレズビアン側よ!」
「まーまー落ち着きなよココロちゃん、私らは全然狙われる余地もないから」
「なんかその言い方ムカつくし……というか、私はもうキャバ嬢じゃないから関わってほしくないんだけど桃花さん」
「まさか社会科見学のノリでウチに関わったつもりです〜? もうアンタも飼育小屋のウサギって自覚を持ちなよ」
その後ろにいた人物こそ、記憶喪失の山田を部屋に導いた元凶、モモこと花岡桃花……何故か一緒に働いていたココロも同行させている。
表向きはEphemereのキャバ嬢、しかしモモの裏の顔はこの特別地区『2012年の歌舞伎町』を管理する大っぴらには語れない立場……もちろん山田のことも含めて、社会に馴染めない人間を隔離する以上、今回は直接監視する為にここまで来ている。
ココロを連れてきた理由は……もちろん彼女もここで住んでいる以上、マトモな生活を送る分にはかまわないがどこまでいっても無関係にはなれない思わせる……まあつまり、モモのいつもの可愛がりというやつである。
だがもう既にココロは山田の話す『みいちゃん』の話にうんざりとした様子を見せる。
「本気で言ってるの山田さん……本当のみいちゃんを見てるなら、恋愛レベルで意識するなんてありえないと思うけど……」
「そりゃ私達は本物のみいちゃんと一緒に働いて全部を見てきたけど、記憶喪失の山田さんからすれば断片的な所から都合良いところだけ引っ張り出されたパンダみたいなものだよ、そりゃ可愛いでしょうね」
「ああ……みいちゃんのどうしようもないところを知らないが故ね……まあ、私から見てもある意味ではお似合いみたいなところはあったけど……」
ココロから見た山田は……同類とまでは言わないが、確かにみいちゃんと仲が良いのも頷けるような一緒に立場の素質があったか、同じレベルまで落ちたかぐらいの人間らしい。
キャバ嬢だった頃に比べると記憶喪失になった後も含めて小太りになって、衣装も芋臭い雰囲気で女性としてなんというか、落ちた方だという。
それもみいちゃんと同棲したと知って納得したぐらいだ。
だが今の山田は見た目が急に変わる事はないものの少しだけあの頃に変わった気がする……しかしココロは見るだけ見て席を立って離れようとする。
本当に関わりたくないようだ。
「私もう面接も済ませて普通の会社に入る予定なの、貴方達とは違う世界に生きているの」
「へぇ……こんな歌舞伎町に来たくせに? どうせ自分より下の人間を見下したくて、気がつけば同じ穴の狢に落ちたくせに?」
「くっ……私は貴方みたいな夜以外に暇してるような人達とは違う! 違うんだから!」
そうしてココロは去ろうとする、モモは自分の別の立場を明かしてないしそれを自慢する気もないがそういう態度には少々苛立つことも……ない、むしろ面白い。
この場所に居る時点でどう足掻いても社会の問題児のレッテルから逃れられないしモモなら知っている、ココロがどんな理由でこの歌舞伎町に来たのかも……ここに入った物は這い上がる事さえ出来なくなる蟻地獄そのものであることも。
クズはクズなりに、その場所に適応した生き方をしている物だ、彼女が表はあらゆる権限は放棄したキャバ嬢をやっているのもそういう所がある。
が、今はココロよりも山田の事だ、見てみたらまだ欺瞞としか思えない都合のいいみいちゃん像に恋して酔いしれている姿は実に滑稽で面白いオモチャである。
(山田さんが思い出す直前、何も知らないでみいちゃんを好きになってたと気付いた時どんな顔するのかなぁ)
みいちゃんと同棲しているとココロから聞いた時、間違いなく大きなトラブルを引き起こして二人は壊滅的な破局を迎えた事は間違いない。
それが原因でみいちゃんが宮城に放流されたことは仕事としては見過ごせないので、何も知らない今の山田に尻を拭かせてちょうどいいカバーストーリーを作ってしまえば不穏因子は途絶える。
……もちろん、この間に問題が無いわけでもない。
意図的にみいちゃんに関して十二郎もモモもぼかしている部分があるからだ。
山田がそれを察していないわけもない。
「あっ、すみませんみいちゃんの事を色々思い出してからつい誰かに語りたくなって……」
「いや、まぁ……別にいいよ、そっちが機嫌よくなったなら、それでこれからどうする?」
「……実はEphemereの人から興味深い話を聞けたの、それなんだけど……」
「みいちゃんって彼氏がいたんだよね?」
今確かに『彼氏』のところだけ並々ならぬ圧を感じたのは気の所為ではない、間違いなく気の所為ではない。
モモから聞いたみいちゃんの彼氏、凄い断片的なものではあるが頻繁に暴力を振るっていたという話であり、十二郎もそれだけ聞いて悩んだあとにすぐに答えを出す。
「そうだな、確かに実衣子には以前から彼氏がいたな、お金を渡さないとすぐに手を出すような奴だったらしい」
「そうか、それでみいちゃんはEphemereに……その人はどうなったの? 私と同棲なんて出来たけど」
「現在……行方不明だ、だから実衣子の死には関与していない……桃花に会ったならこの歌舞伎町のことは知ってる体で話すが、基本的にここに来た奴は出られない、矯正施設じゃないんだからクズは一生クズなままのスタンスだからな」
「……歪ですね、モモさんならありえそうだけど」
山田の考えに対して、十二郎は眼差しをこちらに向けてくる。
「花岡桃花をあまり知り合いみたいに言うんじゃない、あれは俺の知っているモモと……あるいは、かつてお前が知るモモとも違う」
「どういうこと?」
「成りかわり……なんて言葉を使うと大袈裟かもしれんが、彼女はいつの間にか俺の知ってるモモじゃなくなった、少なくとも、Ephemereにいた頃のモモはすでに消えたのだと考えている、そして……そのモモも含めた、Ephemereという店そのものが本来の姿から消えたと考えた方が良い」
山田は十二郎から語られるモモとEphemereの話を聞く、元々この歌舞伎町は特別区画……そこが切り離される前まではこの歌舞伎町は普通の新宿区だったが、十二郎の認識ではいつの間にかこの歌舞伎町が2012年の環境を再現したものとして作られたことになっている。
つまり、今でこそ歌舞伎町は特別区域となって隔離されているが、Ephemereという店は更にそれ以上に大きな変化をおよぼしている、それは現在の花岡桃花が動きやすい環境を整えるためか、それとも私欲か。
気になることは多いが山田もまだ気になることが出来た、家にあった缶からメモの山を見せる。
もしかしてこれも何か細工されているんじゃないかというものであり……十二郎もそれで間違いないと判断した。
「実衣子は簡単な漢字も読めない、それなのに約束事項のように沢山書かれたメモは途中から漢字だけになってる、そもそも実衣子が自分で書くぐらいなら、代わりに相手がいるはずだ、お前がそこまで配慮が無いように思えるか?」
「なるほど……確かに」
「この筆跡が誰なのか探れば、実衣子の最後が分かるかもしれないな、ああでも、これだけの文章を書くのが得意な知り合いに心当たりはあるけどな」
そう言われて山田の頭によぎるのは当然あの人だった。
「モモさん?」
「花岡桃花とは筆跡が違うし、何よりもあいつは家に入るまでの交友関係はない……もっとお前に近い奴はいないか? それでいて鬱陶しいと思っているような奴」
そこまで言われて……心当たりしかない。
「私の母親……いや、そもそもあれは本当に母親なの?」
「残念だけど正式に母親だ、血縁関係も証明されてる……それにあの人は正式にこの街の移住権を持ってないから宮城には行けるか」
「移住権? ……でも、みいちゃんは故郷に帰れたんだよね?」
「ああほら、あいつマイナンバーカードとかそういうタイプの持ってないし……むしろあいつがやらかしたせいできっちりするようになったというか」
「みいちゃん一体どんな失敗したんだろう……じゃあそうか、私が宮城に行くことも難しい形?」
「まあそうだが、無理に行くこともない……ここにだって敵は山ほどいるし候補も多い、なんかあった後に宮城に捨てられたって線もあるだろう……ただ、あの家はあまり行かないほうがいい、あの母親に一生絡まれるぞ」
「絡まれるって……あの人ヒマなのかな……今回も色々ありがとうございました」
「まあうん、大半お前がみいちゃんトークしてただけなんだけどな……それで、この後どうする?」
「……少し危険だけどまた夜にEphemereの方に侵入してみます、みいちゃんの情報を少しでも得るために……」
「それまでは?」
「漫画を描きたい、皆がみいちゃんのことを忘れないように……みいちゃんという人の思いを漫画にする、漫画に出すって約束もしたからね」
「へぇそりゃ結構」
こうして山田と十二郎は別れることになるが、十二郎は何かに気づいて後ろを見る。
「大学と就活は!?」
「それもちゃんとやる!」
モモは二人が別れたのを見て追いかけようとするが肩を掴む者がいる……それは、モモにとっても意外なことに……山田の母親であった。
いつから山田の話を聞いていたのかも分からないが、少なくともココロが逃げ出したあとにモモにも気付かれないレベルで潜伏していたようだ。
「貴方……聞いたわ、『花岡』って苗字なのね」
「へえ……もしかして奥さん、あの世代だったんですかぁ〜? 生で見れるとか感激です〜」
明らかに人間以上の敵意を向ける山田ママ、それに対して全く怯える様子もなく煽ってみせるモモ。
そんなことなど全く知らない山田。
この歌舞伎町はまだまだ知らないことが多すぎる。
——
「すっ……凄い、何日もかかるものだと想定してたのに! 一晩で18ページも書けた! 現実離れしてる!」
机の上に散らばった原稿用紙を見つめながら、山田は思わず感嘆の声を漏らした。
鉛筆だけの粗いラフ画とはいえ、集中を切らすことなく一気に描き上げた読み切り漫画。ページ数を数えてみれば、実に18ページにも及んでいた。
題材にしたのは、もちろんみいちゃんのことだ。
社会の「普通」から弾き出され、人並みの生活すら満足に歩めない二人が、不器用ながらも必死にささやかな幸せを求めようとする物語。原稿用紙に向かっている間、外の景色がすっかり夜の闇に包まれるまで殆どの時間が潰れてしまったが、山田の胸に後悔の念は一切なかった。
(自分にも、できるかもしれない……)
何より、創作を通じて自分の可能性を実感できたし、脳裏に浮かぶあの笑顔──夢や幻像の中で見せてくれたみいちゃんの眩しい笑顔が、完成した原稿を見て「山田さんすごい!」と褒めてくれているような気がしてならなかった。
だが、描き上がった原稿を最初からじっくりと読み返していた山田は、ふと手を止めて首をかしげた。
(ただ……こっちのみいちゃんはなんか……こう、欲望に忠実過ぎた?)
創作というものは、意識せずとも自分の本能や内面がそのまま形になってしまうものだという。しかし、実際に紙の上に書き記してみると、山田の記憶や想像を超えて、どこか妙に欲望に素直で変わったキャラクターになってしまっていた。
己の深層心理に少し気まずさを覚えつつも、山田はペンを置き、静かに息を吐き出した。
漫画を描き進められた達成感とは裏腹に、みいちゃんの死に関する真相解明という点においては、今日という一日で得られた情報は決して多くはなかった。
頭の中で、今分かっている不穏な事実と疑問が交錯する。
一度この歌舞伎町に移住することが決まった人間は、二度と外の世界へ出ることができないということ。
そして、かつてみいちゃんに暴力を振るっていたという彼氏の存在と、彼が突然「行方不明」になっているということ。
本来ならば出られないはずの閉ざされた場所で、なぜ人が突然姿を消してしまうのか? 何が起きて行方が掴めなくなるのだろうか。
聞いてみれば、みいちゃんがこの歌舞伎町から脱出できたのも、ほとんど奇跡のようなものだ。
最初は、記憶を失う前の自分が知恵を絞り、みいちゃんに色んなことを教えて外へ逃げるよう誘導したのだと思っていた。
だが、あの部屋を改めて調べてみたときに覚えた、あの不気味な違和感。
みいちゃんは簡単な漢字すら読むことができないのが事実だ、自分宛ての手紙すらまともに文字が書けなかった以上、読むことも難しいことは分かっている。
山田がみいちゃん宛に残したメモには普通フリガナを振っていたはずなのに、部屋に残されていたメモの幾つかは、ただ漢字で書かれているだけでみいちゃんが読むには適していないものだった。
同棲までしていながら自分がそんな配慮に欠けることをするなんてありえない。
つまりあの部屋には、自分やみいちゃん以外の「誰か別の人物」の思想や意図が介入し、誘導されていた感覚があった。
この家の一部には、既に何か細工が施された跡がある。ここに留まり続けること自体、危険な気がしてならない。
どうにかして、この歌舞伎町から出ることはできないのだろうか……?
(……もしかして、私も行けるんじゃないのか?)
ふと、山田の脳裏にひとつの閃きが走った。
他の人間が出られない中で、なぜみいちゃんは故郷へ帰ることができたのか?
みいちゃんは元より保険証などの類を持っておらず、恐らくこの特別地区でそういった身分を証明するような証を貰っていない形だったのだろう。
それで言えば、記憶を失った際に身分を表すものがすべて無くなっていた今の自分でも、遠くへ行ける可能性はあるのではないか?
そう考えはしたものの、そもそもどうやってみいちゃんは宮城に帰ったのだろうか? 東京からそこまで離れているわけではないとはいえ、電車を必要とする距離だ。隔離された特別地区に、そういった乗り物が通っているのだろうか?
疑問は尽きないが、山田の決意は固まった。
(……明日、この歌舞伎町から出てみよう、そして宮城に行ってみいちゃんの地元で情報を集めるんだ)
この場所を抜け出し、みいちゃんが死んだ場所へ向かう。
それを新たな目的として行動することを心に決めた。
だが……まだ気がかりなこともある。
実の母親の存在だ。先ほどの漢字だらけのメモの件も含めて、みいちゃんのことで現状一番怪しいのが彼女だった。
彼女はこの街の移住権が無いと言っていた。つまりは以前からこの歌舞伎町と本当の住処を頻繁に出入りしていることになる……恐らくは自分に会いに行くために。
その上で、この場所を出る際の懸念点がひとつあった。
……自分は元々どこに住んでいたのだろう?
もしも万が一、みいちゃんと同じ宮城だったとしたら──?
——
翌日、決行はまた夜に行うことにした。
止める危険性があるものでいえばモモさんだが、夜なら彼女はキャバクラで働いているのでこちらに構っている暇はなくなるはず。
昼は普通を装って、十二郎と話し合いながら、少しずつこの街から逃げ出す計画を練っていく。
まずは移動手段だ、この歌舞伎町から出るにはどうすればいいのか?
駅はちゃんとあるようだが、やはり普通は電車が通っていない様子だ……しかしおぼろげながらなんとなく思い出してくる、みいちゃんはこれに乗って出ている。
この地区を外れる電車が極端に少ないのも理由かもしれないが、山田にも確実性の高いルートが確立しつつある。
その日も、またEphemereにトイレからでも侵入する必要がありそうだ。十二郎からは止められそうだが、今回はどうしても向かわなければならない。
「ごめん十二郎さん、Ephemereには行くから」
「おい……桃花に捕まったときを忘れたか? 何も起きなかったからよかったが、桃花以上に万が一の場合、最悪殺されるかもしれないってこと、ちゃんと理解してるか?」
「分かってる、だからこそ……私の命、賭けてみたいんだ」
山田のその真剣な表情を目にした瞬間、十二郎は言葉を飲み込んだ。
その顔には、これまでのような軽薄さや迷いは微塵もない。目の輝きは、決して揺らぐことのない覚悟を示していた。
「……それなら、せめて連絡先でも交換しておくか、何かあったときのために」
「うん、何かあったときには連絡するから……」
——
そうして裏路地を通ってまだお昼、開いてもないキャバクラに入り込むと……奥で明かりがついており人影もある、すぐ近くに誰かいるのかと人に見つからないような隙間で耳を澄ませると、それは……。
「へぇ〜、花岡家に食いつくと思ったらやっぱり年齢的にあの世代?」
「……ただ、その時代に生まれてきただけとは誤魔化さないわ、確かに私が若い頃、あの事件が起きていた」
(……あの事件?)