『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
「敵の目的は、五条悟の封印です」
「……は?」
俺の言葉に、猪野さんが思わず声を漏らした。
伊地知さんも目を見開く。
「五条先生を?」
「はい」
「……ありえないだろ」
眉間に皺を寄せた伏黒の声は低かった。
この世界を生きる者であるからこそ、否定の声が漏れるのは当然だった。
五条悟は、現代の術師の中では間違いなく『最強』。そんな存在が封印される未来なんて、天地がひっくり返っても想像できるはずがない。
けど、あり得ないことが起こるのが、現在進行している
この渋谷事変だ。これを起点に多くが死に、多くが壊れ、癒しきれない傷跡を残す。
伏黒恵の姉──伏黒津美紀が死ぬ原因も、元を辿れば今この時だ。羂索が成長した《無為転変》の術式を抽出して取り込まなければ、死滅回游は起こらない。
けれど、その中にあって、七海さんだけは表情を変えなかった。否定も肯定もせず、ただ続きを求めている。
「方法は?」
「《獄門疆》というルービックキューブ大の特級呪物が使われます。ただ、いきなりそれが五条悟の前に出されるわけじゃありません」
七海さんは何も言わない。
「まず、大量の一般人を地下へ閉じ込め、五条悟だけを呼び込みます。今も《帳》際で一般人に『五条悟』と叫ばせ続けているのが、その仕込みになります。地下に降りたそこへ、漏瑚、花御という二体の特級呪霊、脹相という受胎九相図の受肉体をぶつける」
「五条先生を三体で倒すつもりか」
「違います。万全の五条悟なら、いかに特級呪霊だとしてもその三体では足止めにもなりません。なので、倒すことが目的じゃありません。一般人を盾にして、五条悟を好きなように戦わせない。その戦い方を強要し、消耗させる」
伏黒の眉間の皺が深くなる。
「漏瑚と花御は《領域展延》を使います。《無限》を中和して、五条悟へ直接触れるための手段です。脹相も一般人の中から攻撃する。五条悟が広範囲をまとめて攻撃すれば、周りの一般人まで巻き込むように立ち回る」
「……人質を盾にして、動きを縛る」
「はい。呪力切れを狙う、という話じゃありません。六眼を持つ《無下限呪術》使いに現実的な話じゃない。だから、一般人を守るための判断と戦闘を同時に強制して、休む間を与えない」
猪野さんの表情から、さっきまでの驚きが消えていた。
代わりに、話の内容を頭の中で組み立て直しているような険しさが浮かんでいる。
「お話中のところ、すみません。七海さん」
伊地知さんがスマートフォンから顔を上げた。
「学生証に記載されている高校ですが、学校自体は実在しています」
「分かりました」
「今確認できるのは、そこまでです」
「十分です」
七海さんの視線が俺へ戻る。
「続けてください」
「はい。その途中で、改造人間を生み出す特級呪霊──あるいは『ツギハギ顔の呪霊』の方が馴染みがあるかもしれませんが──真人が明治神宮前から大量の改造人間を電車で渋谷へ運び込みます。地下にいる一般人の中に放って、今度はそっちの対処まで押しつける」
俺の知っている流れでは、それでも五条悟は敵を圧倒する。
一般人を巻き込まないために、ごく短時間だけ領域を展開し、そのあと大量の改造人間を自分で処理するところまでいく。
そこまで消耗させて、ようやく敵は本命を切る。
「そして、その直後です。《獄門疆》を開門します。封印の条件は、対象を半径四メートル以内に一分間留めること。ただし、現実での一分じゃありません。対象の脳内時間で一分です」
「脳内時間?」
「はい。だから、五条悟を実際に一分間その場へ拘束する必要はありません。特級呪霊をぶつけるのだって、その一分間を作るための下準備でしかありません。そして、『夏油傑』の姿をした人物が五条悟の前に現れます」
七海さんの表情が止まった。
ほんの僅かな変化だった。それでも、それまでほとんど表情を動かさなかっただけに、その名前が持つ重さは推し量れた。
「夏油傑本人じゃありません。夏油傑の遺体を使って、成り代わっている別人です」
七海さんは何も返さない。
「額に縫い目があるはずです。そいつが《獄門疆》を持っています。死んだはずの存在を目の前に出して動揺を誘い、その間に封印の条件を満たす」
沈黙が落ちた。
伏黒も猪野さんも、さっきより強く俺を警戒している。
当然だと思う。素性もろくに確認できない男が、敵の計画をここまで具体的に話している。
怪しさだけは、幾重にも積み重なっていた。
「その情報を、どこで知ったんです?」
背筋に氷を刺し込まれるような声だった。
「……魂に刻まれた記録、みたいなものです」
「魂? 記録?」
伏黒が眉を寄せた。
「はい。俺自身が経験していないことを、知っています。この渋谷で起こることも、その中にありました」
適当なバックストーリーをでっち上げることはしない。七海さんや伏黒相手に嘘を貫き通せる自信はないし、ただでさえ不審がられている中で、それが露呈した時に取り返しのつかない事態に成りかねない。
そして、きっとこの方が前世だのマンガだのと話すより、通りが良い。そう思った。それだけだ。
「未来予知ではありません。今ここで未来が見えているわけでもないです。これから先、本当に俺の知っている通りになる保証もありません」
「それを、私たちに信じろと?」
「いいえ」
すぐに首を振る。
「今の話を全部信じてくださいとは言いません。俺には証明できませんから」
今確認できたのは、学生証に書かれた高校が実在することだけだ。俺が本当にその高校の生徒なのかまでは、この場では裏を取れない。
まして、俺がどうしてこの先を知っているのかなんて、確かめようがない。
「でも、《獄門疆》と夏油傑のことだけでも、五条悟に伝えてください」
「なぜです?」
「俺が嘘をついていたなら、五条悟が存在しない罠を一つ警戒するだけで済む。でも、本当だった時、その結果は不可逆です。多くの人が死にかねない」
七海さんは答えない。
「信じるかどうかは、五条悟自身に判断してもらって構いません。俺がお願いしたいのは、情報を本人まで届けてもらうことだけです」
数秒。
七海さんの視線が俺から伊地知さんへ移った。
「伊地知さん」
「はい」
「五条さんへ連絡を。繋がり次第、こちらへ」
「分かりました」
伊地知さんが学生証を持ったまま、スマートフォンを操作し始める。
「その間に、続けてください」
七海さんの視線が戻ってくる。
「あなたが知っていることを、重要だと思う順に」
「分かりました」
五条悟へ繋がるまでの時間を、無駄にはできない。
「五条悟の封印に関することで、おそらくもっとも重要なのは改造人間を渋谷駅に入れないことです」
「理由は?」
「五条悟を一番消耗させるのが、真人が連れてくる大量の改造人間だからです。改造人間一体一体に遅れをとる五条悟ではありません。ただ、あの状況ではその物量が問題となります。五条悟に対しては無力でも、その周囲にいる一般人には十分脅威となり得る。一般人を切り捨てられない五条悟は、領域展開を切らざるを得なくなる。それが五条悟を一気に消耗させ、《獄門疆》による封印という最悪の結末を招く。俺の知る限り、あれが来なければ五条悟が敗れる要素はありません」
七海さんは黙って聞いている。
「真人は明治神宮前から、改造人間を乗せた電車で渋谷へ来ます。だから、それより先に明治神宮前へ術師を向かわせてください。真人を倒せなくても、渋谷へ向かわせなければいい」
「輸送そのものを止めればいい、と?」
「はい。改造人間を渋谷へ来ないようにする。それだけで、五条悟を封印するための手順は破綻するはずです」
全ては五条悟が封印されるから起こり得る悪夢だ。そのきっかけを潰せば、夏油傑──羂索の企みもほぼ潰えたと考えて良いはずだ。
「こちらについては、今すぐにでも動いた方がいい。明治神宮駅にも一般人を閉じ込める《帳》が降りたら、もう手遅れになります。それはつまり、真人が侵入したということ。改造人間がつくられ始めたということに他ならない」
渋谷駅に発出する列車に、必ずしも真人が乗っている必要はない。相当数の改造人間が放出されるだけで、五条悟にとってほぼ詰みのような状態になるはずだ。
だから、そうなる前に対策を取る。取れるだけの情報を共有する。それが今俺にできる最良だった。
「七海さんたちがここにいるということは、虎杖悠仁と冥冥、憂憂班も来ていますよね? 《無為転変》の効かない虎杖悠仁を向かわせて欲しいです──」
「……繋がりました」
伊地知さんの声が入った。
身体に力が入る。
七海さんが、スピーカーに切り替えられたスマートフォンを受け取った。
「五条さん。七海です」
『どしたの?』
「情報源と信憑性は、どちらも未確認です。ただ、無視した場合の影響が大きい。そう判断しての連絡です」
一拍。
『聞くよ』
「敵の目的は、あなたを《獄門疆》と呼ばれる特級呪物で封印することだと、情報をもたらした者は言っています。そのための具体的な計画についても、情報があります」
『続けて』
「敵はまず、大量の一般人を地下へ閉じ込め、その状態で特級呪霊との戦闘を強制する。一般人を盾にして行動を制限し、さらに大量の改造人間を明治神宮前から列車で送り込むことで、戦闘と一般人の保護を同時に押しつけ、あなたを消耗させる」
七海さんは淀みなく続ける。
俺が話した情報が整理され、必要な部分だけが五条悟本人へ渡っていく。
「その後、《獄門疆》であなたを封印する。封印の条件は、呪物の展開後、半径四メートル以内の対象に脳内時間で一分以上の経過を体感させる。その一分を作るため、夏油傑──の遺体を使って成り代わっている人物が、あなたの前に現れる可能性があります。額に縫い目があるようです」
電話の向こうから返事はない。
「もう一点。特級呪霊は《領域展延》を使い、《無限》を中和して接触する手段を持っているそうです。加えて、大量の改造人間の輸送を止めることが、あなたの封印阻止の上では最優先であろう、とのことです」
数秒。
『……なるほどね。念のため、改造人間の輸送阻止の件はそっちに任せるよ。上が何か言ってきてもやっちゃっていい』
「わかりました」
『それと、情報提供者はそこにいるの?』
「います」
『代わって』
七海さんが俺を見る。
「五条君」
「はい」
「話してください」
七海さんがスマートフォンをこちらに向ける。
今度は俺が話す番だった。
『名前は?』
「五条若菜です」
『……五条?』
「はい。母方の姓が五条です」
『そ。若菜君ね』
それ以上、五条悟は俺の苗字について触れなかった。
『話は聞いた。全部信じたわけじゃないけど、警戒はしておくよ』
「……お願いします」
『残りは七海たちに話して。必要な情報は回してもらうから』
「はい」
それで十分だった。
『あと、若菜君』
「はい」
『終わったら君のことも聞かせて』
「分かりました」
『じゃあ、また後で』
通話が切れた。
自分でも気づかないうちに止めていた息を、ゆっくり吐く。
伝わった。少なくとも、五条悟本人にまで、封印に関わる警告は届いた。
あとは、この情報が未来を変えてくれることを願うしかない。
◆
そのあとも、俺は覚えている限りのこと、対策を話した。
明治神宮前駅については、一般人を閉じ込める《帳》とは別に、術師の進入を妨げる嘱託式の《帳》があること。その基を守る蝗害の呪霊のこと。
真人がことを起こす前にたどり着ければ、少なくとも真人の足止めと、一般人を救出して改造人間の元種を周囲から排除すること。
その先で夏油傑を騙る者と遭遇した場合、特級特定疾病呪霊『疱瘡神』が嗾けられる可能性があること。呪霊操術以外の術式と、その閉じない領域。
渋谷に新たに術師を入れない《帳》が降りた場合、嘱託式の基が渋谷Cタワー屋上にある可能性が高いこと。それを守る呪詛師たち。禪院甚爾というフィジカルギフテッドの男が降霊され、暴走する可能性があること。
《帳》の外で補助監督を狙う呪詛師と、暗躍する氷凝呪法の使い手。
特級呪霊『陀艮』。呪胎で祓えなければ海を模した領域を使い、七海さんを含め、窮地に陥ること。最悪、禪院甚爾が乱入しなければ、全滅があり得ること。
そして、虎杖悠仁が行動不能になった時、宿儺の指を大量に取り込まされ、渋谷が壊滅する危険があること。
他にも重要な情報を開示し、その上でどこで、いつ、誰が相手をするのかまでは保証できないとも伝えた。
一通り話し終えると、今度は七海さんから俺自身について確認された。
友達と渋谷へ遊びに来ていたこと。その途中で改造人間に襲われ、《蒼》で倒したこと。負傷した友達を反転術式で治療したこと。《蒼》も反転術式も、使ったのは今日が初めてだったこと。六眼はなく、《帳》の向こうにいる友達を守るために今も《無限》を広げたままにしていること。
そして、《無限》を見せた。
それで、何かが証明されたわけじゃない。
俺が何らかの術式を使っていることと、さっきまで話した情報が正しいことは別の話だ。七海さんも、そこははっきり分けていた。
俺の術式については後で改めて確認することとなり、情報は必要な範囲で各班へ共有し、今後確認された事実と食い違えば扱いを変えることを約束してくれた。
それで、構わない。俺の知っている未来を、そのまま正解だと思われる方が怖かった。
だけど、そこまで情報を呑んでくれると思わなかったのも事実だった。
「七海さん」
「何ですか?」
「もし、俺に何かあった時は《帳》の中にいる六人をお願いします」
七海さんは一度だけ俺を見る。
「一般人の保護は、あなたに頼まれなくても我々の仕事です」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
「あなたは友人たちのところへ戻ってください。ここから先は、我々が確認します」
淡々とした声だった。
でも、それだけで胸の奥が、少しだけ軽くなる。
《帳》が降りてからずっと、俺だけがこの先を知っていた。だから、俺が何とかしなければと思っていた。
でも、違う。俺が知っていることを、俺よりずっと戦える人たちへ渡せばいい。
俺には俺の、やるべきことがある。
喜多川さんたちを、守ること。
そこは変わらない。でも、俺しかいないわけじゃなくなった。
顔を上げて、《帳》へ向き直る。
喜多川さんには、必ず戻ると言った。
俺は、目の前の黒い膜へ足を踏み入れた。