TS転生したし病弱系ヒロインになりてぇ!! なった!!! 作:燕目
主人公からヒロインへの感情。
これに関しては長く語ることはない。何を言うまでもなくその感情は──深く、広く、重ければ重い程良いよね……。
◇◇◇
長く世界を占有した陰の気が衰え始め、対となる陽の気が長じ始める。陽虚すれば陰実し、陰虚すれば陽実す。つい先日までは鎌のごとく鋭かった風も優しく柔らかくなり、桜は今年も蕾をふっくらと膨らませ、あの夜のように咲き誇るのを今や遅しと待っているようでさえあった。誰に何を言われるでもなく理の通りに季節は冬から春へと移り変わろうとしていた。
園城寺家の庭にもまた春らしい穏やかな風が吹き込み、その春らしい柔からさが屋敷に住まう者たちの心も包み込んでいく。しかし、その春爛漫の雰囲気も道場にいる二人には関係がないことなのだろう。互いによって鋭く振るわれる木剣から風切り音が響き、春の柔らかな風を文字通り切り裂くようでさえあった。
木剣を握る両者のうち、片方は未だ少年といって差し支えない年頃であろう。今の時分であれば家族と共に花見へと繰り出し、無邪気に笑う姿の方がよほど自然に思える。しかし、その少年の動きを見ればそのような感想を抱くものはいなくなろう。爆ぜるような、そうとしか表現しえぬ踏み込み。凡そ未だ未完成だろう少年の体から発せられるとは思えないほどの音、そして速度。未だ軽く、少年としてみれば大きくとも大人からすれば小さな体は縦横無尽に道場内の空間を文字通り跳ね回る。しかして、振るわれる一撃は決して軽いものではなく。四方八方から吹き荒れる木剣による嵐に並みの大人であれば、たちまちのうちに取り込まれその体を地に臥せることになるだろう。
しかし、少年に対する巨躯の男は、その嵐の中心にいるはずの男はまるで春のそよ風の中を歩くような気軽さでその嵐の中を闊歩し、避け、受け、止め、払う。男が汗の一つもかいていないことを認識した少年の速度が更に上がる。もはや一端の使い手であろうと視認することに難儀するであろう速度、それでも男の剣による守りを崩すこと叶わず。その後の決着は余りにもあっけなく、まるで飛ぶ虫を落とすかのように少年は叩き落とされるのであった。
「はぁ……はぁ……!」
「うむ。まだまだ荒削りだが、それでもそれなりに形にはなってきたな。しかし、やはりお前は陽の気による身体の強化に頼り過ぎる節があるな千陽。陽の気とは活性、その特性を利用した身体強化の術は俺とてよく使うし、戦闘における有用さも否定はせん。だが、それだけを頼みにしていてはそこで上回る相手と相対した時に勝ち目がなくなるぞ。そもそもお前は太陽、すなわち体内の気が著しく陽に傾いている。だからこそ、抑制する陰の気が少なく、そんな無茶苦茶な気の使い方でもこれほどの効果が出るのだろうが。それはいずれお前の身を破滅に導くことになる。それはお前とてよく知っているはずだ。千歳と初めて会ったあの夜、お前は成り果てかけていたのだからな」
息を荒げ、道場の床に倒れ伏す千陽、それを見下ろし指導を行う園城寺衛嗣の息づかいに不自然なところはなく、その身には冷や汗の一つも浮かんではいない。指導が終わったのだろう、衛嗣は千陽から数歩離れると何も言わず再び木剣を構える。対する千陽も驚いたりするような素振りもなく、息を整え再び木剣を手に取ると衛嗣に向けて突貫した。再び道場からは木剣同士がぶつかり合う乾いた音や踏み込みによる衝撃音が鳴り響く。しかし、それに対して驚く家中の者はおらず、まるで当然のことのように皆が受け入れていた。
千陽が園城寺家に受け入れられて二度目の春、もはや少年は園城寺家の人々にとって日常であり。
「甘い!」
「ガッ……!」
こうした衛嗣との鍛錬もまたそんな彼らにとっては当たり前の日常の一つであった。道場が静かになると今回は結構持ったなぁと皆で笑いながら話すくらいにはありふれた日常であった。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございました!」
「うむ、良い挨拶だ」
鍛錬が一段落したこともあり、互いに礼をする二人。一年前は喋ることさえままならなかった千陽の今の姿に、職場では裏で表情筋が死んでいる男と呼ばれている衛嗣の頬も緩む。
「今日の鍛錬もよく頑張った。まだまだなところは多いが、大分様にはなってきたな」
「ほんと?!ちとせまもれる?」
「誰が相手でもとは言えんが、凡百の輩程度が相手なら十二分に千歳を守れるだろうな。俺も安心だ。お前が千歳の側にいてくれるのならばな」
「まかせて!」
褒められたことか嬉しかったのか、それとも大切な少女を守ることが出来ると言われたことが誇らしかったのか、あるいはその両方か。なんにせよ木剣を握っていた少年と同一人物とは思えぬほどに溌剌とした年相応の表情で千陽は笑う。
「……千陽」
「なに?」
「お前にとって千歳とはなんだ」
衛嗣らしからぬ抽象的な質問に千陽の頭上にはてなマークが浮かぶ。
「すまん、まだ少し難しかったか……。そうだな……お前は千歳にどのようにいて欲しい?と俺は聞いたのだ」
「……わらっててほしい。ずっとずうっとはじめてあったときみたいにわらっててほしい」
「そうか。それはなぜだ?」
「わかんない、なんでってきかれたらわかんない。けど、それでもちとせにはずっとわらっててほしい」
「そうか」
「いつかなんでそうおもったかわかったら、もりつぐにおしえるね!」
「あぁ、その時を楽しみにしている」
「そのためにはもっとべんきょうがんばる!あやめやさくらにもっといろいろおしえてもらうんだ」
「分らぬことがあったら俺にも遠慮せずに聞きにくるんだぞ」
「?」
「ちょっと待て、なんだその反応は!」
「だってもりつぐはそういうのではやくにたたないってあやめがいってた」
「なんだと!?確かに勉強ではあいつに勝てたことなどないが……それでも子供の質問位には答えられるぞ!」
「おれももりつぐにはべんきょうよりきたえてもらいたいし。きよつぐはいそがしそうだからおねがいしづらいから」
「俺はもしかして暇と思われているのか?」
「ちがうの?ちとせがたまにいってるぞ?」
「違う!これでも多忙な中をだな!」
己に対する風評を払拭しようと立ち上がった衛嗣、瞬間その背後にある道場の戸が勢いよく開かれ、二人が愛してやまない声がむさくるしい道場に響き渡った。
「千陽やっぱりここにいた!」
「ちとせ!」
白い少女の姿を認めた瞬間、少年は破顔し衛嗣の隣を矢のように通り過ぎるとその隣に侍る。
「もー!また千陽のことを一人占めにして。大体こうも毎度毎度、兄様はやはりお暇なのですか?!」
「待ちなさい、それは全くもって誤解だ。俺は忙しい中をだな」
「ふんふん、成程。忙しい合間を縫って、子供を木剣で叩き伏せている。そう言いたいのかしら?衛嗣君」
「なんだ菖蒲嬢もいたのか、それもまた誤解だ。これは鍛錬であってだな」
「だからって、木剣で思いっ切り叩く人がいますか?」
「? 鍛錬だぞ痛くなくてどうするというのだ」
「限度があるって言っているんです!」
同期の桜ゆえの気安さか、はたまた少年のことを案じてか。少年少女の横に追いやって議論を始めた大人二人の隣を少年の手を引きながら少女は行く。
「兄様は菖蒲先生に任せて、行きましょう千陽!咲良も待ってるわ」
今日は何をしようかと笑いながら手を引く少女の姿を見て、少年の心にはまた分からない何かが溢れていく。これを何というのか少年にはまだ分からない、分からないけれど、それは決して不快なものではなかった。
いつかこの何かがわかる時が来るのだろうかと、来ればいいなと少女の笑顔を見ながら少年は思う。
「千陽!」
「うん!」
笑って欲しい、ずっとずっと幸せでいて欲しい、少年は知らぬもの名を人々は愛と呼んだ。
◇◇◇
怪異、陰陽の理から外れたもの。この世界における法則から抜け出して、怪しく異なる存在へと成り果てたもの。故に怪異、この世の理から外れただ対となる気を求めるだけの現象となったもの。かつての誰かの成れの果て。
その怪異は園城寺千歳が生まれた時代より幾ばくか時を遡った時代に誕生した。
乱世、数多の国が興りそして滅んでいった時代。そんな時代のとある国のとある城に一人の男がいた。男は英雄と呼ばれるに足る存在であった。武器を取れば敵を悉く打倒す強さを持ちながら、人々をいつくしむ優しさを併せ持った傑物であった。そんな男を愛する女がいた。それはその城に住まう姫である。男と姫は互いを愛し、周囲の人々もそれを言祝いだ。
温かな時であった。幸福な瞬間であった。しかし、そのような時間が長く続くことはなかった。乱世の習いか、男が住む城もまた戦乱に巻き込まれたのだ。男は城やその周辺に住む人々、そして姫を守ろうと懸命に戦った。
その戦い中で男は傷つかぬ体を求め、傷ついても壊れぬ体を求め、壊れても動ける体を求め、その手段として陽の気を用いた。陽の気によって強化された身体は生中な攻撃を通さず、どのような傷もたちどころにふさがり、限界を超えてなお動くことを可能とした。
その全ては大切な人達を愛する姫を守るために男は戦って、戦って、戦い抜いてその果てに怪異へと成り果てた。戦い続ける中で男の体の中で陰陽のバランスが崩れたのだ。それも取り返しがつかぬほどに徹底的に。本来ならばそれまでに痛みや死によって止まるはずのところを、男は乗り越えた。乗り越えてしまった。
男の中から陰の気は消え去り、その身は全て陽の気で満たされた。滅陰偏陽、これをもって男は男ではなくなり、ただ対となる陰の気を求めるだけの現象へとなり下がった。そして男の残骸たる怪異が先ずその手を伸ばしたのは──男が愛した場所と人々であった。
これが怪異。この陰陽が支配する世界における異物。陰陽の理から外れ、死ぬことも生きることも出来なくなったいつかのそして誰かの残骸。己が捨て去った対の気を求めるのは残った本能か、それとも──。
陽は陰を感じ、陰は陽を感じる。千陽が園城寺千歳を感じたように、陰陽は互いが互いを引き寄せ合う。
男の成れ果てたる怪異、
ただ陰の気を求めてさまよい続ける。それはこの世界に生きたものとして本能か、それとも──終わるためか。
これが怪異。終わることも出来なくなった。いつかの誰かの成れの果て。
祝!UA10万突破! 上を見ればきりがありませんが、それでも自分にとっては夢のような数字です。こんな拙作に本当にいつもありがとうございます!
ここからの展開、多分予想着いちゃった人多いだろうなぁとなる。
ここからは読まなくていいです
滅陰偏陽
陰の気が完全に消え去り陽の気へと完全に偏った存在、すなわち陽の気の怪異へと成り果てること。あの世界では陽の怪異のことを滅陰。その逆の存在を滅陽と呼称している。
陰陽を共に持つというこの世界の根底を覆す異物であり、それぞれ対となる気を持たぬがゆえに気の特性が際限なく高まった結果。生きることも死ぬことも出来ない存在へと成り果てている。
討伐するには釣り合うだけの陰ならば陽を陽ならば陰をといった感じに怪異と釣り合うだけの対となる気をぶつける必要があるが、そんなものを個人でどうこうするのはほぼ不可能なので基本的には複数人で対処するのが前提の存在。所謂レイドボスである。