『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
「ごじょー君! 今度こそ写真撮ろ!」
「はい、撮りましょう!」
「じゃ、頭返すね」
「ありがとうございます」
喜多川さんからウサギ頭を受け取り被ると、外の喧騒が布一枚を隔てて遠のいた。視界も二つの小さな穴へ狭まる。
前はやや見え辛く、左右ははっきりと見えなくなった。作った人には申し訳ないが、愛嬌と同じくらい視認性も着ぐるみには必要だと思う。両立は難しいんだろうけど。
「ごじょー君、こっちこっち!」
「すみません。あまり見えてなくて」
「もっと右! あ、行きすぎ!」
「こちらですか?」
「反対!」
喜多川さんに引かれるがまま、もこもこの足でふらふら動く。場所を決めてから被ればよかったと思わなくもない。
案の定、視界の外にいた柏木くんへ肩からぶつかり、遅れて足元を見ていたがために長いウサギ耳でその肩を叩いた。
「五条、耳長すぎ」
「すみません」
「耳の長さはどうしようもなくない?」
みんなに笑われながら、どうにか間へ収まる。
喜多川さんが、俺の腕へ身体を寄せた。着ぐるみ越しなのに触れた重みだけははっきり分かった。
近い。
先ほどから近いしか言っていない気がするが、近い。思春期真っ只中のこの思考こそが、悲しいかな、男子高校生の性なのよね。
とはいえ、今は集合写真だ。
菅谷さんと八尋さんが前へしゃがみ、山内さんは特攻服の襟を広げる。森田くんが猫のように両手を構え、その横で柏木くんが血糊のついた眼鏡を押し上げた。
「撮るよー!」
通りかかった仮装姿の人が、預かったスマートフォンを構える。光が瞬き、渋谷の街と七人の仮装姿が写真に収まった。
ウサギ頭の中で、自分の呼吸だけがやけに大きく響く。喜多川さんの肩が、俺の腕へもう少しだけ寄っていた。
「もう一枚お願いしまーす!」
喜多川さんの弾んだ声を聞きながら、ウサギ頭の狭い視界越しに街を眺める。
仮装した人々が隙間なく行き交い、店先から流れる音楽と笑い声が夜の渋谷を満たしていた。腕を上げて写真を撮る人。信号が変わる前から横断歩道へにじり出す人。派手な衣装の友人を呼び止める声。
ハロウィンの渋谷。
そういえば、前世でよく読んでいた別の漫画にも、渋谷が舞台になるようなものがあった気がする。
確か──
◆
──『呪術廻戦』。
「ん? 何あれ?」
喧騒の中だというのに、その呟きはやけにはっきりと聞こえた。
「何って?」
「いや、上。なんかあるじゃん」
「……何もなくない?」
「えぇ? 見えてないの?」
男女の話し声につられるように俺も顔を上げた。
月明かりを遮るように、黒い膜が上空から降りていた。フラッシュの残像がまだ視界に残る中、その裾はゆっくりとビルの間へ入り込み、街を覆っていく。
思わず周囲を見回す。
けれど、空を気にしている人はほとんどいなかった。女の人のように立ち止まって見上げている人が、ぽつり、ぽつりといる程度。その隣にいる者でさえ、何を見ているのか分からないという顔だ。
大半の人は変わらず笑い、話し、スマートフォンを掲げながら歩いていた。
だが、俺には、その異様な光景がはっきりと見えていた。
最初は、ハロウィンの演出なのだと思った。投影された映像か、イベント用の照明。そういうものなら、ずいぶん金がかかっているなと感心するところだった。
けれど、これほど大掛かりなものなら、もっと大勢が気づいていていいはずだ。規模の大きさと、周囲の反応の薄さが噛み合っていない。
俺はウサギの被りを外した。
音が一気に近くなる。ハロウィンの喧騒は、まだほとんど変わっていない。
撮影を頼んだ仮装姿の人が、喜多川さんへスマートフォンを返して人混みへ戻っていく。
「ごじょー君? どしたの?」
喜多川さんが俺の視線を追って空を見上げる。
「喜多川さん。上、何か見えますか?」
「上?」
黒い兎耳を揺らしながら、喜多川さんが目を凝らした。
「んー……? 何かあるの? わかんない」
「……そう、ですか」
菅谷さんたちも空を見上げる。
けれど、誰も俺と同じものを見ている様子はなかった。
その間にも、黒い膜は降り続けていた。
背中を、冷たいものが走る。前世の記憶が、嫌になるほど鮮明に蘇った。
条件を満たした者だけを出入りさせる、あるいは進行不能にする、黒い結界。
「……《帳》……?」
「え?」
呟きを拾った喜多川さんが俺の顔を覗き込んできた。
違う。そんなはずはない。
ここは、『着せ恋』の世界だ。喜多川さんがいて、人形店があって、俺が衣装を作っている世界だ。彼女とコスプレを楽しみ、時にすれ違いながらも成長していく、そんな青春ラブコメの世界だったはずだ。
決定的に否定する何かが現れない限りは信じていたいと、確かに思っていた。思っていたけど、こんな不穏なものをすぐに出せとは言っていない。
なにより、ジャンル転換が急すぎる。緩やかなジャンル転換なら良いってものでもないけれど、血のにおいはラブコメお決まりの鼻血以外に必要ないだろ。
けれど、俺の抗議を受け付けてくれる相手などいるはずもなく、渋谷を閉じ込める《帳》は降りきった。
「え、圏外なんだけど」
「ウチも。さっきまで普通だったよね?」
今度は別のところから、スマートフォンを見ながら戸惑う声が聞こえた。空ではなく、通信の異常に気づく人が少しずつ増え始める。
震える指でスマートフォンを取り出し、確認する。同時に目に入った時刻は、見覚えのある数字だった。
頭の中で、前世に読んだページが猛烈な勢いでめくられていく。
一般人が地下へ吸い込まれ、閉じ込められる。五条悟は誘い出され、獄門疆に封印される。特級呪霊が蠢き、呪詛師が暗躍し、その先で宿儺が渋谷一帯を消し飛ばす。
知っている。
知っているからこそ、足が動かなかった。
原作知識があれば、無双できる?
──無理だ。攻略本を持っているだけの高校生を、装備なしでラスボス戦へ放り込むようなもの。しかも、俺の装備はピンク色のウサギの着ぐるみただひとつ。
笑いたくなるが、冗談では済まされない。もし本当にここがあの渋谷なのだとしたら、最悪以外の何ものでもない。
「ごじょー君?」
喜多川さんの声が、俺を思考の海から引き戻した。
彼女の指が、着ぐるみの腕へ沈んでいる。
喜多川さんがいる。その周りには、みんながいる。
六人とも、心配そうな顔で俺を見ていた。衣装や血糊でどれだけ物騒に見えても、ただハロウィンを楽しみに来ただけの高校生だ。
五条悟を助ける。
渋谷事変へ介入する。
原作を知っている俺が、何もかもを解決する。
そんな英雄願望じみたことを考える余地もない。
そもそも俺には、できることとできないことを選べるほどの力すらない。
けれど、六人をここから連れ出すためなら今すぐ動ける。俺が最初にしなければならないことは、それだった。
「みなさん、すみません。俺の話を聞いてもらえますか?」
喉が張りつき、最初の音が少しかすれた。
それでも六人の顔が一斉にこちらを向く。ウサギ頭を抱え直し、できるだけ普段と同じ調子で続けた。
「杞憂だったら後で笑ってください。ただ、本当に俺の想像している通りなら、たぶんここは、かなり危ないです。まずは駅と交差点から離れましょう」
「危険って、何か起きるの?」
「確信はないです。ですが、何が起こるにしても、起こらないにしても、ここからは離れた方が良いと思います」
「何か知ってんのか?」
「『知ってる』というのとも、たぶん違うと思う。ただの勘違いかもしれないし、俺の想像通り、取り返しのつかないことかもしれない。成り行きを見守るしか今はないけど、ただどちらであれ、最悪の場合の渦中にいないようにしたいと思ってる。だから、今はついてきて欲しい」
声だけは、思っていたより落ち着いて出た。
心臓の方はまったく協力してくれない。耳の奥でうるさいくらい鳴っている。
自分でも曖昧な答えだと思う。
呪術師も呪霊も知らない相手に、これから渋谷事変が始まります、なんて一から説明している時間はない。俺だって、口に出した途端にすべてが現実になりそうで言いたくなかった。
それでも喜多川さんは、俺の顔をじっと見たあと、すぐにうなずいた。
「分かった。ごじょー君がそこまで言うなら、行こ」
「まりんが行くなら、あたしたちも行くけど」
「ここにいても仕方ないしね」
菅谷さんと八尋さんが続く。
山内さんは森田くんと柏木くんを見ると、顎をしゃくった。
「じゃあ、固まって行こうぜ。こんだけ人いたら普通にはぐれるだろ」
「賛成。五条、先頭頼めるか?」
「はい。ありがとうございます」
誰も笑わない。誰も考えすぎだとは言わなかった。
ありがたい。
勘違いだったなら、そのときは皆に謝って、柄でもない一発芸の一つでも披露しよう。だからどうか、勘違いであってくれ。
「喜多川さん、その靴で大丈夫ですか?」
「走れなくはないよ。ヤバそうなら脱ぐ」
「無理はしないでください。急ぎますけど、はぐれない速さで行きましょう」
ウサギ頭を抱え直し、空いた手で着ぐるみの腹を押さえる。中へ押し込んだ前足が動くたびにもぞもぞして、非常に気持ちが悪い。
よりによってこの姿で、渋谷事変の避難誘導をすることになるとは思わなかった。せめて着替える時間くらいほしかった。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
周囲では、圏外になったスマートフォンを見て足を止める人が少しずつ増えていた。まだ何が起きているのか分からないまま、駅へ向かう人の流れだけが徐々に太くなり始めている。
俺は六人を歩道の端へ寄せ、その流れに逆らうように駅から遠ざかる方向を探した。
喜多川さん。菅谷さん。八尋さん。山内さん。森田くん。柏木くん。
全員いる。
もう一度数えてから、先頭に立つ。
ピンク色のウサギの足で地面を蹴ると、着ぐるみの腹が遅れて揺れた。
後ろから続く六人分の足音を確かめながら、俺はそこから離れる方向へ歩き出した。