TS転生したし病弱系ヒロインになりてぇ!! なった!!! 作:燕目
名前。
言葉とは言わばただの記号である。意味するものと意味されるものを結び付けるだけものに過ぎない。要するにその言葉が使用される社会や組織、家族すなわち共同体の中で、言葉とその言葉で表現される対象が結びついてさえいれば、極論どんなものだろうとそれを表現する言葉足りえると言えるだろう。
もしかしたら俺達が犬という呼んでいる動物を猫と呼んでいる人達がいるかもしれない。しかし、そうだとしてもその人達の中では何の不都合もないだろう。別に犬という存在を何と呼ぼうが、その言葉とそれによってイメージされるものが正しく結びついてさえいれば何の問題もないからだ。これは別に何も不思議なことではなく、言語が違えばどこでだって起こっていることである。
つまるところ何かを呼ぶための言葉。いわゆる名前や名称というものもまた記号であり、その呼び方である絶対的な必要性などないと言えるだろう。では、名前は名前でも個人を表すもの、例えば園城寺千歳や鳳条咲良のようなものもただの記号と言えるだろうか?と言われれば俺はそうは思えない。勿論、他者と識別するための記号という側面があることに間違いはないし、ただの記号だと答える人もいるだろう。だから、これは俺という個人がそう思いたくないというのが正確だ。
名前とはほとんどの場合、こうあれかし、こうあるなかれという願いをもって付けられる。幸せであれ、健やかであれ、豊かであれ、強くあれ込められる願いは様々だろうが、そこには名付けた人間の何某かの気持ちがこもっているはずだ。千歳という名前は長生きを願ってつけられた。その思いは正しく俺に届いている。名前とは確かに記号であるのかもしれない。けれど、それと同時に何かそれ以上のものを伝える力もあるはずだ。だからこそ、ただ区別するための記号だというのはいささか以上に寂しいと俺は思う。
まあ、ここまで長々と無駄に肩肘を張った話をしているがつまるところ──人であれ物であれ名付けるシーンって熱くなるよね……ということである。それに病弱系ヒロインが関わっているなら更なりというものだね!
◇◇◇
少年にとって生まれた瞬間から世界とは苦そのものであった。吹く風は彼にとって激痛を運ぶものであり、届く光は彼にとっていささか以上に過分であり、響く音は彼にとって何をしても流れ込んでくる呪いのような代物だった。陽の気によって強化され過ぎた五感が常にその身を苛み続けた。
常人にとって爽やかな風も、温かな光も、心地よい音も彼にとっては絶望であり、恐怖であり、苦痛だった。
なぜこんなことになっているのか、なんのためにこうしているのか、なんのために生きるのか、そんなことを思うことすらせず、いやそんなことすら出来なかったといった方が正しいだろうか。
痛いという叫びも、助けてという嘆願も、どうしてという疑問も終ぞ彼の口から漏れ出たことはなかった。漏れ出る声は全て意味もないただのうめき声であり、彼は己が異常であるということを理解さえしていなかった。当然だろう。だって、彼は何も知らなかったのだから。乳飲み子の頃に打ち捨てられ、名前も何も与えられず、独りで生きることしか出来なかった彼にはそんなことを教えてくれる存在も、そんなことを考える余裕さえも生まれてから一度だって有りはしなかった。
彼に何かを与えるものはおらず、彼に応えるものはおらず、苦痛の中ただ死んでいないだけの日々を過ごす。それが彼にとっての生きるということであり、このまま己のことさえ知らぬまま朽ちていくただそれだけの生だった。──あの夜まではそうであった。
あの夜、園城寺千歳と少年が互いにとっての対と出会った運命の夜。彼は初めて風の気持ちよさというものを知った。静けさというものを知った。月の光の柔らかさを知った。雪の美しさを知った。
そして自分以外の誰かを知り、その誰かが浮かべる──笑顔というものを少年は初めて知った。
それからの数日間は少年にとって激動と言うほかない。食べることの喜び、眠るということの心地よさ、誰かと一緒にいるということの温かさ、それ以外にも本当に多くの言い尽くせぬほどに、思いつくせぬほどに多くのことを彼は知った。苦痛だけで構成されていた彼の世界はたった数日で大きく作り変えられていった。
そんな数日間の間で対たる少女は少年の元に足繫く通い、そして色々なことを時間を惜しむように、ただひたすらに話して、話して、話した。そして最後に少年の心に刻まれたあの笑顔を浮かべ『またね』と言って、従者たる黒い少女と己の部屋へと帰っていく。少年にはまだ言葉がわからない、少女との会話もまたねと言う言葉もただの音としか認識できてない。しかし、それでも彼はその時間を好きになった。少女の口から放たれるまたねという音が好きになった。
これまでの彼の人生全てを吹き飛ばすほどに鮮烈で、比較にすらならぬほどに多くのものを園城寺家は、そして少年の対たる少女は彼に与えた。
そんな少女の足音が今日も少年の耳を叩く。待ちわびた相手が来ることを悟った少年はパッと跳ねるように立ち上がると、彼に与えられた部屋の扉の前に立ち今か今かと少女を待った。
「いつも出迎えてくれてありがとう。昨日はごめんなさいね、直ぐに帰ってしまって。いきなり来たと思ったら、あっという間に連れて帰られるものだから驚いたでしょう?」
「千歳様がはしゃぎ過ぎるからいけないのです。嬉しいのは分かりますが、あのように息を切らせて。お体に障りますよ」
「むぅ……最近は体の調子も良いし、大丈夫だって言ってるのに」
「そういう時こそ油断してはいけないのです。実際、昨日も酷く咳き込まれていたではありませんか」
「あれは……その興奮していたからで……むぅ~」
「……そのように頬を膨らませても駄目です。私は千歳様のお体をお守りする義務がありますので」
少年の目の前で黒い少女と白い少女がいつも通りのじゃれ合いを始める。当然、少年には何を言っているのかほとんど理解できていない。話している内容はもちろんだが、彼女達が言い争いながらも互いのことを想いあっているからなどということを理解するには少年は未だ幼過ぎた。それでも彼はこの光景が嫌いではなかった。それがどうしてなのかも彼にはまだ分からない、そうまだ。
なぜそう思うのかを理解する日が必ずいつか来るだろう。誰からも与えられず、誰も応えるものがいない、そんな少年はもういないのだから。
「そうだ。今日はね大切な話があるの!ねっ?咲良」
「私は別に……」
「そんなこと言って。咲良も昨日一緒に一生懸命考えてくれたじゃない」
「それは千歳様が望まれたからで」
「咲良はたまに素直じゃなくなる時があるわよね」
「そんなことは全くもってございません」
「ふふっ。分かった。そういうことにしておくわね」
「……なぜ私が譲ってもらったような雰囲気になっているのですか」
「たまには良いじゃない。いつも咲良がやっていることよ?」
少年が眺めている間にも少女達の会話はトントン拍子に弾み、その拍子に負けないほどにその表情もまたコロリコロリと移ろっていく。少年にはまだ分からない、分からないのに少年は笑っていた。
「ほら、この子もおかしいって顔をしてるわよ」
「私達が何を言っているかなどまだ理解できていないと思いますが」
「言葉じゃなくて心で通じたのよ、きっと」
「……とりあえず。先ずは用件を済まされてはでどうですか?」
「それもそうね。咲良とこの子と一緒にいると楽しくて、ついつい横道にそれてしまうからいけないわ」
笑う少年の前に少女が、園城寺千歳が立つ。そしてあの笑顔を浮かべて、少年に告げた。
「あなたの名前を考えたの。これからたくさんの幸福があるようにって、たくさん笑えるようにって願いを込めて」
少年にまだその言葉は伝わらない。それでも。
「
──伝わる思いはきっとある。
「これからずっとよろしくね!千陽!」
少年はこうして他の誰でもなく、千陽になった。
そろそろ盛り上げていきたいところだぜ……!
本日もお付き合いいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
一週間に一度と言いましたが、何とか序章的な出会いパートはこの勢いで乗り切りたいので頑張ってる感じです。まあ、それもあって一話ごとの内容が薄くなってるのは良いのか、悪いのかって感じですけどね。
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千陽
千歳ちゃん最大の被害者にして、千歳ちゃんによって救われた存在という前世で何か悪いことでもしたの?と言いたくなるような業を背負わされた子
生い立ちがあれなこともあり、本当に情緒やらなにやらは赤子並。そのため絶賛皆で教育中である。
ちなみに名前はお母さんやお父さん、兄様まで含めた熾烈なコンペの末、千歳ちゃんが必殺のウルウル上目づかいおねだりコンボで勝利した。汚い。千歳ちゃん汚い。
逆光源氏にされるのが確定している。
千歳ちゃんはちゃんと責任取ってあげなさい。