『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
朝のホームルーム前、職員室に入るとそれまであった話し声が、波が引くように小さくなっていった。皆一様に、戸を引いた俺に視線を集めていた。
やはり、という思いは強かった。
家を出てから、今日はやたらと注目された。電車では向かいに座った女の人が俺を見て、すぐに視線を逸らす。少し経つとまた顔のあたりに視線を感じ、同様にホームで待っている間にもちらちらと周りから見られていた。
ただ、視線が顔だけで終わらないこともあった。首元を通ってそのまま肩のあたりまで落ちていく。
身体つきが変わったことは、昨日の車内で海凛さんから指摘を受けていた。俺自身も病衣から着替える時に何となく感じてはいたけれど、その時にはあまり何も思わなかった。だけど、夜、鏡を見れば嫌でも分かった。以前よりも明らかに筋肉がついている。それも全身に満遍なく。《伏魔御廚子》に削がれた分だけ付け足して、さらに少し盛った。気に入らない部分を削り、パテを当てていくフィギュアの造形。そんな印象に近かった。
一週間ほとんど眠っていた人間の変化としては、どう考えても異常だった。
それは今朝、制服を着ることでより一層強く感じられた。前よりも窮屈になっている。身長が伸びたわけじゃない。身体の厚みが増して、引き絞られたような感じだった。
途中から乗ってきた、見るからにやんちゃそうな男子二人組はもっと分かりやすかった。乗ってきた時には結構な声大で話していたのに、そのうちの一人が俺を見た途端、口を閉じた。もう一人も、つられて俺を見た。
顔。
首。
肩。
そして、また顔。
最後に、眼。
二人で一度だけ顔を見合わせると、それからは露骨なくらい目が合わなくなった。さっきまであれだけ騒いでいたのに、二人とも妙に静かだった。俺が少し顔を動かしただけで、一人は窓の外、もう一人はスマホに視線を落とす。
取って食おうってわけじゃない。なのに、往々にしてそういう考えは伝わらないものだ。というか、あの二人の中で俺がどういう人間になったのかは、考えない方がよさそうだった。
学校に着いてからも、似たようなものだった。今度は同じ制服を着た人間が多い分、追い抜かれた後に振り返られたり、少し離れたところから何人かで見られたりと、反応がもっと分かりやすい。
面識はなくとも、急にこんな姿の学生が現れれば、話題にされない方がおかしいのだろう。分かってはいるけど、朝からこれだけ続くと少し居心地が悪かった。
「五条君」
呼ばれて顔を向ける。
花ちゃん先生が、少し心配そうに俺を見ていた。
「ほんとに今日から戻って大丈夫? 無理してない?」
「大丈夫です。無理そうなら、ちゃんと休みます」
そう答えても、先生の表情は完全には緩まなかった。
「少しでもきつかったら保健室ね? 無理しないで、早退していいからね?」
「はい」
念を押されて、頷く。ほかにも何人かの先生から声を掛けられたけれど、確認されたのはだいたい同じようなことだった。
ひと通り話が済む頃には、さっきまで集まっていた視線もそれぞれの仕事に戻っていた。
花ちゃん先生と一緒に職員室を出て、そのまま教室へ向かう。
教室の前まで来ると、中からはいくつもの話し声が重なって聞こえていた。花ちゃん先生が前方の扉を開ける。ホームルームが始まる時間だからか、それだけでざわめきが少し小さくなった。そのあとから、教室へ入る。
俺に気づいた入り口近くの同級生が目を丸くして声を失っていた。
一週間以上学校を休んで、戻ってきたと思えば顔や首に傷痕を増やして──どころか、肌の見えるところは傷だらけになっている。
俺だって、同じ立場なら戸惑う。客観的に見て、それだけの変化だ。それは、ここへ来るまでにも嫌というほど分かっていた。
視線が集まり、話し声がもう一段小さくなりかける。
「あ、ごじょー君!」
その空気を最初に破ったのは、海凛さんだった。椅子の脚が大きく鳴る。
その声につられるように、止まりかけていた教室の空気が少しずつ動き出した。
「おはようございます、海凛さん」
すぐ近くで、小さなどよめきが起こった。海凛さんも一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに顔を綻ばせる。
「おはよ!」
周りからも声が戻ってくる。それでも、俺を見る視線にはまだどこか硬さがあった。
だけど、朝から向けられてきたものとは少し違う。ここにいるのは、傷がなかった頃の俺を知っている人たちだ。ただ驚いているというより、どう声を掛ければいいのか分からないように見えた。
「五条君、今日から復帰ね。まだ本調子じゃないから、無理させないであげてね」
花ちゃん先生が教卓からそう伝える。
「五条君も席についてね。ホームルーム始めるよ」
「はい」
自分の席へ向かう途中、森田──健成と目が合った。柏木──志季もいる。二人とも何か言いかけたように見えたけれど、結局そのまま視線だけを交わした。乃和さんたちも似たようなものだった。
無事だったことは病院で聞いていた。それでも、こうして制服を着て同じ教室にいる姿を見ると、やっと実感が追いついてくる。
席に着く頃には、一度小さくなった教室のざわめきもかなり戻っていた。まだ視線は感じる。俺の傷について話しているらしい声も、時々聞こえる。
出欠と連絡事項が一通り済んだところで、花ちゃん先生が黒板の端を見る。
「そういえば、ミスコン。先週、話が途中で止まってたよね」
教室のあちこちから思い出したように声が上がる。
「全員戻ったし、今日の放課後に決めちゃおっか。出たい人とか、推薦したい人とか、考えといてね」
そこで朝のホームルームは終わった。
花ちゃん先生が教室を出ると、次の授業までの短い時間に一気に話し声が戻ってくる。
「五条」
呼ばれて顔を上げると、志季と健成が俺の席まで来ていた。二人とも、すぐには続けなかった。
「おはよう。志季、健成」
二人が揃って、一瞬だけ目を瞬いた。
けれど、呼び方について何か言うことはなかった。
「おう」
志季が返す。健成も何か言おうとして、一度口を閉じた。
その視線が、俺の顔に残った傷痕へ落ちる。
「俺ら、あの時……」
それだけで、何を気にしているのかは分かった。
二人がどこまで聞いているのかは知らない。宿儺のことも、俺がそのあと何をしたのかも、まともに把握してはいないはずだ。
ただ、自分たちはほとんど傷もなく帰ってきた。その一方で、最後に見た俺は血まみれで、腕も眼もなくなっていた。
そのくらいは覚えている。
だから、何も知らないままでも思うところはあるんだろう。
「みんなが無事だったから、それでいいよ」
二人とも、黙っている。
「俺がそうしたかったんだ。だから、気にすることじゃない」
守ろうとしたのは、俺が勝手に決めたことだ。あの時だって、どうすれば全員を生きて帰せるか、それしか考えていなかった。誰かに頼まれてやったわけじゃない。
二人に納得した様子はなかった。それでも、志季が小さく息を吐く。
「……とりあえず、ありがとな」
「なんかあったら言えよ。今度は俺らが手貸すから」
「じゃあ、今度カラオケ付き合ってよ」
二人が揃って俺を見る。
「カラオケ?」
「うん。俺、行ったことないんだ」
「マジで!?」
「一度行ってみたくて」
「え、カラオケ!?」
少し離れたところから、海凛さんの声が飛んできた。
健成の脇に目を移すと、乃和さんたちと一緒にこちらに向かって来ているところだった。どうやら、その途中でカラオケという言葉を拾ったらしい。
「ごじょー君、カラオケ行くの!?」
「今度付き合ってもらおうかと」
「じゃあ、うちも行きたい! 行ってもいい?」
「もちろんです」
答えると、海凛さんが嬉しそうに笑った。
その頃には四人も俺の席のそばまで来ていて、さっきまで健成と志季だけだった輪が自然に広がっている。
俺はその隣にいる乃和さんたちにも目を向けた。三人ともこちらの話を聞きながら、成り行きを見ているようだった。
「乃和さんたちも、よかったら一緒にどうですか?」
急に話を振られて、三人が顔を見合わせた。
嫌そうな様子はなく、ほんの少しだけ互いの反応を窺うような間があった。
最初に笑ったのは、大愛さんだった。
「いいね、行こっか」
「ウチも行く!」
「じゃあ私も」
大愛さんの一言を皮切りに、話はあっという間に広がった。
海凛さんたちはいつ行くかと予定を合わせ始め、健成と志季もどこの店がいいかと口を挟む。誰かが取りまとめるでもなく、気づけば全員で行くことが前提になっていた。
朝、教室へ入った時にはあれだけ感じていた視線や遠慮も、今はもうほとんど意識しなくなっていた。
「……ありがとうございます」
「いや、お礼言うとこ?」
「むしろ、こっちが言う方じゃん!」
瑠寧さんが突っ込み、乃和さんも笑いながら続けた。ただ、カラオケの話で弾んでいた空気が、そこで少しだけ落ち着く。
三人の視線が揃って俺へ向いた。
「あの時、ありがとね。五条君」
「ほんと、助かったし」
「……うん」
改めて言われると、どう返せばいいのか少し迷った。
礼を言ってもらうつもりでやったことじゃないし、健成たちにも似たようなことを言われたばかりだ。それでも、こうして本人たちの口から聞くと、なんだか少しむず痒い。「どういたしまして」と返すのも違う気がして、結局、もう一度だけ頷いた。
それ以上何かを言わなくても、今度は妙な沈黙にはならなかった。
その間に、大愛さんの視線が俺の顔から首元へ落ち、そのまま肩のあたりへ移っていく。
「……ていうか、五条君」
大愛さんが俺を見たまま、少し首を傾げる。
さっきまでとは明らかに違うところを気にしているようだった。
「なんか身体つき、変わってない?」
「あ、やっぱそう見えるよな?」
「俺も俺も! 俺もそれ思った!」
「ね! ドキッてするよね!」
「わからなくはねぇけど……、てか森田は何に張り合ってんだよ。まぁ、なんていうか、前より厚くなったな?」
みんなの視線が、揃って俺の身体に集まる。
朝から似たような視線には何度も気づいていたけれど、知っている人たちに囲まれて一斉に見られると、また違った居心地の悪さがあった。
制服の上からでも分かるくらいなのだから、やっぱり相当変わっているらしい。
その中で海凛さんまで当然のように頷いている。昨日言われたことを考えれば、今さら驚くことでもないのだろう。
「一週間寝てたんだよな?」
「うん」
「入院って筋肉つくんだな」
「つかないと思うよ」
「だよなぁ」
一拍置いて、志季と健成が顔を見合わせる。
健成自身、言ってからおかしいと思ったらしい。少し首を傾げたところで、先に志季の口元が緩んだ。それを見た健成も笑い出す。
どちらからともなく始まった笑いに、大愛さんたちもつられて笑い、俺も笑った。
傷のことでも、渋谷のことでもなく、入院したら筋肉がついたなんてどうでもいい話で笑っている。ついさっきまで二人が何を言えばいいのか迷っていたことを思えば、その変化が妙に嬉しかった。
笑いが収まったあとにも、まだみんなの顔にはその名残が残っていた。その中で、瑠寧さんの視線が一度だけ俺の顔へ向いた。
肩や胸ではなく、今度はまっすぐ顔を見る。傷痕のあたりで僅かに止まってから、目が合った。
「……おかえり、五条君」
不意にそう言われて、一瞬だけ言葉に詰まった。
今日から学校に戻った。それは朝から分かっていたはずなのに、その一言を聞くと少し違って感じる。
制服を着て、この席に座って、こうしてみんなと話している。ようやくそれが、ひとつにつながったような気がした。
「はい。ただいま」
瑠寧さんが笑う。大愛さんと乃和さんも笑って、海凛さんもその隣で顔を綻ばせていた。
さっきまで俺の周りにあった変な遠慮は、もうほとんど感じない。
周りでは、次の授業の準備を始めている人が増えていた。教科書やノートを出す音や、椅子を引く音があちこちから聞こえてくる。
俺たちが話している間にも、教室はいつもの時間へ戻っていた。
「じゃ、またあとでね」
「はい」
みんながそれぞれの席へ戻っていく。
人が集まっていた机の周りが少しずつ空いて、代わりに教室全体のざわめきがまた耳に入ってきた。
若菜、宿儺の領域展開中、海凛たちを守護るため、縛りの影響で自己を損なわない程度に内臓などの内部構造のみ自動で反転術式ぐるぐる(内部的な活動のため、六眼で把握できなかった、って整理)
→筋肉、腕、眼などは、縛り上、立ち続ける以外には不要と判断され、削ぎ落とされる
→《理想収斂》の性質が宿儺との戦闘経験をフィードバックして、病院での反転術式使用時に肉体改造(従来若菜ボディの再生ではなく、《理想収斂》補正の新若菜ボディの再構築のため、呪力消費が跳ね上がる。筋肉とか神経の繋ぎ直しで痛みも少々と、そもそもの痛みに対する耐性も獲得)
→優先度の高い順に反転術式が回ったため、呪力が足りなくなった体表面の治癒は後回しに(大量の傷痕が残る)
→自身の身体への認識が固まる前に(《理想収斂》の性質による固定化前に)もう一度反転術式を回せば傷痕も治るけど、できていないため、大量の傷痕は現状定着しかけ