『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした!   作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数

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第三話 『呪術廻戦』

 

「ごじょー君! 今度こそ写真撮ろ!」

「はい、撮りましょう!」

「じゃ、頭返すね」

「ありがとうございます」

 

 喜多川さんからウサギ頭を受け取り被ると、外の喧騒が布一枚を隔てて遠のいた。視界も二つの小さな穴へ狭まる。

 前はやや見え辛く、左右ははっきりと見えなくなった。作った人には申し訳ないが、愛嬌と同じくらい視認性も着ぐるみには必要だと思う。両立は難しいんだろうけど。

 

「ごじょー君、こっちこっち!」

「すみません。あまり見えてなくて」

「もっと右! あ、行きすぎ!」

「こちらですか?」

「反対!」

 

 喜多川さんに引かれるがまま、もこもこの足でふらふら動く。場所を決めてから被ればよかったと思わなくもない。

 案の定、視界の外にいた柏木くんへ肩からぶつかり、遅れて足元を見ていたがために長いウサギ耳でその肩を叩いた。

 

「五条、耳長すぎ」

「すみません」

「耳の長さはどうしようもなくない?」

 

 みんなに笑われながら、どうにか間へ収まる。

 喜多川さんが、俺の腕へ身体を寄せた。着ぐるみ越しなのに触れた重みだけははっきり分かった。

 近い。

 先ほどから近いしか言っていない気がするが、近い。思春期真っ只中のこの思考こそが、悲しいかな、男子高校生の性なのよね。

 とはいえ、今は集合写真だ。

 菅谷さんと八尋さんが前へしゃがみ、山内さんは特攻服の襟を広げる。森田くんが猫のように両手を構え、その横で柏木くんが血糊のついた眼鏡を押し上げた。

 

「撮るよー!」

 

 通りかかった仮装姿の人が、預かったスマートフォンを構える。光が瞬き、渋谷の街と七人の仮装姿が写真に収まった。

 ウサギ頭の中で、自分の呼吸だけがやけに大きく響く。喜多川さんの肩が、俺の腕へもう少しだけ寄っていた。

 

「もう一枚お願いしまーす!」

 

 喜多川さんの弾んだ声を聞きながら、ウサギ頭の狭い視界越しに街を眺める。

 仮装した人々が隙間なく行き交い、店先から流れる音楽と笑い声が夜の渋谷を満たしていた。腕を上げて写真を撮る人。信号が変わる前から横断歩道へにじり出す人。派手な衣装の友人を呼び止める声。

 ハロウィンの渋谷。

 そういえば、前世でよく読んでいた別の漫画にも、渋谷が舞台になるようなものがあった気がする。

 

 確か──

 

 ◆

 

 ──『呪術廻戦』。

 

「ん? 何あれ?」

 

 喧騒の中だというのに、その呟きはやけにはっきりと聞こえた。

 

「何って?」

「いや、上。なんかあるじゃん」

「……何もなくない?」

「えぇ? 見えてないの?」

 

 男女の話し声につられるように俺も顔を上げた。

 月明かりを遮るように、黒い膜が上空から降りていた。フラッシュの残像がまだ視界に残る中、その裾はゆっくりとビルの間へ入り込み、街を覆っていく。

 思わず周囲を見回す。

 けれど、空を気にしている人はほとんどいなかった。女の人のように立ち止まって見上げている人が、ぽつり、ぽつりといる程度。その隣にいる者でさえ、何を見ているのか分からないという顔だ。

 大半の人は変わらず笑い、話し、スマートフォンを掲げながら歩いていた。

 だが、俺には、その異様な光景がはっきりと見えていた。

 最初は、ハロウィンの演出なのだと思った。投影された映像か、イベント用の照明。そういうものなら、ずいぶん金がかかっているなと感心するところだった。

 けれど、これほど大掛かりなものなら、もっと大勢が気づいていていいはずだ。規模の大きさと、周囲の反応の薄さが噛み合っていない。

 俺はウサギの被りを外した。

 音が一気に近くなる。ハロウィンの喧騒は、まだほとんど変わっていない。

 撮影を頼んだ仮装姿の人が、喜多川さんへスマートフォンを返して人混みへ戻っていく。

 

「ごじょー君? どしたの?」

 

 喜多川さんが俺の視線を追って空を見上げる。

 

「喜多川さん。上、何か見えますか?」

「上?」

 

 黒い兎耳を揺らしながら、喜多川さんが目を凝らした。

 

「んー……? 何かあるの? わかんない」

「……そう、ですか」

 

 菅谷さんたちも空を見上げる。

 けれど、誰も俺と同じものを見ている様子はなかった。

 その間にも、黒い膜は降り続けていた。

 背中を、冷たいものが走る。前世の記憶が、嫌になるほど鮮明に蘇った。

 条件を満たした者だけを出入りさせる、あるいは進行不能にする、黒い結界。

 

「……《帳》……?」

「え?」

 

 呟きを拾った喜多川さんが俺の顔を覗き込んできた。

 違う。そんなはずはない。

 ここは、『着せ恋』の世界だ。喜多川さんがいて、人形店があって、俺が衣装を作っている世界だ。彼女とコスプレを楽しみ、時にすれ違いながらも成長していく、そんな青春ラブコメの世界だったはずだ。

 決定的に否定する何かが現れない限りは信じていたいと、確かに思っていた。思っていたけど、こんな不穏なものをすぐに出せとは言っていない。

 なにより、ジャンル転換が急すぎる。緩やかなジャンル転換なら良いってものでもないけれど、血のにおいはラブコメお決まりの鼻血以外に必要ないだろ。

 けれど、俺の抗議を受け付けてくれる相手などいるはずもなく、渋谷を閉じ込める《帳》は降りきった。

 

「え、圏外なんだけど」

「ウチも。さっきまで普通だったよね?」

 

 今度は別のところから、スマートフォンを見ながら戸惑う声が聞こえた。空ではなく、通信の異常に気づく人が少しずつ増え始める。

 震える指でスマートフォンを取り出し、確認する。同時に目に入った時刻は、見覚えのある数字だった。

 頭の中で、前世に読んだページが猛烈な勢いでめくられていく。

 一般人が地下へ吸い込まれ、閉じ込められる。五条悟は誘い出され、獄門疆に封印される。特級呪霊が蠢き、呪詛師が暗躍し、その先で宿儺が渋谷一帯を消し飛ばす。

 知っている。

 知っているからこそ、足が動かなかった。

 原作知識があれば、無双できる?

 ──無理だ。攻略本を持っているだけの高校生を、装備なしでラスボス戦へ放り込むようなもの。しかも、俺の装備はピンク色のウサギの着ぐるみただひとつ。

 笑いたくなるが、冗談では済まされない。もし本当にここがあの渋谷なのだとしたら、最悪以外の何ものでもない。

 

「ごじょー君?」

 

 喜多川さんの声が、俺を思考の海から引き戻した。

 彼女の指が、着ぐるみの腕へ沈んでいる。

 喜多川さんがいる。その周りには、みんながいる。

 六人とも、心配そうな顔で俺を見ていた。衣装や血糊でどれだけ物騒に見えても、ただハロウィンを楽しみに来ただけの高校生だ。

 五条悟を助ける。

 渋谷事変へ介入する。

 原作を知っている俺が、何もかもを解決する。

 そんな英雄願望じみたことを考える余地もない。

 そもそも俺には、できることとできないことを選べるほどの力すらない。

 けれど、六人をここから連れ出すためなら今すぐ動ける。俺が最初にしなければならないことは、それだった。

 

「みなさん、すみません。俺の話を聞いてもらえますか?」

 

 喉が張りつき、最初の音が少しかすれた。

 それでも六人の顔が一斉にこちらを向く。ウサギ頭を抱え直し、できるだけ普段と同じ調子で続けた。

 

「杞憂だったら後で笑ってください。ただ、本当に俺の想像している通りなら、たぶんここは、かなり危ないです。まずは駅と交差点から離れましょう」

「危険って、何か起きるの?」

「確信はないです。ですが、何が起こるにしても、起こらないにしても、ここからは離れた方が良いと思います」

「何か知ってんのか?」

「『知ってる』というのとも、たぶん違うと思う。ただの勘違いかもしれないし、俺の想像通り、取り返しのつかないことかもしれない。成り行きを見守るしか今はないけど、ただどちらであれ、最悪の場合の渦中にいないようにしたいと思ってる。だから、今はついてきて欲しい」

 

 声だけは、思っていたより落ち着いて出た。

 心臓の方はまったく協力してくれない。耳の奥でうるさいくらい鳴っている。

 自分でも曖昧な答えだと思う。

 呪術師も呪霊も知らない相手に、これから渋谷事変が始まります、なんて一から説明している時間はない。俺だって、口に出した途端にすべてが現実になりそうで言いたくなかった。

 それでも喜多川さんは、俺の顔をじっと見たあと、すぐにうなずいた。

 

「分かった。ごじょー君がそこまで言うなら、行こ」

「まりんが行くなら、あたしたちも行くけど」

「ここにいても仕方ないしね」

 

 菅谷さんと八尋さんが続く。

 山内さんは森田くんと柏木くんを見ると、顎をしゃくった。

 

「じゃあ、固まって行こうぜ。こんだけ人いたら普通にはぐれるだろ」

「賛成。五条、先頭頼めるか?」

「はい。ありがとうございます」

 

 誰も笑わない。誰も考えすぎだとは言わなかった。

 ありがたい。

 勘違いだったなら、そのときは皆に謝って、柄でもない一発芸の一つでも披露しよう。だからどうか、勘違いであってくれ。

 

「喜多川さん、その靴で大丈夫ですか?」

「走れなくはないよ。ヤバそうなら脱ぐ」

「無理はしないでください。急ぎますけど、はぐれない速さで行きましょう」

 

 ウサギ頭を抱え直し、空いた手で着ぐるみの腹を押さえる。中へ押し込んだ前足が動くたびにもぞもぞして、非常に気持ちが悪い。

 よりによってこの姿で、渋谷事変の避難誘導をすることになるとは思わなかった。せめて着替える時間くらいほしかった。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 周囲では、圏外になったスマートフォンを見て足を止める人が少しずつ増えていた。まだ何が起きているのか分からないまま、駅へ向かう人の流れだけが徐々に太くなり始めている。

 俺は六人を歩道の端へ寄せ、その流れに逆らうように駅から遠ざかる方向を探した。

 喜多川さん。菅谷さん。八尋さん。山内さん。森田くん。柏木くん。

 全員いる。

 もう一度数えてから、先頭に立つ。

 ピンク色のウサギの足で地面を蹴ると、着ぐるみの腹が遅れて揺れた。

 後ろから続く六人分の足音を確かめながら、俺はそこから離れる方向へ歩き出した。

 

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