『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
ぞわりと、背筋を冷たいものが走った。
「ッ──」
「ごじょー君?」
強張る身体に、隣から喜多川さんの声がした。
返事をするより先に、顔を上げる。未だ喜多川さんたちの退出を拒む、一枚の《帳》。そのさらに向こうから、これまで感じたどの呪力とも比べものにならないものが噴き上がった。
大きい。けれど、それだけじゃない。
呪力を感じ取れるようになって、まだ大した時間も経っていない。それでも、これは分かる。ただ強いんじゃない。まだ姿すら見えない。距離だってある。なのに、殺されると、身体の方が先に理解してしまう。それほどの禍々しさ。
息が浅くなる。喉が強張る。
七海さんたちの呪力とは、まるで違う。そこにいる。ただそれだけで、全身が「近づくな」と訴えてくる。理屈より先に、死ぬと分かるような呪力だった。
こんなものを持っている存在は、おそらく一人だけだ。
──両面宿儺。
宿儺が出ること自体は、おかしくはない。最悪のひとつではあるけれど、原作の渋谷事変において既にその場面は描かれている。
だから、虎杖が大量の指を飲まされ、許容値を超えて宿儺に主導権を奪われる。そこだけを切り取るなら、俺の記憶と大差ない。けど、問題はそこじゃない。
本来の流れでは、渋谷駅周辺以外でこんな呪力が立ち上ることはない。時間も、場所も、噛み合わない。
頭の中に、七海さんたちへ話したことが次々と浮かぶ。
五条悟の封印。改造人間の大量輸送。宿儺の顕現。
俺が話したから、高専側が動いた。高専側が動けば、当然羂索側だって同じ手を続けるとは限らない。
味方が変われば、敵も変わる。
その結果、本来とは違う場所で、本来とは違うタイミングで宿儺が現れた。
もしそれが繋がっているのなら、俺が渡した情報が、巡り巡って宿儺の顕現にまで影響した可能性はある。
あくまで可能性の話。でも、確かなのは一つ。俺が知っていた渋谷事変から、もう外れている。原作を知っている。だから、このあと何が起きるかも知っている。そんな考え方は、もうできない。
手元に残ったのは、宿儺がどういう術式を持っているのか。それだけだ。
その時だった。
「ごじょー君、あれ!」
喜多川さんが《帳》を指差した。
通りを塞ぎ、ビルの間を埋めていた黒い膜が、上から夜の空に溶けるように薄れていく。
「消えてる!」
「マジで!?」
「じゃあ、もう外出られるってこと!?」
菅谷さんたちの声が一気に弾む。
黒い膜の消えた場所では、一人の男が恐る恐る手を伸ばした。今度は、押し返されない。そのまま、一歩向こう側へ踏み出す。
「出られる……! 出られるぞ!」
その声をきっかけに、張り詰めていた空気が目に見えて緩んだ。
本当に、《帳》が消えていた。閉じ込められていた街が、開いた。
男に続いて、一人、また一人と外へ踏み出していく。歓声が上がり、笑い声や、ほっと息を吐く声があちこちから聞こえた。さっきまで行き場を失っていた人の流れが、今度は開けた先へ動き始める。
ずっと閉じ込められていた人たちが、ようやく外へ出ていく。
菅谷さんたちの表情も明るくなっていた。喜多川さんも、周囲につられるように口元を緩めていた。
俺だって、本当なら一緒に喜んでいたと思う。あの呪力を感じていなかったなら、身体の奥に残ったこの嫌な感覚さえなかったなら、《帳》が消えたことをただ素直に喜べたはずだ。
でも、どうしてもそうは思えなかった。
終わった気が、まるでしない。
胸の奥に残っているのは、安堵よりも、先の見えない不安の方だった。
素早く思考を巡らせる。
どっちへ逃げる?
北は駄目だ。あの呪力の主がいる。
南へ戻れば渋谷駅。スクランブル交差点、109、道玄坂。俺が知っている渋谷事変でも、戦場になった側だ。
なら、東。通りを抜けて、青山側へ。
今選べる中では、それが一番マシなはずだ。
「みんな、こっちです! このまま東へ!」
「え、そっち?」
「北には行かないでください! 嫌な予感がします! 今はとにかくここを離れましょう!」
「う、うん!」
喜多川さんはすぐに頷いた。
けれど、他のみんなはそうではなかった。菅谷さんたちは顔を見合わせ、森田君は次々と外へ出ていく人たちを目で追っている。
言いたいことは分かる。やっと外へ出られるようになったのに、俺はその流れとは違うところへ進もうとしている。無理を言っているのは分かっていた。でも、死地としか思えない方向に足を向ける気にはなれなかった。
口を開いたのは、柏木君だった。
「そっちって、さっきまで黒いのがあった内側だろ? また出てきたらどうすんだよ。今のうちに出た方がよくないか?」
もっともな疑問だった。
《帳》がもう一度現れない保証なんてない。せっかく外へ出られるようになったのに、わざわざアレがあった場所に沿って逃げるなんて、普通に考えればおかしいだろう。
それでも、人波と同じ方向に流れていくことだけは断固として避けたかった。
「外に出るなら、北に行くことになる」
「そうだな」
「そっちにいるんだ。さっきの化け物とは比べものにならないくらいヤバいのが」
《帳》から解放された。その事実を前に浮かんでいた楽観が、みんなの顔から薄れた。揃って北を見る。
柏木君は何も言わず、俺の目を見ていた。
「また、黒いのが降りてくるかもしれない。また、閉じ込められるかもしれない。確かにそうだ。それは、否定できない」
一般人を閉じ込める《帳》。
一般人を閉じ込めるだけだからこそ、その条件づけにはさしたるコストは生じない。
呪力の何たるかを理解できず、それを自らの意思で扱うことのできない非呪術師。その個々人を厳密に見分ける必要はなく、ただ呪力を自覚的に扱える者とそうでない者、その差異だけを拾えばいい。だからこそ、広域を覆ってなお、ひとつの《帳》として成立していた。
おそらく、羂索が再び降ろそうと思えば、それほど時間を掛けずに黒い幕は渋谷を覆う。
「でも、あれはただ閉じ込めるだけなんだ。閉じ込めるだけで、直接みんなを害するわけじゃない。たとえまた閉じ込められて、そしてさっきと同じ化け物が出てきたとしても、俺の力で何とかなる。俺が絶対にみんなを守る。何に代えても、絶対に」
決意表明と同じように、守り通すことは変わらない。
それは真人の産んだ改造人間程度であれば、揺らぐことのない自信を持ってそう言えた。
「けど、北にいるのは駄目なんだ。格が違う。さっき襲ってきた化け物がこの街を埋め尽くすくらいいたって、相手にならない。疲れもせず全部消し飛ばせる」
「……そんなにヤバいのか?」
「正直ヤバいなんてもんじゃない。だから、早いうちに、できるだけ遠くまで離れたいんだ」
「そうか……」
誰もすぐには答えなかった。
その間にも、すぐそばを何人もの人が外へ向かっていく。閉じ込められていた場所から解放された安堵のまま、誰もが開いた先へ急いでいる。その向こうに何がいるのかも知らずに、足音と嬉しげな話し声が俺たちの横を通り過ぎていった。
「……ごじょー君」
喜多川さんの声がした。
「はい」
「あの人たち、あっちに行ってるよ」
視線を向ける。
子どもの手を引く人がいる。友達同士で肩を寄せながら歩いている人もいる。繋がったスマートフォンを耳に当てたまま、足早に飛び出している人もいた。
分かっている。
あの先にきっと、宿儺がいる。
「……危ないって、言わなくていいの?」
胸の奥が詰まった。
言える。大声でそっちへ行くなと、叫ぶことくらいはできる。
何人かは足を止めるかもしれない。理由を聞いてくるかもしれない。信じてもらえるかは分からない。それでも、何もしないよりは助かる人が増える可能性はある。
分かっている。
けれど。
俺は、人波から視線を外した。
「……行きます」
「え……?」
「俺たちは、東へ行きます。ここでは、止まりません」
喜多川さんが黙った。森田君たちからも声は上がらない。
俺が今、何を選んだのか。たぶん、伝わった。
最低だと思われても仕方ない。助けられたかもしれない人を、俺は置いていく。
でも、俺が守ると決めたのは、ここにいる六人だ。知らない誰かを助けるために立ち止まって、その数秒、たった数秒のわずかな時間で、みんなを取り返しのつかない危険に晒すつもりはなかった。
この選択を知って、喜多川さんが俺を嫌いになったとしても、森田君たちに軽蔑されたとしても、それでも俺は、何も知らない赤の他人より、みんなが生きてくれる方がいい。比べるのも烏滸がましいくらい、周りの命はみんなの命と釣り合わない。
俺が欲しいのは、誰からも正しいと思われることじゃない。六人全員が生きて、ここから帰ることだ。そのために必要なら、俺は知らない誰かを切り捨てる。
ほんの数秒、誰も何も言わなかった。
その間にも、人の流れだけが俺たちの横を過ぎていく。
「……分かった」
柏木君が頷いた。森田君も北へ向かう人波から目を外す。菅谷さんたちも、それぞれ迷いを残した顔のまま、東へ向いた。
最後に、喜多川さんを見る。
彼女が、何を思ったのかは分からない。聞くのが少し、怖かった。でも、それを確かめている時間もなかった。
森田君と柏木君に後ろを頼み、俺が先に進もうとしたところで、袖を掴まれた。
「ごじょー君も、離れないでよ!」
「…………はい」
思わず喜多川さんを見る。けれど、袖を掴む手は離れなかった。
俺はその手を振りほどかないまま、東へ向き直る。
あれがここに来る前に、みんなを逃がす。それだけは、何があっても変わらない。
それでも、胸に残る焦りだけは、どうしても消えなかった。
クロスオーバーの件は意見クレメンス!
主人公は『自分のことを五条新菜だと信じている一般通過転生者』であって原作主人公ではないので、世界線として『着せ恋』原作と重なるわけではないです。なので、クロスオーバーかって言われたら、まあ違うよねっていう。
主人公の勘違いの根幹として、見た目も性格も『着せ恋』に酷似した人物がいる、という整理にしているので、保険的にクロスオーバータグを付けた感じ。
とりあえずあってもなくてもウチとしては困らないので、一旦なくしときます。