『着せ恋』だと思った? 残念『呪術廻戦』でした! 作:自分のことを五条新菜と信じている(文字数
見返せてないので、後々微修正するかもしれません。
「──《契──」
それは、宿儺にとって絶好の機会だった。
『最大の脅威』から距離が離れ、『目標』の関心が彼方に向かい、『器』への警戒が疎かになる。
五条若菜は、五条悟のいる方角に身体を向けていた。虎杖の肩に置いていた手も今は離れ、試行が無事済んだことを知らせようと広場に向けて上げ始めている。
広場までは数百メートル。五条悟であれば程なく詰められる距離ではあるが、直前まで肩を並べていた虎杖との、文字通りの『手の届く距離』と比べれば、ずいぶん遠い。
そして高速移動の性質上、若菜の《無限》内部に存在を許されているのは、本人を除いて『虎杖悠仁』ただ一人。瓦屋根に到着した直後の現在、五条悟でさえ、その対象からは弾かれている。
宿儺が動けるための条件は、出揃っていた。
若菜の背後で、虎杖の頬に開いた口が残る一文字を紡ぐ。
「──闊》」
契闊。
かつて、宿儺と虎杖の間に交わされた一つの縛り。他者を傷つけないことを条件に、肉体を一時的に明け渡させる、その合図。
宿儺が手にしたのは、一分。その猶予は、十秒と経たずに用済みとなった。
虎杖の意識が闇に沈む。宿儺の意思が手足に通る。黒い紋様が顔に広がり、同時にその左小指に呪力が集った──かと思えば、間髪入れずに引きちぎった。
肉が裂け、骨が外れる。断面から噴き出す血が屋根を染めるが、宿儺は気にも留めなかった。
代わりにあったのは、詰めの甘さを心底見下すような笑みだった。
縛りが禁じていたのは、他者への加害。その条件の中に、『虎杖悠仁』当人の損壊は含まれない。肉体を傷つけながらも何の罰も課されないことに、宿儺はそれを確信した。
若菜も動いた。上がりかけの手が止まり、急いで振り向こうと身体を捩る。反応そのものは早い。宿儺以外知る者のいないはずの合図に、心当たりがあるかのような素早さだった。
だが、その意味を知っていようと、そうでなかろうと関係はなかった。
「なんで──」
宿儺が踏み込む。
『虎杖悠仁』の中身が誰であれ、即座に術式の選別は切り替わらない。その賭けにも、宿儺は勝った。
《無限》を素通りした宿儺が、若菜の顎を掴む。その選別基準が改められるまでのほんの僅かな隙を縫って、抵抗しようとする少年の口内に呪物と化した指を押し込んだ。
歯が噛み合うより早く、指が喉の奥に滑り込む。
飲み込まれる。
異変を感じた五条悟の凄まじい呪力が、遠くの広場から迫っていた。一瞬もあれば、手が届く。
だが、五条悟が辿り着くより先に、宿儺は受肉に必要な手順を終えていた。
◆
両面宿儺が新たな肉体に移ること自体は、以前から計画されていたものだった。ただし、その対象も時期も、当初の想定とは大きく異なっていた。
伏黒恵。
少年院で相対した際、宿儺はこの少年に自らの器としての可能性を感じていた。
そのうえ、禪院家相伝の術式を持つ。影を媒介として多様な式神を呼び出し、状況に応じて使い分け、混ぜ合わせる。手数が多いだけではなく、影そのものを利用する《十種影法術》には、さらなる応用の余地があった。
何より、少年院で追い詰められた時、最後に呼び出そうとした式神──《八握剣異戒神将魔虚羅》は、それまで見せていたものとは一線を画す。当時の宿儺では、分が悪いと認めざるを得ない程の尋常ならざる存在だった。
だが、宿儺にとって不幸なことに、それが姿を現す前に戦いは終わり、渋谷でも召喚の機会には恵まれなかった。宿儺はその力を実戦で確かめる機会を得ないまま、今日《こんにち》に至る。
とはいえ、宿儺の魂に耐え得る身体と、底の知れない術式。その双方を備えた伏黒は、宿儺にとって受肉先の最有力候補。あとは伏黒の魂が折れ、肉体の主導権を奪える瞬間を待つ。それだけだった。
その目算を揺るがす存在が、突如として現れた。
五条若菜。
それまで宿儺の知るところになかった少年が、渋谷で彼の前に立ちはだかった。
《無下限呪術》を宿し、六眼を持たずに高度な術を操り、さらには五条悟が花御に使ったと思しき大技まで変則的に成立させる。ついでとばかりに、《伏魔御厨子》の斬撃に晒されながら非術師の一人も失わずに守り抜き、その時になくしたはずの腕と眼は今では何事もなかったかのように再生している。
それだけでも十二分に異常だったが、宿儺が目をつけたのは術式だけではなかった。
あれほどの損傷と呪術的な負荷に耐え、なお戦闘を継続した肉体。その肉体なら、宿儺の魂を受け入れても崩壊せず、器として成立する可能性を見出していた。
無論、それだけで受肉への適性が保証されるわけではない。しかし、確かめる価値はある。むしろ、放置する方が問題だった。
若菜には、奇妙なほどに修練の跡がなかった。扱う術式と肉体の強さに反して、使い手の経験があまりにも乏しい。
実戦の中で、手探りで成立させているように見える数々の技。拳の握りは甘く、見るからに喧嘩慣れしていない構え。見え見えのフェイントに引っ掛かる、駆け引きの拙さ。
しかし、それを無にする、想像を遥かに超える成長速度。
初めて相対した時、若菜は宿儺の軽い一撃にも対応できなかった。それが次には拳を交わし、さらに次には愚直さを残しながらもまともな打ち合いへ持ち込んでいた。術式の扱いも急速に洗練され、終いには反転術式まで使ってみせた。
五条悟による指導も始まり、このまま成長すれば面倒な相手となる。興味深いと同時に、そう判断するのに時間はかからなかった。
だが、まだ間に合う。今なら奪える。
少なくとも宿儺の目には、強大な力を手にしたばかりの未熟な術師と映っていた。受肉さえ成立すれば、その主導権を奪うことも難しくない。
そして、若菜の魂を折る算段も、すでについていた。
『呪術師でもない金髪の娘を殺す』。
宿儺にとって花を手折るよりも容易い手間で、濡れ手に粟どころではない利を得る。術式による高速移動が可能なことも、虎杖の中から把握している。数分もあれば、その言葉が現実になるのは、宿儺にとって既定事項だった。