『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
途切れた二の腕の先に、熱が集まり始めた。
傷が疼くのとは違う。内側からゆっくりと押されるような、何もないはずの場所にじわりと圧が広がっていくような、そんな感覚。この感覚には覚えがあった。
反転術式。
でも、呪力は俺の意識から離れたところで動いていた。喜多川さんに触れられないのは嫌だと、抱き締められないのは嫌だと、その思いを汲み取るように、呪力だけが意志を持って動いているかのようだった。
巻かれた包帯は、一見したところ何も変わっていない。けれど、見ている間に輪郭が僅かに持ち上がる。その動きが、腕の中で感じているものとピタリと重なった。
「……ごじょー君?」
視線を腕に固定したままの俺を気にするように、喜多川さんの視線もそこに落ちる。
もう一度、包帯が膨らんだ。今度はそれだけで終わらない。巻かれた布が押し伸ばされ、形が目に見えて変わっていく。
少し、グロい。
そして、渋谷の時とは違い、痛みがある。あるいは、気づけなかっただけで渋谷の時も同様に痛みはあったのかもしれない。
いずれにせよ、斬られた時のような鋭さはなく、内側を押し広げるような鈍い痛み。宿儺の斬撃と比べれば何ともないものが、腕の先で響いていた。
包帯が、解けていく。
喜多川さんの目が、大きく開く。頬に触れていた手がさっと離れ、驚愕を押し留めるようにそのまま口元に当てられた。
「え、ちょっ……え?」
「海凛ちゃん、どうした?」
じいちゃんも立ち上がり、ベッドに身を乗り出した。
それは、最初はただ膨らんでいるだけに見えた。やがて、残っていた二の腕がその続きを作るように伸び始める。身体そのものが反転術式を操り、失ったものを取り戻そうとしているみたいだった。
モニターからは、心拍を拾う電子音が規則正しく鳴り続いている。少なくとも、警告を告げるような音は混じっていない。
電子音がひとつ鳴るたび、腕は少しずつ元の長さへ近づいていった。
ずれた包帯が、ベッドの上に落ちる。そこに現れた輪郭は、もう単なる膨らみには見えなかった。二の腕が戻り、その先に関節らしい形が生まれている。
肘だ。
「……ははぁ……、あれまぁ……」
驚きがそのまま声になって漏れたようだった。
じいちゃんは目を見開いたまま、それきり腕を見つめている。喜多川さんも驚きすぎて、パクパクと口を開閉するだけの置物になっていた。
さっきまでなかったはずの場所に、肘がある。二人の反応を見る限り、俺の見間違いでもないらしい。
けれど、まだ自分の腕だという感覚は薄かった。
それは、触覚がないからなのかもしれないし、まだあの慣れた重みが肩に乗っかってこないからなのかもしれない。と思っていれば、少し遅れて、新しくできた部分に見合うだけの重みが肩を引っ張った。
「……伸びてる……」
自分で言ったのに、ひどく他人事みたいに聞こえた。
肘の先でも、再生は止まらなかった。
日車みたいに細いものが急に生えるでもなく、残っている腕の続きとして元の形をなぞるように伸びていく。知識として、反転術式で欠損まで戻せることは知っていた。それに実際に、宿儺が腕を再生するところだってこの目で見ている。それでも、自分の身体から腕が生えてくるのはまるで別物だった。
もの珍しく眺めていれば、気づけば再生は手首の近くまで届いていた。遅れて重さと触覚も追いつき、シーツに触れていることまで分かった。
「──あっごじょー君、ほんとに大丈夫!? これこのままでいいんだよね!? 家入さんに見てもらった方が──って、今いないじゃん! え、どうしよ!?」
我を取り戻した喜多川さんの視線が、俺と扉の間を忙しなく往復する。じいちゃんも一度そちらへ目をやったものの、その場を動けそうになかった。
そこでちょうど、扉が開いた。
「おまたせ、連れて──」
入ってきた家入さんの声が途中で止まった。白衣の裾が揺れたまま、入口で足を止める。
視線の先は、俺の右腕。
誰かに知らせに行ったはずなのに、そのことには触れないまま、家入さんはベッドの横──右腕の方まで回って来た。
「……本当に、使えるんだ」
小さく漏れた声は、俺に聞かせるつもりのトーンではなかった。
家入さんの目の前でも、再生は続いている。手首の先が、ゆっくりと幅を持ち始めた。
「欠損部位の再生ははじめて?」
「はい。でも、気づいたら勝手に……」
「え、勝手に?」
「はい」
「……こーりゃ驚いた……」
家入さんがそう漏らした時には、手首の先はもう掌の形を取り始めていた。
少しずつ分かれ始め、親指が生まれる。その後すぐに残りの指も模られていく。一本ずつ長さが揃い、関節ができ、最後に爪まで生え変わった。見覚えのある、自分の手だった。
外形がほとんど戻ったあとで、重さが増した。指先にも、少し遅れて感覚が届く。試しに力を入れると、人差し指が確かに曲がった。
「……動いた」
呟いたところで、入口から声が落ちた。
「まだみたいだよ」
白髪の男が、目隠しをしたままこちらを見ていた。
何を見ているのかは分からない。その言葉とほとんど同時に、右目の奥に強い圧力がかかった。
「っ……」
反射的に目を閉じた。
右には、さっきまで瞼を動かした感覚さえなかった。
今は違った。左と同様に、確かに瞼が引かれている。そこから、頭の裏に抜けるように強い波が広がった。
「ごじょー君!?」
喜多川さんが身を乗り出す気配を感じる。
それを家入さんがすぐに制した。
「触らないで。今はそのまま」
「でも……!」
「大丈夫。彼が自分で治してるだけだから」
恐る恐る、目を開けた。いつも通りの景色が見える。
それだけじゃない。これまで何も入ってこなかった右側からも、光が差し込んでいた。
けれど、そちらだけ白い靄がかかったみたいにぼやけている。色も形もあるのに、薄い膜を一枚挟んだようにはっきりしない。
その中で、喜多川さんらしい輪郭が少しずつ浮かび上がってきた。
でも、両目で見ようとすると、違和感がある。左で見えている景色と、右から入ってくる像がうまく重ならない。僅かにずれた二つの景色が、同時に視界に入っていた。
「見える?」
「……はい。でも、なんか……右だけ、ぼやけてます」
「初めてで出力が甘いのかもね。段々戻ってくるよ」
「……なるほど……」
そんなものかと納得していれば、今度は、頬の内側が脈打った。
そこを始点に、これまで思うように力の入らなかった身体へ、次々と力が戻っていく。喉、胸、脇腹、背中、腹、脚。一箇所が終わるのを待たず、身体のあちこちで何かが変わっていく。
「おいおい……、スーパードクターの立つ瀬がないじゃん」
家入さんが呟く。
さっきまで乏しかった、自分の身体だという感覚が、少しずつ取り戻されていく。背中がベッドに触れていることも、手足の重さも、今はずっとはっきり分かった。
そうして痛みが消えていく一方で、別のものが押し寄せていた。
疲労感だ。ひどく、疲れる。
傷は目に見えて治っているし、不調感も実感として解消されている。それなのに、そこではない何かが、逆に重く腹の奥で沈んでいる。
呪力が、削られている。
でも、その分だけ失ったものが戻り、傷ついた身体が作り直されている。そう思うと、自然と右手へ目が向いた。さっきまで存在しなかったはずなのに、見慣れた手だった。
でも、まったく同じではなかった。手首から前腕にかけて、以前より筋がはっきり見える。拳を握り込んでみれば、俺の腕ではないみたいに血管が浮き上がった。
全体的に筋肉質になっている気がする。筋肉まで削がれた分、壊れないようにと再構築されたみたいな印象だった。
「ちょっと診せてね」
「はい」
大人しく力を抜いた。
家入さんは再生した箇所から包帯の隙間に覗く皮膚まで、視線を走らせていく。俺もつられるように自分の身体を見た。
なくなっていた腕は戻った。右目も、まだぼやけてはいるけど見えている。身体中にあった痛みや引き攣りも、ほとんど気にならなくなっていた。
けれど、露出した肌には細かな傷痕が残っている。一本一本は浅い切り傷みたいなものなのに、腕だけじゃなく包帯の隙間から見えるところにいくつも走っていた。
一度完全に失ったものまで作り直せるのに、傷痕は消えていない。喜多川さんたちを守った勲章とでも考えればよいのか。これを見る喜多川さんたちのことを想像すると、複雑な気持ちだった。
身体中を巡っていたものが、少しずつ弱くなっていた。最後に一度、大きく脈打つような感覚があって、それきり何も感じられなくなる。
終わった。
途端に、全身から力が抜けた。
「終わったみたいね」
家入さんは俺の様子を見てから、すぐにモニターへ目をやった。表示をしばらく確認して、こちらを見る。
「今のところは落ち着いてる。そのまま休んでること」
「……はい」
身体はひどく重い。それでも、目を覚ました時とはまるで違う。喜多川さんへ手を伸ばそうと思えば、間違いなく伸ばせる。
そのことを確かめるように彼女を見て、そこでようやく、もう一人この部屋にいることを思い出した。
入口の方に目を向ける。
白い髪に、黒い目隠し。渋谷で、宿儺の前に立っていた男──五条悟。
渋谷で一度見ているせいか、姿を見ただけではもう驚かなかった。代わりに、再生が一段落した頭で考えてみると、ひとつ気になることがある。
──どうして、この人は俺の病室にいるんだろうか?
渋谷事変経過で勝手に肉体改造された男がいるらしいぜ!
若菜が反転術式を使えることを知っているのは、ナナミン経由で教師陣や家入などで、現時点では学生側には伝えられていません。